8.大公邸とお勉強
「魔法が使えればいいのに……」
そう呟いた私に、大公妃のルカティア様が不思議そうに聞いた。
「魔術師と聖女様の力はどう違うのでしょうか」
ルカティア様はかつて魔術を勉強した事があるという。大した力はなかったから展開できる術式はなかったけど、魔術とはどのようなものかは理解できたのだという。
聞かれても私にも分からなかった。
教わったのは、国全体を覆う巨大な結界を張る術式と、古い結界を壊す術式だけだった。
あとは、私の力と普通の魔術師の力には、違いがあると聞いただけ。
「もし、浄化とか、癒しとか、そういう力が使えたら……」
「確かに……。あれだけの結界を張るお力をお持ちなのに、なぜ他の術が使えないのでしょうか。癒しの術などは、魔術師ならばだいたい使えるそうですけれど……」
結界も魔術師ならば誰でも張れる。それほど複雑なものではないからだ。
私も修練を数週間しただけで出来るようになった。
それを出来る聖女が、魔術師が使える他の術をなぜ使えないのか。言われてみれば不思議だった。
エドワードとレナートも顔を見合わせている。
彼らも聖女とはそういうものだと聞かされており、疑問に思った事は無かったと言った。
「聖女様は魔術師を呼んで話をお聞きになると良いかもしれませんわね」
ルカティア様が優しい笑顔を浮かべた。それを見たエドワードの顔が曇った。
「俺の屋敷に呼ぶことは出来ない。何を企んでいるのかと要らぬ疑いをかけられそうだ」
「では、大公邸へ呼べば良いのではないでしょうか。実家の伝手である程度の地位にある魔術師の方をお呼び出来ますわよ?」
大公も「それは良い。私も詳しく知りたい。我が領民を救うためとの名目で、魔術師を呼び出そう」と言う。
エドワードは眉を顰めていたけれど、ルカティア様が「よろしいと思われない? エドワード様」と言いながら微笑むと、何とも言えない顔をしながら頷いた。
私はその様子を見て胸が傷んだ。ルカティア様の笑顔はとても綺麗で。面倒な事が嫌いなエドワードも、それを受け入れてしまうほどに……。
私に対する態度とはやはり違う。それが少し悲しいと思ってしまった。
そうして、私は予定通り大公の屋敷に向かい、エドワードは大公に託された書簡を持って王都に戻る事になったのだった。
エドワードが居なくなって、ルカティア様は気をつかってくれるけど、私は少し不安な気持ちのままそこに着いた。
でも、予想に反して、そこはとても温かな家だった。
私の身分は一応伏せられている。黒目黒髪はこの世界では珍しいし顔つきも違うから見た目でバレているはずなのに、使用人のみんなは何も知らない振りをしてくれているようだった。
使用人たちの中にはたまに鋭い視線を投げてくる者もいたけど、ルカティア様はそういう者には用事を言いつけて、さりげなく場を外させる。そのおかげもあって居心地は悪くなかった。
私は居間でルカティア様と二人でお茶を飲んでいる時に疑問に思っていた事を聞いた。昔のレナート大公は顔つきが違わなかったか、と。
彼女は思い出すように視線をさまよわせた。
「確かに……エドワード様はあまりお変わりはなかったですけれど、レナート殿下は特に責任が重かったですから……。お会いするたびに、厳しいお顔になっておられたかも知れません。戦いに身を投じる日々を送っておられましたから、当然だと思った気がいたします」
やはりそうだったのかと思いながらお茶に口をつけようとした瞬間、彼女は私が思いもかけないことを言った。
「その日々を終わらせてくれたのは、あなた様である事は事実ですのよ。それを忘れていない者は大勢おります。もちろん私も」
私は初めてそんな事を言われて堪えきれずに少しだけ泣いてしまったけど、彼女は優しく肩を撫でてくれた。
翌日には、ルカティア様がご自分の子どもたちに会わせてくれた。上は四歳の女の子、二歳の男の子、そしてまだ一歳にもなっていない女の子だった。
私は楽しく子どもたちと触れ合っていたはずなのに、自分の子どもを思い出して、突然涙が流れてしまった。
なぜかここに来てから涙脆い。今まではどんなに辛くても人前で泣いたりしなかったのに。
私は慌ててハンカチでそれを拭いて、心配そうにこちらを見ているルカティア様に笑いかけながら言った。
「母親らしい事なんて、私、何もしてあげられてない。こんなひどい母親、居ない方がいいのかもしれないけど。でも、会いたくて」
大公妃は、優しく微笑みかけてくれた。
そして、子どもたちを連れて行かせると、私を図書室だと言う、すごく立派で大きな部屋に案内した。映画で見た外国の図書館みたいで、吹き抜けになった高い天井までびっしりと本で埋め尽くされていた。
地震大国で生まれ育った私には、正直少し怖かったけれど、とても綺麗な場所だった。
でもなぜここに、と不思議に思いながら辺りを見回していた私にルカティア様は言った。
「法律をよく学ばれるとよろしいのではないかしら。例えば、子どもを取り返す方法が見つからないとも限りませんわね?」
「でも、あの子たちは王家の……」
私はルカティア様がそんな事を知らないわけもないから、不思議に思いながら彼女を見た。
彼女は微笑んでいるだけだった。
子どもたちは王太子であるリチャードが手放すはずはない。彼が王位につけるのは私との間に子どもがいるからだから。
王位を継ぐのは聖女の血を王家に取り入れることができた人間だけで……。
「……あ……」
私はある事に気づいて、近くで控えていた司書だという人にいくつかお願いをして、本を持ってきてもらった。
王族に関する法律書と貴族に関するそれと、貴族年鑑と、ついでに基本的な魔術書も。結構な冊数だった。法律書だけで分厚い本が何冊もある。
それと、紙とペンも貰った。
私が積み上げた本を見たルカティア様が、「聖女召喚の代には、様々な可能性がある事でしょうね」と言った。
私は彼女も、私が思い至る前にその事に気づいていたのだろうと確信した。だから、安心させるように頷いた。
彼女はもう一度微笑むと、夕飯時には人を呼びに来させると言って静かに去っていった。
私は法律書を開いた。こんなに集中して何かを読んだのは受験勉強の時以来だった。
法律書を読むのは難しかったけど、そういえば日本の憲法とかは多少なりとも中学とか高校で習ったのを思い出した。
古いせいか癖のある文章だったけど、分からない事は司書さんが教えてくれたから、割とすぐにそれにも慣れた。一行一行丁寧に読んでは、必要な所を書き出していく。
私は結局夕飯も断って、翌日の朝までそれらの本を読み耽っていた。
つづく……
ここまでお読みくださり、ありがとうございます!