第1話 軽すぎるリュック
「はぁ……」
俺は現在、会社から帰っている最中だ。
現時刻は午後十時。
辺りは車の走行音は聞こえるものの、静けさが占めていた。
いつも使っているリュックを背負いながら、俺はとぼとぼと駅から歩いていた。
お腹が空いた。
駅からは近いけれども、いつも遠く感じてしまう。
家に帰ったらご飯食べて寝よう。
仕事は忙しく、疲労が溜まっているのもあるだろう。変動が少ないはずのリュックが重く感じてしまう。
こんなはずじゃなかったんだけどな。
卒業してから働き出したけれども。
重い荷物を運ばされて、腰も痛くなっている。
転職したいな。
だが、上手くいくわけないよな。
とりあえず今の仕事を頑張ろうか。
「今日も疲れたな」
これが、この世界で分かっている最期の記憶だった。
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「あれ?」
次に気がついたのは、草原だった。
青空が見えていて、さっきまでの夜空と繋がらない。
さらにはどこなのか見当が付かない。
全く知らない場所で、一見夢なのかと思ってしまった。
でも身体の感覚はあって、現実であることをはっきりさせる。
服だって私服みたいなものだが、はっきりとさっきまでと同じものだ。
次に俺はきょろきょろと見回して、どこなのかを把握しようとした。
だが、出来なかった。
さっきまで駅から家までの道だったのに、知らない草原なのだから。
そのため、俺は俺自身の状況確認へと移ることにした。
「痛みはないな」
身体の異常は無さそうだ。
ポケットを見ても、何も無い。
ここには何も入れていなかったからな。
「リュックはあるな」
俺の愛用品。
通勤で使っている約七千円のリュック。
デパートで売っていたそこそこ大きめで手頃なもの。
俺は通勤で肌身離さず持っている。
それがあって、何となく安心した。
「盗まれていない」
リュックにカラビナと革のストラップで紐付けした財布と定期券は無事。
財布を開けてみると、一万二千円ちょっとの紙幣と硬貨が。最後に支払いしたタイミングの額と一致している。
キャッシュカードとクレカ、免許証もある。
それにレシート数枚も。
誰かが抜き取った可能性は無さそうだ。
とはいえ、現状この場所で使えるかどうかは不明だが。
定期券、日本海鉄道を利用するために使っているもの。破られていないみたいだな。
それにパスケースにくっつけていた鍵だって、ちゃんとある。
ただこの定期券も使えないだろう。近くの駅が見当たらなさそうだから。
「これもあるな」
リュックの中身として、スマホがある。後で確認しよう。
折りたたみの傘。
タオル。
ハンカチとポケットティッシュ。
ペットボトルのお茶。飲みかけと未開封がそれぞれ一つずつ。
よく頭が痛くなりやすいから買っておいた、頭痛薬。
それに航空会社のロゴが入った、折りたためるエコバック。
メモ帳とボールペン。
「中身も無事だな」
そっくりそのまま、リュックの中身は無事だった。
スマホをつけてみると、画面はちゃんと見られる。
「圏外……」
電波は無かったみたいだ。
そして残量が1%。
通勤や休憩時間で使いすぎたのが仇になっている。モバイルバッテリーでも入れておけば良かったが、仕方ない。
「切れた」
これでスマホは文鎮と化した。
ただの箱だ。
まあ、入れておこう。
「どこ行けば良いんだろうな」
分からない。
俺は落ち着かせるために、お茶を一口飲む。
いつもの味だ。
未開封はともかく、こっちは早めに飲まないと飲めなくなってしまう。気をつけないとな。
「歩くか」
どこかへ歩いていけば、何かあるだろう。
道があれば、それを辿っていけばいい。だから道だな。
リュックを背負い、歩き出した。
「道があるのか?」
草原を歩いていくものの、地平線の向こうも草原ばかり。
果てがなさ過ぎる。
だが歩かないと、結局は体力切れになる。
不思議だが、空腹は今のところ感じなかった。
そこだけが幸いだ。
「やっと道だな」
それでも草が生えていなくて、明らかに踏み固められている細い場所に。
地面ははっきりと固くて、道だって思えた。
だから少し安心して、疲労感が出てきた。
「あれ?」
ここまで歩いてきて、背中が異常に軽かった。
帰る途中には、はっきりと重く感じていたはずなのに。
どういう事なんだろうか。
「持っているよな?」
肩紐が千切れたわけでもない。
バックルを付けてはっきりと俺の背中で掛けている。
リュックを下ろしてみるけれども、重さが変わっていない。
空のリュックを背負うよりも、軽い気がする。
「底が抜けたり、してないな」
中身が落ちてしまったのかと思ったが、そんな事は無かった。
チャックがバカになって、空いてしまっている事も無い。
スマホも財布も定期券もちゃんと入っている。
それなのにこんなに軽いなんて、どういう事だ。
ペットボトルも入っているのに。
「えっ、なんだこれ」
持ち上げてみると、重量感が無かった。
空のトートバックレベル。
ハンカチを持ち上げているような感じだ。
中に入っているのにな。
「……もしかして」
俺はリュックの中にその辺の石を入れてみることにした。
ある程度重さのある感じの。
汚れるが仕方が無い。
「軽い」
重さが変化していない。
俺はもう一個入れてみるが、同様だった。
一個、また一個と入れていく。ここまで来れば、重くなるはずだ。
「やはり、か……」
重さは変わらず、軽いままだった。
そして気づいたのは、リュックに余裕があること。
ここまで入れたら、キャパシティが足りなくなるはずだし、チャックが閉まらなくなるのに、それが起きていない。
いくらでも入るかのように、リュックは底なしになっていた。底はちゃんとあるが。
何が起きているんだ。
こんなの比較的安いリュックなんだが。
「とりあえず出そう」
持っていたら、ペットボトルとかを出すのに邪魔だ。
石を出していくことにした。
「これでいい」
何個入れたのか思い出せなかったが、出せる分だけ石を出した。
今のところは元々入っていたものだけ、だと思うが。
「さて、行こうか」
俺はリュックを背負い直し、道を歩いていく。
どっちか歩けば、何かあるだろう。
そう思いながら歩こうとした。
「おや、貴方は旅人かな?」
すると、同じように荷物を背負った男性と出会った。
重そうな感じがするが、どうなんだろうな。
「いや……どうなんだろうな?」
訊かれたけれども、上手く答えられない。
だって、この場所が分からないからな。
「この道に続いているなら、大抵はアザレアだが……」
「アザレア?」
「この辺りじゃ、一番大きな街だよ」
全く知らない街。
きょとんとしてしまうものの、少しだけ状況が分かってきた。
俺はひょっとすると、異世界へ来てしまったのだろうか。
よくラノベであるような感じの。
「ああ、そうだ」
とりあえず話を合わせよう。
それにそのアザレアへ向かった方が、情報を得られるからな。
「仕事って、アザレアで見つかるんですかね?」
元々仕事をしていたが、異世界に転生したのなら、仕事をしないとな。
戻れるわけじゃないから。
それに現金が使えるわけでもない。
本当、異世界でも仕事なのか。
変わらないな。
「そうだね。ギルドに登録したら手っ取り早いが」
「ありがとう」
良かった。
ギルドはあるんだな。よくRPGであるような感じの。
「もし良かったら、アザレアまでは一緒に行くが、どうだね?」
「お願いします」
前後左右が分からないから、この人に合わせた方が良い。
一人で動くより、誰かと同じ方向へ進んだ方が安全だ。
とりあえず、俺はアザレアへと向かうことにしたのだった。
「貴方の荷物、軽そうですね」
「でも、色々と入っているんですよ」
バックから荷物を何個か取り出した。
さらには入り込んでいた石も出す。
「いやはや、貴方は力持ちですね」
「そんなことないですよ」
彼は驚いていたけれども、それ以上は何も言われなかった。
興味もそこまで持っていないようだ。
とりあえず、そのまま歩いていく。
軽い会話は行われたものの、深く話さなかった。
やがてヨーロッパ風の街が見えてくる。
それこそ、異世界で見かけるような感じの。
「ここがアザレアだ。そっちを歩けば、ギルドがある」
そう言われて、彼とは別れることになった。
彼は別の目的があるんだろうな。
「ありがとうございます」
それでも方向も教えてくれて、感謝しかない。
「無事を祈るよ」
「俺こそ同じです」
という事で、俺はギルドへと向かうことにしたのだった。
リュックの肩紐を握りしめ、歩いていく。
この背中の軽さは便利すぎる。
だからきっと、誰にも見せない方がいいーーそんな気がしていた。




