5.聖女の行き先
エドワードは、聖女と王太子の間で交わされる不毛な会話を冷めた気持ちで聞いていた。
似たような会話をよく聞いていた。ほんの子どもの頃のことだが。
彼はさりげなく、元老院の議員たちの顔を見渡した。
このバルテガン王国では、十年以上の心安くない時を経て、聖女の張った結界のおかげで、ここ六年ほどは掛け値なしの平和を享受していた。
国王はその地位にとどまっているものの、各部門での上層部の世代交代が進んだ。逆に言えば、その前の十年間は、そのような余裕が無かったとも言える。
元老院では議員の三分の二に当たる十名が入れ替わった。エドワードの父親であるソルトナー侯爵がその席に座ったのも五年前の事だった。
その威光と、幼馴染であるレナート大公からの後押しがあり、エドワードは文官として異例の出世を遂げた。
彼自身が、結界が張り直される前は魔族との戦いにおいて多大な功績を残した軍人であったことで軍にも顔がきく。軍の高官にかつての彼の部下が複数名いるが、年齢はエドワードよりも皆上だ。
彼は身分上、ろくに身体も出来ていない若い頃から指揮官の地位に就かざるを得なかった。自分などよりはるかに大きな大人であった部下たちに必死にしがみつき、鍛錬をしていた頃が懐かしい。
「この女はもう私の妻ではないのだから、王宮に部屋はない」
王太子はまたもや言い募る。
聖女はそれを睨みつけたまま、よほど痛むのだろう、右腕を反対の手で押さえている。先程魔術師たちの張る結界に当たった所だ。
あの結界は、対魔族用に開発されたものだったはずだ。戦地であれに捉えられた魔物を見たことがある。中で暴れ回って身体中に傷を負い、ついには息耐えた。
流石に聖女をそのように扱うのはやり過ぎだと思った。
「ここはやはり魔塔での預かりとなりますかな」
元老院の議員が落とし所を見つけるようにそう言うと、魔術師たちは青ざめて首を横に振った。
「いや、な、何をおっしゃいますか! 聖女様のお力は特殊な物で、魔道具になんらかの影響を与える可能性が……」
「どのように干渉し合うか、解明されていないことが多く……」
それは本当かもしれないし、聖女を引き取りたくないための嘘かも知れない。エドワードにはその判断は付かなかった。魔術は専門外だ。
そこでまたあの出来損ないの王太子が口を開く。
「そうだ、魔術師共には、この女の力を封じる方法を編み出せと言ったはずだな」
エドワードはもちろん、元老院も国王もそのような話は聞いていなかった。
魔術師が答えた。
「魔力制御の腕輪を改良した聖女様のお力を抑える腕輪が、じきに出来上がるところでございます」
出来損ないが得意げに頷く。
「先日の結界の破壊を見て、私が指示したのです」
エドワードはまたもや冷めた気分で、やつが胸を張っているのを見やる。今回の騒動の元凶が自分自身であるという認識がないらしい。
「王太子殿下。そう言った事は、元老院にもお知らせいただきたい」
年長者からの言葉にも、やつは得意そうに微笑む。本当に性格の悪い男だとエドワードは思った。
「ですが、そのような手段があるとなりますと、聖女様の幽へ……療養先に特別な設備は不要ですかな」
「確かに。どこか、そうですな、広大なお屋敷をお持ちで、聖女様の為人もご存じの方に監督していただくのがよろしいのではないですかな」
「いやはや、そんな方が居られてよかった」
それまで完全に傍観者の気分でいたエドワードは、全員の目がこちらを向いているのに気がついた。
おい、今の話俺の事か?
愕然とした気分で声の主たちを見回す。冗談ではない。これ以上厄介な目には合いたくない。
エドワードはこちらを他人事のように見ている自分の父親を、思わずいつも通り呼んだ。
「父上! あ、いえ、ソルトナー侯爵閣下。私の家にそのような余裕は……」
「……お前にやった郊外の屋敷は最適だな。背後は山々に囲まれた場所だ。療養の場所としても申し分なかろう」
エドワードは父親にも見放されたことを知った。こいつらは面倒事を他人に全て押し付ける気だ。なぜいつもこうなるのだろうか。
確かに彼の屋敷はある。王宮に出仕するのに多少時間がかかるため、滅多に帰りはしないのだが。
エドワードは迷った。心の底から。面倒事はごめんだ。
地下牢に通っていた彼は、その中で一人座り込む聖女をそのままにしておくつもりはなかった。もちろん、自分に迷惑がかからない方法を探すつもりだったのだが……。
無言の時間が流れ、部屋中からかけられる圧に負けてエドワードは顔を上げて言った。
「……分かりました……。しかし、屋敷の改装などを行う必要はあるでしょう。万が一のために王国軍の一隊は置いていただいたい。その兵舎も近くに用意させねばなりますまい」
そこで一息つくと、こいつらが忘れているらしい自分の評判を引っ張り出した。誇れることではないが、面倒事を少しでも減らしたかった。
「婚姻の無効は早急にお認めになるべきですな。私は聖女様へ療養先を提供する事は出来ますが、皇太子妃様の身分のままで私のような評判の良くない独身男性の屋敷に居られるというのは何かと都合が悪いかと」
皆が「確かに」「エドワード卿の女癖の悪さは有名です」「お子のお血筋に疑念が生まれでもしたら……」などと言っている。
まあそれはどうでもいい。エドワードは自分に降りかかる災難を少しでも減らすのが一番だと思って、自分よりも好き勝手やっているであろう議員たちの言葉を聞き流した。
国王が何やら一人頷いていたかと思うと、心を決めたように言う。
「そなたの要求はもっともだ。すぐに軍の手配を……。婚姻無効の手続きも急がせよう。もちろん、準備をする間は、聖女様の御身は王宮で預かるのが筋だろうな」
「父上! では今日にでも婚姻の無効を認めていただきたい!」
国王は残念そうな顔で自分の息子を見やった。
それは流石に無理だろうとエドワードも思った。
*
地下牢に戻された私の元に、さっき私の幽閉場所を自分の屋敷にされたエドワードがやってきた。押し付けられたのは明らかだったから、申し訳ないと思う。私が謝る事でもないけど。
エドワードは「失礼する」と、ここで使う言葉じゃない気がする事を言ってから、牢の中に入ってきた。
外には兵士が控えていて、格子の向こうからこちらを見ている。
彼は手に何か包みを持っていた。それは傷の手当てに使う薬や包帯だと彼は言った。
私が結界に当ててしまった腕を、触れてもいいか確認してから取り、傷の手当てを始めた。手際が良くて驚いたけど、彼が軍人だった事を思い出す。よく分からないけど、そういう人たちは怪我をする事も多いだろうから、手当てにも慣れているのかもしれない。
「あんたは少し我慢ってものを覚えたらどうだ? あの出来そこな……リチャードに言ってやりたいこともあるだろうが、やつはもう王太子だ。聖女はその伴侶にはなれるが、必ず正妃となる事以外は他の妃と扱いは同じだからな」
包帯を巻きながら小言を言われるけど、それでもいい。口をきいてくれるだけ。
普通の医者だったら、私に怯えながら急いで手当てをするだけだっただろう。
多分、医者や、癒しの術を使えるはずの魔術師も、ここに来たがらなかったから彼がこんな事までしてくれているんだと思う。
このまま治るまで我慢するしかないと思っていたから、とても助かった。
「今後のことだがな。あんたは俺の屋敷の一区画を使ってもらう事になる。持って行きたい家具やら衣装やらがあるのなら、早めに言っておいてくれ」
「……ケイとアリサには会えないよね」
私は子ども達にそう名前をつけたかったけど、珍しすぎると、ケイレブとアリッサに変えられてしまった。でも、私は二人をそう呼んでいた。誰にも咎められない所では。
「それは……まず認められないだろうな……」
そうだろうとは思っていた。幽閉は、多分私が死ぬまで続くんだろう。
私は理不尽だという思いと、自分が短気なのが悪いという思いと、ぐちゃぐちゃドロドロとした感情で、自分の気持ちもよく分からなくなっていた。
「終わったぞ。ただの火傷だと魔術師共が言っていたから、薬は効くと思うが」
私は小さく頷くと、前から不思議に思っていた事を聞いた。
「エドワードはなんで私を怖がらないの?」
彼は道具を片付けながら、めんどくさそうに言う。
「……あ? あんたは聖女なだけで、ただの人間だろう。
魔物の群れに囲まれてみろ。言葉も通じない。命乞いも出来ない。片端から殺していかなければ自分が殺される。そんな奴らと散々渡り合ってきたんだ。
あんたはまだ言葉が通じる。ギリギリマシだ」
ギリギリか、と私は苦笑する。確かにその魔物を、魔族を、私は呼び込んで人を大勢殺した。
みんなから見たら私は魔物と同じようなものなのかも知れない。
エドワードは黙り込んだ私に「また明日傷を見にくる」と言って帰って行った。
私がこの地下牢から出て、エドワードの家に窓が塞がれた馬車で運ばれたのは、それから十八日後の事だった。
つづく……
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