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消しゴム

作者: SO-AIR
掲載日:2012/09/23

 つい今しがたまで、無い事に気付かなかった事に、急に気が付いたりする物だ。


 黒いメッシュのペンケースから、消しゴムが消えている事に気付いた。

「何、どうしたの?」

 ペンケースを丸ごとひっくり返して中身を確認したり、床に視線を落としたり、無いと判っている癖に制服のポケットを探ってみたり、落ち着き無く動く様を見て、博美がそう言ったので、「消しゴムがなくなった」と端的に述べた。

 博美も一緒になって教室の床に這う様にして探してくれたが、見つからない。

「さっきの、音楽室じゃないの?」

 あ、そうか。今日最後の授業は音楽だった。

「部活の前にちょっと行ってみる」

「大事な消しゴムなの?」

 大事な消しゴム、と言う響きが何とも可笑しかった。消しゴム如きで。

「いやぁ、まだ買って数回しか使ってないから、勿体無いなって思ってさ」

 ペンケースの中身を元に戻し、身支度を整えていると、博美が妙な事を言い出した。

「最近流行ってるらしいよ。何つーか、中学生じゃあるまいしぃ」

 何が流行っているのか勿体ぶったその口調に「何がだよ」と被せた。

「消しゴムに、自分の名前と好きな人の名前を赤字で書くと、結ばれるってやつ」

「はぁ......」

 溜息にも似た声を漏らした。中学生じゃあるまいし。博美の言う通りだ。

「それって消しゴムの底に書くの?」

 博美は一瞬面食らった様な顔を見せ、「バカか」と言った。

「そんな事したら周りにバレるでしょうが。紙に隠れてる部分だよ。側面」

 そうだよねーと軽く受け答えをし、鞄と練習着が入ったバッグを持った。

「音楽室寄ってみるから、先に行ってて。アップに間に合う様に行くから」

 そう博美に伝え、音楽室に向かった。


 音の絶えた音楽室の扉をガラリと開け、靴を脱ぐ。絨毯敷の音楽室の電気をつけると、パッとグランドピアノが光を受けて輝いた。

 おっと、消しゴム消しゴム。

 自分の席の周りを重点的に調べたが見つからず、合唱のパート練習に使った音楽準備室に足を踏み入れた。

「あ、あった」

 誰にいう訳でも無く呟き、酷く一般的に流通している個性の無い消しゴムを拾い上げた。まだ使って間も無い。間違い無く私の消しゴム。

 思ったより早く発見出来たなあと思い、音楽室の電気を消し、歩きながらペンケースに仕舞った。

 部室棟へ行くために、再度教室の前を通った。

 見知った顔が、廊下をウロウロしていた。

「賢太郎、何してんの?」

 いつもなら部活に向かい、私達と半分に分けたコートでバレーボールシューズの紐でも結んでる頃だろう。

「いや、消しゴムを無くしちまったみたいでさ」

「ここで?」

 廊下のリノリウムの床を指差す。

「いや、分かんねぇけど、さっき稲村達が、廊下に落ちてる消しゴムを蹴って遊んでたって聞いたからさ」

 傘立ての隙間や、消化器の裏、隅々まで探している。

 博美の言っていた事が脳裏を掠めた。

「ねえ、大事な消しゴムなの?」

 賢太郎は少しむくれた様な顔で頬を赤らめて「そんなんじゃねぇし」と言うが、狼狽は隠しきれていなかった。

 まさかね、賢太郎があのおまじないを信じているなんて......。

「あ、あった!」

 傘立ての隙間から賢太郎が拾い上げたのは、私が持つ消しゴムと同じ、ごく一般的なメーカーの消しゴムだった。

「良かったじゃん。じゃ、私は先に部活に行きますので」

「何だよ、一緒に部室棟に行くぐらいいいじゃんか」

 ズタ袋の様なケースに消ゴムを仕舞うと、鞄を手に歩き出した。私はその横を歩く。

 部活が同じでも、普段言葉を交わす機会は少ない。教室でもそう頻繁に話をする訳でも無い。

 こうして横並びに歩くのは少し、恥ずかしかった。

 賢太郎が、空高くジャンプして、白球を地面に叩き込む一瞬の、歯を食いしばる顔が好きだ。顧問の話を聞く時の、挑発的な目が好きだ。頭から水を被り、それをさっと後ろへ払う仕草が好きだ。

 要は、賢太郎に惚れているのだ、私は。

 隣を歩いているのに無言のままで居心地が悪く、「は、春の大会は、くじ運はどうだったの?」と、どうでもイイ話を振ってしまった。

「まだマネージャーから知らされて無いな。もう、決まったのかな。女バレは?」

 話を振っておいてなんだが、全く知らなかった。

「知らん」

「何だよそれ」

 部室棟に到着し「それじゃ」と各々の部室に入って行った。


「消しゴムあった?」

 トスの自主練をしている博美が寄ってきた。

「あったあった。音楽準備室に」

「良かったじゃん」と言って私にパスしてきたので、シューズの紐を結んでいた私は座ったままでトスを仕返した。


 体育館は様々な部活が使用するため、使える時間が限られる。

 幸か不幸か女バレと男バレはコートを半分に区切って練習をするので、練習時間は被っているし、賢太郎の勇姿がチラ見出来る。

 とは言え、自分はチームのエースを任されているので、男に見惚れている場合では無い。

 男バレにコートを全面明け渡し、女子はステージで筋トレをする。その間男子はスパイクの練習をしていた。

 ほら、あの瞬間の顔。悔しそうな表情も。筋トレを三セット終わらせた私は男子のスパイク練習に見入った。

「まーた賢太郎観察日記?」

 同じく終えた博美が近づいてきた。

「ん、そういう訳じゃない」

 よっこらしょと老人の如く声に出して私の隣に座ると「じゃ、何さ」と追求の手を緩めない。

「賢太郎も消しゴム探してたからさ」

 シューズの紐を硬く縛る。次にスパイク練習をするのは自分達だ。

「何なに、やっぱ必死だった?」

 さっきのおまじないの事か。賢太郎がそんなもんに手を出すとは考え難い。

「いや、ふつーに探してふつーに見つかったよ。偶然同じ消しゴムだったけどね」

 博美は薄ら笑いを浮かべて「書いてあるかもよー、『賢太郎、早希』って」

 想像しただけで十分赤面した。

 終了のホイッスルが鳴り、女子がコートに立つ。その度にネットの高さを調整せねばならない。

 賢太郎はこんなに高い位置からボールを打ってるんだ。同じポジションとして羨望だ。

 博美があげるトスで、私はスパイクを打つ。丸一年、これでやってきた。

 私以外に身長の高い女子はおらず、自ずと「エーススパイカー」にされてしまった。

 博美は、中学から強豪校でセッターを務めていただけあって、良い角度に、良い高さに、トスをあげる。

 息が合うと、自分で言うのもなんだが、強力なスパイクが打てる。ステージで筋トレをする男子からも「おお」と声が上がる程だ。

 その中に勿論、賢太郎もいる訳で、私は強い女とは思われたく無かったので微妙な気分だった。



 部活を終え、自転車置き場まで部活の仲間とだるまになって歩いた。

 殆どが自転車通学で、学区外から通学している私は電車通学をしている。

「一回戦、二回戦あたりまでは何とか楽勝で行けそうな雰囲気だよねー」

「そうやって余裕こいてると、負けるんだから」

 仲間の油断した言葉に、博美は喝を入れた。夏からのキャプテンは間違いなく博美だ。

「そいじゃ、また明日」

 私はその集団から離れ、駅に向かった。


 目の前に、今日消しゴムを探していたあの背中があった。

「おーい、賢太郎」

 振り向きざまに賢太郎は右手をひらりとあげた。

 賢太郎と私は同じ中学の出身で、学区外通学者であるため、電車で見かける事は時々あったが、こうして帰宅が一緒になる事は珍しい。

 何しろ男バレは、部活後のミーティングが長いから、帰宅時間がかち合わないのだ。

「早いじゃん、ミーティングは?」

「今日先生が休みでさ。珍しく風邪だって。鬼のかく乱ってやつだ」

 賢太郎の隣に並ぶ。やっぱり、照れる。このまま自宅の最寄駅まで一緒に帰る事を考えると、更に照れる。

「お前今日もすげぇの打ってたなぁ。ボカスカ」

 右手首のスナップを利かせて見せた彼に、私は少しむくれた。

「ボカスカって、殴り合いじゃないんだから。あれはトスがいいんだって」

 博美のトス捌きは本当に素晴らしいと思う。打つ人間に合わせて、高さ、位置、タイミングを調整してあげてくる。

「確かに、谷口のトスっていいよな。俺も打ってみたいもん、あいつのトス」

 博美が羨ましかった。セッターとスパイカーのペアはあっても、どうあがいてもスパイカー同士のペアってのは、ない。

「お前、スパイク打つ瞬間、口、開いてんぞ」

 全身の血液が顔に大集合。炎が立つかと思った。そんな所、見られてるとは。

 何か反撃してやりたいとは思うのだが、材料が見当たらない。何しろ惚れているのだから。


「あ、消しゴム、ねぇ消しゴムのおまじないの話って、知ってる?」

 私は強制的に話を変えた。今日賢太郎が焦っていた、この話題に。

「あぁ、何となく周りが話してるから知ってるけど」

 明らかに、先程とテンションが変わった。こいつ、やってるな。

「もしかして、賢太郎も......」

「やってないし。俺、そういうの信じないし」

 それにしては少し顔が赤らんでいるのは気のせいだろうか。いや、気のせいではない。目線が定まっていない。これ程までに狼狽をひけらかすバカがこの世に存在するとは。可愛らしいではないか。

「お前こそやってんだろ、人の事ばっかり攻撃しやがって。女子ってそういうくっだらねぇ事が大好きだもんなー」

「は?やってないし」

 私はカチンと来て、証拠を見せてやろうと鞄から黒いペンケースを出した。

「もうちょっと女らしいペンケースがないのかよ」

「うるさい」

 やり取りをしながら、消しゴムを取り出す。

「見てみろほれ」

 紙のケースから抜き出される事に抵抗する消しゴムを、何とか抜き出した。

「ほら、真っ白で......」

 裏に反したその面には赤いペンで「賢太郎、早希」と書かれている。

 ご丁寧に、ハートマークまで付けて。

「何これ......」

 私は足を止めて消しゴムを見つめた。電車が一本、通過していく音がした。

 賢太郎に視線を遣り「何、これ?」と訊いてしまった。

 賢太郎はぽつりと言った。

「それ、俺んだ......」

 賢太郎は自分の鞄からズタ袋を出し、そこから消しゴムを抜き出した。

「これ、お前んだろ」

 紙ケースから抜き出した消しゴムは、両面とも真っ白なままだった。どちらの消しゴムも、使い始めてそう時間が経っていなかった。

 私は賢太郎から目が離せなかった。

「どうゆう事だい、賢太郎?」

「そういう事だ、早希」

 賢太郎は私が持っていた消しゴムを分捕ると、自分が持っていた消しゴムを私に押し付け、ズタ袋ごと鞄に放ると、その場を足早に離れていった。その後ろ姿に向かって私は叫んだ。

「私も、私も消しゴムに、同じように書いておくから」

 賢太郎は足を止めて振り返った。

「だから一緒に帰ろう。明日も男バレ終わるまで門で待ってるから。一緒に帰ろう。明後日も、その先も」

 意を決して私は賢太郎に近づいた。彼は左手を差し出したので、私は右手を重ねた。


 そこにあるって事に気づかなかった物が、幸せを運んでくる事もあるんだ。

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