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「家族同然の幼馴染を好きになる訳ないじゃん笑」と口では否定しまくってるけど、実はめちゃくちゃ意識している二人の話

作者: そらどり
掲載日:2026/06/14

「あ、やべ」


 休み時間の教室。惰性でスマホを弄っていた瀬川碧斗(せがわあおと)は思わず声を漏らした。


 まだ午前中だというのに、スマホの充電が切れてしまった。

 昨晩、ベッドの上で寝落ちして充電しそびれたのが原因なのだが……緊急時のモバイルバッテリーも部屋の机の上に置きっぱなしだし、放課後までスマホが使えないのは不便だ。


 どうしようかと悩んでいると、隣から「ねえ」と声を掛けられる。


「私のやつ、使う?」


 自前のモバイルバッテリーを差し出してきたのは、幼馴染の同級生―――眞白未那(ましろみな)

 肩口で揺れる長めのボブヘアとスレンダーな立ち姿が特徴的な女子で、少し幼さの残る顔立ちなのに妙に大人びた雰囲気を持っている。その風貌から、上級生からも人気があるらしい。


「お、さんきゅ。マジ助かったわー」


「どうせ充電し忘れてきたんでしょ。ほんと昔から抜けてるよね、碧斗って」


「うるせー、たまたまだっての」


 小言に反論しつつ碧斗は未那から機器を受け取り、充電ケーブルをスマホの差し込み口に合わせる。

 幸いにもスマホは彼女と同機種なので、ケーブルの種類で困ることはない。程なくして独特の起動音とともに画面が明転する。


「あ、そういえばイヤホン持ってない? うっかり家に忘れちゃって」


「いや、お前もかよ」


「私は毎回じゃないからいいんです~。ほら、早く早くっ」


「ったく、調子のいい奴……ほらよ。有線だけど文句言うなよ?」


「安心して。私がずっとワイヤレス派なの知ってるくせに用意してくれてないなんて気が利かないなぁ、って心の中で思ってるだけだから」


「結局言ってんじゃねーか!」


 「ったく……」とため息をつきつつ、リュックの中から取り出したイヤホンを手渡すと、未那は「ん、あんがと」と軽く微笑みながら受け取った。


 余裕ありげな表情を浮かべつつも、時折見せる悪戯めいた物言いからは彼女の幼い一面が覗く。物心ついた頃からの付き合いだが、冗談好きな性格は相変わらずだ。


 そんなことを碧斗が思っていると、近くにいたクラスメイト達がニヤニヤと口を開く。


「相変わらず息ぴったりのやり取りですなぁ、お二人さん~」


「以心伝心ってやつですかい? さっすが幼馴染」


「お前ら、いちいち揶揄うなって……」


 口を揃えた冷やかしに、碧斗は呆れた物言いであしらう。

 

 幼馴染だからだろう、二人でいるとこうして揶揄われることは珍しくない。

 幼少期からの知り合いで、互いの良し悪しを理解していて、勝手も分かっている同士。特別な距離感を持つ男女ということで、絶賛思春期中の高校生としては興味津々なのだろう。


 しかし、中には好奇心だけで終わらず、一歩踏み込んでくる者もいる。


「ねえ、二人って本当に付き合ってないの?」


「……なんだよ、急に?」


「今のを見せられたらそう思うでしょ。完全にカップルのやり取りじゃん」


「ねっ! 私も思った。隠してたけど実は付き合ってました、的な~?」


 キャー、と黄色い声を上げるクラスメイトの女子達。碧斗は「はぁ」と息をつく。


 そう、これこそいつものパターンだ。

 単なる好奇心に飽き足らず、恋愛感情の有無まで詮索してくる者。少しでも距離の近い男女がいれば恋愛沙汰が気になる年頃の学生にとって、幼馴染の男女は絶好の的なのだろう。


 確かに、未那とは昔からずっと一緒だ。

 しかし、そこに恋愛感情はない。家が隣同士で、家族ぐるみの付き合いをしてきたからもはや家族同然という認識で、異性として彼女を見たことはない。見れる訳がないのだ。


「……前から言ってるだろ。こいつとは家族みたいなもんで、今更そんな風に意識できねーよ」


「そうそう。幼馴染だから特別距離が近いってだけ。それ以上でも以下でもないよ」


「なーんだ、残念」


「まあ、ずっと否定してたもんね。ごめんね? 今まで何回もしつこく聞いちゃって」


「いいよ別に。言われるのにはもう慣れっこだしね」


 謝るクラスメイトに未那がそう返したところ、チャイムが鳴り、皆がそそくさと席に戻り始める。

 同じく、碧斗達も自席に戻る。少ししてから先生が入室し、午前中最後の授業が始まる中……碧斗の意識は先程までのやり取りに奪われていた。


 昔から事あるごとに二人の関係を詮索されてきたが、その度に未那と否定してきた。

 幼馴染というだけで妙な勘違いをし、すぐに恋愛と結び付けようとしてくるなんてどうかしている。迷惑だし、やられる側としてはたまったものじゃない。


 幼馴染の未那をどう思っているかだって? 

 そんなの考えるまでもない。家族同然の彼女を、今更異性として意識できる訳―――


(いや、めちゃくちゃ意識しちゃってますけどね!?!?)


 前言撤回。すみません、本当は異性として意識しまくってます。


 好きになった明確なキッカケがあった訳ではないが、小さい頃からめっちゃ可愛いと思っていたし、進学進級するにつれてその気持ちは増していった。

 スタイル、顔の造形、佇まい。どれをとっても女性の理想を体現していて、ただでさえ可愛いと思っていた幼馴染が大人びていくさまに、何度ドキマギさせられたことか。


 特に高校生になってからは更に垢抜けしたというか、元々恵まれていた容姿にますます磨きがかかった気がする。

 正直、先程の休み時間も、些細な仕草を見せられる度に動揺がバレてしまわないかヒヤヒヤしていた訳である。


(なんであんな可愛い奴が俺の幼馴染なんだよ? まさに天使……いや、その程度の表現じゃ失礼極まりない。神に最も近しい上位存在……そう、未那は熾天使(セラフィム)なんだ)


 気持ちが暴走して意味不明な結論に辿り着く碧斗。彼女を崇拝してしまうほど盲目になっていた。

 

 一方、廊下側に座る相方は真面目に受講しているかといえば……決してそんなことはなかった。


(あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛~~~好き好き大好きっ!! あの幼馴染とずっと一緒にいて意識しないとか無理ぃ!)


 彼女は彼女で、今にも漏れそうな濁声で悶えまくっていた。


 口では何度も否定しているが、実を言うと、碧斗のことをめちゃくちゃ意識している。

 小さい頃から一緒にいて、何かあれば頼りになって、いつも助けてくれる人。回想に入れば文字数が圧倒的に足りなくなるので今回は割愛するが、とにかくそんな男の子を好きにならないはずがないのだ。どこか抜けているところも愛おしく感じる。


 顔もタイプだし、モデルみたいに高身長だし、高校生になってからは体格もガッチリしてきて、最近は顔を合わせるだけで心拍数が跳ね上がってしまい落ち着かない。

 先程の休み時間も、隣にいるだけで全身が熱くなって、動揺を悟られぬよう振る舞うので精一杯だった。


(うぅ、顔が良い……なんであんな国宝級イケメンに育ってんの? ほんとにどうしよう、私の幼馴染が国民栄誉賞受賞しちゃうよぉ……)


 全国民に碧斗の魅力が知れ渡ることを恐れて一人不安に駆られる未那。決してそんな事態になることはあり得ないのだが……恋愛感情に脳をやられている彼女の目は真剣(マジ)であった。


 もし彼の魅力がバレてしまったら? もし他の誰かと付き合うことになってしまったら? ……そんなのメンタルが耐えられない。


 最初に碧斗を好きになったのは私。

 何日、何か月、何年、想い続けていると思っているのか。一番の理解者を差し置いて他の誰かと付き合うなんて許せない。


 もし、万が一ぽっと出の女に先を越されようものなら―――


「ぅ、うぅ……っ!」


「ま、眞白さん!? 急に泣き出してどうかしましたか!?」


「あっ、す、すみません……メロスとセリヌンティウスが友情を確かめ合うラストに感動してしまって……」


「そうでしたか……今はまだメロスが激怒したシーンなんですけどね」


 先生の朗読を中断させてしまった未那だったが、上手く誤魔化して事なきを得る(?)。

 いけない、悪い方向にばかり考えて寝取られるところまで想像してしまった。いや、別に付き合っていないんだし寝取られも何もあったものではないんだけど。


(……本当は付き合いたい。付き合って、いっぱい恋人らしいことしたい)


 その為には告白という一大イベントをクリアする必要がある。

 だが、そこに現在進行形で最も頭を悩ませている障害が立ちはだかっていた。


 そう、これまで否定しまくってきたのだ! 自分達に向けられてきた恋人疑惑の数々を!


 それはもう数え切れないほど。「幼馴染が好きかって? いやないない(笑)」といった口調で。

 だが、その照れ隠しを繰り返した結果、今の告白しづらい状況が出来上がってしまったのである。


(だ、だって恥ずかしいじゃん、素直に認めるとか……顔が沸騰しそうになる)


 しかし、そのせいで今更訂正が難しい状況に陥っている。同級生からの疑惑の目もすっかり消え、周知の事実として完全に受け入れられてしまっている。そんな空気感が漂う中で告白を切り出せる訳がないのだ。


 どうして誤魔化してしまったのか……と、過去の数々の過ちを振り返って自己嫌悪する未那。

 

(……でも、ずっと一緒だから分かる。碧斗も私と同じ気持ちのはず……そうなんでしょ?)


 何となく、何となくそんな気がするだけだ。

 期待とか願望といった曖昧なものではなく、共に過ごした時間が長いから直感的に分かると言うべきか。それこそ以心伝心という言葉が相応しい表現かもしれない。


 チラッと窓際を見やると碧斗と目が合ってしまい、未那は慌てて顔を逸らす。

 不意打ちは心臓に悪い……でも、このタイミングで視線が合うのは変だ。授業中であれば前方の黒板に視線を向けるのが普通なのに。


(やっぱり碧斗も同じ気持ち……なのかな)

 

 胸が高鳴る。

 けれど、直感は直感であって根拠にはならない。言葉にしなければ、本当の意味で通じ合うことはできない。


 そして、その言葉を封じてしまったのは紛れもなく自分達だった。


(……なんで否定しまくっちゃったんだろうなぁ。誤魔化さずに好きって言えてたら、今頃は未那と付き合えてたかもしれないのに)


 事実、未那の直感は正しく、碧斗も同じ後悔を抱えていた。


 どうにかして現状を打開したい。だが、キッカケが作れない。

 無意識に未那を視線で追っては目が合い、慌てて逸らす日々を続けてしまっている。身近な存在のはずなのに遠く感じて、幼馴染という関係性が足枷に思えてならない。


(でも、そんなこと言い出したってキリがないだろ。俺だって未那と付き合いたいんだ。このままで良い訳がない)


 少なくとも、未那からは好意的に思われているはずだ。

 皮肉だが、長いこと幼馴染をやっているので何となく感覚で分かる。時折向けられる熱を帯びた視線も、自意識過剰だけが理由ではないと信じたい。


 とはいえ、確かめようがないので憶測の域を出ない。

 告白しようにも、ずっと恋人疑惑を否定し続けてきたせいで今更切り出せない状況に。そんな詰みに近い現状がすごくもどかしいが、どうにか行動しなければ何も変えられないのも事実だ。


((せめて告白しやすいシチュエーションになってくれたら……))


 はぁ……と、同時にため息をつく二人。

 しかし、そこでふと気づく。何気なく愚痴をこぼしただけのつもりだったが、今の嘆きはかなり核心を突いていたのではないか。

 

 ―――つまり、今更告白しても不自然ではないシチュエーションを自分達で用意すればいいのだ、と。


((そうかっ! その手があった!))


 現状を当たり前のように受け入れてしまっていたが、その前提こそ疑うべきだった。


 シチュエーションは大切だ。

 ”騒がしい休み時間中の教室”と”放課後の二人だけの教室”、同じ教室でもどちらが告白しやすい状況かは明白。相応しいシチュエーションを用意できれば、後は雰囲気が背中を押してくれる。


 日常で言えないなら、非日常へ舞台を移せばいい。

 夏祭り、文化祭、修学旅行。学生には特別感のあるイベントがいくつも残されている。そうした舞台装置を上手く使えば、不可能に近かった交際も成し遂げられるかもしれない。

 

 ムードの重要性を痛感する二人。

 同時に、「これならイケる」という確信が生まれ、思わず勝ち誇った笑みを浮かべる。


(付き合って最初にやるべきことと言ったら……やはり記念日のお祝いか? 長続きするカップルは記念日を大切にするってよく聞くしな。となれば早速、付き合って一日目記念日の準備と二日目、三日目記念日の構想を練らなければ。やれやれ、忙しくなってきたぜ……!)


(これからは一緒に登下校するのも、連絡するのも、お互いの部屋に通うのも、全部“恋人だから”って意味に変わるんだよね。碧斗が彼氏かぁ……ふへへ。どうしよう、まだ付き合ってないのに顔が勝手にニヤけちゃう。で、でもいいよね? 両想い同然なんだし)


 告白前にもかかわらず、既に妄想が留まるところを知らない二人。

 どうせ両想いなのだから告白さえできてしまえば簡単に付き合えるだろう。そんな慢心を見え隠れさせながら。

 

 しかし、二人は嫌ほど思い知らされることになる。散々両片想いを拗らせてきた自分達の見通しがあまりに甘かったということを―――







「「「卒業おめでとう~!」」」 


 窓の向こうに広がる満開の桜を背に、教室いっぱいにクラスメイト達の声が響く。

 机を寄せて写真を撮る者、寄せ書きを回す者、泣きながら担任に抱きつく者。式を終えた教室はいつもより騒がしく、高校生活最後の日を各々が過ごしている。


 そんな中、碧斗と未那はというと……心ここにあらずで立ち尽くしていた。


((卒業しちゃった……))


 してしまった。


 どうしてこうなった。

 いや、本当にどうしてこうなった。


(お、おかしい……俺の見立てでは今日付き合って九百十二日目記念日を祝っていたはず……)


(なんで幼馴染のまま……? 両想いなのに? 将来の新婚生活に向けて今から予行練習を始めていてもおかしくないのに?)


 現実を直視できず、動揺を隠せない二人。

 それもそうだろう。当初の予定ではその後間もなく付き合うはずだったのに、計画開始から二年半が経過してもなお進展なしの状態であった。

 

 とはいえ、二人は何も行動しなかった訳ではないのだ。


 セッティングに関して言えば問題なかった。

 夏祭りでは浴衣姿で屋台を回りつつ最後に一緒に花火を見たし、文化祭後の誰もいない夕方の空き教室で二人きりになったし、修学旅行の最終日前夜にこっそり部屋を抜け出して人気の少ない場所で落ち合ったりもした。


 しかし、残すは告白だけという状況で想定外の事態が発生する。

 そう、照れ隠しの発動である。


 直前になって「俺、実は未那が好きなんだ……幼馴染として!」と余計な一言を付け加えてしまったり、テンパり過ぎて「私、碧斗のこと……す……酸いも甘いも知った幼馴染だと思ってるから!」と訳の分からないことを口走ってしまったり。


 それこそ修学旅行ではかなり良い雰囲気だったのだが、「い、今の俺達ってカップルみたいだな!」「た、ただの幼馴染なのにね~」といつものノリに逃げてしまう始末。

 他にも、初詣やらバレンタインやら数多くのイベントでも悉く不発に終わり、受験シーズンが始まれば補習や塾で互いに忙しくなり……結局進展しないまま今に至るのであった。


(なんで俺はシチュエーションを用意すれば簡単に付き合えると思ってたんだ……)


 今まで告白できなかったのは、告白しにくい空間に居続けたせいだと思っていた。

 周りに関係を否定し続けたから切り出せなくなっただけ。周りがいなくなり、二人きりの空間で“そういう雰囲気”を持ち込むことができれば勝ち確だと慢心していた。


 しかし実際はそんな甘くなく、今度は互いに照れ隠しを起こしてしまうという別の問題が浮上した訳である。


 せっかく条件を揃えても、気恥ずかしくなって雰囲気をぶち壊してしまう。

 何やってんだと頭では理解しているが、冷静に考えてみれば元々二人は長年両片想いを拗らせてきた厄介者同士。簡単に付き合えるならもっと昔に付き合えていたはずなのだ。


 つまり、シチュエーション云々の問題ではなかった。

 直前になると照れて逃げてしまう、自分達の意気地なさが原因だった。


 とはいえ、原因が分かったところで関係が進む訳ではない。

 そんな自己分析を卒業式後の教室で済ませたところで、今日もまだ幼馴染である事実は変わらない。


「碧斗ー、写真撮ろうぜ!」


「未那もこっち来てー!」


 クラスメイト達に呼ばれ、二人はそれぞれ輪の中に混ざる。

 卒業証書を持って写真を撮り、寄せ書きに名前を書き、担任に礼を言う。高校生活最後の日としては、きっと正しい時間だった。


 けれど、その間も碧斗の意識はずっと未那へ向いていた。


(このまま終わるのか……?)


 高校最後の日。今日を逃せば高校生活での告白イベントは終了してしまうが、焦る理由はそれだけではない。


 ―――卒業後、未那は大学進学を機に上京する。


 一生会えなくなる訳ではない。スマホを通して連絡は取れるし、電車に乗れば直接会いに行ける。

 でも、これまでのように気軽に会える関係ではなくなる。物理的に距離が離れてしまえば自然と顔を合わせる回数が減る訳で、当たり前だった日常は今日で終わる。終わってしまう。


(今日逃したら、もう言えない気がする)


 夏祭りも、文化祭も、修学旅行も逃した。恋愛イベントを資源の無駄遣いみたいに消費してきた二人に、もう次のイベントは残されていない。


「碧斗」


 名前を呼ばれて振り向くと、未那が鞄を持って立っていた。


「そろそろ帰る?」


「あ、ああ。そうだな」


 依然として教室に居座る生徒は多いが、帰宅の準備を始める生徒も次第に増えている。

 特に用が残っている訳ではない二人としても、これ以上居座る必要はないだろう。


「じゃあ……帰るか」


「……だね」


 短いやり取り。それだけで、胸が詰まるように苦しくなった。


「じゃあね、未那!」


「また連絡するね~」


「あっ、うん。またね」


 未那がクラスメイト達に手を振る。碧斗も男子達に「またな」と返した。


 そして二人は、並んで教室を出る。

 廊下には、卒業生達の声が響いていた。泣き笑いする者。写真を撮る者。先生に頭を下げる者。高校生活の終わりが、少しずつ背中を押してくるようだった。







 校門を出て、二人はいつもの通学路を歩いていた。

 春の風が吹く。制服姿でこの道を並んで帰るのも、今日で最後だ。


「……卒業しちゃったね」


 未那がぽつりと言った。


「ああ」


「なんか明日も普通に学校来ちゃいそう」


「来たら不審者だな。もう部外者なんだし」


「制服着てれば案外バレないかも」


「それは無いな。お前、下級生からも人気あったろ」


「あー確かに。可愛すぎるのも困りものだね」


「自分で言うな」


 未那のいつもの冗談。けれど、微笑みは続かない。

 心ここにあらずといった様子で、会話の内容に反してその顔には陰りが差している。

 

「東京、来週からだっけ」


「うん。入学前に色々と準備があるから」


「一人暮らし、大丈夫なのかよ?」


「家事なら全般できるし、管理人常駐のマンションだからセキュリティも万全。碧斗に心配されるようなことは何もないよ」


「その、なんだ……あっちでもやってけそうか?」


「だから心配し過ぎ。あんたは私のお父さんか」


 言い回しがおかしくなったせいで、割と真面目な口調で責められてしまった。

 全くもう、と呆れる未那につい肩を竦める。


「電車で全然帰れる距離だし、今時連絡くらいすぐ取り合える。二度と会えなくなる訳じゃないんだから」


「悪かったって。つい不安になって、さ」


「まあ、碧斗がそう思うのも分かるよ。ずっと一緒だった私達がとうとう離れ離れになる訳だしね……」


 そこで会話が途切れてしまい、沈黙が流れ始める。


 この距離で歩けるのも今日で最後。その事実が重くのしかかる。

 確かに二度と会えなくなる訳ではないが、これから先は会うために理由を作る必要が出てくる。都内に行く用事や帰ってくる口実を見つけでもしない限り、会える機会は少なくなる。


 今の関係のまま離れれば、きっと少しずつ遠くなる。

 連絡する理由を探して、会う口実を探して、次第に忙しさに流されて……気付いた頃には口にできなかった言葉だけが取り残される。


 そうなるのは嫌だった。


(言え、言うんだ俺。今日しかないだろ……!)


 気まずい雰囲気の中、碧斗は心の中で自身にそう言い聞かせる。


 心の中でどれだけ気合いを入れたところで、口が素直に動いてくれるとは限らない。

 この二年半だって失敗の連続だった。それでも、関係を前に進めたいならここで覚悟を示すしかない。


「……未那」


「ん?」


「俺、実は言いたいことがあってさ……」


 好きだ。


 今度こそ、そう言え。


 そう言えば、きっと何かが変わる。


「その、さ。離れ離れになったからって幼馴染のこと忘れたりすんじゃねーぞ?」


「……何言ってんの。忘れる訳ないじゃん」


「そ、そうだよな。悪い悪い……」


 ……また、誤魔化してしまった。


(何言ってんだ俺はぁぁ! そうじゃないだろぉぉぉ!?)


 碧斗は内心で頭を抱える。


 さっきまで「今日しかない」と覚悟を決めていたはずなのに、いざ口を開いたらこれだ。

 意気地なしにも程がある。また肝心なところで踏み込めなかった。


 取り繕うように笑う碧斗を見てか、未那は少しだけ目を伏せてから薄く笑う。


「……碧斗こそ、私のこと忘れないでよ」


「何言ってんだ。そんな訳ないだろ」


「ふぅん? ならいいけど」


 その返事は、いつもの未那らしい軽口だった。

 けれど、声の奥にはわずかに寂しさが滲んでいる。


 碧斗はそれに気づいた。

 気づいたのに、何も言えなかった。


(……いや、まだだ。まだ終わってない。未那が上京するまで時間は残されてる。今日じゃなくても、次がある。次こそ言えばいい)


 そんな現実逃避に縋ったが、今までも同じような言い訳を繰り返してきた気がする。

 夏祭りでも、文化祭でも、修学旅行でも、初詣でもバレンタインでも。「次がある」と前向きになったフリをして、何もできなかった自分を正当化し続けてきた。自分でも情けないと思うが、そう反省したところで現実は変わらない。


 そうこうしているうちに、二人は互いの家の前まで辿り着く。

 とはいえ、家が隣同士ともなれば目と鼻の先。幼い頃から何度も行き来してきた道で、今更別れ際に緊張するような場所ではない。


 ……そのはずだった。


「じゃあ……またな」


 門扉に手を掛けながら碧斗が口にした……その時、未那がこちらを見ていることに気づいた。


「……」


 いつものように冗談を返すでもない。軽く手を振る訳でもない。

 ただ黙って、碧斗を見つめている。


 不安そうな眼差しだった。


 寂しそうで、怖がっているようで、それでもどこか期待するような眼差し。


 このまま終わらせないでほしい。

 何も言わずに帰らないでほしい。


 そう訴えかけているように見えた。


 もちろん、本当にそうなのかは分からない。

 自分にとって都合の良い解釈かもしれない。


 けれど、長年幼馴染をやってきたのだ。

 今の未那が平気な顔をしていないことくらい分かる。


 その眼差しが、碧斗の背中を押した。


 次なんてない。


 明日でも、引っ越し前でも、いつかでもない。


 今、言わなければ駄目だ。


 碧斗の口が、考えるより先に動いた。

 

「好きだっ!」


「好きっ!」


 ほとんど同時だった。


 二人は固まる。

 風が止まったような気がした。


 言った。


 言ってしまった。


 しかも、余計な言葉を付け足さなかった。

 幼馴染として。そうした逃げ道に縋ることもなく、ただ好きだと言えた。


 しばらく、二人は無言で見つめ合う。


 碧斗の頭は真っ白だった。

 未那もまた、ぽかんとしたまま瞬きを忘れている。


 先に動いたのは未那だった。


 じわじわと顔が赤くなっていく。

 そして、目元がくしゃりと歪んだ。


「……言えた」


「え?」


「やっと……」


 未那の瞳に涙が浮かぶ。

 次の瞬間、彼女はぽろりと涙をこぼしながら、それでも嬉しそうに笑った。


「やっと言えたぁ……!」


 その声は震えていた。


「ずっと言いたかったのに……好きって……何回も言おうとしたのに、全然言えなくて……っ」


「未那……」


「今日もこのまま帰ったらどうしようって……もう言えないかもしれないって、ずっと怖かった」


 その言葉に、碧斗の胸が熱くなる。


 未那も同じだった。

 同じように怖がって、同じように言えなくて、同じように今日を最後だと思っていた。


「俺もだ」


 碧斗は苦笑した。


「俺も、ずっと未那が好きだった。幼馴染としてじゃなくて、異性として」


「うん……知ってる。ずっと前から気付いてた。だって幼馴染だもん」


「そう、だよな。でも中々言葉にできなくて今日になっちまった」


「私だってそうだよ。もっと早く言えたらよかったのに」


 そう言うと、未那は目元に残った涙を指で掬い取る。


「はぁ……私ってホントにバカだよね。好きって言うだけなのに何年も掛かっちゃった」


「そんなのお互い様だろ。俺だってもっと早く素直になってたらって反省してる」


「でも……これからは彼氏彼女ってことでいいんだよね?」


「ああ」

 

 今更確認しなくてもいいのに、まるで恋人になった事実を噛み締めるかのように尋ねてくる。

 碧斗の頷きに「えへへ」と笑みをこぼす未那。その姿を愛おしく感じて……この関係を更に先へ進めたいという衝動に駆られる。


「……キス、してもいいか?」


「なに? 今付き合ったばかりなのにもう我慢できなくなってるの?」


「な、なんだよ。悪いか」


「ううん、別に? 私が特別に許してあげる」


「いや……特別にも何も、お前が許してくれなきゃ始まらないんだが」


「ふふっ、ごめんごめん」


 そう言って、二人で向き合って笑う。


 本来であれば少しずつ関係を進めるべきだが、ここまで何年も両想いを続けてきたのだから急ぎ過ぎということもないだろう。

 普段から名前で呼び合っているし、手も幼少期に何度も繋いだから新鮮味がない。恋人になったのだという事実をもっと確かめたくて、恋人でしかできないことを求めたくなる。


 未那もそう思ったから了承してくれたのだろう。

 和やかになった空気に一度は忘れていた緊張が混ざり、気づけば二人の熱を帯びた視線だけが交わるように。 


「こういう時ってさ、目を閉じるのが正解?」


「俺に聞くなよ……むしろそういうのは女子の方が詳しいだろうに」


「私だって分からないよ。はぁ、こうなるなら彼氏いる友達に聞いとくべきだった……」


「まあ、俺達なりのやり方でいいんじゃねーの? ダメだったらまた試せばいいし」


 幼馴染のままだったらともかく、恋人になった今では会うための口実なんて不要だ。

 会いたいから会いに行く。会いたいから帰ってくる。時間ならたっぷり作れるのだから、正解に辿り着くまで何度でも失敗すればいい。


 ここまで来るのに何年もかかった二人にとって、その程度の失敗はもはや些細なものでしかない。

 少し迷いを見せていた未那だったが、最後は目を閉じることにした。緊張からかまつ毛が微かに震えていて、普段の大人びた雰囲気はすっかり崩れていた。


 とはいえ、碧斗も似たようなものだった。

 受け入れる姿勢を見せる未那を前にして、その見惚れるほど整った顔立ちに動揺を隠せない。

 

 しかし、ようやく覚悟を決める。

 壊れそうなほどに暴れる心臓をどうにか抑えつつ、碧斗は少しずつ距離を近づけていく……はずだった。


「きゃあああああぁぁぁ~~~っ!!」


「「!?」」


 突然聞こえてきた、住宅街には似つかわしくない黄色い声。

 二人は同時に飛び退き、反射的に距離を取って音の出所へと振り返る。


 少し離れた電柱の陰には……三年間でよく見知った仲間達が身を寄せ合いながら立っていた。

 男女数名。そのうち一人の女子生徒だけが口元を押さえ、明らかに「やっべ」という顔をしていた。


「お、お前ら!?」


「な、なな何でここに!?」


「や、えっと、その……尾行?」 


「実は二人の後をこっそり付けてました……的な?」


 バレてしまってはもはや誤魔化せないと悟ったのだろう、クラスメイト達は気まずそうに白状する。

 しかし当然というか、包み隠さず明かされたところで納得できるはずもない。


 一体いつから尾行されていたのか。

 いや、反応から察するに恐らく教室からだろう。先程までのやり取りは全て見られていて、だからこそ尾行者の一人が興奮のあまり黄色い声を上げてしまったのだと推測できる。


 つまり、二人にとっては、これ以上なく恥ずかしい場面をクラスメイトに目撃されてしまったということ。

 置かれた状況をようやく飲み込み、二人の顔は次第に赤く染まっていく。


「あのっ、ほんとごめん! 最後まで二人の邪魔するつもりはなくて……」


「そうなんだよ、遠くからただ見守ってただけっつーか。ったく、お前のせいだぞ。興奮して声なんて出すから」


「だってぇ、やっと二人が付き合ったって思ったら感極まっちゃって……」


「い、いや、まあ……この人数に付けられてて気付かなかった俺達も悪いけどさ」


「う、うん……ちょっと迂闊だったね」


 完全に自分達だけの世界に入っていて周囲への警戒を怠っていた。

 決して通行人も少なくない通りで、同じ制服を着た生徒が行き交うことだってあるのに。まさか知り合いに目撃されるとは思ってもみなかった。

 

(尾行なんて趣味の悪い……ん?)


 そこで違和感を覚える。

 そもそもどうして彼らは俺達を尾行したのか、と。


 一般的に考えれば、知り合いの男女の仲が進展する瞬間をこっそり目撃するためだろう。

 しかし、二人の間に恋愛感情がないことは周知の事実。そんな二人の関係性が変わることを期待して尾行したところで無駄足に終わるだけだ。


 無駄足になると分かっていて尾行するのは何故か。

「見守ってた」やら「やっと二人が付き合った」やら、彼らの発言の節々にも引っかかる点はある。


 何か自分達はとんでもない思い違いをしていたのではないか……?

 

「な、なあ……お前ら、なんで俺達が付き合うと思ってたんだ?」


 恐る恐る投げ掛けた碧斗の質問に対し、初めはキョトンとしていたクラスメイト達は次第に呆れた表情を見せる。


「なんでも何も……みんな初めから確信してたぞ?」


「「な―――!?」」


 驚愕の事実に、二人は思わず声を上げる。


「だって無理あるでしょ。毎日一緒にいて、二人だけの世界作ってて、目が合っただけで顔赤くしてるような奴らなのに。幼馴染だから? そういう目で見てない? いやいや……」


「んな訳あるかい、ってみんな心の中でツッコんでたよ」


「ホントじれったかったよね。邪魔したら悪いと思って今まで見守ってきたけど、さっさとお前ら付き合えやって何度言いたくなったか」


「マジでそれな。見せつけられ続ける俺達の気持ちも考えてくれって話よ」


 これまでの鬱憤を晴らすかのように言いたい放題なクラスメイト達。

 当然、それを聞かされる側としては心中穏やかではない。自分達のせいで晴らしてしまった疑惑の目。今更告白を切り出せないムード。束縛されてきたはずの前提が今まさに崩れようとしているのだから。

 

「じゃ、じゃあ……今まで私達が否定してたのって……」


「照れ隠しだなって」


「こいつら可愛いなって」


「でも長えなって」


「いつまでやってんだろうなって」


「やめて! 全部言わないでぇ!」


 未那はすっかり茹でダコのようになった顔を両手で覆った。

 その横で碧斗も堪らず頭を抱える。


 自分達としては隠してきたつもりだった。恋愛感情などないと、幼馴染以上の関係ではないと、何度も何度も否定してきた。だが、どうやら周囲からすれば茶番だったらしい。


 全部バレていた。そのうえで、温かい目で見守られていた。


 結局、これまで障害だと思っていたものは全て思い込みでしかなく、自分達のダメな部分を改めて痛感させられる形となってしまった。


「いやー、それにしても卒業まで長引くとは思ってもみなかったわ」


「大学別々になるって聞いてたから正直ヒヤヒヤしてたけどな」


「ねっ。今日もこのまま何もなかったら、誰か背中押そうって話してたもん」


「それがまさか、一気にキスまで行こうとしてたんだからな」


「恋はフルスロットルってやつですかい? 止まらねえなオイ」


「……」


「……」


 何も言い返せず、ただただ押し黙ることしかできない碧斗と未那。


 心の内を全て見透かされ、気づかぬまま手のひらで泳がされ続けていた事実に顔を上げられない。

 一体今まで何をやってきたのか。あまりの間抜けっぷりにこの場から全力疾走で逃げ出したくなる。


 まさに生き恥を晒したようなもので、今までの人生で一番の赤っ恥をかいた気分だった。

 

「で、でも! さっきのは違うからな!」


 これ以上メンタルが耐えられなくなった碧斗は反射的に叫んだ。


「その……キ、キスしようとしてたんじゃなくて!」


「じゃなくて?」


「えっと……髪! 未那の髪に何か付いてたから取ってやろうとしただけ! なっ、未那!」


「そ、そう! 髪、髪に……その……花びら! そうっ、桜の花びらが付いてたの!」


「へぇ、そうだったんだぁ~」


「彼氏さんやっさし~」


 何とか誤魔化そうと二人は口を揃えて否定したが、もはやクラスメイト達は真面目に受け取ってくれない。

 先程キスする流れだったのは疑いようもなく事実で、それを理解しているクラスメイト達の前では恥を重ね塗りする行為にしかなり得ない。


 否定すればするほど、むしろ悪戯心を増長させる燃料にしかならなかった。


「「だからほんとに違うんだって!」」


「「「またまたぁ」」」

 

 幼馴染を卒業できた日。

 恋人になって最初に覚えたことは、甘いキスの味ではなく―――キスする前にはまず周囲の気配を確認すべきだという、あまりにも実用的な教訓だった。

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