8話 お侍さんはすごい!
源平合戦で生き残った安徳天皇ことイチノスケ。心を開いた兄貴分のハヤテとは何でも話せる。しかし、ハヤテは生きる力があるのに、自分ときたら……と悲しくなる。仕方ない、天皇として育てられたのだから。源氏の侍集団に紛れ込んでいるが、親父さんがどこかに行ってしまう。そして、ある人を連れてくる。
それは、一体、何者か?
「良かったですな。親父さん」
「しっ! 内密にな。あのお方の気が変わらないとも限らない……」
親父さんが頼朝様と話して、何か良いことが決まったのだという。
そして、わたくしたち一行が向かうべきところも決まったのだという。
長門の国の道は、京に比べると驚くほど、べこぼこだった。
右のがけ下に、瀬戸内の海が広がる。
海の鳥が2羽、白い翼を広げて飛び立った。
わたくしにとって、この道はでこぼこで歩きづらい。
だいたい、わたくしはあまり歩いたことがないのだ。
轍が深く、足を取られて……いたっ。
「イチノスケ、大丈夫?」
「また転んだのか、ちびすけ!」
……悔しいよ。
立ち上がって膝の砂を払う。
トンビが高い空でくるくる回っている。
海は青く、三角の白波が立っている。
帆掛け船が勢いよく海を走る。
それにくらべて、わたくしたちは……
この道のでこぼこ、何とかならないかしら?
ハヤテに話しかけた。
「この道を牛車で通ったら、牛は嫌がってモーって鳴くだろう」
「なんで?」
「だって、道がでこぼこで、こんなに深い轍があるんだもの。
……そしてね、乗ってるわたくしたちは、ガタンガタンと飛びはねるんだよ。
こんな風にね」
わたくしは牛車が揺れて跳びはねたときのことを思い出して、高く跳んだ。
「へー、そうなのか。京の道はでこぼこがないのか? 誰が平らにするの?」
「……知らない。京の思い出はあるけど、小さかったからあまり知らないんだ」
「それは、まあ、仕方ないな……この道をずっと歩いて行けば、京に行けるはず」
「そうなの? わたくしはここまでお船で来たんだけど」
「京まで歩いて行けるはず」
「行けないと思う」
「親父さんに聞いてみるよ」
ハヤテは駆けだした。そして、前を歩く親父さんに尋ねると立ち止まって大きく跳んだ。
「行けるって!」
「ええ?! そうなの?」
「京まで歩いて行けるんだって。そしてね、鎌倉にも歩いて行けるんだって」
「へえええ。それはすごいなあ」
「じゃあ、イチノスケ、いつか歩いて行こうよ。でこぼこの無い京の道を見てみたいや」
ハヤテは明るい。
思い出すと悲しくなることばかりなのに、ハヤテはもう、嫌な事はすっかり忘れたみたいだ。
……お兄さんみたいだ。
わたくしは、ずっとお兄さんが欲しかったんだ。
瀬戸の海は、たくさんのお船が帆をはらんで進んでいた。
ハヤテは棒切れを振り回しながら、転びもしないで歩いている。
わたくしは、棒を杖の代わりにして転ばないように歩いていく。
「イチノスケは船に乗ってここまできたんだね」
ハヤテが荷物を下ろそうと促してくれた。
肩の痛みがひどくなった。
荷物が肩に食い込むんだ。
こんどは逆の肩にかついだ。
大人から離れてしまった。
わたくしは、ハヤテと内緒の話をしたかった。
「ハヤテ、あの頃の話をしていい?」
「いいよ。言ってみな」
「伊勢って女人がいてね、よく海に突き落とされたんだ」
「へえ。それはひどいな」
「うん。ひどいでしょ? でも、そのおかげてあの時、海の中で溺れないですんだ。ハヤテに助けられるまで生き延びられたんだ」
「そっか。じゃあ、よかったじゃないか」
「だけど、さっきの女の中に、伊勢がいなかった」
「そうか」
「……いなかったんだ!」
「……寂しいの?」
「寂しくなんかないやい。ただ、どこに行ったのかなって思って。やっぱり死んだのかなって」
ハヤテは棒をくるくる回した。
「伊勢に海に突き落とされたんだね」
「うん。毒見の役もしていたし、いつもね、侍女のくせに生意気な事ばかり言っていたんだ」
「どんなこと、言っていたの?」
「今ではもう違うんだけど……、こう言っていた。『平家は水軍に守られているのです。海の王者なのですよ』って」
「ふうん」
「今は違うけど……、わたくしたちは、大きな唐船や心地よい御座船に乗って旅をしたんだ。
そして、水軍の頭が貢物を持ってきた。別の場所に行くと、そのたびに土地の領主などが貢物を持ってきたんだ。そして、味方になると言い、わたくしの頭を撫で、『可愛らしい天子様ですな』って言ったんだ」
「そうだったんだ。まあ、今は違うから……、そういう思い出も辛いだろうな」
「うん。だから、平家が負けるなんて思ってもいなかったんだ。だから、最後に裏切られた時、信じられなかったんだ」
「そうなんだ」
……ハヤテは、棒を振って手あたり次第、木の葉を叩き落とした。
親父さんがみんなを呼んで言った。
「あのお方の気が変わらぬうちに、やるべきことがある」
そして、大事そうに書き物を胸にしまって、2人の侍を連れて行ってしまった。
書き物になんて書いてあるのか気になった。
すごく見たかったけれど、子どもが言うべきことじゃないから……我慢した。
ハヤテやお侍のおじさんたちと荷物を下ろして、焚火を作った。
お侍も鎧兜を脱げば、ただのおじさんだ。
御所でくつろぐお父様やおじ様と似ている。ただ衣が違うだけだ。
特に、食いしん坊なところはそっくりだ。
「なあ、あそこに海があるじゃないか。親父さんが帰ってくるまで釣りをしよう」
おじさんたちが言うので、ハヤテが張り切った。
「おいらに任して」
藪に入り、お侍に貰った刀で細い竹を切り出した。
先に針を付けた糸を結んだ。
おじさんたちは喜んで海に降りて行った。
――お侍さんはすごい。
荷物の中に鍋や米やら入っている。
清水で米を研いで、いい匂いのする雑炊を作ってくれた。
椀も箸も持っているんだ。
――お侍さんはほんとにすごい。
平家のお侍さんも、きっとすごかったんだろうな。
わたくしは御所で女たちと過ごしていたので、こんなの知らなかった。
魚が釣れたんだって。
大きな魚が跳びはねる。
顔に傷のあるお侍が、魚に小刀を突き立てた。
魚は動かなくなった。
お腹を開いて鍋に入れた。
ぐつぐつ煮て、お椀によそった。
お魚の雑炊が出来上がった。
皆に行きわたったら、わたくしたちが食べる番だ。
「いいな、イチノスケ、毒などないから早く食え」
ハヤテが椀を手渡してきた。
「ありがとう」
魚のいい匂いがする。
お米の匂いもする。
一口すすった。
……美味しい!
もう、毒見の心配をしなくて大丈夫だ。
食べ終わると、ハヤテが「ちょっくら行ってくる」と衣を脱いで海に潜った。
そして、大きな巻貝を幾つもに取ってきた。
おじさんたちが手を叩いて喜んでいる。
みんな腹ペコなんだ。
「ハヤテ、おめえすげえな」
「本当に漁師の子なんだな」
「たいしたものだよ」
顔に傷のあるおじさんが、貝を火にかけた。
貝殻が白くなりピキッと音を立てた。
わたくしは少し離れた。
だって……わたくしは、役に立たないんだもの。
なんだか、悲しくなってみんなから離れて座った。
みんなは火を囲んで親父さんを待っている。
巻貝はブクブクと煮立ち、いい匂いがした。
イチノスケはまだ6歳。判断力が未熟。絶対に言ってははいけないことをじいさまに言ってしまう。平家の落人であるじいさまと一緒に身分を隠しての旅が続くのです。どうか、イチノスケを応援してください!