第2話 友との出会い
源平合戦で、祖母に抱かれて海に沈んだ安徳天皇6歳。なんと生きのびることができました。
漁師の子ハヤテに助けられたのです。
びしょ濡れの衣で震える安徳天皇にハヤテは……
舟は、黒い波を乗り越えてザブンと揺れた。
風が冷たい。びしょ濡れの衣が、体から熱を奪っていく。
「おまえ……生きてるよな?」
少年――ハヤテがそうつぶやいた。
そして、自分の衣の裾で、わたくしの顔の水を拭いてくれた。
それは、侍女による沐浴の柔らかい布とは違った。
男っぽい優しさだと思った。
……寒いよぉ。
身体は小刻みに震えてしまう。
手のひらの皮はふやけて、デコボコになっていた。
いつのまにかできていた脚の傷がひりひりと痛む。
「おまえ、戦の船の子か? 落ちたんか?」
わたくしは、首をふった。
自分が誰かを言ってはならぬ。
平家に関わることは何も口にしてはいけないのだ。
でも、目の前の童には、本当はわかってほしかった。
命を助けてくれた神様みたいなハヤテだから。
「……わたくしは……」
言葉が、喉につかえる。
だが、ハヤテはそれ以上聞かないで、もくもくと漕いだ。
「ねえ……ひとりで、いたの?」
ようやく出た声だった。
ハヤテは、ふっと笑う。
「魚を獲りに来たんだよ。親父さんに内緒でな。……合戦見物にもちょっとだけ興味があったし。見つかったら大目玉だ」
「……そっか。見物か……」
舟は、音もなく波間をすべった。
後ろでは、船が燃えている。
暗いはずの夜空なのに、雲が明るく照らされている。
女の叫びは無くなった。
でも源氏の鬨の声が、風に乗って届く。
「おまえ……腕も足も細いな」
「……え?」
「それに……着てるもんが、ぜんぜん違う。おらとじゃ、まるで違う」
わたくしは、息をのんだ。
気づかれたか、と胸がざわつく。
そして、両耳の上で輪のように結った髪をほどいた。
御所で《《ちゃんとする》》時に結っていた角髪だが、村の子でこんな髪型の子は見たことが無かった。
ハヤテみたいに後ろひとつに結びたかった。
わたくしが平家の者だって知ったら、ハヤテはもう優しくしてくれないかもしれない。
だいたい、源氏の味方の子かもしれない。
怖くなった。
しばらくして、ハヤテは優しく言ってくれた。
「安心しろ。聞かねぇよ。あの合戦じゃ、誰だって逃げたくなる」
少しほっとした。
夜風が、海を渡る。
舟は、ゆっくりと岬に向かっていた。
「おまえ……寒いか?」
わたくしは、こくりとうなずいた。
「ほら、これ。おいらの着物だけど……貸しとく」
そう言って、ハヤテは自分の衣を脱いでくれた。
わたくしは濡れた衣を脱いでハヤテのぬくもりのある衣を着た。
見たこともない生地だ。これは絹の布ではない。
なんだろう?
だけど、それはこの世のどんな錦よりもぬくもりを持っていた。
きっとハヤテは寒いだろう。ハヤテは薄い下着だけになったんだもの。
「……ありがと」
かすれた声がこぼれた。
ハヤテは目を丸くしたが、すぐに、にかっと笑った。
「礼なんていらねぇよ。おら、困ってるやつを放っとけねぇ性分なんだ。……だから、おまえも困っている人がいたら助けてやれよ」
伊勢が侍女のくせに言っていたあの言葉を思い出した。
「一宮様、今は帝であらせられますが、これから先どんなことになるやもしれません。脱いだ衣くらい畳めるようにならねば、伊勢は心配でなりませぬ」
濡れた衣をたたんだ。まず、広げて袖を合わせて折り目をとがらすように四角くたたむ。赤い衣には、たくさん刺繍があって気に入っている。
わたくしが畳んだ後、必ず侍女がやり直していたけれど、考えてみれば失礼なことだ。わたくしはこんなに上手に畳めるようになっている。
さっそく舟の上でその技が役立つとは……。
……伊勢に見せたい。
でも、もういない。
みんな、死んだ。
あの叫び声をあげて。
伊勢もお母様も姫君たちも侍女たちも……みんな東男にひどい目にあわされて死んだんだ。
鼻の奥がつんと痛くなった。
……でも、泣くもんか。
舟は、やがて入り江の陰に隠れた。
月は雲に隠れた。
空も海も、真っ暗な闇だ。
浅瀬に来るとハヤテは錨を投げた。
錨が沈んだのを綱を引いて確かめている。
ハヤテは、流されないことを確かめると、横になった。
「おまえも寝ろよ。疲れただろ」
「……うん」
わたくしはハヤテの側で丸くなった。
いつもおばあちゃまが添い寝してくださった。
明日からは誰が添い寝してくれるんだろう。
ひとりで寝たことなんか一度もないや。
明日は、どうなるんだろう。
……泣くもんか。
「三つ子の魂百まで」といいますが、幼いころに教えられたことって年を経ても見についているものですね。安徳天皇は御所や仮の御所で侍女に生きる術を教わっています。たとえその時は面倒に思えても、後の自分を助けてくれるものですね。