第1話 日常
その日、最後の政治経済の授業が終わった後で部活がはじまるまでの短い時間、僕は何時もの日課をこなしていた。日課と言うのは、教壇に立って何や呟く様に話している担任の連絡事項を聞き流しながら、左前方の席に座る女生徒の横顔を観察する事だよ。
「ホントに懲りないな、弘樹は」
「放っておいてくれよ、別に誰にも迷惑をかけてないだろう?」
「いや、本気で犯罪者手前だと思うぞ?」
僕の至福の時を妨害して来たのは、この高校に入学して以来の友人にして、僕の所属する剣道部におけるライバル、先沢英知だ。誰がストーカーだよ!
「英知、犯罪者は無いよ」
「HRの間ずっと”結歌”を凝視していたんだろ? この前の席替えから暇があれば同じ行動を取っているんだから弁解の余地なんて無いぜ?」
「それの何処が犯罪なんだよ?」
「お前の携帯の待ち受けって”結歌”だよな?」
「そうだけど……」
「どうせ家のPCの背景も同じなんだろう?」
「別に悪い事はしていないじゃないか!」
自分で”浅木結歌”(アサギユイカ)に写真を撮らせてくれとは言えなかったから、委員長に頼んだけど僕が依頼だという事を”浅木結歌”は聞いている筈だから問題は無いよね? 自分で頼めないのが問題と言うなら、放っておいてくれ!
「弘樹、俺って、お前の家に呼ばれたこと無いよな?」
「……、家に友達を呼ぶのは好きじゃないんだよ」
「お前の部屋ってどんな感じだ?」
「……」
ぐっ! 痛い所を突いて来るな! 僕の部屋の事は(家族以外は)誰も知らない、あっ、何か母さんに同じ様な事を言われた気がする……。
「別に追求する積りなんて無いけどさ。ホントに犯罪は止してくれよ?」
「英知、君って僕の事をそう言う人間だと思ってるのかな?」
「とりあえずしつこい奴だよな、一部褒め言葉でもあるぜ」
この言い方は、何度、英知に打ち負かされても諦めない所を指しているんだろうね。今はまだ英知には敵わないけど、絶対に英知と互角になってみせる。少しは男っぽくなりたくて中学からはじめた剣道だけど、英知が居なかったらここまで真剣に取り組む事は無かったんだろう。
「一部って、英知は大胆不敵だよね、一部悪口も含んでいるけどさ」
大胆不敵とも言えるけど、無神経という言い方も出来るね。
「……」
「……」
短い睨み合いの末、不毛なのを悟ってそのまま体育館に併設されている武道館に向かう僕達だった。
そうだね、僕みたいにイマイチ気が小さくて男らしくない男も問題だけど、英知みたいにあの”浅木結歌”に交際を申し込んでおいて、三日で限界を迎えてしまって、その後一週間も経たずに新しいガールフレンドを見つけるというのも逆の意味で問題だよ。
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その日の部活を終えて(金曜だったから特にきつかったよ!)家に帰ると6時半を過ぎていた。英知は現在の彼女とデートだそうだけど、別に羨ましくはないよ!(振ったか振られたか微妙だけど、モトカノの友人と仲良くなるというのはちょっと真似出来ないね)
今日は母さんも出掛けると言っていたから、玄関のドアを開けて家に入ると少し薄暗かった。玄関の照明を点けて、廊下に上がると妙な物を見た気がして立ち止まる事になったんだ。
「あれ?」
気のせいだと思うんだけど、小さな女の子を見た気がする…、疲れてるのかな?
短い廊下を少し戻ると、何時も出掛ける前に身だしなみをチェックする姿見の前に立ってみた。姿見には当然人間が写ったけど、そこには何故か6~7歳の金髪の女の子が写っていたよ。
ちなみの僕は少し童顔(ついでに中性的っていわれるけど)だけど、ちゃんと男に見える16歳の男子高校生だよ。だけど、僕の姿が写るはずの姿見には幼女と呼べそうな喜びを満面に浮かべた女の子が立っているんだ。
1枚の鏡でしかない姿見がテレビになったとも思えないけど、僕ってもしかして別の人間になったのかな? 試しに、自分の頬を抓ってみると、女の子も同じ様に自分の柔らかそうな頬を抓ったよ!
いや、落ち着け明らかにタイミングがずれてたから僕が幼女に変身したという事は無い筈だ。小さい頃には女の子と間違えられた事があるらしいし、両親が調子に乗って僕に女装をさせた写真とか見せられたけど、中学生以降は勘違いされた事は無いんだ、うん、大丈夫だ!
僕がちっぽけな男のプライドを取り戻すと、姿見の中の幼女がこちらに向かって手招きしている。ついその手招きに応じて姿見に近付いたのは良かった事なのだろうか……?