解けた糸を、結び直す
目が覚めたら、誰かも知らない美少女が自分の上にまたがっていたことがあるだろうか。しかもすごく鋭い目つきで睨んでくるときた。
頭が追いつかず困惑してる俺に、納得がいかないような表情の彼女が突然頭に手を伸ばし始める。そして、俺は意識を手放した。
―――――――――――――――――――――
さてここで自己紹介をしよう。
俺の名はリシマキア。両親や友達からはマキアと呼ばれてるからお前らもそう呼んでくれると嬉しいぜ!
ん?この名前が気になるって?これは今の平和な世の中を作ったというかの有名な勇者様と同じ名前なのだ!勝ったなガハハ!
しかし俺には戦闘の才能たるものがなく、冒険者になったはいいがスライムにすら勝てない。薬草採取でしか稼げず、おかげで俺は万年ランクEさ。
だがそんな俺にも才能はあるんだぜ!何と運命が見れるんだ!自分には使えない上に運命の相手を赤い糸と言う形で見ることしかできない戦闘能力0な能力だけどね…
両親には絶対最強になる!と言って半ば家出した手前なれそうにもないから帰るというのもダメだろう。
先の未来を考える余裕もなく、いつか最強になることだけを目指して冒険者を続ける生活を今日も送るはずだった。朝目が覚めるまでは…。
「おい起きろ貴様。これは何だ」
誰かの圧のある声で目覚める。しかし日々の薬草採取で疲れている俺は寝足りないと呼びかけを無視し、再び寝ようとする。
「いきなり私に魔力を繋げた目的はなんだ」
した覚えのないことを追及され、反論しようと目を開いた瞬間、驚きで固まる。夜空のような黒髪に吊り目が特徴的な美少女が自分にまたがっていた。相手の指には自分から相手に向かって赤い糸が伸びているのが見える。
「はっ!?誰この美少女!?赤い糸ってことはもしかして将来の恋人だったりします!?」
俺が困惑を隠せないでいると彼女も俺が何かを仕掛けたわけではないと理解したようだ。
彼女は突然目を赤色に光らせた。
「なるほど。お前の言う運命探知とやらが私と貴様との繋げたのを魔力に敏感な私が気づいてしまったわけだ」
どうやら俺の心を読んで彼女は状況を理解した様だ。まぁ俺はまだ何もわかってないけどね!能力の進化ってなに!?あと質問の答え返して!?
一方で状況を理解した彼女はなおも不満そうにしたまま話を続ける。
「つまりはこの魔力は攻撃ではないし、嫌がらせと言うわけでもない様だな。私も無駄な争いはしない主義だ、この件についてはもういい。だが貴様、その能力はどう手に入れた?その能力はアイツしか使い手がいなかったはずだが?」
よくわからないが許してもらえたのはよかった。けど俺もこの能力は物心ついた時からのものでよくわからない。
「貴様の言い分がどうだろうがひとまずこうすればよかろう」
目の前で魔法陣を展開し始め、光る。
「《記憶解放》」
俺の困惑を無視し、何かを悟った彼女は俺の頭に手を伸ばす。頭を掴んだかと思うとすぐにとんでもない情報量が脳に送られ、耐えきれずに俺の意識は暗闇におちていった。
―――――――――――――――――――――
焚き火の明かりが、木造の宿の天井に柔らかく揺れている。
俺は目を覚ました。焚き火を囲む三人の女性の姿が映る。
一人は銀髪でとんがった帽子を被る、いかにも魔女といった風貌の少女。
「……また寝ぼけてるの?」
ツンとすました声が聞こえるが、性根は優しいのだろう。心配そうな顔を向けている。
「よく眠れた?」
隣には金髪で柔らかい笑みを浮かべる、まさに聖女のような女性。
「マキア様はのんびり屋ですね」
向かいでは青髪の女性が、大きな盾を背負ったまま座っている。彼女は俺に優しい言葉を投げてくれる。
俺から伸びた赤い糸が彼女達全員に繋がっているのが確認できる。
そこで景色が揺らいだ。
焚き火の光が滲み、視界が暗転すると先程の三人の女性が宿で眠っている姿が映る。静かに起き上がるとそのまま宿を出て夜深くに一人で指から伸びた彼女達のものとは違う赤い糸の先へと向かい始める。
辿り着いた先ではどこか禍々しさのまとった城へと辿り着き、その奥ではどこかで見たことのある少女――というか先程俺の意識を消し飛ばしたあの少女だろう――が荘厳な椅子に足を組んで座り込んでいた。
だが先程の少女と異なりその少女にはなぜか二本のツノが生えており、その場の空気はひどく張り詰めていた。心臓が不自然に強く脈打った。
少女は椅子から立ち上がり、目の前に来てこう言う。
「貴様が勇者だな?」
―――――――――――――――――――――
「あいたたたたた!」
体に走る電流に目覚めさせられる。
「やっと目を覚ましおったか」
そう言いながら彼女は俺から手を退ける。その時に彼女の手のひらに電気がまとわりついていたのはきっと気のせいだろう。
「ってんなわけないだろ!何電撃浴びせてくれてんだ!」
「そんな細かいことは気にするな。そもそもこの程度のことで意識を失うのがわからんな。お前の脳は微生物と同程度なのか?」
何故攻撃されたはずの俺がdisられているのだろう。
「まぁいいよ。それよりさっき俺が見てきたものは何だ?ただの夢にしては実感がありすぎる。」
そう、見たことも無いにも関わらずまるで体験談のようであり、かつ受け入れるのにあまりに抵抗がなかったのだ。
「察しの悪いやつだ。貴様が見ていたのは夢などという陳腐なものではなく前世だ。どうだ?はっきりと見てこれただろう?」
「あぁ。何なら寝起きドッキリのおかげで前世どころか天国まで見えたぜ」
「軽口はいい。それで、どこまで見れた?」
彼女の問いに俺は正直に答える。
「どこまでというかおそらく前世の仲間?な美少女三人組と禍々しい城に二本ツノが生えたお前みたいなのがいたのを見たぐらいだな。あ、あと前世の俺?が俺と同じ能力を持ってたっぽい」
「なに?その二本ツノは間違いなく私だろう。貴様がアイツの能力を持つ理由も理解した。だが記憶解放は全ての記憶を思い出すはずだ。何故そんなに情報が少ない?」
俺の見た前世の情報の少なさに疑問を持った様だが嘘をついていないことはわかっているのだろう。少し悩んだ様子を見せる。
やがて考えがまとまったのか彼女が口を開く。
「だいたいわかった。思いつく原因は3つのうちのどれかだな」
「というと?」
特に理由もないが気になったため気軽に聞いてみる。
「一つ、私がした電撃によってお前の記憶も飛んでった説。二つ、貴様の脳が予想より小さすぎて前世を読み取るのに時間が必要で私が電撃で中断させた説」
「聞いた限りやっぱりあの電撃しない方が良かったよね!?」
俺の怒りを無視し、彼女は最後の説を唱える。
「そして三つ、私の弱体化により当時作った時より出力が落ちている説、だな」
「ちょっと待って!?また新情報出さないで!?弱体化って何!?てかこの魔法を作った!?」
こいつやかましいな…という表情を彼女はしながら俺に返す。
「この説明は少し時間がいる。貴様の前世も絡むからな。貴様も前世を把握出来なかった様だからそれもまとめて説明してやる」
そうしてお互いが静かになった時、彼女は話し始めた。
「私は魔王で貴様は勇者だった。私と殺し合い、私に負けて死んだ。後に国で反乱があったがすることもなかったから特に抵抗もしなかった。その結果私が弱体化した。理解したか?」
「まてまてまてまて!簡略化しすぎだろ!俺から聞くからそれに答えてくれ!」
やべぇ目の前の自称魔王からすごいポンコツ臭がしやがる。俺が頭を痛めている中、俺からの提案に不満そうにしつつも彼女はその案を受け入れた。
「まずお前魔王で俺勇者ってのは?」
「そのままの意味だが」
「オーケー。俺の書き方が悪かった。お前が魔王なのは置いといて俺はあの勇者リシマキア様なのか?」
「ふむ、名前は思い出せてるようだな。その通りだ」
勇者様の名前は英雄譚から引っ張って来ただけだが話しがこのままでは進まないため、正しいものとして次に話を進める。
「わかった。次に勇者様とお前が殺し合った件だ。俺が前世の記憶を見た時は一瞬だがそんな雰囲気はなかった。何故なんだ?」
彼女は俺の質問に一瞬言い淀んだかの様に見えたが、その後すぐに答え始めた。
「あの時は戦争中でお互い国を背負って命を懸けて戦った。……それだけだ」
これ以上はこの質問の答えが返ってくることはないと理解し、そのまま次の質問に移る。
「じゃあ反乱は?お前は勇者様を倒したんだろ?反乱が起きる理由がない様に見えるが」
「それは簡単だ。勇者を殺し、戦争に勝てる状況で戦争を放棄したのだからな」
「どういうことだ?何故戦争を放棄した?」
「あの勇者は魔族と共存をするために来たのだ。あの勇者に殉じて私も無為に人を殺すのをやめてやったまでだ」
「じゃあ弱体化は?」
「反乱の結果、魔族の力の源であるツノを失った。元は誰にも負けない程だったんだが、おかげで人より少し強いくらいにまで弱くなった」
彼女の話を聞いているとどうしてもわからないところが出てきた。
「最後に一つ聞かせてくれ。勇者様は魔族との共存のために活動してたんだろ?何でお前と戦った?」
「……もういいだろう」
無理矢理話を切られる。
気にはなるが話はわかったからもういいだろう。
もちろんこの話の全てを信じるわけではない。だが俺が見た記憶や聞いた話のうち、子どもの頃読んだ英雄譚と被るものもあることから納得はできる。しかしなぁ…
「ぶっちゃけ俺勇者様できるほどの才能がないわけなんだが。これだけほんとに腑に落ちん!」
そう。俺は自他共に認める才能なしなのだ。わはは。なに笑ってんだしばくぞ。
「何を言っているんだ?勇者も才能あることなんて何もしていなかったぞ。奴がしていたもの全ては知識と技術の集大成だ。それは前世で見れなかったのか?」
「」
俺は言葉を失った。魔王には勝てなかったものの世界を救ったあの勇者様も才能なし?
「だが確かに貴様の能力全般が不足している。私が唯一尊敬しているあの男の転生先のくせに弱すぎる。貴様は勇者の転生体として私の次に強い存在であるべきだろう。仕方ないから私が貴様を鍛えてやる」
俺が絶句してる間にとんでもないことが決まろうとしていた。
もう話すことは無くなったと彼女は立ち上がるとではまた明日とだけ言い残し、この部屋の窓から飛び去っていった。てか今気づいたけどあいつ窓割ってきてたのかよ。
朝起きて早々中々にとんでもないことが起きていたが取り敢えず俺がしなければならないことは一つだ。
「よし、薬草採取に行こう」
そうして今日も宿で暮らすため、あと窓を治すためのお金を稼ぐため、今日も冒険者ギルドへと向かう。俺の前世が勇者様かどうかなんて、今考えても進まないしな。あと、あのやべぇ女と結びつけた運命探知を恨んだ。魔王じゃなく恋人よこせよ。
いまだに赤い糸は繋がっている。
―――――――――――――――――――――
次の日、自称魔王が扉の前で腕を組んで立っていた。
「ようやく起きてきたか。まったく、たるんでいる」
「いや何でいるんだよ!?昨日お前帰らなかった!?」
「?貴様は何を言っている。昨日鍛えてやるといっただろう」
確かに意識を取り乱す前にそんなことを言っていたことを思い出した。
「まぁいい。では行くぞ」
そう言って彼女は足を動かし始める。
「ちょっとまて!何処にいくつもりだ!?というかまず拒否権は!?」
「あるわけがないだろう。むしろ元とはいえ魔王に訓練をしてもらえるのだから貴様は感謝をすべきだろう。そして何処に行くかだったか?訓練の上で何処に行くかなど一つだろう」
一泊置いて、子どもが見たら泣きそうな笑顔でこう言う。
「魔物を狩りに行くぞ」
―――――――――――――――――――――
しばらく歩みを進め、彼女が森の中片手間で魔物を処理しているのを戦々恐々としながら俺は問う。
「で?魔物を一匹も狩れず今まで薬草採取しかしたことのない俺にどんな魔物を狩ってこいって?」
「道中何度も答えてやっただろう。ドラゴンだ。」
「無理に決まってんだろ!?」
「何を言う。私は生まれてすぐに父に言われ、殺して見せたぞ」
「頼む魔王と一緒にしないでください!!ドラゴンはほんとに無理!!ほら最初だしスライムとかどう!?」
俺の命を守るために魔物界で最弱と話題のスライム先輩の名前を出す。
「雑魚と命の取り合いをして成長するものなど何がある?成長とは苦難を乗り越えた先にこそあるものだ。ドラゴンでも足りないくらいだ」
道中同じ会話を繰り返したおかげで彼女はかなり鬱陶しそうにしている。こういった会話をしていると思うが彼女は間違いなく魔王だったのだろう。つまり、だ。
「俺の前世が勇者様なのは納得した!!したよ!?でもね戦い方も知らないのにドラゴンはダメでしょ!!」
「やかましい。ついたぞ」
彼女の発言を聞き、目線を彼女から移すとそこには丸まって寝ているレッドドラゴンがいた。
「これは無理!!どうや「《シャドウアロー》」ってえぇぇぇぇ!?」
俺の発言を無視し、彼女の放った一つの闇の矢が目の前のドラゴンに突き刺さる。
「グォオオオオオオオオッ……!」
ドラゴンの咆哮が大地を震わす。
「やっぱりレベル違うよね!?俺止めたよ!?ねぇ聞いてる!?」
「ふむ。こいつならまぁいいだろう。じゃあ殺れ」
「雑すぎ!!えっ嘘でしょ!?嘘だと言って!!」
返事はなかった。代わりに――巨大な影が、ゆっくりと持ち上がる。赤い瞳が、こちらを射抜いた。レッドドラゴンは翼を広げるでもなく、ただ首をもたげただけだった。それだけで、肺の奥の空気が凍る。
「……ぁ」
足が、動かない。喉がひりつく。逃げろ、と本能が叫んでいるのに、身体は地面に縫い止められたみたいだった。背後で彼女が退屈そうに見ている。手を貸す気はないみたいだ。
冗談じゃない。そう叫ぶはずだった。――だが。 ドラゴンの爪が地面を抉った瞬間。視界が、変わった。違う。森ではない。瓦礫。炎。焦げた匂い。――俺は、知っている。あの爪の軌道。振り下ろされる角度。次に来る尾の薙ぎ払い。考える前に、身体が動いた。
「――ッ!」
地面を蹴る。自分でも驚くほど低い姿勢で滑り込み、爪の下を抜ける。背後で爆音。さっきまで立っていた場所が、抉れて消えている。
「は……?」
今の、俺がやったのか?ドラゴンが咆哮する。
「グォオオオオオオオオッ……!」
熱が奔る。来る。火炎。
――右へ二歩、跳ねて伏せろ。
誰かの声。いや、違う。俺の、だ。
身体が勝手に動く。次の瞬間、灼熱の奔流が空気を裂いた。髪の先が焦げる。でも、当たらない。当たらない位置を、俺は“知っている”。
剣を握る手が震えている。怖い。怖いのに。足は止まらない。ドラゴンの懐へ、踏み込んでいた。硬い鱗。刃が弾かれる。だが。
――鱗の継ぎ目。左前脚の付け根。三枚目。
知らないはずの知識が、脳裏に浮かぶ。身体が捻れる。刃が滑り込む。血飛沫。
ドラゴンが苦悶の声を上げる。
「ギャアアアッ!」
「え、えぇぇぇ!? 今の何!?」
自分で叫びながら、次の一撃を躱す。理解が追いつかない。しかし追いつかない頭に反して、胸の奥が、熱い。これは恐怖じゃない。懐かしさだ。
――戦場。
背中を預けた仲間。守るべきもの。
ああ、そうか。俺は。逃げるばかりじゃなかった。
彼女は一人言葉を紡ぐ。
「そもそも私があの男に発動したあの魔法に失敗は見られなかったはずだ。勇者の記憶は魂から移動している。これは絶対だ」
ドラゴンが翼を広げる。跳躍。巨体が空へ向かい、影が覆う。終わりだ、と頭が理解するより早く、俺は走り出していた。一直線に真下へ。落下してくる軌道を読んで。
「なのに奴は記憶にないと言い、そこに嘘は見られなかった。つまり、だ」
衝突の瞬間。横へ滑り込み、喉元へ斬撃を叩き込む。硬い。
「だが、通る!!」
刃が喉元を貫く。
彼女は目を細め、満足そうにしながら続ける。
「意識にないだけで奴の全ては貴様の底に沈んでいる。ならばその蓋をこじ開けてやればいい。どうだ、いい敵だっただろう?」
数瞬を迎え、巨体が傾いた。地面が揺れ、倒れた。
「……は、はぁ……はぁ……」
静寂が訪れる。ドラゴンはもう動かない。剣を引き抜いた瞬間、力が抜けた。膝が笑う。俺が?これを?いやいやいやいや無理だろ。
後ろから足音が近づく。
「合格、と言っておこうか」
「いや……ふざけんな……」
息を整え、怒りのまま話し出す。
「何だ今の!? 俺だぞ!? 薬草採取専門だぞ!? さっきまでスライム推してた人間だぞ!?」
「見ての通りだ」
「見ての通りだじゃねぇ!! 戦い方なんて知らないのに身体が勝手に動いたんだよ!? あの鱗の隙間とか何!? 三枚目って何!?」
魔王はドラゴンの傷口を一瞥し、ふむ、と頷く。
「正確だな。勇者の癖そのままだ」
彼女はそう言うと目線を俺に戻す。
「貴様が見たと言った前世はあれだけではなかった。今の戦闘がその証明だ。あれは勇者の戦い方そのものだったぞ」
「にしたってもっと他のやり方もあっただろ…」
「ふむ、しかし成功したのだから良いではないか。貴様の無意識を目覚めさせるためにドラゴンと戦わせたのだ。次からは弱い魔物と戦わせてその感覚に慣れてもらう。次も頼むぞ?」
「嫌だね!!」
なお、俺に拒否権はなかった。
◆
翌日。
「オーク三体だ。行け」
「待て待て待て待て!」
◆
三日後。
「ホブゴブリン五体だ。囲まれても死ぬな」
「注文が雑!!」
◆
五日後。
「飛行型だ。落とせ」
「説明!!」
◆
七日後。
「群れだ」
「数を言え!!」
「二十」
「鬼!!」
最初は必死だった。だが気付けば――足は勝手に間合いを測り、剣は無意識に急所を選び、呼吸は乱れず、恐怖は“邪魔”に変わっていた。
覚えていない。だが、出来る。それが何より気味が悪い。そして何より――腹立たしいことに楽しくなっていた。
「今の連撃、悪くない」
「褒めるな」
「褒めているのではない。事実だ」
―――――――――――――――――――――
街の冒険者ギルド。受付嬢が目を丸くする。
「……確認しました。討伐数、規定を超えていますね」
「え?」
「おめでとうございます。本日付でランクDへ昇格です」
胸元に付けた木製のタグが、金属製へと交換される。わずかに重い。たったそれだけなのに。ずしり、と来た。
「……上がった」
呟くと、隣で腕を組んだ魔王が言う。
「当然だ。竜を斬った男がFのままでは笑い話にもならん」
「言うな」
たかが一つランクが上がっただけ。だが万年ランクEだった俺にとって目指した最強に近づいていることを今初めて理解し、喜びに震える。
「まだ始まりに過ぎぬ。気張れよ。リシマキア。」
その言葉に、俺は驚く。
「……なあ今俺の名前呼んだか?」
「何だ悪いか?」
俺は少し頬をかきなが、目を逸らしながら答える。
「いや、むしろ認められた感じがして、な?」
「そうか。くだらん」
「くだらん!?」
俺の抗議に彼女は肩をすくめるだけだった。
「そういや今更だがお前の名前って何なんだ?聞いたことなかったよな?」
「……リコリス。覚えておけ」
「わかった。これからもよろしくな!リコリス!」
「誰が呼び捨てしていいと言った」
彼女は俺の頭を鷲掴みにしてそう言う。
「いたたたたた!!ごめん、ごめんって!!よろしくお願いしますリコリス様!!」
彼女は俺の無様な姿に少し微笑む。
「まったく、ランクが上がっただけでこの態度の豹変か。現金な奴め」
そう言うと彼女は歩き始め、それについていく様に俺も続く。
―――――――――――――――――――――
それからの日々は、地獄だった。いや、正確には地獄を歩かされた。ゴブリン。オーガ。ワイバーン。そしてまたドラゴン。
魔王は容赦なく俺を魔物の巣へ投げ込み、俺は死にかけながら剣を振り続けた。気づけば――冒険者ギルドのカウンターで、新しいタグを渡されていた。
「おめでとうございます。本日付で――Aランクへ昇格です」
魔物を倒しては町を移すを繰り返し、気づけば四年程でAランクまで辿り着いた。あの金属製であったタグは今や金色に光り、その存在感を俺の首元で主張している。俺が目指した最強まであと一つまで辿り着き、夢に手が届きそうな状況に嬉しくなる。
一方でリコリスは不満そうに述べる。
「遅すぎる。マキアがこの程度のランクで収まるわけないのがわからないの?」
この四年でリコリスとの関係も深まった。彼女はこの四年で一度も手を抜かず、俺を鍛え抜いた。身長はこの四年間でリコリスを追い抜き、今では見下ろす形となっている。いつも冒険者として活動する俺の隣にはリコリスがいた。お互いの理解も信頼も深まり、呼び方もあだ名を使うようになった。性格までは変わらなかったがな…
リコリスは一人でランク上げの長さにずっとぐちぐち言っていたが急に言葉を切ったかと思うと突然俺の方を見た。
「話が変わった。今から私たちは北を目指す」
「……はぁ?急にどうしたんだ?」
「新たな魔王が誕生した」
その一言で、周囲の空気が変わった気がした。
「……は?」
俺は思わず間抜けな声を出す。
「ちょっと待て。魔王って……今まで何もなかったじゃないか。なぜ急に?」
「マキアに説明してなかったか?そもそも魔族は片ツノの種族だ。魔王は自身のツノに加え、歴代から受け継いだツノをつけるのだ。そしてツノは魔族の力の源だ。そのツノを受け入れるだけの器がなければ魔王になれん」
話を続ける。
「そして器があるとされたのは私とあの馬鹿、バハムートだけだった。私は魔王になどなるつもりはなかったが、バハムートにその席を渡したが最後魔王の力を得た上で敵味方問わず殺すのが見えていた」
リコリスは淡々と言った。
「私が退く前、奴が暴れ出さない様に封印を施したはずだ。だから魔族の統治は長く空席だった。だがバハムートを解き放った奴がついに現れたらしい。力だけを振りかざす愚か者をな」
その声には、激しい嫌悪が混じっていた。
「そいつが今、北で勢力を広げているのがわかった」
「……人間を襲ってるのか?」
「あぁ、既にいくつかの町が滅んだようだ。その情報もすぐに出回るだろう」
「うわ、最悪じゃん」
「だから行く」
リコリスはそれだけ言った。まるで散歩にでも行くような口調だった。
「……おいおい」
俺は額を押さえる。
「それってつまり」
「魔王討伐だ」
あまりにもさらっと言うものだから、思わず笑いそうになる。
魔王討伐。それは、かつて勇者が命を懸けて挑んだ戦いだ。胸の奥が、少しだけざわついた。遠い記憶の底で、何かが揺れた気がした。リコリスは俺をまっすぐ見て言う。
「行くぞ、マキア」
その言葉に、俺は一瞬だけ考える。逃げる理由はいくらでもある。だが、ここまで来て引き返すつもりはなかった。俺は小さく息を吐いて言う。
「……しょうがないな」
そして剣の柄を軽く叩いた。
「Aランク冒険者の初仕事が魔王討伐か」
リコリスが鼻で笑う。
「遅すぎるくらいだ」
俺も笑った。
「ほんと、スパルタだよなお前」
「当然だ」
リコリスは踵を返す。
「貴様は――勇者だからな」
その言葉に、胸の奥が少しだけ熱くなった。俺は何も言わず、その背中を追った。
―――――――――――――――――――――
北へ向かう道中、森を抜けたところで俺は立ち止まった。
「……どうした」
前を歩いていたリコリスが振り返る。俺は少し困った顔をする。
「いや、ちょっと気になることがあってさ」
「何だ」
「運命探知なんだけど」
リコリスの目がわずかに細くなる。
「……続けろ」
俺は指先を見る。そこには、いつもの赤い糸が伸びている。魔王と繋がっているあの糸だ。
「これさ、最初はリコリスとだけ繋がってたんだよ」
「ほう」
「でもお前の魔法で前世見たろ?あん時から増えたんだよ」
「ふむ。確かに気にしていなかったが魔力の線が私とのもの以外にも三本ほどあるみたいだな。で?」
俺は頷く。
「うん。まぁ問題があればリコリスみたいにあっちから来るかと思って放置してたんだわ」
リコリスは黙ったまま赤い糸を見つめる。
「でもさ」
俺は首をかしげる。
「これ全部、北に向かってるんだよ」
その言葉を聞いた瞬間。リコリスの表情が、ほんのわずかだけ変わった。
「……なるほど」
「これもしかしてだけどさ」
彼女は小さく息を吐く。
「恐らく」
そして静かに言った。
「貴様の前世の仲間だろう」
「……やっぱり?」
「丁度いい、最悪を考えるなら戦力が足りなかったのだ。回収に行くぞ」
―――――――――――――――――――――
俺から伸びた赤い糸の内の一本を追っていくと、やがて名もない小さな町に着く。町は小さく、どこにでもあるような辺境の町だった。
だが俺の指先から伸びる赤い糸は、迷いなく町の奥へと続いている。
「ほんとにこの町にいるのか?」
「少なくともマキアの魔力はこっちに続いている」
リコリスは淡々と言った。
俺たちは糸を追って歩き、やがて一軒の店の前で止まった。
看板には簡素にこう書かれている。
『魔導具修理』
「……魔法使いっぽい店だな」
「入れば分かる」
俺は扉を押した。
カラン、と小さな鐘が鳴る。
店の中には魔導具や工具が所狭しと並んでいた。そして奥のカウンターで、一人の少女が何かを分解している。
「いらっしゃーい」
その瞬間、俺の心臓が跳ねた。
(……似てる)
年齢は俺たちと同じくらい。少し乱れた髪、作業用のローブ、集中すると眉を寄せる癖。
全部、記憶の中の誰かと重なる。けれど――彼女の目には、俺を知る様子はない。
「修理?それとも魔導具の購入?」
普通の店員の声だった。
俺は少し戸惑いながら答える。
「いや……その」
言葉を選ぶ。
「アネモネ、って名前じゃないか?」
少女はきょとんとした。
「違うけど」
即答だった。俺は思わずリコリスを見る。
リコリスは少女をじっと観察してから、静かに言った。
「……まぁ記憶を戻せばわかるだろう」
「いきなり?」
少女は完全に置いていかれている顔をした。
「ちょっと待って、何の話?」
リコリスは一歩前に出る。
「問題ない」
「いや問題あるでしょ」
「今から解決する」
そう言うと、リコリスは少女の額に指先を向けた。
「ちょ、何――」
少女が言い終わる前に。淡い紫色の魔法陣が展開する。
「《記憶解放》」
空気が震えた。少女の身体がびくりと揺れる。
「っ……!」
額を押さえる。
「なに……これ……」
呼吸が乱れる。
「知らない……いや……違う……」
声が震える。
「これ……私の……」
魔法陣の光が強くなる。
そして、少女の瞳が見開かれた。
「――マキア」
俺の名前だった。数秒の沈黙。
少女――アネモネは、俺をじっと見つめていた。まるで信じられないものを見るように。
「……生きてる」
小さな声だった。
震えている。
「なんで」
俺は口を開こうとして――次の瞬間、頬に衝撃が走った。
パン、と乾いた音が店に響く。
殴られた。思い切り。
「……っ」
アネモネの肩が震えている。
「なんでよ」
声が掠れていた。
「なんで置いてったのよ」
俺は言葉を失う。彼女は続けた。
「最後の戦い」
拳を握る。
「私たちも行くって言ったじゃない」
目から涙がこぼれる。
「なのにあんたは」
声が震える。
「私たちに黙って」
嗚咽を噛み殺す。
「勝手に行って」
一歩近づく。
「勝手に死んで」
俺の胸を叩く。
「残された側の気持ち考えたことある!?」
その一言が、胸に刺さる。俺は何も言えない。
アネモネはしばらく俯いて――そして震える声で言った。
「……ずっと」
涙が落ちる。
「ずっと、後悔してた」
俺を見る。
「私がついて行けば」
声が壊れる。
「あんた死ななかったんじゃないかって」
沈黙が落ちた。店の空気が重い。
横でリコリスが静かに言う。
「……なるほど」
腕を組む。
「重いな」
アネモネが睨む。
「あんたは黙ってて!!」
俺はゆっくり息を吐き、そして言う。
「……悪かった」
アネモネの肩が止まる。
「でもさ」
俺は苦笑する。
「すまんがあまり状況が理解できん」
「……は?」
「俺、前世の記憶あんま把握できてないんだよね」
「何でよバカ!!」
今度は本で殴られた。
―――――――――――――――――――――
「つまりそこの魔王の電気ショックのせいで中途半端なのね」
アネモネがリコリスを強く睨む。
「というか何で魔王がここにいるのよ!あんた前世でマキアを殺したんでしょ!?どの面下げて!!」
彼女の周りから魔力が溢れる。俺は慌てて彼女を止める。
「ちょ、ちょっとまて!今は争ってる場合じゃないんだ!!説明したろ!?」
「確かに聞いたわよ!新しい魔王が誕生して暴れてるんでしょ!でもそんなの私たちだけで倒せばいいじゃない!!」
「ふん。こいつを仲間にしようとしたのは失敗だったか」
「なによ!?」
空気がどんどん重くなって行く。誰か胃薬持ってこい。
口喧嘩はヒートアップする。
アネモネの周囲に淡い光の魔法陣がいくつも浮かび、リコリスの足元には黒い魔力が滲む。
このままだと町ごと吹き飛ぶ。
俺は慌てて両手を上げた。
「ストップストップ!!タイム!!」
「どけマキア!」
「黙れ」
二人同時に言うな。
俺は額を押さえた。
「頼むから落ち着いてくれ……今は本当に内輪揉めしてる場合じゃ――」
その瞬間だった。
ズゥン……
地面が揺れた。三人同時に黙る。
「……今の」
アネモネが眉をひそめる。続けて地面が揺れる。
ドォォォォン!!!
町の外れで巨大な爆発が起きた。黒煙が空に上がる。
「なっ……!?」
人の悲鳴が遠くで聞こえる。リコリスの目が細くなった。
「……来たか」
低い声。アネモネが振り返る。
「何がよ」
「……嫌な予感しかしない」
すると町の通りの奥から、ゆっくりと人影が現れた。背の高い男に黒い鎧。頭からはただ無骨なツノが一つ伸びている。肩には巨大な戦斧。歩くたびに石畳が割れる。そして何より――桁違いの魔力。
アネモネが息を呑む。
「……あいつは」
男は俺たちを見ると、口元を歪めた。
「お」
低い声。
「ビンゴ」
リコリスを指さす。
アネモネが小声で聞く。
「……何であんたが?」
短く。
「魔王軍四天王グラディウス」
俺は顔をしかめる。
「誰あのおっさん」
グラディウスがニヤリと笑う。
「命令はシンプルだ」
斧を持ち上げる。
「裏切り者の魔王を殺せとのことだ」
「何であんたがここに!?あんたは前にマキアに負けて二度と人類と関わらないって言ってたじゃない!!」
アネモネが怒りのまま叫ぶ。
「あん?んなもん俺が死なないための言い訳に決まってんだろ?魔王様が解放された今、死んだヤツの言うことなんざ聞くわけないだろ?」
アネモネの発言にむしろ満面の笑みで答える。
「ついでだ」
牙のような歯を見せる。
「裏切り者の恋人も一緒に殺してやるよ」
アネモネが一歩前に出る。
「は?」
魔力が膨れ上がる。
「ちょっと待ちなさいよ」
グラディウスを見る。
「マキアは――」
指を突きつける。
「私のものなのよ!!」
リコリスも一歩前に出る。
「残念だが」
黒い魔法陣が浮かぶ。
「こいつは私のだ」
俺は叫んだ。
「わたしのために争わないで!!」
グラディウスが腹を抱えて笑う。
「ハハハハ!!」
斧を構える。
「いいねぇ最高だ」
目が完全に狂っている。
「今日は当たり日だな!!」
そして戦いが始まった。かと思った。
次の瞬間。
アネモネの魔法陣が一斉に展開された。
「《フレアランス》」
十数本の炎の槍が空中に現れ、一斉に放たれる。
それと同時に、リコリスが静かに呟いた。
「《シャドウランス》」
炎と闇の槍が同時に展開される。
グラディウスが目を見開く。
「は――」
ドドドドドドドド!!
槍が全弾直撃し、煙が上がる。
俺はぽつりと言った。
「……なんかすごくない?」
煙の中からグラディウスが飛び出す。
「効くかぁ!!」
戦斧を振りかぶり突進。だが、
「《拘束蔦》」
地面から魔力の蔦が生え、男の足に絡みつく。
「なっ!?」
動きが止まる。その瞬間、リコリスが手を軽く振った。
「《シャドウグラビティ》」
ズドン!!
グラディウスが地面に叩きつけられる。
「ぐはっ!?」
俺が目を丸くする。
「今の誰の魔法?」
「私」
「私だ」
二人同時に答えた。グラディウスが立ち上がる。
「チッ……!」
斧を振り回す。
「舐めるなぁ!!」
巨大な斬撃が飛び、周りの岩がまとめて吹き飛ぶ。
アネモネが指を鳴らす。
「《魔力偏向》」
斬撃が横に曲がり、空へ飛んでいった。
リコリスが呟く。
「ついでだ」
「《シャドウバインド》」
ズドォォォン!!
影から伸びた手がグラディウスを掴み、そのままグラディウスが地面にめり込んだ。
土煙。
俺はゆっくり振り向く。
「……お前ら」
「何だ」
「何よ」
「なんでそんな連携いいの?」
二人は一瞬黙る。そして。
「簡単だ」
リコリスが言う。
「こいつの魔法は大雑把だ」
「はぁ!?」
アネモネが睨む。
「威力だけで制御が甘い」
「だから私が補助している」
「ちょっと待ちなさいよ!」
アネモネが叫ぶ。
「今の全部あんたの魔法のせいで威力上がってるんだけど!?」
「当然だ」
「私の魔力制御は完璧だからな」
「何よその上から目線!!」
俺は頭を抱えた。
「戦闘中にケンカすんな」
瓦礫が動く。
「……ククク」
グラディウスが立ち上がる。顔がボロボロだ。
「いいねぇ」
斧を握り直す。
「やっと楽しくなって――」
「《氷結拘束》」
アネモネの魔法。男の体が凍る。そこに。
「《シャドウグラビティ》」
リコリスの魔法。バキィン!!
氷ごと地面にめり込む。
俺は言った。
「……」
「まだ戦闘始まって30秒なんだけど」
グラディウスが顔だけ出して叫ぶ。
「ちょっと待て!!」
「何だ」
「何よ」
「お前ら初対面だろ!!」
俺が頷く。
「そうだよ」
グラディウスが怒鳴る。
「なんでこんな連携完璧なんだよ!!」
アネモネとリコリスが同時に言う。
「「マキアの所有者として普通でしょ」」
一瞬沈黙。
俺は顔を覆った。
「胃が痛い」
グラディウスがぼそっと言う。
「……あー、降参ってある?」
リコリスが即答する。
「ダメだ」
アネモネも言う。
「ダメよ」
そして、二人同時に魔法を発動した。
「《極大火炎》」
「《シャドウブレイク》」
俺は空を見上げた。
「四天王かわいそう」
ドゴォォォォォン!!!!
町外れで巨大な爆発が起きた。
―――――――――――――――――――――
「で?裏切りの魔王って何?」
リコリスは特に動じる様子もなく答える。
「戦争を放棄した」
アネモネの眉がピクリと動く。
「……は?」
俺は嫌な予感がして口を挟む。
「ちょっと待て、その説明雑すぎ――」
「黙ってなさいマキア」
「はい」
怖い。アネモネは再びリコリスを見る。
「つまりあんた」
指を突きつける。
「前世でマキアを殺したくせにその後は何もしなかったって?」
リコリスは一瞬だけ沈黙した。そして、静かに言う。
「……世間ではそうなっているな」
「はぁ!?」
アネモネの声が裏返る。
「世間ではって何よ!!勇者を殺したのはあんたでしょ!?」
俺は頭をかく。
「いやその辺俺もちゃんと聞いてなくて――」
アネモネが叫ぶ。
「ちょっとマキア黙ってて!!」
「すみません」
怖い。アネモネは一歩リコリスに近づく。
「聞くけどなんであんたマキアをやたら評価してんの?」
確かにこいつはやたら前世の俺を持ち上げる。
勇者とか英雄とか唯一尊敬してるとか。なのに――
「殺したんでしょ?」
アネモネが言う。矛盾している。しばらく沈黙が流れた。そして、リコリスが小さく息を吐く。
「……正確には」
静かな声。
「敵対はしていた。だが、私が殺したわけではない」
アネモネの眉が寄る。
「どういう意味よ」
リコリスは遠くを見るように言った。
「バハムートだ。魔王となる機会を奪ったのだからな。奴は私を邪魔に思っていた」
俺は眉をひそめる。
「……お前を?」
「ああ」
リコリスの声がわずかに低くなる。
「奴は私を消すために都市ごと吹き飛ばす魔法を放った」
アネモネが息を呑む。俺も思わず口を開いた。
「ちょっと待て、それ普通に――」
「死ぬ」
リコリスはあっさり言った。
「仮にも仲間から裏切られるとは考えてなかった。」
リコリスの視線が俺に向く。
「その時だ、マキアが前に出た」
アネモネの目が揺れる。
「……は?」
リコリスは続ける。
「奴は言った」
少しだけ、声が柔らかくなる。
『あっミスった』
俺は首をかしげる。
「俺そんな軽いノリだったの?」
「実際そうだった」
「そうなんだ……」
アネモネは震える声で言う。
「……それで?」
リコリスは静かに答える。
「庇った」
短く。
「魔法は奴に直撃した」
沈黙が落ちる。アネモネの手が震えている。
「……嘘」
かすれた声。
「じゃあマキアは……あんたを守って」
リコリスは頷いた。
「死んだ」
俺は頭をかいた。
「え、俺めちゃくちゃかっこいい死に方してない?」
二人に睨まれた。
「黙れ」
「黙って」
「ごめんなさい」
怖い。リコリスは続ける。
「私は激怒した」
「当然だ」
声に冷たい怒りが混ざる。
「その場でバハムートを殺そうとした」
アネモネが頷く。
「当たり前でしょ」
「でも」
リコリスは少し目を伏せた。
「マキアは戦う前に言った」
『俺は魔族と共存できると思ってんだ。今絶賛不殺キャンペーン中ね!!』
アネモネが固まる。
「……え?」
リコリスは続ける。
「奴は言った」
『憎しみで世界回すのはやめろ』
俺は腕を組む。
「……俺そんな立派なこと言うタイプ?」
「言った」
「マジか」
アネモネは呆然としている。
「だから」
リコリスは言う。
「私は殺さなかった代わりに」
空を見上げる。
「封印した」
俺はぽつりと言う。
「……あー」
アネモネがゆっくり言う。
「つまり世間から見たら」
リコリスを指差す。
「勇者を殺した魔王」
リコリスが頷く。
「そうだ。でも実際は」
「裏切りの魔王だ」
沈黙。
そして。
アネモネが頭を抱えた。
「……何それ」
俺も言う。
「ややこしすぎない?」
リコリスは平然と言った。
「だから言っただろう。説明が面倒だと」
アネモネがため息をつく。
「……はぁ」
そして小さく呟いた。
「まぁ大体わかったわ」
リコリスを見る。
「いいわ、そのバハムートとやらを倒すまでは共闘してあげる」
結果として仲直りしてくれたようだ。
こうして俺たちは再び北を目指して歩みを進める。
―――――――――――――――――――――
北へ向かう道中。
森を抜けたところで、俺はまた指先を見る。リコリスと繋がる一本。アネモネと繋がる一本。そして、
「まだあるの?」
アネモネが話しかける。
「ある」
俺は肩をすくめる。
「しかも全部北」
リコリスが静かに言う。
「残りの仲間だろう」
アネモネが腕を組む。
「……前世の仲間、ね」
少しだけ顔が曇る。俺は笑った。
「まあ、いいじゃん。会えるなら会おうぜ」
だがリコリスは何も言わなかった。
数日後、小さな町に着く。教会の鐘が鳴り、穏やかな空気が流れている。
そして俺の指の赤い糸はまっすぐ教会に伸びていた。
「……ここか」
アネモネが呟く。
「教会?」
リコリスは少し考える。
「前世で教会に縁がある者は一人だ」
俺は首をかしげる。
「誰?」
リコリスは言う。
「聖女」
その言葉にアネモネの顔が変わる。
「……リナリア?」
俺の頭の奥が少しだけ疼く。
白いローブ。優しい声に笑顔。
「思い出せん」
俺は頭をかいた。
教会の中では白い修道服の女性が子供に薬を渡していた。柔らかい笑顔。穏やかな声。
俺の指の赤い糸はその人に繋がっている。
アネモネが小さく言う。
「……間違いない」
リコリスも頷く。
「前世の聖女だ」
女性は俺たちに気づき、微笑む。
「こんにちは。旅の方ですか?」
普通の声。普通の反応。前世の記憶なんて――何もない。
俺は少しだけ考えて言う。
「薬、もらえる?」
「はい」
彼女は優しく答えた。
「怪我ですか?」
「いや、胃が」
後ろの二人のせいで。彼女はくすっと笑う。その笑顔を見て。
俺はふと思った。――この人。今、幸せそうだな。教会の子供たちが彼女に懐いている。町の人も信頼している。静かで、平和で、普通の生活。
俺は振り向かずに小さく言う。
「……やっぱやめとこう」
アネモネが眉をひそめる。
「え?」
「前世の話」
俺は肩をすくめた。
「思い出させる必要なくね?」
リコリスが俺を見る。
「理由は?」
俺は言う。
「だってさ」
教会の中を見る。
「前世を思い出した時、アネモネ泣いてたろ?俺はお前らを不幸にしたいわけじゃないんだよ」
沈黙。
アネモネもリコリスも何も言わない三人はそのまま町を離れた。その夜、森の野営地でアネモネがぼそっと言う。
「マキア、ほんとにいいの?」
俺は笑った。
「いいって、前世の記憶とか戻ってもあの人は辛いだけだろ」
リコリスが静かに焚き火を見ている。その時だった。空気が凍る。リコリスが立ち上がる。
「……来る」
アネモネも魔力を展開。
「何?」
次の瞬間。ドォォォォン!!!!森が吹き飛んだ。爆風。土煙。そして――二つの影。一人は細身の男で黒いローブを着こなし、性格と同じくらいに捻じ曲がっているツノが一つ伸びている。もう一人は全身鎧。男が笑う。
「見つけた」
低い声。
「裏切り魔王」
「……四天王のムラクと……誰?」
前世では二人しか会わなかったのよねぇ…とアネモネが呟く。男が拍手する。
「ご名答、私は四天王のムラク。もう一人は新参の四天王のシュラだ。グラディウスの反応が消えたのを確認してな」
にやりと笑う。
「調べたら」
指を指す。
「ここにいた」
そして二人が同時に動いた。
「死ね」
巨大な魔法が放たれる。アネモネがすかさず魔法を放ち、相打ちをとる。その隙をついたリコリスの魔法が前衛の全身鎧を襲う。しかし全身鎧は魔法を全てくらいながら突っ込んでくる。
「うっそだろ!?」
全身鎧が一部だけ欠け、そこから見えたのは――骨と爆薬だった。使い捨ての自爆攻撃だろう。
意識外からの攻撃に、リコリスが目を見開く。
「まずい!」
俺は二人の前に出た。
「マキア!?」
ドォォォォォン!!!!
世界が白く弾けた。気づいた時、俺は地面に倒れていた。体が動かない。血の匂い。
「マキア!!」
「まずい、呼吸が浅い……!」
俺はぼんやり思う。
(あー……反射で行動しすぎたー……)
「やっぱりだ。仲間を護るために身代わりになった。君がこのパーティの中心なのに、ね?」
遠くでムラクが笑う。
「簡単に引っかかってくれて助かるよ。シュラはネクロマンサーなんだ、前衛がいないから隠れてもらっているんだ。自爆はさすがに予想外だったようだね。これで終わりかな?」
その時、リコリスが静かに言った。
「……仕方ない」
立ち上がる。
「予定変更だ。しばらく一人で耐えろ」
アネモネが振り向く。
「何する気!?」
リコリスは言う。
「聖女を呼ぶ」
「は!?」
「相手にはアンデッドがいて、マキアも瀕死だ。となるとやつの力が必要だ」
そして、魔法陣が展開され、光り出す。
「綺麗事を言う余裕はもうない」
顔には焦りが見られた。
「緊急だ。悪いが強制的に」
目が冷たい。
「前世を呼び起こす」
アネモネが叫ぶ。
「待って!!」
「《記憶解放》」
遠く。町の教会で――白い光が空へ伸び、聖女の封じられた記憶が無理やり目覚める。
―――――――――――――――――――――
遠く離れた町の教会。
白いローブの女性――リナリアは、薬を並べていた手を止めた。
「……え?」
胸の奥が、急に熱くなる。
ドクン。鼓動が跳ねた。
「なに……これ……」
頭の奥に、知らないはずの景色が流れ込んでくる。戦場。炎。剣の音。仲間の声。そして――
「……マキア」
名前が自然とこぼれた。知らないはずの名前。
なのに、涙が出た。手から薬瓶が落ちる。パリン、と床で割れた。頭の中で声が響く。
『ごめん、リナリア』
知らないはずなのに。彼の笑顔を、知っている。
「……嘘」
膝が震える。頭の奥で、もう一つの声がした。
『繋がったか。悪いが緊急だ。マキアを死なせたくなければ早く来い』
聞いたことのない声。普段なら知らない者からの指示なんてもっと考えてから行動するだろう。しかし前世でリシマキアを助けられなかった彼女はその言葉にすぐ行動せざるを得なかった。
彼女は走り出していた。子供たちの声も、町の人の呼び止めも聞こえない。ただ一つ、胸の奥で叫ぶ声だけがあった。
(お願い、間に合って!!今度こそ――マキア)
足元に光が広がる。
(あなたを助けさせて!!)
「《転移》」
白い光が、夜の森へと消えた。
―――――――――――――――――――――
森。爆発の煙がまだ残っている。
ムラクが肩をすくめた。
「一人でよく粘るね」
アネモネが叫ぶ。
「まだよ!!」
魔法陣を展開する。だが。無数のアンデッドが森の奥から湧き出していた。
森の奥からシュラが出てきて笑う。フードで顔がよく見えないが、声の高さから女性であることがわかる。
「やはり死体は便利ね」
骨の兵士。腐った獣。黒い霧。
アネモネが歯を食いしばる。
(数が多すぎる……!)
その瞬間。
空から光が落ちた。白いローブが夜風に揺れる。
アネモネの目が見開かれた。
「……リナリア」
聖女は、ゆっくり顔を上げた。その瞳にもう迷いはない。
まっすぐマキアを見る。
「……また」
小さく呟く。
「また守れなかったかと思った」
膝をつく。血だらけのマキアの体に手を置く。震える指。そして静かに言った。
「今度は」
白い魔法陣が展開する。
「間に合わせる」
「《聖域回帰》」
光が溢れた。暖かく、優しい。森全体を包むほどの光。
リコリスが目を細める。
「……規格外だな」
マキアの胸がゆっくり上下する。骨が戻る。傷が塞がる。血が消える。
アネモネが呆然とする。
「……えぐ」
リナリアは涙をこらえながら呟いた。
「もう」
手を握る。
「一人で行かないで」
マキアはまだ眠ったままだ。だが呼吸は安定している。リナリアは立ち上がり、ゆっくり振り向く。その瞬間、空気が変わる。聖女の魔力が森を満たす。アンデッドたちが一斉に怯む。
シュラが驚く。
「……なんだこいつ」
リナリアが静かに言った。
「死者は」
白い魔法陣が広がる。
「眠るべきです」
「《浄化光》」
夜が昼になった。白い光が森を埋め尽くす。骨が崩れる。腐った肉が灰になる。アンデッドが次々と消滅していく。
「うそ!?」
シュラが叫ぶ。
数秒後、森に残っていたアンデッドは、すべて消えていた。
アネモネがぽつりと言う。
「……前より強くなってない?」
リナリアが振り返る。
「当然だよ。」
マキアを見る。
「この人が」
静かに言う。
「いなくなってからもずっと、私は祈り続けていたから」
ムラクは苦笑を浮かべる。
「えーまじかぁ」
シュラのアンデッド壊滅に戦力不足。
「……こりゃ撤退だね」
アネモネが杖の先をムラクへと向ける。
「逃すと思うわけ?」
ムラクが肩をすくめる。
「元魔王のあなたならご存知でしょう」
地面に既に描いていた魔法陣が光出す。
「俺は戦うタイプじゃない」
ニヤリと笑う。
「負ける可能性は計算済みだ」
煙玉のような黒い霧が広がる。
アネモネが叫ぶ。
「逃がすか!」
だが、霧が晴れた時には二人の姿は消えていた。リコリスが舌打ちする。
「相変わらず小賢しい奴だ」
アネモネが肩を落とす。
「くそ……」
その時、リナリアが小さく言った。
「……大丈夫」
二人が振り向く。彼女はマキアの横に座っていた。優しく髪を撫でている。
「全部終わりました」
夜風が焚き火を揺らす。静かな時間が流れた。アネモネがぽつりと呟く。
「……起きたら何て言うかな」
リコリスが腕を組む。
「どうせ」
少しだけ笑う。
「『俺また何もしてなくね!?』だろうな」
アネモネが吹き出す。
「ぷっ、確かに」
リナリアも小さく笑った。そして、優しく言う。
「おかえり」
眠る勇者に。
「マキア」
夜は静かに更けていった。
―――――――――――――――――――――
「……あれ?」
体を起こす。痛みは……ない。いや、むしろ信じられないほど軽い。
確か俺は、アンデッドの群れに囲まれて――
「起きた」
横から声がした。
振り向くと、焚き火の向こうにリコリスが腕を組んで立っていた。アネモネは木にもたれて座っている。
「……あれ?戦いは?」
「終わった」
「早くね?」
俺の疑問に、アネモネが肩をすくめる。
「あなた寝てたからね」
「あれぇ?」
寝てたら全てが終わっていた件について。
「それより」
静かな声が背後からした。ゆっくり振り向く。白いローブ。焚き火の光に照らされた金色の髪。
そして――
「……リナリ、いや信徒さんがなんでここに?」
「リナリアで間違いないよ?」
聖女は、俺をまっすぐ見ていた。その瞳を見た瞬間、背筋が冷える。
「……記憶」
俺は思わず立ち上がる。
「お前……」
喉が乾く。
「……思い出したのか?」
リナリアは般若を彷彿とさせるような笑顔で尋ねる。
「どうして」
彼女の圧が高まる。
「どうして、私は記憶を戻そうとしなかったの?」
わかっていた質問だった。でも、逃げる気はない。
俺は思ったまま答えた。
「アネモネはさ、記憶を戻した時泣いたんだよ。そして自分の店を捨ててまで俺についてきた」
俺はアネモネを見る。
「バハムートを倒す上で仲間が欲しかったからさ。何も考えず記憶を戻した。その結果アネモネの元の生活を壊してしまったんだ」
そして、と続ける。
「……お前は」
少しだけ笑う。
「幸せそうだったから」
リナリアの目が揺れる。
「教会で子供たちに囲まれてさ。薬作って、祈って、笑ってた」
あの光景が頭に浮かぶ。
「だから思ったんだよ」
焚き火の火が揺れる。
「俺の都合で、今の生活を壊すのは違うだろって」
沈黙。数秒。そして――バシッ!!
ビンタが飛んできた。
「痛っ!?」
リナリアは涙を浮かべながら怒鳴った。
「勝手に決めないで!!」
声が震える。
「勝手に測らないで!!」
拳を握りしめる。
「あなたがいない世界で幸せになれるわけないでしょ!!」
森が静まり返る。俺は言葉を失った。
リナリアは涙を拭きながら、もう一歩近づく。
「……前もそうだった」
小さな声。
「あなたは一人で行って」
俺の胸を軽く叩く。
「そして死んだ」
痛い。でも、これは剣より重い。
リナリアは睨みながら言った。
「次」
指を突きつける。
「次こそ置いていったら」
少し間を置いて、
「聖女の権限で呪うから」
「こわっ!?」
思わず叫ぶと、横からアネモネが笑いを堪えていた。
「自業自得ね」
リコリスも鼻で笑う。
「当然の報いだな」
俺は頭を抱えた。
「いや待て待て、味方いなくない!?」
アネモネが口をはさむ。
「一応言っておくけど私にもリナリアと同じことしてたら怒ってたからね!置いていくなんて許さないから!!」
リナリアが、そっと俺の手を掴んだ。
「……今度は」
小さく言う。
「一緒に行く」
強い声だった。
「絶対に」
俺はため息をついて、空を見上げた。
星が瞬いている。
「……わかったよ」
苦笑する。
「今度は」
仲間たちを見る。
「ちゃんと頼る」
アネモネがにやっと笑う。
「最初からそうしなさいよ」
リコリスは腕を組んだまま言う。
「さて」
視線を北へ向ける。
「まだ終わっていないぞ」
俺は立ち上がる。
指の先から赤い糸が伸びている。四つの糸が、確かにそこにある。
「……あと一人だな」
そう呟いた。
―――――――――――――――――――――
「そういやどうやってリナリアの前世を思い出させたんだ?」
リナリアは無言でビンタの準備をする。
「いや違うから!!単純に気になったんだよ!だってリナリアと戦場は距離があったろ!?」
「記憶解放に距離制限などない。使う機会がなかっただけだ」
それを聞いて俺は思いつく。
「じゃあさ、シオンの記憶戻してこっち来てもらおうぜ。そっちのが早いじゃん」
三人から馬鹿を見る目が向けられる。
アネモネがため息をつく。
「あんた本当に何も考えてないわね。ガーディアンなのにマキアを護る機会すら得られないまま死なれたのよ。あの娘がどれだけ病んだと思ってんの?」
アネモネが俺と目を合わせる。
「そんなことしたら最悪――自殺しちゃうわよ?」
やべぇまじ重い。前世の俺何してんだ。もう勇者様呼びやめます。出てこいしばかせろ。重い沈黙が落ちた。
焚き火が、ぱち、と音を立てる。
俺は頭を抱えたまま呟く。
「……前世の俺さ」
空を見上げる。
「最低じゃない?」
アネモネが即答する。
「最低ね」
リナリアも頷く。
「最低だね」
リコリスは腕を組んだまま言った。
「紛うことなき最低だな」
「満場一致やめろ」
パンッと乾いた音が森に響く。リコリスが手を叩いたのだ。
「寝てただけの馬鹿も理解は済んだろう」
三人が視線を向ける。リコリスは呆れた顔で言った。
「過去の自分を責めても時間の無駄だ」
焚き火の向こうで、金色の瞳が細められる。
「重要なのは今だ」
俺を見る。
「最後の一人がいるんだろ?」
俺は指を見る。赤い糸が、一本だけ遠くへ伸びている。
「……ああ」
北の方角。
「シオンだ」
アネモネが立ち上がる。
「あの娘が居そうな場所ってどこよ。前世はあんたが拾って来てたでしょ?」
「いやだから俺前世ほとんど思い出せてないんだって…」
「それ、どういうことか教えてほしいな」
リナリアが反応し、俺の肩を揺さぶってくる。
「あー、記憶解放ってあるだろ?俺がそれされた時、何故か気絶しちゃったんだよね。で、バグって?俺だけ中途半端なんだ」
「ふん。マキア以外誰も気絶などしていないのだからマキアの脳が微生物レベル説は有効そうだな」
「それ言うなら俺だけ中途半端なの絶対あの電撃のせいだったろ!!こいつらはちゃんと成功してるじゃねぇか!!失敗がなくてよかったよ!!」
雑談をしながら歩き出す。焚き火を消し、森を出る。夜風が少し冷たい。
少し歩いたところで、アネモネが小さく言った。
「……マキア」
「ん?」
「本当に」
少しだけ躊躇う。
「思い出させる気?」
足が止まる。その目は覚悟を問う目だった。
「私の時は知らなかった。リナリアの時はあなたが気絶してるときに勝手にやった。でも今回はマキアが決断しなくちゃいけない」
正直な声だった。
「あの娘」
視線を落とす。
「あなたを守れなかったこと、本当にずっと気にしてた。私よりずっと重いわよ」
「……だろうな」
俺は頭をかいた。そして少し笑う。
「でもさ」
三人を見る。
「仲間だろ」
リコリスがニヤリとする。
「ようやく勇者らしいことを言ったな」
俺は続ける。
「一緒に背負って♪」
沈黙。白けた空気が場を占める。
軽く咳払いし、発言を変える。
「今度こそは置いていかないようにな」
アネモネがため息をついた。
「……本当、そういうとこよ」
リナリアも小さく笑う。
「うん」
リコリスは肩をすくめる。
「何はともあれ決まりだな」
俺は指を見る。赤い糸は、確かに北へ伸びていた。
「行こう」
勇者パーティ最後の仲間。
ガーディアン。
「シオンのところへ」
四人は夜の街道を歩き出した。
―――――――――――――――――――――
街が見えたのは昼過ぎだった。
「……でか」
思わず声が出た。
視界いっぱいに広がる石の城壁。塔がいくつも突き出し、門の前には長い行列ができている。商人、旅人、荷馬車。人の数だけで田舎町一つ分ありそうだ。
リナリアが少し笑う。
「ここは確か王都だったよね」
アネモネは腕を組んで城壁を見上げた。
「魔法都市より大きいんじゃない?」
リコリスは特に興味もなさそうに言う。
「人間はこういう壁が好きだな」
「元魔王が言うと説得力あるな」
軽口を叩きながら検問の後、門をくぐる。どうやら魔王が出現したことが王都にも伝わり、警戒が高まっているようだ。
王都の中はさらにすごかった。石畳の大通り。高い建物。行き交う人、人、人。
「……迷うなこれ」
俺は指を見る。赤い糸は、確かにこの街の中へ伸びていた。
「こっちだ」
歩き出す。大通りを抜け、少し狭い道へ。さらに進む。建物が古くなる。人の服装も変わる。空気が、少しだけ重くなる。そして――
「……ちょっと待って」
アネモネが足を止めた。目の前に広がるのは、粗末な木の家。崩れた壁。ゴミの山。痩せた子供たち。王都の光から切り離された場所。
「ここ」
アネモネが呆れた声を出す。
「スラムじゃない」
リナリアも戸惑っている。
「本当にここなの?」
俺は指を見る。赤い糸は――まっすぐ奥へ伸びている。
「……間違いない、みたい」
「さすがにガーディアンがスラムはないんじゃない?」
アネモネも疑っている。俺も、そう思った。その時だった。――――フラッシュ。視界が一瞬、揺れた。路地。雨。痩せた子供。
「……っ」
頭がズキッと痛む。
「マキア?」
リナリアの声。俺は顔を上げる。目の前のスラム。崩れた壁。細い路地。胸の奥がざわついた。
「……やっぱりスラムで間違いなさそうだ」
小さく呟く。アネモネが聞き返す。
「え?」
「俺の記憶がそう言ってる」
スラムの奥を見る。
「ここで会った」
三人が驚く。
「前世?」
俺は頷く。
「雨の日だった」
記憶がぼんやり浮かぶ。
「路地裏でケンカ吹っかけて来た子どもがいた気がする」
リコリスがニヤリとする。
「なるほど」
アネモネはため息をつく。
「勇者様、スラムで仲間拾ってたのね」
「言い方」
俺は苦笑する。
「でも多分そうだ」
赤い糸は、さらに奥へ伸びている。
「行こう」
スラムの路地を進む。子供たちの視線。大人たちの警戒。しばらく歩いたところで――見つけた。
崩れた石壁。その下に座り込んでいる、一人の少女。くすんでいるがそれでもわかる青色の髪。古い外套に包まれた小柄な姿。
胸が、どくんと鳴った。
「……いた」
俺は呟く。三人も気づく。
「……あの子?」
リナリアが小さく言う。少女はこちらを見た。警戒するでもなく、ただぼんやりと。
「……何」
かすれた声。
「用?」
俺は数歩近づく。足が少し重い。胸の奥が、ざわざわする。これからやることはわかっている。大丈夫、もう決断したんだ。
しかし、アネモネの言葉が頭をよぎる。最悪、自殺。
俺は一度深呼吸した。そして少女の前でしゃがむ。
「なあ」
少女が少し眉をひそめる。
「何」
俺は、まっすぐ見る。
「……先に謝っとく」
少女は意味がわからない顔をした。
「は?」
俺は苦笑する。
「たぶん」
小さく言う。
「また、お前の人生めちゃくちゃにする」
後ろでリナリアが息を飲む。少女は呆れた顔をした。
「意味わかんない」
当然だ。俺は振り向く。
「リコリス」
リコリスが一歩前に出る。
表情は真剣だった。
「……本当にいいのだな?」
俺は頷く。
「頼む」
リコリスは少女を見やり、指先が彼女の額に触れる。
「《記憶解放》」
魔力が、静かに揺れた。その瞬間。少女の瞳が、大きく開いた。
「――――」
言葉にならない声が漏れる。体が小さく震え始めた。視線が揺れる。
何かを必死に繋ぎ合わせるように、目が泳ぐ。
「……あ」
小さな声。そのまま動かなくなった。沈黙が落ちる。風が、路地を抜けた。誰も何も言わない。数秒。いや、もっと長かったかもしれない。少女はゆっくり俯いた。肩が、わずかに震えている。一拍。
そして――不意に立ち上がった。落ちていた尖った石を迷わず掴む。迷わず自身の首へと向ける。
「シオン!」
アネモネが叫ぶ。
だが少女――シオンは躊躇わない。
「っ!」
俺は反射で動いた。腕を掴む。
石は、数センチ手前で止まる。
「離してください」
シオンの声は静かだった。感情が、何もない声。
「離してください」
もう一度言う。
「私」
俯いたまま。
「護れなかった」
短剣を握る手が震える。
「ガーディアンなのに」
「マキア様を」
声が崩れる。
「護れなかった」
路地に静かな声が落ちる。
「そんな私に」
石を強く握る。
「生きてる意味なんてないです」
俺は、腕を離さない。
「……あのさ」
シオンは顔を上げない。俺は少し困ったように言う。
「前世の俺が悪かったんだから気にすんなって」
シオンの手が止まる。
「……え?」
ゆっくり顔を上げる。
俺を見た時、シオンの体が、完全に固まった。
「……え」
目が見開かれる。呼吸が止まり、シオンの唇が震える。信じられないものを見る目。震えながら、声が漏れる。
「……マ」
喉が詰まる。もう一度。
「……マキア」
涙が一滴落ちた。
「……様?」
俺は苦笑した。
「おう」
頭をかく。
「久しぶり」
シオンの顔がぐしゃっと歪んだ。
次の瞬間――ドンッ!!思い切り突っ込んで来た。
「ぐはっ!?」
腹にシオンの頭がめり込む。そのまま服を掴まれる。シオンは泣いていた。ボロボロに。
「なんで」
声が震える。
「なんで一人で死んだんですか」
拳が震えている。
「なんで」
涙が止まらない。
「護れなかったじゃないですか……!」
俺は何も言えなかった。ただそっと言う。
「……ごめん」
シオンの肩が震える。そして――俺の胸に顔を押しつけて、泣き崩れた。
「……ばか」
その声は、とても小さかった。でも確かに、昔と同じ声だった。ようやく落ち着いてくれたようで俺は、少しだけ安心して――ゴンッ!!
「痛いっ!?」
視界が揺れた。頭に鈍い衝撃。何が起きたか理解する前に、俺は片膝をついた。犯人は一人しかいない。
シオンだった。石を振り抜いた姿勢のまま、立っている。
アネモネが叫ぶ。
「ちょっ!?」
リナリアも驚く。
「シオン!?」
シオンは震えていた。でも目は、怒りで燃えていた。
「……もう」
石を握り直す。
「失わせません」
俺の襟を掴む。
「二度と」
ぐいっと引きずる。
「絶対に」
アネモネが慌てて言う。
「ちょっと待ちなさい!」
シオンは振り返る。
「あぁ。久しぶりですねアネモネ。リナリアも」
そしてリコリスへと目を向ける。
「あなたは……どなたかご存知ないですがおそらくマキア様を護っていてくださったんでしょう。ありがとうございます」
俺を引きずる。
「ですが、放っておくとまた死ぬので」
「いや待て!?」
俺は抗議する。
「本人の意思とか――」
ゴンッ!!
石がもう一回振り下ろされた。
「黙ってください」
アネモネが呆然とする。
「……誘拐?」
リコリスが腕を組んで頷く。
「誘拐だな」
リナリアは少し考えてから言った。
「……でも」
シオンを見る。
「気持ちはわかる」
「味方いない!?」
俺は叫ぶ。
しかしシオンは止まらない。
俺の襟を掴んだまま、ズルズル引きずっていく。
「帰ります」
淡々と言う。
「私の家で保護します」
「さらっとやばいこと言ってない!?」
「そういえばこのスラムに私の家は無かったかも知れませんね。そのあたりで奪いますか」
シオンがスラム根性を見せる。アネモネが頭を抱える。
「……この娘ってこんなだったっけ」
リコリスが肩をすくめる。
「誘拐されても場所は魔力の流れでわかる。シオンが落ち着くまではマキアと二人で話させた方が良さそうだ。」
そして言う。
「見捨てるぞ」
リナリアが頷く。
「うん」
三人は、普通に王都の中心部へと戻って行った。俺はスラムの奥へ引き摺られていく。
「誰か助けろぉぉぉ!!」
俺の叫びは、スラムの路地に虚しく響いた。
―――――――――――――――――――――
ギィ……。古びた木の扉が開く。
俺は、椅子に縛られていた。両手。両足。腰。背もたれまでロープでがっちり固定。しかも妙に手慣れている結び方だ。
「……」
目の前にはシオン。
「逃げようとしたので強化しました」
「まだ逃げてないんだけど!?」
「その目が信用できません」
俺は深くため息をついた。
「なあシオン」
「はい」
「これ誘拐って言うんだよ」
「保護です」
「拘束されてるんだけど」
「保護です」
「監禁じゃん」
「保護です」
無敵じゃねぇか。シオンは真顔だった。完全に本気で言っている顔だ。
机の上には皿が置かれた。
「食事です」
「お、おう」
スープだった。パンもある。シオンはスプーンを持つ。
「口開けてください」
「いや自分で食える」
「ダメです」
「なんで!?」
「最悪死にます」
理屈が飛躍している。
「死なないよ!?」
「前回もそう言ってました」
「言ってない!」
シオンは少し目を細めた。
「マキア様は」
静かに言う。
「自分の命を軽く扱いすぎです」
「……」
「だから私が管理します」
俺は頭を抱えた。
「シオン」
「はい」
「俺はみんなと違って前世を完璧に思い出せたわけじゃないんだ」
「そうなんですね」
「シオンのこともまだ完全には思い出せていない」
「はい」
「だから、さ?一緒に世界を巡って思い出集めにでも行かない?」
「大丈夫です」
「大丈夫なの!?」
シオンは真剣だった。
「もう失いたくないんです」
小さく言う。
「……マキア様を」
俺は黙る。少しの沈黙。……くそ。こういう言い方はずるい。でも。
「それでも」
俺は言う。
「俺は行かなきゃいけない」
「ダメです」
即答だった。
「魔王が暴れてるんだ」
「ダメです」
「頼む」
「ダメです」
「あの」
「ダメです」
「話聞いてる!?」
シオンはスプーンを差し出す。
「口開けてください」
「話進まないんだけど」
「口」
「……あー」
俺は観念して口を開けた。スープを食べさせられる勇者。何やってんだ俺。
「おいしいですか」
「……うまい」
「よかったです」
シオンは少しだけ嬉しそうだった。
――――――――――――
王都。勇者パーティの宿。
リナリアが机に突っ伏していた。
「……遅くない?」
アネモネが腕を組む。
「遅いわね」
リコリスは窓の外を見ていた。
「そろそろ三日だ」
静かに言う。
「さすがに長い」
「一応誘拐だしね」
リナリアが言う。
「そもそも」
アネモネが頭を抱える。
「勇者がスラムで誘拐されて三日って何よ」
リコリスは肩をすくめた。
「マキアならどうにかすると思ったんだがな」
「そうね」
リナリアが顔を上げる。
「でもさ」
「うん?」
「マキア」
少し考える。
「むしろ抵抗なんてしてないんじゃないかな?」
アネモネがため息。
「あり得る」
リコリスが頷く。
「精神的に弱いからな」
「勇者なのに」
リナリアが言う。少し沈黙。そして、アネモネが立ち上がった。
「行くわよ」
「救出?」
リナリアが聞く。
「違う」
アネモネは言う。
「回収」
リコリスが笑った。
「妥当だ」
三人は立ち上がる。
「スラムね」
「マキアの魔力はあっちに繋がっているようだ」
リコリスがスラムの方を見やる。
「監禁現場まで案内してやる」
「言い方」
リナリアが言う。そして三人は歩き出した。
数十分後。スラムの奥の古びた家の前。
アネモネがドアを見た。
「ここ?」
リコリスが頷く。
「ああ」
中から声が聞こえた。
「だからさシオン」
勇者の声。
「俺お前がいないと生きていけないの」
「ダメです」
「お願い!!」
「ダメです」
「ほら、後で俺のこと好きにしてくれてもいいから!!」
「ダメです」
三人は顔を見合わせた。
アネモネがため息。
「……」
ドアを開けた。バンッ。中。壊れた椅子。散らばっている食材たち。慌てている勇者。今にも泣き出しそうなシオン。完全な事案だった。
沈黙。数秒。リナリアが言った。
「……何してるの?」
俺は叫んだ。
「助けて!!」
アネモネが呟く。
「……ダメだこれ」
リコリスは腕を組んだ。
「想像より酷いな」
シオンはようやく三人に気づいた。涙を拭いながら立ち上がる。
「……お久しぶりです」
少しだけ頭を下げた。
「アネモネ。リナリア」
そしてリコリスを見る。
「あなたは……」
「リコリスだ」
短く名乗る。
「マキアの仲間だ」
シオンは一瞬だけ目を細めたが、すぐに頷いた。
「そうですか」
それだけ言う。そして俺を見る。
「マキア様」
「はい」
「床は冷たいので椅子に戻ってください」
「戻りたくないんだけど!?」
アネモネがため息をついた。
「とりあえず」
腕を組む。
「事情を聞きましょうか」
数分後。俺は椅子に再拘束されていた。
「なんで!?」
「逃げるので」
「逃げないって!」
シオンが無言で壊れた椅子を指差す。
「……」
反論できない。アネモネがこめかみを押さえる。
「頭痛い」
リナリアが小声で言った。
「勇者だよね?」
リコリスが頷く。
「たぶんな」
俺は叫ぶ。
「疑うな!」
俺は表情を引き締めた。
「シオン」
「はい」
「聞いてくれ」
「ダメです」
「まだ何も言ってない!」
「言わなくとも先程の行動が全てです」
「頼む話を聞いてくれ!!」
「イヤです」
俺は深呼吸する。
「でも」
言う。
「時間がない」
シオンの眉が動く。
「魔王軍」
「……」
「今もあいつらが暴れているかも知れない」
部屋が少し静かになる。アネモネも真顔になった。
俺は続ける。
「三日」
「?」
「三日も動けていないんだ」
リコリスが頷いた。
「確かにいつこちらが特定されてもおかしくはないな」
俺は言う。
「だから」
「……」
「行かなきゃいけない」
「ダメです」
即答だった。俺は天井を見上げた。
「だめだこの子」
リナリアが俺に疑問を投げかける。
「そもそも私たちが最初に見たあの光景はどういうことがあったの?目覚めちゃったの?」
俺は仲間への弁明のためにも説明する。
―――――――――――――――――――――
彼女たちが俺の所に来る前のことだ。シオンは買い出しに出ていた。俺は椅子に縛られたまま考えていた。
……さすがにまずい。三日動いてない。四天王がこちらの場所を特定するには十分な時間だ。
「……」
俺は腕に力を入れる。ギシッ。椅子が鳴る。
もう一度。ギシギシッ。背もたれが軋む。
「……ふむ」
さらに力を込める。バキッ!!背もたれが折れた。縄が少し緩む。
「いける」
体を捻ると縄が外れた。俺は立ち上がった。自由だ。……いや。
「シオンとしっかり話さなくちゃいけないな」
俺は呟く。
「じゃあどこで待っとこうか「ギィ…」な?」
扉が開いた。
シオンが立っていた。沈黙。壊れた椅子。自由になっている俺。全部見られた。
シオンの手から袋が落ちた。ゴトッ。
「……」
顔が見えない。俯いている。そして。小さく言う。
「やっぱり」
震える声。
「また」
ゆっくり顔を上げる。目が赤い。
「置いていくんですね」
「違う!」
即答した。でもシオンは笑った。空っぽの笑顔だった。
「知ってました」
「シオン」
「知ってました」
笑っているのに。涙が落ちている。
「私は」
小さく言う。
「護れなかったですから」
胸が痛んだ。
「違う」
「だから」
シオンは続ける。
「今度こそきっと」
震える声。
「護らなくちゃ」
そして。
「なのにマキア様は結局……」
顔を上げる。
「もういいです」
決意を固めた目だった。
「絶対に逃しません」
俺は一歩踏み出す。
「シオン」
その時。バンッ!!
扉が開いた。
「マキア!!」
アネモネだった。リナリアにリコリス。三人が立っている。全員状況を見た。壊れた椅子に外れた縄。泣いているシオン。
―――――――――――――――――――――
「……ということなんだ」
リナリアが言った。
「……タイミング悪くない?」
俺は叫んだ。
「俺は本当に逃げる気は無かったんだ!!」
アネモネが腕を組む。
「でしょうね」
シオンを見る。
「でも、この子にはそう見えない」
俺は頭を抱えた。
「詰んだ」
リコリスが小さく笑う。
「勇者」
「はい」
「頑張れ」
「他人事!?」
リコリスは窓際にもたれたまま肩をすくめた。
「これはお前の問題だ」
アネモネも腕を組む。
「そうね」
リナリアも頷く。
「うん」
三人とも完全に見物モードだった。
「薄情すぎない!?」
俺は叫んだが、誰も助けてくれない。仕方なくシオンを見る。
シオンは俺をまっすぐ見ていた。その目はまだ揺れている。怒りと、不安と、恐怖。全部混ざった目だった。
「……シオン」
「ダメです」
即答だった。
「まだ何も言ってない」
「言わなくてもわかります」
静かな声。
「戦いに行くんですよね」
「……ああ」
「ダメです」
迷いがない。
俺はため息をついた。
「なあ」
「はい」
「聞いてくれ」
「ダメです」
「……シオン!」
俺は少し声を荒げ、無理矢理話を聞かせる。
「俺さ」
少し笑う。
「会ってすぐの時にも言ったけどさ。前世の記憶、ほとんどないんだ」
部屋が静かになる。
「勇者だったことやお前と仲間だったことは断片的にしかわからない」
頭をかく。
「どうやって戦ったとか、何を考えてたとか、そういうのは何一つわからない。リコリス曰く、魂と意識の間である無意識に全て行っちまったみたいだ」
シオンが黙る。
俺は続ける。
「でもな」
真面目に言う。
「一つだけ、わかることがある」
「……?」
「たぶん前世の俺も」
少し肩をすくめる。
「今の俺と同じだ」
「……??」
「えっと、つまりだ」
リコリスが横から言う。
「馬鹿だ」
「おい」
アネモネも頷く。
「馬鹿ね」
リナリアも言う。
「うん、馬鹿」
「満場一致やめろ」
俺は咳払いした。
「だからさ」
シオンを見る。
「そんな馬鹿だから死なないためのストッパーがいるだろ?」
シオンの目が揺れる。
「スラムで子ども拾ってさ。才能あるから俺のこと護る盾になれとか言ってたぶん前世の俺はめちゃくちゃ適当なことを言ったんだと思う」
シオンの唇が少し震える。
「……でも」
俺は言う。
「それでもお前はうちに来た」
シオンは小さく言う。
「……はい」
「なんでだ?」
シオンは少し俯いた。
「それは……勇者様が」
言葉を探す。
「必要としてくれたから」
俺は頷いた。
「だろ?」
「……」
「だからさ」
少し真面目な声になる。
「今回も同じだ」
シオンを見る。
「俺は」
「お前が必要だ」
シオンの呼吸が止まる。
「俺一人じゃ止まれないし、きっとそう遠くないうちに死んでしまうかも知れない」
シオンの拳が震える。
「じゃあ戦わなかったらいいじゃないですか!!」
「シオンの言う通り、戦わなければ俺は死なないのかも知れない」
ゆっくり言う。
「だからこそ言わせてほしい」
静かな言葉だった。
「俺を護ってくれないか?シオン」
沈黙。長い沈黙。
シオンは俯いたまま動かない。
やがて。
「……信じられません。もう置いて行かれたくないです」
「もう置いていかない」
「でも……」
シオンと目を合わせる。
「頼む。もう一度だけ、信じてくれ」
「……それは命令ですか?」
「いや、お願いだよ」
「……ずるいです」
小さく言った。
「何が」
「そういう言い方」
涙が落ちる。
「断れないじゃないですか」
俺は少し笑った。
「そうか?」
「そうです」
シオンは目を拭く。そしてゆっくり顔を上げた。
「条件があります」
「なんだ」
シオンは真剣だった。
「絶対に」
「はい」
「絶対に」
「はい」
「一人で突っ込まないでください」
俺は頷く。
「わかった」
「勝手に死なないでください」
「善処する」
「死んだら私も後を追います」
「……努力する」
シオンは少しだけため息をついた。
「……護ります」
小さく言う。
「今度こそ」
俺は笑った。
「頼んだ」
アネモネが肩をすくめる。
「決まりね。シオンの盾はもう買っといたから」
リナリアも笑う。
「うん」
リコリスが窓から外を見る。
「では」
静かに言う。
「目的地を確認しよう」
俺は言った。
「魔王城」
シオンが眉をひそめる。
「魔王?」
リコリスが軽く手を上げる。
「元だ」
「……?」
シオンの頭の上に疑問符が浮かんでいた。
俺は苦笑する。
「説明は道中でな」
椅子の縄を解く。
「行こう」
勇者。魔法使い。聖女。魔王。そして、ガーディアン。
勇者パーティは再び歩き出す。
目指すは――魔王城。
―――――――――――――――――――――
黒い城門の前。
そこには、すでに三つの影が立っていた。風が止まり、空気が重く沈む。
アネモネが小さく呟いた。
「……待ち伏せね」
その中央。黒いローブの男が拍手した。
パチ、パチ、と乾いた音が響く。
「いやぁ」
軽い声だった。
「思ったより来るのが遅かったね」
男が一歩前に出る。細身。紫色の瞳。楽しそうな笑み。
「改めて自己紹介を。四天王」
軽く頭を下げる。
「ムラクだ」
隣で女がくすりと笑った。長い黒髪に白い肌。指先に紫の魔力が絡みついている。
「私はシュラ」
ゆっくりと言う。
「死霊術師よ」
そして三人目。何も言わず、ただ立っているだけの存在。なのにこの場では最も存在感を放っている。
身体は鎧で固められており、頭から伸びる一本のツノは漆黒だった。背中の巨大な大剣はシオンよりさらに大きい。呼吸すら聞こえない。だが――空気が歪んでいる。
リコリスが静かに言った。
「……ゼルガ」
アネモネが眉を上げる。
「知ってるの?」
リコリスは短く答えた。
「バハムートの直近の部下だった男だ。当時一緒に封印してやったのだがな…」
「どんな奴だ?」
「魔王軍最強の前衛とでも考えろ」
その言葉にシオンが盾を握り直す。
ムラクが楽しそうに笑う。
「さすが元魔王、情報が早い」
「貴方たちが遅かったからこっちで色々準備しちゃったわ」
シュラが指を鳴らした。パチン。
地面が、ゆっくり揺れ始める。ズズ……ズズズ……
城門の奥から、巨大な影が現れた。腐った翼。露出した骨。巨大な顎。空洞の目に紫の炎。
リナリアが息を呑む。
「……ドラゴン」
シュラが嬉しそうに言う。
「正確には」
指を立てる。
「ドラゴンゾンビ」
シュラが笑う。
「わざわざ聖属性のドラゴンから作って聖女一人で簡単に倒されないように」
肩をすくめる。
「特別に準備しておいたわ」
ドラゴンゾンビが咆哮する。腐った翼が広がり、地面が揺れる。
アネモネが低く言う。
「……趣味悪いわね」
シュラがにやりとする。
「従順で良い子なのに」
ゼルガが初めて口を開いた。低い声。
「勇者」
短い一言。剣を抜く。巨大な刃が地面を擦る。ギィィィ……俺は剣を抜いた。
前に出る。
「……なるほど」
ドラゴンゾンビを見る。
「四天王三人にドラゴンゾンビ、潰す気満々ってか」
ムラクが笑う。
「そういうこと」
俺は少し笑う。
「四天王はしばらく任せててもいいか?」
シオンが盾を地面に叩きつける。
「マキア様」
俺は振り返る。
「信じてもいいんですね?」
「あぁ。もう置いていかない」
「なら、時間稼ぎは任せてください」
シオンが盾を構える。
「約束、守ってくださいね?」
アネモネは俺に笑いかける。
「あいつは任せたわよ?」
リナリアも言う。
「絶対倒して」
俺は頷いた。
「任せろ」
シュラが楽しそうに笑う。
「君が」
ドラゴンゾンビを見る。
「一人で?」
ムラクも笑う。
「無理だろ」
俺は剣を構える。
「残念なことにドラゴン相手はもう」
走り出す。
「予習済みだよ!!リコリスのせいでなぁ!!」
ドラゴンゾンビへ。巨大な咆哮。
同時に後ろで戦闘が始まった。
四天王が同時に動く。後ろでは鍔迫り合いの音、魔法の飛び交う音が聞こえてくる。
仲間に背中を任せて俺は跳んだ。
ドラゴンゾンビの翼へ。腐った肉を踏み抜く。首の付け根に辿り着く。
「久しぶりの活躍の場なんだ!」
剣を握る手に力を込める。
「大人しくくたばれ!!」
剣を振り下ろす。抵抗もなく剣が通る、が倒れない。
「……あー、そうかゾンビだもんなぁ」
ドラゴンゾンビの頭が振り上がる。巨大な顎が開く。噛みつきにかかって来た。
「ねぇ対処法やっぱわかんないんだけど!?」
俺は跳んで避ける。牙が地面を砕く。
そのまま翼の骨を蹴る。
さらに上へ。
「まだだ!」
ドラゴンゾンビが咆哮する。腐った翼が振り払われる。空気が裂ける。
俺は剣を地面に突き刺して踏ん張る。その瞬間。黒いブレスが吐き出された。
「腐った体でも打てんのかよ!?」
毒の霧。避けきれない。だが――
体が軽くなる。
「補助か!」
遠くでリコリスが叫んでいた。
「そう長くはもたんぞ!!」
「助かる!」
俺は翼を駆け上がる。骨。腐肉。崩れそうな足場。だが止まらない。
頭へ到達する。
「頭潰せばどうせ止まる!!」
剣を突き立てる。骨が割れる。だが――倒れない。ドラゴンゾンビが暴れる。
体が振り回される。
「頭でもダメなの!?」
振り落とされる。地面へ落下。衝撃。肺の空気が抜ける。
「ぐっ……!」
顔を上げる。ドラゴンゾンビがこちらを見ていた。次の瞬間、突進してきた。
「嘘っ!?」
横へ転がる。地面が砕ける。その時――遠くから叫び声。
「マキア!!」
リナリアだった。
常に湧いてくるアンデッドの処理を片手間に叫ぶ。
「多分心臓に魔石が組み込まれてる!!」
説明を続ける。
「魔石から魔力を心臓に送って、全身に循環させることで体を動かしてるだけ!!」
「なるほどな!狙うべきは心臓か!!」
俺は立ち上がる。
ドラゴンゾンビが再び咆哮する。翼が広がる。飛ぶ気だ。
「逃がすか!」
走る。岩を蹴る。跳ぶ。翼に掴まる。さらに跳躍。首の上。
「これで!」
剣を両手で握り、刃を下に向ける。
「終わりだ!!」
振り下ろす。刃は身体を貫き、骨を砕く。そして、心臓に届いた。
ドラゴンゾンビの巨体が止まる。次の瞬間。崩れ落ちた。土煙が舞う。
俺は息を吐いた。
「……よし」
振り返る。その瞬間。
「マキア!」
アネモネの声。
ムラクが魔法をこちらに放っていた。
俺は死を覚悟したが、直前に大楯が弾く。
「マキア様は殺させません!!」
俺は笑った。
「悪い助かった!!」
「結局ドラゴンゾンビも命懸けだったじゃないですか!!後で説教です!!」
改めて剣を構える。
「待たせたな」
アネモネが魔法を展開。リナリアの光が広がる。リコリスが笑う。
「では」
拳を鳴らす。
「第二ラウンドだ」
四天王三人が同時に動いた。ムラクが魔法陣を展開する。シュラは杖を地面に小突き、周りからアンデッドが湧く。ゼルガが地面を踏み砕いた。
「来るぞ!!」
俺が叫ぶ。
ゼルガが突っ込んでくる。一直線。圧倒的な質量。だがその前に――
シオンの盾が地面に叩きつけられる。
「ここは通しません!!」
ゼルガの大剣が振り下ろされる。衝撃が爆発する。シオンの体が数歩後ろへ滑る。
だが――止まる。
「マキア様!!」
「分かってる!!」
俺はゼルガの横へ踏み込む。だが。
「甘い」
背後から声。ムラクだった。短剣が首へ伸びる。その瞬間、風が走る。
ムラクの腕が弾かれる。
「背中は任せなさい」
アネモネの風刃だった。ムラクが舌打ちする。
「魔法使いが厄介だな」
その間にもシュラがアンデッドを召喚している。
「《死霊招来》」
地面から無数の腕が伸びる。
「あいつらを足止めなさい」
だが。光が広がる。
「《聖域展開》!」
リナリアだった。アンデッドの腕が一瞬で崩れ落ちる。
シュラが目を細める。
「聖女……」
リコリスが笑う。
「相性が悪かったな」
影が伸びる。シュラの魔法陣が乱れる。その瞬間。
「今です!!」
シオンが叫ぶ。盾でゼルガを弾き上げる。巨体が浮く。
「いけ!!」
俺は踏み込む。剣を振るう。だがゼルガは空中で体勢を戻す。大剣を振るう。
刃がぶつかり、地面が割れる。力が重い。押し負ける。だが――
「一人じゃない!!」
横から影の槍が叩き込まれる。リコリスだった。 ゼルガの体勢が崩れる。さらに――
「《エアロ・バースト》!」
アネモネの風が爆発する。ゼルガが完全に浮いた。俺は笑う。
「悪いな」
剣を振り上げる。
「これがパーティ戦だ」
斬撃。ゼルガの鎧が砕ける。巨体が地面へ叩きつけられ、ゼルガが倒れる。
ムラクが苦笑いをする。
「うそぉ……」
シュラも頷く。
「個人戦なら絶対負けないのにぃ!!」
「連携の差が出ちゃったねぇ」
俺は剣を構える。
「今更気づいたのか?」
シオンが盾を構える。リコリスとアネモネが魔法を展開する。リナリアの光が強くなる。俺たちは並んだ。
ムラクがため息をつく。
「やっぱりさ、パーティって面倒だよね」
シュラが笑う。
「でも」
魔力が膨れ上がる。
「それでもこっちももう引けないんだ」
俺は剣を握る。
「なら連携の差ってやつを」
剣を構える。
「最後まで教えてやるよ」
次の瞬間、戦いが再び爆発した。
ムラクの姿が消えた。
「また来るぞ!」
俺が叫ぶ。その瞬間、背後に気配。だが――短剣が盾に弾かれた。
「もう見えてます」
シオンだった。
ムラクが驚いた顔をする。
「え、嘘!?これ初出しだよ!?」
シオンが静かに言う。
「同じ動きしかしない策士なんて警戒するに決まっているでしょう。何を隠してるかわからないので」
その瞬間。
「今よ」
アネモネの魔法陣が光る。風が爆ぜる。
「《エアロ・ランス》」
無数の風槍がムラクへ向けられる。ムラクが慌てて跳び退く。
「危なっ!?」
だが着地した瞬間――地面の影が伸びた。
リコリスだった。
「捕まえた」
影がムラクの足を縛る。
「うわっ」
動きが止まる。
「マキア様!!」
シオンが叫ぶ。
「任せろ!!」
俺は地面を蹴った。一瞬で距離を詰める。
ムラクが焦る。
「ちょ、ちょっとまっ――」
剣が振り下ろされる。
ムラクが吹き飛び、地面を転がる。
「ぐっ……」
立ち上がろうとした瞬間、光が落ちる。
「《聖槍》」
リナリアの魔法だった。
光の槍がムラクを貫いた。ムラクの体が崩れ落ちる。
「……まじかよ」
そのまま動かなくなった。シュラの顔から笑みが消える。
「二人……」
シュラの魔力が膨れ上がる。地面が震える。
「舐めないで」
杖を叩きつける。
地面が割れる。無数のアンデッドが這い出てくる。
「《死霊軍勢》」
数が違う。数十、いや百はいる。
「もう巻き込みを考える必要はないの!!」
アネモネが舌打ちする。
「多すぎ」
だがリナリアが前に出る。
「大丈夫」
両手を広げる。光が広がる。
「《聖域拡張》」
光が地面を染める。アンデッドが次々と崩れていく。シュラが歯を食いしばる。
「……聖女」
リコリスが笑う。
「終始相性が最悪だったな」
アネモネが魔法陣を重ねる。
「終わりにしましょう」
風が集まる。俺が剣を構える。
シオンが前に出る。
「道を作ります」
盾を構える。シュラが魔法を放つ。黒い槍。だが全部、盾が弾く。
シオンが叫ぶ。
「今です!!」
俺は走る。一直線。シュラが慌てて魔法陣を作る。だが遅い。影が腕を縛る。
リコリスだった。
「止まれ」
シュラの動きが止まる。その瞬間、風が吹き荒れる。
「《エアロ・バースト》!!」
アネモネの魔法。シュラの体が浮く。そして――光が収束する。
「マキア!」
リナリアが叫ぶ。
俺は剣を振り上げる。
「終わりだ!!」
シュラの体が地面に叩きつけられる。静寂が落ちた。動く者はいない。
シオンが盾を下ろす。
「……終わりましたね」
俺は息を吐いた。
アネモネが肩を回す。
「疲れた」
リコリスが笑う。
「あぁ、中々厄介だった」
リナリアが小さく呟く。
「でも」
城門を見る。
「ここからが本番」
全員が視線を向ける。黒い城門。ゆっくりと――門が開き始めた。中は暗い。城の内部はほとんど光が届かず、奥へ続く長い石の通路だけがぼんやりと見えていた。
俺は一歩踏み出す。瓦礫と血の匂いが残る城門前を越え、魔王城の中へ入る。
―――――――――――――――――――――
シオンが後ろで呟く。
「……いよいよですね」
アネモネが肩をすくめる。
「四天王が全員出てきたってことは」
リコリスが続けた。
「残るは――バハムートのみ、だな。気をつけろ、今のあいつは魔王だ。恐らく自身のツノのみならず歴代の魔王が引き継ぐツノを手にしているだろう」
リナリアが静かに頷く。
「……うん」
城の中は静まり返っていた。ただ、奥へ続く赤い絨毯の廊下。まるで――最初からここへ通すつもりだったかのように。
俺たちは歩き出す。足音だけが響く。コツ、コツ、コツ……
やがて長い廊下の先に、大きな扉が見えてきた。黒い扉。その向こうから――気配がする。圧倒的な魔力。空気が重い。
アネモネが小さく言った。
「……いるわね」
シオンが盾を構える。
「はい」
リコリスが鼻で笑う。
「隠す気もないらしい」
リナリアは少しだけ息を吸った。
「……行こう」
俺は扉の前に立つ。そして。ゆっくりと押した。重い音を立てて扉が開く。広い玉座の間だった。高い天井に黒い柱。奥に続く長い赤い絨毯。そしてその先の玉座に、一人の影が座っていた。一人の男。肘掛けに頬杖をつき、退屈そうにこちらを見ている。
額からは三本のツノが伸びている。一つは自分のもの。一つは歴代魔王の象徴。そしてもう一つ――歪んだ黒いツノ。
リコリスのものだった。魔王は歴代魔王のツノのみならず、リコリスのツノをも自身の力としていた。リコリスの表情が凍る。
「……貴様」
ゆっくりと口を開いた。
「……遅かったな」
その声を聞いた瞬間。胸が強く脈打つ。玉座の影が立ち上がる。
赤い瞳が、こちらを見下ろした。
「リコリスに勇者たちよ」
静かな声。だが、空気が震える。魔王だった。
俺は剣を握り、言葉を返した。
「お前がバハムートか?」
玉座の間に、静寂が落ちる。魔王がゆっくり笑った。
「……ああ」
一歩、階段を降りる。
「その通りだ」
その視線が、リコリスに向けられる。
「リコリス」
背後で、シオンたちが息を呑んだ。
「お前への恨みを忘れた事はない、が」
剣を構える。
「後だな」
魔王は少しだけ目を細めた。そして――ゆっくりと剣を抜く。黒い刃。空気が歪む。
「来るぞ!!構えろ!!」
魔王の魔力が玉座の間を満たす。床が軋む。柱が震える。
「せっかくいくつもの町を滅ぼしたのだ。相応に血湧き肉躍る戦いを楽しみにしている」
魔王は剣を向けた。
「……何故町を滅ぼした?」
「理由?そんなものあるはずがない。強いて言うなら戦いたかった。それだけだ」
そんなことのために?剣を握る手に力がこもる。
「もういい、お前はここで倒す」
「来い」
次の瞬間――勇者と魔王が、同時に踏み込んだ。
踏み込みの衝撃だけで石の床が割れ、赤い絨毯が宙に舞う。
黒い刃が振り下ろされた。
金属が爆発するような音が玉座の間に響く。
俺は剣で受け止めていた。だが。
「……っ!」
重い。腕が軋む。ただの一撃なのに、身体ごと押し潰されるような圧力だった。
バハムートが笑う。
「受け止めるか」
さらに力を込めてくる。床が沈む。
俺の足元の石が砕けていく。次の瞬間
「どけ」
低い声。黒い影から槍が形成される。
リコリスだった。
魔法がバハムートの脇腹へ叩き込まれる。
衝撃が爆発する。バハムートの体が横へ滑った。
俺は距離を取る。
「助かった」
リコリスはバハムートを睨みつけたまま言う。
「礼は後だ。《シャドウランス》」
床の影が広がる。そして影の槍が一斉に突き上がった。
だが――バハムートは動かない。黒い剣が一閃した。影がまとめて斬り裂かれる。
リコリスの目が見開く。
「……なに?」
バハムートが笑う。
「遅い」
消えた。次の瞬間。
リコリスの目の前にいた。剣が振り下ろされる。
しかし、大楯が割り込んだ。シオンだった。
「通しません!!」
盾が軋む。だが止めた。
バハムートの目が少し細くなる。
「ほう」
バハムートの蹴りが飛ぶ。
シオンの体が吹き飛んだ。
「ぐっ……!」
石柱に叩きつけられる。
アネモネが叫ぶ。
「シオン!!」
その瞬間。
風が吹き荒れた。
「《エアロ・スラスト》!!」
風の刃が無数に飛ぶ。バハムートへ。
だが剣が動き、全て弾かれる。
バハムートは歩きながら言う。
「弱い」
そして、アネモネの目の前にいた。
「え――」
剣が振られる。だが光が割り込む。
「《聖壁》!!」
リナリアだった。光の壁が剣を止める。
バハムートがわずかに眉を上げる。
「聖女か」
俺は踏み込んだ。
「よそ見すんな!!」
剣を振るう。全力の斬撃。しかしバハムートが受け止め、刃が火花を散らす。
俺は歯を食いしばる。
「全員!!」
叫ぶ。
「こいつは一人で相手できる存在じゃない!!」
リコリスが笑う。
「言われなくても」
影が広がる。アネモネが魔法陣を展開。リナリアの光が広がる。シオンが立ち上がり盾を構える。
バハムートはそれを見て――笑った。
「いい」
魔力が膨れ上がる。玉座の間の空気が震える。
三本の角が黒く光る。
「まとめて来い」
剣を構える。
「勇者パーティ」
その瞬間、俺たちは同時に踏み込んだ。玉座の間で――本当の戦いが始まった。
最初に踏み込んだのはシオンだった。
「はぁぁぁぁ!!」
盾を前に出し、そのまま体当たりする。
重い衝撃が響く。
だがバハムートは動かない。ほんの一歩も。
シオンの顔に焦りが浮かぶ。
「なっ……!」
バハムートの拳が振り下ろされた。盾が大きく歪む。
「ぐっ……!!」
シオンの膝が床に沈む。だがその瞬間――
「今よ!」
アネモネの声。
風が巻き起こる。
「《エアロ・バースト》!!」
圧縮された風が爆発した。
バハムートの体がわずかに浮く。
俺はその瞬間を逃さない。
「行くぞ!!」
踏み込む。剣を振り上げる。全力の斬撃。
確かな手応え。バハムートの体が後ろへ滑る。赤い絨毯が裂ける。だが――笑っていた。
「……なるほど」
剣を軽く振る。血は出ていない。
「少しはやる」
空気が爆ぜた。
バハムートが消える。
「速い!!」
リコリスが叫ぶ。
もう遅い。次の瞬間。
リコリスの腹に拳がめり込んだ。
「……がっ」
空気が抜ける音。
リコリスの体が吹き飛んだ。柱を砕いて転がる。
俺が振り向く。
「リコリス!!」
だがバハムートはもう動いていた。
アネモネの前に現れる。
「魔法使い」
剣が振り下ろされる。
アネモネが咄嗟に魔法を展開する。
「《エアロシールド》!!」
だが、風の盾が一撃で砕けた。剣が肩を裂く。
「っ!!」
アネモネが吹き飛ぶ。床を転がる。
俺は踏み込む。
「てめぇ!!」
剣を振るう。
だがバハムートは振り向きもせず剣を受け止める。火花が散る。
「勇者」
余裕の声。
「遅い」
蹴りが飛ぶ。腹に直撃。
「ぐっ……!」
俺の体が後ろへ弾き飛ばされた。床を転がる。肺の空気が全部抜ける。視界が揺れる。
立ち上がろうとする。その時。
「マキア様!!」
シオンが割り込む。盾を構える。
バハムートの剣が振り下ろされる。
盾が悲鳴を上げる。
シオンの腕が震える。
「まだ……!」
踏ん張る。その後ろで光が広がる。
「《聖域》!!」
リナリアだった。光がシオンを包む。傷が少しずつ癒える。
バハムートが視線を向ける。
「聖女」
興味深そうに呟く。
「厄介だな」
その瞬間。影が伸びた。
リコリスだった。
「調子に乗るな」
影の鎖がバハムートの足に絡みつく。さらに――床から黒い腕が無数に伸びる。
「沈め」
バハムートの体が一瞬止まる。その瞬間。
アネモネが叫ぶ。
「マキア!!」
風が渦を巻く。リナリアの光が剣に集まる。
俺は歯を食いしばる。
最後の力で踏み込む。
「はぁぁぁぁ!!」
剣を振り下ろし、斬撃が直撃する。爆風が玉座の間を揺らす。煙が上がる。
俺は息を荒くする。
「……やったか」
だが、煙の中から声がした。
「なるほど」
静かな声。煙が割れる。確かに傷はある。
だが致命傷ではない。むしろ笑っていた。
「今のは」
三本の角が再び黒く光る。
「少し効いた」
魔力が爆発した。
空気が重くなる。床が割れる。柱が震える。
俺の膝がわずかに沈む。
「……なにこれ」
アネモネが呟く。
リナリアの顔が青くなる。
「魔力が……さっきより……」
リコリスが歯を食いしばる。
「まさか」
バハムートが笑う。
角を軽く叩く。
「言っただろう」
魔力がさらに膨れ上がる。
「これは」
剣を構える。
「完全な魔王の力だ」
次の瞬間、バハムートが動いた。速い。見えない。
シオンの盾が弾き飛ばされる。リコリスが壁に叩きつけられ、アネモネの魔法陣が砕ける。リナリアが膝をつく。
そして――俺の剣が弾かれた。
バハムートの刃が首元で止まる。
バハムートが静かに言う。
「終わりか?」
俺たちは――完全に追い詰められていた。
あと数センチ。それだけで終わる距離。
赤い瞳が俺を見下ろす。
背後では仲間たちが倒れていた。
シオンは盾を支えに膝をつき、アネモネは肩を押さえて息を荒くしている。リナリアは必死に治癒を続けているが、魔力は限界に近い。リコリスも壁にもたれ、血を吐いていた。勝てない。
誰が見ても分かるほどの差だった。だが――
俺は笑った。
バハムートが眉をわずかに動かす。
「何がおかしい」
俺はゆっくり口を開く。
「リコリス」
名前を呼ぶ。
リコリスが顔を上げた。
「……なんだ」
俺は言った。
「俺の勇者だった前世の記憶だけじゃない」
一瞬、空気が止まる。
「全部」
静かに続ける。
「思い出させろ」
リコリスの目が見開かれた。
「……は?」
アネモネが叫ぶ。
「ちょっと待って!!」
シオンも叫ぶ。
「マキア様!?」
リナリアの顔も青くなる。
「それは……」
リコリスが歯を食いしばる。
「馬鹿かお前」
ゆっくり立ち上がる。
「そんな事したらどうなるか分かっているだろ」
俺は肩をすくめた。
「分かってる」
リコリスの声が低くなる。
「人間の脳で処理できる記憶量には限界がある」
指を額に当てる。
「人間が思い出せるのはせいぜい一世代分だ」
「だがそれ以上の前世」
目を細める。
「全部流し込めばどうなると思う?」
沈黙。
そして。
「脳が焼き切れる」
静かに言った。
「死ぬぞ」
アネモネが叫ぶ。
「だからやめなさいって言ってるのよ!!」
シオンも必死に言う。
「マキア様、それは……!」
だが俺は首を振った。
「いや」
リコリスを見る。
「一つだけ方法がある」
リコリスの眉が動く。
「……なんだ」
俺は言った。
「前にやっただろ?」
リコリスが眉をひそめる。
「……何の話だ」
俺は笑った。
「俺が最初に記憶を戻した時」
リコリスの顔が固まる。
俺は続ける。
「あの時」
「途中で電撃食らった」
リコリスの目が見開かれる。
俺は言う。
「そのせいで」
指で頭を指す。
「記憶が脳に全部入ることはなかった」
そして胸を軽く叩く。
「魂と意識の間」
ゆっくり言う。
「無意識に落ちた」
リコリスが呟く。
「……確かに理論上は可能かも知れない」
俺は笑う。
「だろ?」
リコリスは黙る。
俺は言う。
「今回も同じことすればいい」
シオンが叫ぶ。
「ダメです!!」
アネモネも怒鳴る。
「正気!?そんなの成功する保証ないじゃない!!」
リナリアの声は震えていた。
「もし失敗したら……」
俺は肩をすくめる。
「その時はその時だ」
バハムートが静かに見ていた。
俺はリコリスを真っ直ぐ見る。
「頼む」
リコリスはしばらく黙っていた。
やがて低く言う。
「……成功するかわからない」
「分かってる」
「成功してもどうなるかわからない」
「分かってる」
「お前本当に」
リコリスが睨む。
「馬鹿だな」
俺は笑った。
「知ってる」
背後で仲間たちが叫んでいた。
「やめてください!!」
「マキア!!」
「ダメ!!」
俺は振り返らない。ただ言った。
「じゃあたのむわ!」
リコリスが目を閉じ、深く息を吐く。
「止めても無駄、か」
リコリスも決意を固める。
「……死ぬなよ」
手を上げる。魔力が集まる。魔法陣が展開される。
仲間たちの声がさらに大きくなる。だが。
俺は動かない。
リコリスが目を開いた。
「行くぞ」
手を伸ばす。
俺の額に触れた。
「《記憶解放》」
次の瞬間。世界が――白く弾けた。
無数の記憶が雪崩のように流れ込んでくる。
知らないはずの景色。知らないはずの戦場。剣を振るう自分。血の匂い。仲間の声。
そしてまた――別の人生。さらに別の戦い。何度も、何度も、何度も。生まれて、戦って、死んで。
繰り返してきた記憶。
「ぐ……あぁぁぁ!!」
頭が割れる。脳が焼けるような痛み。視界が歪む。だが。
流れ込んだ記憶の大半は脳に収まりきらず――
沈んでいく。もっと深く。
意識の奥。
魂と意識の間。
無意識の海へ。
そこで止まった。そして。静かになった。
俺はゆっくり目を開く。
世界が――違って見えた。空気の流れ。魔力の揺らぎ。バハムートの動き。全部、見える。
俺は剣を拾った。立ち上がる。
バハムートが初めて表情を変えた。
「……ほう」
俺は一歩踏み出す。床が割れる。
バハムートが笑う。
「変わったな」
剣を構える。
「いい」
魔力が膨れ上がる。
「来い」
俺は踏み込んだ。空気が爆ぜる。剣が振るわれる。
バハムートの瞳がわずかに見開く。刃がぶつかり、衝撃が玉座の間を揺らす。
だが今度は――俺は押されなかった。
バハムートが笑う。
「面白い」
剣が連続で振るわれる。高速の斬撃。だが全部――見える。
弾く。避ける。踏み込む。
俺の斬撃がバハムートの肩を裂いた。血が飛ぶ。
バハムートが初めて後ろへ下がる。
リコリスが呟く。
「……やりやがった」
バハムートが笑う。狂気の笑み。
「いいぞ」
魔力がさらに膨れ上がる。三本の角が黒く光る。
「これだ」
地面を蹴る。消える。次の瞬間。
俺たちは中央でぶつかった。
剣と剣。拳と拳。衝撃が何度も爆発する。
柱が砕ける。床が割れる。玉座の間が崩れていく。
バハムートが吼える。
「勇者ぁ!!」
俺も叫ぶ。
「魔王!!」
斬撃。衝撃。血。
互いに何度も傷を刻む。だが止まらない。
バハムートが大きく踏み込む。全力の一撃。黒い刃が振り下ろされる。
俺はそれを――正面から受け止めた。火花が爆発する。
俺は歯を食いしばる。
「終わりだ」
バハムートが笑う。
だが俺は言う。
「違う」
剣を弾く。踏み込む。距離ゼロ。
バハムートの目が見開く。
俺は剣を振り上げた。
「これで」
最後の力。全てを込める。
「終わりだ!!」
斬撃。光の軌跡が走る。バハムートの体が止まる。静寂の中、黒い刃が地面に落ちた。
バハムートが膝をつく。
「……見事だ」
血が流れる。そして、ゆっくりと倒れた。魔王バハムートは――動かなくなった。玉座の間が静まり返る。
リナリアが呟く。
「……終わった?」
シオンが息を吐く。
「勝った……」
アネモネもその場に座り込む。
リコリスは俺を見ていた。
「……マキア」
俺は剣を落とした。視界が揺れる。頭が――焼ける。
「……あ」
膝が崩れる。倒れる。床が近づく。
遠くで仲間の声が聞こえた。
「マキア様!!」
「マキア!!」
だが。もう体が動かない。
俺は呟いた。
「……悪い」
そして。
勇者マキアも――その場に倒れた。
床の冷たさが、ゆっくりと体に染みてくる。
視界はぼやけているのに、不思議と仲間の顔だけははっきり見えた。
足音が駆け寄る。
「マキア様!!」
シオンだった。
すぐ横に膝をつき、俺の体を支える。いつも戦場で前に立っていた大きな盾が、今は床に転がっている。
「しっかりしてください!」
震えていた。あのシオンの声が。
俺は小さく笑った。
「……そんな顔するな」
「笑い事じゃありません!」
シオンの目には涙が溜まっていた。
俺は少し息を整えてから言う。
「シオン」
名前を呼ぶ。
シオンが顔を上げる。
「ありがとう」
シオンが固まった。
俺は続ける。
「お前が盾を構えてくれたから何度も生きて帰れた」
思い出す。
四天王相手にも、前に立っていた背中。魔法を受け止めた盾。さっきの戦いでも。魔王の剣を、あの盾で止めた。
「正直さ」
俺は笑う。
「何回も思った。“ああ、シオンがいるなら大丈夫だ”って」
シオンの唇が震える。
俺は言った。
「俺、前に出るばっかりだったろ。無茶もした。でも、お前がいたから怖くなかった」
シオンの涙がこぼれた。
「……それは」
声が詰まる。
「ガーディアンとして当然です」
俺は首を振る。
「違う、当然じゃない。お前だったからだ」
シオンの肩が震える。
「最後まで」
俺は言う。
「背中、任せられた。最高の盾だった」
シオンは俯いたまま、必死に声を絞り出した。
「……光栄です」
涙が床に落ちた。
次にアネモネが歩いてくる。腕を組んで、いつもの不機嫌そうな顔。だが目は赤い。
「ほんと」
ため息をつく。
「最後まで無茶する男ね」
俺は笑う。
「悪い」
アネモネは少し黙る。そして言う。
「魔法助かった」
俺はゆっくり言った。
「アネモネ」
「お前がいなかったらこのパーティ、とっくに全滅してた」
アネモネの眉が動く。
俺は続ける。
「敵の動き見て一瞬で魔法変えて、俺たちの位置まで全部計算して、援護して」
少し息を吐く。
「俺さ、何回も助けられてた」
アネモネがそっぽを向く。
「……当たり前でしょ?私、天才なんだから」
だが声が少し震えている。
俺は笑う。
「知ってる」
少し沈黙してから言う。
「あとお前さ。絶対言わないけど」
アネモネが怪訝な顔をする。
「俺が無茶するたび、ちゃんと後ろで合わせてくれてただろ」
アネモネの目が見開く。
俺は続ける。
「突っ込むって分かってるから魔法の準備して。逃げ道作って風で速度上げて。爆発で相手の視界潰して」
笑う。
「全部バレてる」
アネモネが顔を逸らした。
「……うるさい」
俺は言う。
「頼りにしてた」
小さく。
「本当に」
アネモネの肩が震えた。
次にリナリアが来る。膝をつき、俺の手を握る。温かい光が流れる。
だが。治癒の力は身体は治せても脳の異常までは治せない。
俺にも分かる。もう治らない。
それでもリナリアは魔法を止めない。涙を流しながら。
俺は言う。
「リナリア」
彼女が顔を上げる。
「ありがとう」
リナリアが首を振る。
「違う……私がもっと……」
声が震える。
「もっと強ければ、もっと早く治せれば……」
俺は笑う。
「そんなことない」
リナリアの手を軽く握る。
「お前がいたから何回でも立ち上がれた」
思い出す。戦場で倒れた時。傷だらけで歩けなかった時。
いつも光があった。
「戦いってさ」
俺は言う。
「怖いんだよ。誰か死ぬかもしれない。仲間が死ぬかもしれない」
少し息を吸う。
「でも」
続ける。
「お前が後ろにいると安心できた」
リナリアの涙が止まらない。
俺は言う。
「お前は俺の光だった」
リナリアは泣きながら頷いた。
そして最後に。リコリスが立っていた。少し離れた場所で。腕を組み、静かにこちらを見ている。
俺は言う。
「リコリス」
彼女がゆっくり近づく。
膝をつく。
「……馬鹿者」
低い声。
「言っただろう、どうなるかわからないと」
俺は笑う。
「まだ生きてる」
リコリスは小さく息を吐く。
「時間の問題だ」
沈黙。俺は少しだけ視線を上げる。
「なぁ」
リコリスが眉をひそめる。
「なんだ」
俺は言った。
「俺、お前のこと好きだ」
空気が止まった。
リコリスの目がわずかに見開かれる。
俺は続ける。
「最初、運命探知が発動した時、勇者と魔王の関係」
リコリスは黙って聞いている。俺は言う。
「だから結ばれたと思った」
少し笑う。
「でも違った」
静かに言う。
「前世戻る前はただの一般人だったんだ。魔王と結ばれる理由がない」
リコリスの瞳が揺れる。
「勇者とか魔王とか関係なくて」
俺は言う。
「それでも、運命で結ばれた」
少し息が苦しい。それでも言う。
「多分前世とかじゃなく、もっと前から」
リコリスを見て。
「魂から、心の底から惚れてた」
静寂。
リコリスは何も言わない。
ただ俺の手を握る。強く。
俺は小さく笑う。
「今言うのも、遅いか」
視界が暗くなっていく。意識が遠くなる。
最後に呟く。
「でも、伝えたかった」
温かいものが頬に落ちた。涙だった。
リコリスの声が震える。
「……馬鹿者」
俺の手を握る。
「私も愛している」
後悔が溢れる。
「……あぁ、まだ生きてたいなぁ…」
そう、最強を目指して冒険者になったのにまだ最高ランクになっていない。シオンとの約束で置いていかないとも宣言した。この広い世界をまだ見切れていない。しかし、何よりも
「もっと、みんなと一緒に…」
その声を最後に、俺の意識は深い闇へと向かっていく。
「悪い、少し寝る」
「……あぁ、ゆっくり眠るといい」
「うん、そうさせてもらうよ」
そして赤い糸は――途切れた。
―――――――――――――――――――――
マキアは動かなくなった。
シオンの啜り泣く声、リナリアの震える声で呟かれる祈りだけが響く。
アネモネはその場で俯き、小さく肩を振るわせていた。
だが、リコリスだけは動かなかった。
ただ、勇者を見ていた。数秒。いや、もっと長かったかもしれない。
そして静かに口を開いた。
「……なぁマキア」
囁くように言葉を紡ぐ。
「起きたら何をしようか?」
一歩、前に出る。
「王都に英雄として凱旋か?」
もう一歩。
「今度はまた最高ランクを目指すのもいいかもな」
声が少しだけ震える。
「記憶解放後も戦えていたんだ。リスクは避けれたのだろう?」
勇者の前で膝をつく。その肩を掴む。
「だから――」
そこで、声が止まった。呼吸が乱れる。
「……目を覚ましてくれ」
返事はない。
「マキア」
揺らす。
「何故」
揺らす。
「何故」
そして。理性が切れた。
「何故!!」
叫び声が戦場に響いた。
「ふざけるな!急に告白して!挙句勝手に死ぬとは何を考えてるんだ!!」
拳で勇者の胸を叩く。
「私はまだ――」
言葉が止まる。唇が震える。
「……まだ」
声が小さくなる。
「何も」
涙が落ちた。
「何もお前と出来ていないんだ……」
リコリスは勇者の胸に額を押しつけた。そして、誰にも聞こえないくらい小さな声で言った。
「……だから、置いていかないで……」
静寂。ついには誰の声も聞こえなくなる。泣き声も。祈りも。怒号も。
ただ、戦場の風が瓦礫を転がす音だけが、かすかに響いていた。
リコリスは動かない。勇者の胸に額を押しつけたまま。
シオンも。リナリアも。アネモネも。誰も言葉を発しない。その沈黙の中で――ふと。
シオンの耳が、小さな音を拾った。
「……?」
シオンの眉がわずかに動く。何か聞こえた。とても小さい。だが、確かに。
「……待ってください」
シオンが呟く。
リナリアが顔を上げる。
「シオン……?」
シオンは手を上げた。
「静かに」
全員が息を止める。風の音。瓦礫の転がる音。そして――
「……すぅ」
かすかな音。
「……ぅ……」
とても弱い。だが確かに――呼吸の音。
シオンの目が見開かれる。
「……皆さん」
アネモネが顔を上げる。
「何?」
シオンが震える声で言う。
「今……聞こえましたか?」
リナリアが首を振る。
「え……?」
もう一度。
「……すぅ……」
今度は、全員が聞いた。
リナリアの目が一瞬で見開かれる。
「……え?」
アネモネが固まる。
リコリスの肩がぴくりと動く。全員の視線が――勇者へ向く。静寂。そして
「……すぅ」
小さな。とても小さな、寝息。
リナリアが息を呑む。
「……え」
シオンが震える声で言う。
「……寝てますね」
アネモネが一瞬固まり。次の瞬間。
「はぁ!?」
リコリスがゆっくり顔を上げる。信じられないものを見るように。勇者の顔を覗き込む。
マキアの顔。血だらけ。傷だらけ。だが――
「……すぅ」
気持ちよさそうに寝ている。沈黙。数秒。そしてアネモネが叫んだ。
「本当に寝てるじゃないのよこのバカァァァ!!」
シオンが膝から崩れ落ちる。
「……生きている……」
リナリアの涙がさらに溢れる。
「よかった……!」
場に温かみが戻る。
リコリスはじっと勇者を見る。
自身の涙を拭い、ゆっくりと言葉を発する。
「……マキアに仕置きがいると思わんか?」
先程までの醜態をなかったかのように振る舞う。その場の誰もリコリスに深く触れない。ただ
「えぇそうね!!人に心配をかけすぎよ!!」
アネモネが同調する。
「一度しっかりと話し合うべきよね!!」
リナリアも共感を示す。
「また私たちを置いて行こうとした罰です!!」
シオンが怒り気味で言う。
しかし、その場の全員が笑顔で溢れていた。
戦場に。今度は違う意味の騒ぎが響き渡った。
―――――――――――――――――――――
勇者マキアが倒れてから――数日後。
王都。城の一室。静かな病室に、朝の光が差し込んでいた。
目を覚ます。
「……あれ、俺生きてね?」
状況をまとめようとベッドに腰掛ける形で姿勢をただし、手を顎に当てる。
「ふむ。……ふむ?」
そして――思い出す。
「その場のテンションって怖ぇぇぇ!!」
恥ずかしさで転げ回る。
仲間一人一人に言った言葉。
『最高の盾だった』
『頼りにしてた』
『お前は俺の光だった』
そして――
『俺、お前のこと好きだ』
マキアの顔が一瞬で真っ赤になった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ベッドの上で悶える。
「なに言ってんだ俺ぇぇぇ!!」
枕に顔を埋める。
「普段なら絶対言わないのにぃぃぃ!!」
バタバタ暴れる。
「ワンチャン夢でしたとかない!?」
枕を抱えて転がる。その時。ガチャ。
病室のドアが開いた。
マキアが凍りつく。ゆっくり振り向く。そこには――シオン。アネモネ。リナリア。そして。リコリス。四人ともがしっかりと全部聞いていた。沈黙。
マキアの顔から血の気が引く。
「……」
そして。
「……」
アネモネが口を開く。
「へぇ」
ニヤリ。
「起きたのね」
リナリアは涙目で笑っている。
「マキアさん……!」
シオンは腕を組んでいる。
「元気そうで何よりです」
そして最後に。
リコリス。じっとマキアを見る。沈黙。
「どうやら重度の脳疲労と魔力切れから来る気絶だったみたいよ」
アネモネがマキアに伝える。
マキアはゆっくり布団を被った。
「……帰りたい」
布団の中から声。
アネモネが吹き出した。
「何それ」
シオンが肩を震わせる。
リナリアも笑いを堪えている。そして。
リコリスが小さく言った。
「残念だな」
マキアが布団から顔を出す。
「……何が?」
リコリスは言う。
「私は」
少しだけ口元を緩める。
「もう少し聞きたかったんだが」
マキアの顔が再び爆発した。
「止めろぉ!!」
病室に絶叫が響いた。こうして。
魔王を倒した勇者は――恥ずかしさで死にかけていた。
マキアが恥ずかしさで転げ回ってからしばらく後。
「……で」
アネモネが腕を組む。
「一応確認するけど全部本気だったの?」
マキアの動きが止まる。
「……何が」
アネモネは指を折る。
「シオンへの“最高の盾”」
「リナリアへの“俺の光”」
「私への“頼りにしてた”」
そして。
ニヤリと笑う。
「リコリスへの“好きだ”」
マキアは布団を頭まで被った。
「もう許してぇ」
シオンが咳払いする。
「ですが」
真面目な顔。
「勇者としての覚悟の言葉でした。恥じる必要はありません」
リナリアもうんうん頷く。
「そうですよ!とても……素敵でした」
マキアは布団の中で呻いた。
「頼むから蒸し返すなぁ……」
ある程度からかい、満足したリコリスが発言する。
「ふん。これに懲りたら簡単に命を賭けるのを止めるんだな」
「そうね。反省しなさい」
「本当に、心配したのよ?」
「私との約束を破ろうとした罰です」
仲間たち全員からの罰だと言われると、俺は何も出来ない。
「悪かった。もうしないよ」
その時。コンコン。
病室の扉がノックされた。全員が振り向く。扉が開く。
入ってきたのは――王国の近衛兵。
「勇者マキア様」
敬礼。
「陛下がお呼びです」
部屋が静かになる。
シオンが小さく言う。
「……ついに来ましたか」
マキアが顔を出す。
「何が?」
アネモネが肩をすくめる。
「そりゃそうでしょ」
「魔王討伐の褒章よ」
マキアは少し考えて。
「金?」
アネモネが即答した。
「黙っときなさい」
⸻
数時間後。王城。大広間。
マキアは仲間たちと並んでいた。目の前には王。そして貴族たち。大勢の人間。
王が立ち上がる。
「勇者マキア」
重い声が響く。
「よくぞ魔王を討った」
周囲は静かだ。王は続ける。
「その功績」
「我が国だけでなく世界を救ったと言ってよい」
マキアは頭を掻く。
「いやまあ……はい」
王が手を上げる。
「よって」
「褒章を与える」
マキアがぼそっと言う。
「金かな」
アネモネが肘で殴った。
「黙りなさい」
王が言う。
「貴殿の栄誉を讃え、冒険者ランクを特別にSSランクとする」
それは、最強を目指した俺にとって最高の報酬だった。
「ありが「同時に我が娘である第一王女を」ん?」
間。
「お前の婚約者とする」
沈黙。マキア。
「……は?」
周囲がざわめく。
リナリアの目が丸くなる。
シオンが固まる。
アネモネが吹き出す。
「ちょっと待てええええ!!」
マキアが叫ぶ。
「話飛びすぎでしょう!!」
王が頷く。
「うむ、気にするな」
そう言う問題じゃない。その時。扉が開いた。入ってきたのは――金髪の女性。王女だった。優雅に歩き、マキアの前に立つ。
「初めまして」
にこりと笑う。
「婚約者様」
マキアの顔が引きつる。
「いやちょっと、俺まだ返事してない」
王女は首を傾げた。
「大丈夫です。形式ですから」
「は?」
王女はさらっと言った。
「私は勇者が王族の一員となった事実が欲しいだけです」
沈黙。
「……は?」
「勇者が国の王になってもらった方が国民が安心して暮らせるのです」
なので、と続ける。笑顔。
「子供さえいただけましたら問題ありません」
マキアの脳が止まる。
「え」
王女は続ける。
「恋愛は自由ですから、邪魔はしません」
王女はさらに言った。
「王族は複数婚約も可能ですよ♪」
静寂。マキアがゆっくり振り向く。後ろ。
仲間たち全員がこちらを見ている。
シオン。真顔。
「なるほど」
アネモネ。ニヤニヤ。
「へぇ」
リナリア。顔真っ赤。
「え、ええと……」
そして。リコリス。腕を組み。静かに言う。
「ほう」
マキアの背中に冷や汗が流れる。
リコリスが一歩前に出る。
「マキア」
「……はい」
「貴様」
ゆっくり言う。
「誰を好きだと言っていた?早速浮気か?」
マキアの心臓が止まりかけた。
アネモネが笑う。
「逃げ場ないわね」
シオンが頷く。
「責任は取るべきです」
リナリアも小さく言う。
「そ、そうですね……」
マキアが叫ぶ。
「なんで全員圧かけてくるんだよ!!」
王女が楽しそうに言う。
「仲が良いですね」
リコリスがマキアを見つめる。そして言った。
「安心しろ」
マキアが震える。
「……何が」
リコリスは微笑む。
「ゆっくり話し合うだけだ」
マキアは天井を見上げた。
「魔王より怖ぇ……」
こうして。
世界を救った勇者は――魔王から逃げられなかった。
―――――――――――――――――――――
百年後。
王都のある家。暖炉の火が静かに揺れていた。
小さな男の子がベッドに座っている。
その横で、母親が一冊の本を閉じた。
「――こうして」
優しく微笑む。
「勇者マキアは仲間たちと共に魔王を倒し、再び世界を救いました」
男の子は目を輝かせる。
「すごい!」
「うん」
母親は頷く。
「だからこの物語は、今でも王国で語り継がれているの」
本の表紙には金色の文字。
『勇者マキアの英雄譚』
男の子は少し考えてから言った。
「ねえねえ」
「なに?」
少し不思議そうな顔をする。
「リコリスさまってまぞくだったんでしょ?」
母親はくすっと笑う。
「そうね」
「じゃあいまもいきてるの?」
母親は答える。
「どうなのかしらね?彼女はみんなを見送った後、何処かへ行ってしまったみたいよ?」
母親は布団をかけてやる。
「今日はもう寝なさい」
「はーい」
灯りが消え、部屋が暗くなる。
やがて、静かな寝息が聞こえ始めた。
⸻
翌日。王都の通り。
男の子は友達と走っていた。
「まてー!」
「おそいぞ!」
笑いながら石畳を駆ける。その時。ふと。
男の子の足が止まった。
「……あれ?」
男の子はゆっくり振り向いた。通りの向こう。一人の少女が立っていた。黒い髪。赤い瞳。年齢は同じくらい。
少女は静かにこちらを見ている。
男の子の視界の奥で。何かが、かすかに光った。細く。赤い光。まるで糸のような――だが。すぐに消える。
「……?」
男の子は首をかしげる。
少女がゆっくり歩いてくる。
そして目の前で止まった。男の子を見る。
「……ねえ」
少女が言った。
「貴方」
男の子は答える。
「なに?」
少女はじっと見つめる。まるで確かめるように。そして。
「名前は?」
男の子はまた首をかしげる。
「僕の名前は――」
答える。
「マキア」
少女は少しだけ空を見上げる。遠い空。まるで、ずっと探していたものを見つけたように。
そして小さくつぶやいた。
「……そうか、いい名だ」
その声は、誰にも聞こえなかった。ただ。
解けた糸は、再び結ばれた。




