汝に光あれ!
この世界にいるのは、僕一人だけだった。今考えてみると、生まれた時からもう一人だったのかも知れない。
あれ、でもそうだとしたら、僕は一体どうやって生まれたんだろう?
とにかくどんなに歩き続けても、どんなに泣き叫んでも、誰一人駆け寄ってくることはなかった。孤独だった。ここは、自分だけの世界。自分の世界って、とっても孤独だ。
もちろん、僕は今一人だ。一人っていうのは、僕以外、何にもないってこと。だから光さえも見えない。光の粒子やら、波やら、何にも無いんだから。
あれ、でもそうだとしたら、僕は一体どうして光について知っているんだろう。初めから光が無かったのなら、光のことだって知らないはずなのに……。
あ、そうなんだ!僕は一人じゃなかった。孤独でもなかった。僕は光のことを知っている。光だけはいつも僕の側にいたんだ。見えないっていうメッセージを常に僕に送って、ずっと側にいるよって伝えてくれていたんだ。
あれ、でもそうだとしたら、他のものもみんな、いないっていうメッセージを僕に送り続けてたんじゃないのかなあ……。僕は孤独なんじゃない。いつも世界が側にいた。僕なんか、とうに超越した"世界"が側に寄り添ってくれていたんだ。早とちりだったんだな。自分の世界は、とってもとっても……
「御前様はお出でになさった?もうそろそろ時間ですけれど」
「知らないですよ。御前様は見えないんだから。御前様はお出でになさったら、必ずそこの席にお座りになられるんだ。心配しなくてもいい」
「そうかしら?今日はなんていったって、ご来光の日ですよ。そんな大切な日に、御前様がいらっしゃらないってことになったら、私たちがなんて云われるか……」
「誰になんて云われると思ってるんだ?どうせ隣のギンギラのことだろ?人間様に足を取られたっていう」
「違うわよ。人間様よ。今日は人間様が西の方からわざわざご来光なさる日じゃない。御前様がいらっしゃらないってことは、私たちが罰を受けるのよ。それこそギンギラみたいに足を取られかねないわ」
「あ、そうだった」
「すみませ〜ん、ショーコシュさんの御宅というのはこちらでしょうか」
まずい。人間様が来てしまった。御前様はまだお座りになっていない。どうにか時間を稼がなければ。
「人間様、ショーコシュの館はこちらで御座います。まずは、お掛けになられて下さい」
ショーコシュは取り敢えず、人間様を玄関のすぐそばに設けた高級ソファーに誘導した。人間様は、相変わらず上機嫌のご様子で、ありがたい、ありがたいといってすぐにソファーに腰掛けた。よし、今がチャンス!
「人間様、今日はご来光、お疲れ様で御座います。どのくらい遠くからいらっしゃったんですか?」
「ああ、ずっと遠くの方ですよ。アレクサンドリアよりもまだ遠くのほうです。あ、それとショーコシュさん、そんな堅苦しい敬語はやめてください。別に人間が偉いってわけじゃないんだから。人間様っていう呼び方もやめてください」
こんな人間様……いや、人間は初めてだった。確かによく考えると、上機嫌っていうのとは違って、この人間はどこか物分りが良さそうな雰囲気があった。よかった、助かった。
「では、なんとお呼びすればよろしいですか?」
「んん……そうだな……。仕事だから本名は明かせないんですが、よければ、カールとお呼びください。ところでショーコシュさん、御前様はもうお越しになられていますか?今日は御前様にもご挨拶申し上げるためにやって来たんです」
なぬっ、その話題に触れてしまったか!ちらっと妻に目を向けたが、少し首を振って厳しい表情だったので、まだ御前様はいらっしゃって無いのだろう。まずいな……。
「あのカールさん……もう少し待っていただけますか?実は御前様はちょっと衣装をお召し頂いてる最中でして、時間がかかるようなので」
「そうでしたか。なら全然大丈夫です。ちょうど私も長旅で疲れていまして、休憩をいただけるのであれば、ありがたい限りです。そこでなんですが、ちょっとお話ししたいことがあるのですが」
思ったとおり。物分りがいい人間だった。こんなしっかりとした人間が来ていれば、ギンギラも足を取られることは無かっただろうに。
「なんなりとお話しください」
「旅の途中に小耳に挟んだことなのですが、このあたりで最近、大きな戦があったと聞いたのですが。しかも、その戦で、異教の国が勝ってしまったと。もし本当であれば、大変遺憾なことです」
「……あの戦のことですか。それは、それは大変なことでした。奴らは目にしたことのない、火薬を使うのです。火薬といっても、ばーんと爆発するっという言葉では言い表すことのできないものです。それは突如、光の閃光とともに放たれるのです。一瞬にして辺りは焼け野原です。しかもその新兵器は、爆発後も目に見えない毒が私たちを蝕むのです。やつらは私たち、ショーコシュらにはどうにもなりません。人間様のお力で、どうにかなりませんか?」
「そうですね。自国へ戻ったら、すぐに皇帝陛下へ進言致しましょう。新兵器ですか……。世も物騒となったものです。ショーコシュさん、我らは神のご加護のもとで共にあります。必ずや、その悪魔の軍勢を排除せねばなりません。そのためには、神へ祈るのです。ひたすら神と向き合うのです。神は常にお側に在られます」
カールさんは真摯な眼差しでこう言った。カールさんが聞いた戦というのは、変な服を着込んだ数名の人間達だ。あんな少数で、この地方の軍勢がやられたのは、空前絶後の出来事だった。
「戦に関して言えば、私の国でも最近、大きな戦があったのです。北の民族をご存知でしょうか。北の民族は、突如、我々の国へやって来て、土地を奪っていったのです。しかし、なんとか追い出すことには成功しました。とても野蛮な民族です。我が領土を侵略するとは……」
カールさんの声に熱が入っていた。人間も人間で大変なことがあるんだろうな。あ、御前様がいらっしゃったみたいだ。ふう〜、とにかくよかった。
「カールさん、御前様の支度が整ったようです。では、こちらに」
「はい」
カールさんは少しむっとした表情になっていた。戦の話を喋りすぎたな。少しショーコシュは後悔した。
御前会議。その上座に御前様はいらっしゃる。やはり今日も御前様のお姿は見えなかった。だが、確かに御前様の息吹を室内の荘厳さで感じ取った。カールさんは、戸惑った様子できょろきょろと首を左右に動かした。ショーコシュは上座へ向かって一礼した。
「御前様は人間様と直接お話ししたいと仰っております。私は失礼いたします」
ショーコシュは再び一礼して、扉を閉めた。御前様がショーコシュ族以外の部族と対峙するのははじめてだ。このショーコシュでさえ、直接お姿をまみえたことはない。カールさんを羨ましく思った。
「御前様は人間様と何をお話になっているんだろう」
身を隠していた妻は、押入れから顔を出した。
「人間様の世界じゃあ、妻帯は禁止されているんだ。狭いところに押し込んでしまって悪かったな」
「そんなことは気にしないで。無事に終わりそう?」
「さあ。御前様のお考えは全く読めないから」
ショーコシュはカールさんに言われたとおり、神へお祈りをすることにした。
カール、実名、ショーコシュ・ファインマンは御前様へ深くお辞儀をした。間近でお目にかかるのは、およそ2000年ぶりだ。御前様は以前と変わらず、幼い少年のような姿を纏っていた。目をつむっていた。
「御前様。ローマ皇帝の命を預かって参りました。ご用件は簡単で御座います。御前様が危惧なさった、例の出現が起こりました。間も無くことは起こるでしょう」
御前様は口を開かなかった。愚問ということか。
「御前様。光ですよ。光が現れたのです。豪華絢爛に彩られたローマでです。これはすなわち、滅亡を現す、黒い光ですよね?シュメール、アケメナス朝、エジプトを滅ぼしたあの黒い光です。白い光ではないのです」
御前様は微かに眉を動かした。しかし、依然として無言のままだ。とどめだ。
「この黒い光は、真っ暗な夜の市街地を目をそむけんばかりに光輝きました。この黒い光は、帝国をわずか一寸の間に消し去りました。この黒い光は、奴隷を、人民を、貴族を、皇帝をあっという間にこの世から連れ去ったのです。皮肉なものです。消滅を意味する黒い光によって我々人間は平等となったのです!この世界はこのままでは黒い光の思うがままです。御前様なら、御前様のお力があれば、白い光を呼び起こすことができるはずです。御前様はいつも傍観しておられるだけです。神と同じです。ただただ、完全なるものという建前で、眼下で繰り広げられる大いなる惨禍を傍観しておられるのです!そうやって姿を隠し、生きとし生けるものから逃げておられる。私は一切あなたを認めません、神を認めません、唯一無二、毎日毎日体躯を擦り減らし、精神を尖らし、己の権利を掲げ、闘い続ける、わ」
「静まれっ!」
御前様が目を剥いて、勢いよく立ち上がった。肩を大きく上下に動かし、息をぜーぜーと切らしていた。そうだ。その調子だ。君臨するということはそういうことだ。ファインマンは御前様のその鋭い目を強く睨み返した。
「貴様には分からぬ。余の孤独など分からぬ。余の苦しみなど理解出来ぬのだ!」
御前様を怒らせたのは、初めてだった。ファインマンにとってこれは賭けだった。
「御前様。世のカラクリがどのように仕組まれているのかはわかりません。御前様のご尽力など、大抵計り知ることはできないと思います。しかし、黒い光は想像を絶するものでした。それは、御前様の予言なさった光とは異なるものです。御前様、わざとですね。わざと嘘を仰いましたね」
「ショーコシュ、世界を相手どって口論をするのは得ではない。余の指先一つですべてを変えられるのだ。黒い光はもともと余が放ったものだ。その黒い光を悪用したのは、ショーコシュ、貴様ら人間ではないか。余はどのように白い光を操るのか教えてやろう。単純だ。黒い光から取り出すのだ。どんなに黒い闇でも少なからず白き要素は残っておる。そのわずかな白き要素をこぼすことなく、器用に抜き取るのだ。できるか人間に。破滅を導く黒い光から白い光を手にすることはできるか」
「断言する。人間には絶対に不可能だ。黒いものを目の前に、白いものを選ぶなど、余に似せてつくられた人間では無理だ。それが、運命なのだ」
「余には、光だけがすべてなのだ」
そういうと、御前様はばたりと精気を失ったように倒れこんだ。ファインマンは大きく息を吐き出した。物音を聞きつけて、ショーコシュが慌てて駆け込んできた。ぐったりとした御前様を見て、目をパチパチさせて御前様に近づいた。
「御前様!大丈夫ですか!お怪我は……」
反応のない御前様をみて、それからショーコシュはファインマンを疑わしい目で睨んできた。おそらくファインマンは、今のショーコシュと同じ目つきで御前様のことを睨んでいただろう。
お互いに落ち着いて、さきほどのソファーで暖をとった。今度はショーコシュの妻の、ショーコシュとも一緒だった。ファインマンは、改めて事情を説明した。自分はローマ皇帝に派遣されてやってきたこと、目的は、東方の最果てにあるというショーコシュ家の御前様に会い、白い光の鋳造方を聞き出すこと。御前様を怒らせて、御前様に逃げられたこと。ショーコシュはいたって冷静だった。顔色一つ変えず、ファインマンの話を聞いていた。
「御前様が、なぜ少年のお姿をしておられるのかわかりますか」
「いえ、まったく……」
「御前様はいつもおっしゃってるんです。余は救わぬ、と。御前様は孤独なんだと思います。御前様はたった一人だから御前様なのです。だからすべての責任を一人で担っておられるんです。つまり、人間様も、ショーコシュも、それぞれが御前様に頼らず、生きてゆけと仰っておられるんだと思います。だからいつもお姿をお見せにならずに、余は救わぬ、と仰るんです。なぜ今日はお姿ををお見せになったのか、いまでも謎です」
「ショーコシュさん、一体、御前様とは何者なんです?キリスト様とは違うのですか」
「御前様は少なくとも、一般的に考えられる神とは違うと思います。御前様は、世界と申せばよろしいのでしょうか、世界そのものなのです。代々御前会議を任せられているショーコシュ家にとって、御前様とはそういう存在です。あなたがた人間様にとっての、父親、母親のようなものです」
ファインマンは誤解していた。御前様は、神ではなかったのだ。世界だったのだ。だからファインマンが挑発したとき、御前様は言い返した。主張した、自らで。神であるならそんなことはない。人間臭く、怒ったりしない。
「実はですね、私はショーコシュ・ファインマンと言います。もしかしたら、私もショーコシュ家の一員なのかもしれません」
「奇遇ですね。ショーコシュというのは種族の名ですので、偶然だとは思いますが……」
会話はそれで途切れた。ファインマンはなぜだか急に肩の荷が下りたように疲労をどっと感じた。気づけば、眠りに落ちていた。
ファインマンが目を覚ますと、真っ暗闇の森の中にいた。いや、砂が多い。森ではなく荒野か。空には満点の星が輝いていた。身なりを確認したが、眠っている間に盗まれたものはなかった。ショーコシュはどこにファインマンを置いて行ったのか。はたまたあれは夢だったのか。疲労はまだ残っていた。
「おーい、そこの旅人よ。もしや、西からきたものか?」
ファインマンが声のした方を向くと、馬にまたがった遊牧民の格好をした男がこちらを見下ろしていた。
「ローマからやってきたものだ。なかなか言葉がうまいな。ローマ仕込みだな」
「お察しのとおりだよ。俺は昔、ローマで建築を任されていた。今となってはこのざまだがな!はっははは」
なかなか面白い男だった。寝床もないのでその男の後を追って、遊牧民が集団で固まっている野営地が見えてきた。男が声をかけるとすぐに数人子供が駆け寄ってきて、薪を追加した。この寒さに、火はありがたかった。
「ローマンよ、腹は空いているか?旅の話でも聞かせてもらおうか」
「それは面目ない。だが、長居はできないぞ」
「はっ、時間などいくらでもある。この辺りは平穏だ。まあくつろげや」
ローマ人だと聞いて、臆するところのないこの男が気に入った。男に聞くと、名前は特に決めてないらしい。カールと呼んでくれ、といった。
「ローマン、名前は?」
「カールと呼んでくれ」
なんか前にこんなやり取りをしたな……。往路でもある遊牧民にお世話になったことがあった。
「がはははは。カールか。同じだな」
カールとは、たわいもない雑談を交わした。ローマの話をしてやると、懐かしそうにカールはよく頷いて、こんなでっかい柱を立ててやったんだとローマでの自慢話を何回も聞かされた。最後に近頃、変なことがあったんだとカールが妙な口調で語り始めた。
「なんとな、ここからすぐのところで大きな戦があったんだ。そりゃあ、すごいありさまだ。ローマの軍勢だってあんなことしねえよ。突如、馬鹿でかい爆発音がしたかと思うと真っ黒なとてつもないくらい大きなきのこ雲が上がったんだ。あれは天にも届く勢いさ。噂じゃあ、東の果てに小さな島国があるらしいんだ。そこの御前様を祀る変な風習があってな、そこの御前様が発明した最凶の兵器だってさ。もしその兵器がローマに持ち込まれたら、一発で終わりだな。カールのだんなには悪いが、ローマ市街をつくってきた俺が言うんだ、間違いない」
ファインマンは驚いて、そして思い出した。そうだ。前にも会っている。往路で出会った遊牧民というのはこの男だった。そのときも同じことを言っていた。その話を聞いて、ファインマンは御前様に辿り着いたのだ。これはどういうことだ。
「その兵器ってのは、火薬のことか?」
「火薬ってもんじゃねえ、悪魔だよありゃあ。死に遅れた奴は全身焼きただれてて、目も当てられなかったよ。俺が遣ってた、餓鬼も何人か殺された」
ファインマンは確信した。これはあのときの男だ。
「御前様ってのは、人間なのか?」
「聞いた話じゃあ、人間らしい。ただ気になるには、御前様のそばには、サルが守っているらしい。その近くにはあれだ、聖書であっただろ、アダムとイブをたぶらかし、足を無くされ、地を這うことになったあの蛇だ。動物がこぞってその御前様をお守りしてるんだとさ」
そうか。そういうことだったのか。だからショーコシュにはサルがいたのか。ショーコシュ家に行く前には間違って、ギンギラ家を訪ねてしまい、危うく大蛇に喰われるところだったのだ。御前様は醜い人間様をしもべにすることは考えなかったらしい。
「興味深いが、信じがたいな」
「そうだな。でもな、その新兵器、多分気のせいだとは思うんだが……」
カールは迷うように言葉を切った。
「なんだよ」
「俺が汚いきのこ雲を見て、すぐにそこの村へ行ったんだ。あたりは何もかもぐちゃぐちゃで、当然人が生き延びれたとは思えないところにだな……」
「ほとんど無傷の少年がいたんだ。真っ白い格好だったよ。人間とは思えないくらい綺麗な白だった。そこで俺は見たんだよ。少年がいきなり地面に文字を書き出した。変な文字だった。博学な俺でさえ、それがなんか数学的な文字だということしかわからなかった。シンプルだったが……なんだ……なんとか Cっていうかんじだったな。まあそれは流して、そのあと、少年が意味ありげに言ったんだ」
ファインマンは息を押し殺した。この話は、まだ聞いたことがない。
「もうちょっと頑張ってみようかなって。少年はそれだけ行って止める間もなくどっかいっちゃった。俺にはどういうわけか、それが神の思し召しにしか思えなくてな。がっはっは、神様がもうちょっと頑張ってみようかな、なんて頼りないこといってもらっちゃあ、困るぜ」
ファインマンはにこやかな笑顔で返した。カールもファインマンの顔を見て、さらに笑い出した。とにかく面白かった。
「ショーコシュ・ファインマンは消息を断ちました。派遣した調査隊によると、ファインマンは近くで発生した大規模な戦いに巻き込まれたというのが大方の見解です。一部では、御前にあって、寝返ったとか、根も葉のない噂はありますが……」
「そうか。もう下がってよいぞ」
「皇帝陛下、最後に一つご報告させていただきます」
「ファインマンが巻き込まれたという戦では、類をみない新兵器が使用されたと。それは煉獄の炎のごとく燃え盛る兵器のようです。つい最近東のルートで入手した火薬と呼ばれる武器のようなのですが、それとは何万倍も大きな破壊力を誇ると」
「ああ。知っている。だが、ローマは滅びぬぞ。永遠にな」
「もうちょっと頑張ってみようかな」
誰にも聞こえないように、そっと、主は呟いた。
「汝に光あれ」
この世は光で包まれた。それは温かく、世界を抱きかかえるように包み込む、真っ白い光であった。