中世・卵・気球
「今日もおちおち寝ていられる暇はないのか」
長い襟を立たせ、裏地が白くマントのように後ろが長い薄青の上着を風に遊ばせている青年は、眼下に見える街並みを見つめて溜息を吐く。
首元に巻いた白いスカーフを取り去って、瓶の中に入っている飲み物を飲み干す。つーっと唇の端から液体がこぼれ、のどのあたりまでこぼれていく。
ハンカチを取り出してそれをぬぐうとスカーフを巻きなおすと、瓶をポイッと投げ捨てる。
「さて、行くか」
ガシャン! とけたたましい音が遠くで聞こえる。なぜなら彼がいるのは時計塔の上。しかも屋根の上であり、立てる場所なんてないだろうと思われるが、驚異的なバランス感覚を発揮し片足で涼しい顔をして立っているのだ。
ひゅうっと風が吹き、左サイドで三つ編みされている薄水色の髪が揺れる。
とんっという軽い音を立てて、そのまま足を下に一直線に落ちていく。風に煽られ長い前髪の下から朱色の瞳が覗き、きらりと煌めく。
ぐっと足に力を込めると、まるで飛び立つかのように跳ねる。彼はそのまま、まるで空中を散歩するかのように、トントンと何もない空中を跳ねていく。
「バルーン!ここだー!」
町の外れにまでトントンと宙を跳ねていれば、屋根の上で手を振り回している燃えるような赤毛の少年がいた。足に力を込めると彼めがけて、一回跳ぶ。
「ポカリ……」
「しょうがないだろー!」
両足を揃えて彼めがけて急降下すれば、アブねーなと言いながらそれをよける。
舌打ちをしながら中世風のコートを一払いし、忌々しげに名を呼べば、大げさに腕を振り回して唇をとがらせる。
どうみても少年にしか見えなくて、額に手を当てる。これで23歳。自分よりも4歳年上らしいが全く見えない、頭痛いと思わずつぶやいた。
「とりあえず喫茶店、いこーぜ」
「……了承した」
ここで断っても強引に連れて行かれるだけである、わめかれるのも困るので素直に頷いておいた。
二人は同時に屋根から飛び降りると町外れのオープンスペースがある喫茶店に向かう。
ただでさえ、目立つ外見や服装をしているのだ。話すときくらいは落ち着いて話をしたいと、自分の視線の下にある赤い頭頂部に刺すような視線を向け続ける。
「なぁ、バルーン」
「なんだ?」
「怒ってんのか?」
「なぜ?」
「さっきから俺の頭頂部みてるだろ、そこだけひりひりしてきて禿げそう」
バルーンはぴたりと立ち止まる、不審に思ったポカリが振り向いたのと同時にさわやかな笑みを浮かべ、言い切る。
「禿げてしまえ!」
「ひでぇ!!」
俺泣いちゃうぞと泣き真似をするのを、黙殺し喫茶店にはいる。
紅茶を頼み、日差しが当たる一番暖かい席に座ると頬杖をつく。
「おいてくなんてひでぇ」
「応援要請無視しても良いか?」
「ごめんなさい」
瞬時に青くなり、頭を下げながら対峙するように目の前に座る。
「でも逃しちまったのしょーがねーんだよ」
「なぜ?」
「空中戦苦手」
ピクリとバルーンのこめかみがふるえ、眉間にしわを寄せる。無言で上着のポケットに片手いれ何かを探り始める。
「だってあいつ違法薬『飛行』を常備しているらしくてよー」
「すばしっこくて捕まらないと」
「それに空中戦はおまえの専売特許だろ?」
ちらりバルーンの青みがかった何の変哲もないブーツを見下ろす。苛立ちを表すかのように机の脚を蹴れば、それを押さえつけるように身を乗り出してくる。
何かを言おうと口を開いたポカリを遮るように、店員が飲み物を運んでくる。紅茶を受け取って口を付ければ、ポカリもアイスココアを受け取り飲む。
「子供か」
「あぁ!?」
ぽつりとつぶやけば、凶悪な目つきでにらまれる。今にも腰に差している銀の剣『爆裂』を抜きそうなのを、冷ややかな目で制する。
「自分で片を付ける?」
「すいません、お願いします」
そんなやりとりをしていれば、空気がざわめき始める。
カツンと靴の内側についている青い宝石をぶつけ合えば、足元が青く輝きだす。
「どんなやつだ?」
「女。最初は興味本位でやっていたようだが、次第にとりつかれて、今じゃすっかりドーピング中毒さ」
「そうか、同情の余地もないな」
上空を何かが飛び去ったのを感じたバルーンは、ポケットを漁っていた手を引っこ抜く。彼の手の中にあったのはクリーム色の卵だった。
「変なにおいするタイプか?」
「いや、目くらまし」
言うと同時にポイッと投げれば、上空を滑空していた何かに当たり、黄色の煙をもうもうと立てる。
ぐーっと紅茶を全て飲み干すと、立ち上がって軽く地面を蹴る。その反動でバルーンの体は浮き上がる。
「人払いを」
「どのへんだ?」
「広場だな、踏み潰す」
簡潔に答えると、また宙を蹴る。上空めがけて飛んでいくバルーンの履いている靴には、変化があった。
空と同じ鮮やかな青になり、かわいらしい白の翼がついている。まるで子供の履くようなかわいらしいデザインだが、バルーンが履いているのには違和感がない。
「空を駆る靴『空気』、あのデザインはあいつにしか合わないよなぁ。と、こんなことを言ってたらが俺が踏み潰されちまう」
ずーっとココアを飲め干すと、ばたばたとかけていくポカリだった。
一方のバルーンは、時計塔の近くにまでくると両手をポケットの中につっこみ、先ほどのよりは小さめの、色とりどりの卵を模した爆弾を取り出す。
すごい早さで飛び回っているドーピングをした女を視認することはできないので、ため息をはきながら大量の卵を宙にばらまく。
ポンポンと宙を転がっていく卵に狙いを定めると、片足をあげる。
「空圧」
ボソリとつぶやくと同時に、目の前に壁があるかのように、蹴りを放つ。ビリビリと目の前の大気がふるえ、その振動によって爆発が起き、様々な色の煙があふれ出る。
「キーッ!!」
「うるさい」
煙に巻かれながら高い声を発し、姿を見せる。
鳥の足と胴体に女性の顔と上半身。腕は翼になっている。
薄茶色の髪と金色の瞳、立てに細長くなっている瞳孔。
「常習犯か」
「ジャマスルナ」
耳障りな声が空気をふるわせたので、うっとうしそうな顔で睨みつける、冷えた視線に気圧されたように、動きを止める
「長引かせたくないからな、一瞬で片を付ける」
ポケットから特大の赤い卵を取り出すと、ボールを蹴るかのように蹴飛ばし、女にたたきつける。
当たると同時に爆発が起き、爆風が女の動きを抑制する。羽についた火を消そうとするかのように、羽を羽ばたかせる。すさまじい暴風が巻き起こり、バルーンは顔をかばう。
「うっとうしいな」
「ワタシノ、ジャマヲ、スルナ!!」
しゃがれた高い声とともに突風がバルーンめがけて飛んでくる、軽く跳躍をすれば空気の弾丸が自分のいた場所を通っていくのが見えた。圧縮された空気かと小さくつぶやきながら、二撃目、三撃目を避ける。軽やかに宙を踊るように避ける姿は、とても優雅である。
「バルーン!! 人払い終わったから、遠慮なく叩き潰せーー!!」
ちらりと視線を下に向ければ、ひときわ目立つ少年のような男が手を振っている。たしかに広場は今だれもおらず、がらんとしている。
バルーンは楽しそうに微笑をすると、地上にいるかのように駆け出す。瞬時に距離を詰めると、次の衝撃波を放たれる前に、拳を作ると何のためらいもなく顎めがけて振りぬく。
ガッツン!! というハト派がぶつかり合うすさまじい音が響き、地上にいたポカリはその音に「うわ、いたそー」と漏らす。宙を飛んでいるバルーンにその声は聞こえておらず勢いで上に飛んでいく女を追って自分も跳躍する、すぐに追いつくと女が落下し始める頃合を見計らい、体の上下を反転させるとトンっとまた軽く下に向けて跳躍する。
「全身の骨が砕けるかもしれないが、まぁ、自業自得だ」
どうせ違法薬が抜けるのに十数年かかる、無感情の声音で冷たい言葉を吐き出すとうつぶせになっている女の背に両足をのしゃがみこみ、ぐっと足に力を込める。
「空弾」
風がバルーンを取り巻き始め彼はそれをつかむようにすると、さらに足に力を込めると思いっきり足を伸ばし、地面にたたきつけるように女を蹴り飛ばした。かなりの速度で落下していた女は、バルーンの一撃を受けさらに速度を上げて地面めがけて落ちていく。
「うおっ、やべ」
自分のいるあたりにまで衝撃が来そうだと思ったポカリは慌ててそこから離れる、五歩離れたところでドカン!! とすさまじい音を立てて地面にたたきつけられる音がした。石畳にひびが入り朦々と土煙が立ち込める。
「派手にやったな~」
ふわりと優雅に地上に落ちてきたバルーンはポカリにちらりと視線を向け、何も言わずに少し凹んだ場所に歩み寄る。真ん中では、ぐったりと気絶している半獣の女。先ほどよりは人間に戻ってはいるが、薬が抜け切っていないらしい。
鼻で笑うと、無言で腕を伸ばし女を持ち上げると肩に担ぐ。
「終わったぞ」
「さすが、バルーン。ンじゃ帰るか」
「あぁ、とっと収監しないと」
バルーンはポカリに手を差し伸べる、彼がその手をつかむのを確認すると同時に先ほどとは比べ物にならない速さで空めがけて飛ぶバルーン。
ポカリが悲鳴を上げた気がしたが、それは黙殺した。
あとにはひび割れた地面と、散らばった羽だけが残された。