18.【終話】新国王の即位と二人の話
その布告が出された時、人々は驚きと共に納得したようだった。噂ばかりが流れていたところに、明確な答えが与えられたからだろう。
聖女を蔑ろにし、災厄を引き寄せた第二皇子であった王太子が廃嫡される事。
聖女の夫となり子を儲けたソルトナー侯爵家のエドワードが次の国王となる事。
国王が、王国が危機を脱した今、新たな時代の担い手として相応しい後継者を得たため、退位する事。
これらと共に、あくまでも聖女は神聖で強大な力を持つ、尊重されるべき人物である事が喧伝された。
蔑ろにすれば、災厄が訪れると。それがされたからこそ、結界が壊れたのだと。
この布告によって、これまで聖女に向いていた人々の悪感情は、廃嫡されたリチャードに向かったのだった。
新国王エドワードの戴冠式は、ミナが出産してから三ヶ月ほど経った頃に挙行された。当然彼女も王妃として彼の隣に立った。
彼を支える元老院の筆頭の位置に並ぶのは、レナート大公と、ルカティア大公妃の父親であるアルトバルン公爵である。
この二人の支持を得ているとなればエドワードの戴冠に異を唱える者は貴族社会にもいなかった。
その日はいつになく晴れ渡った日だった。この国の新たな門出を祝福するように降り注いだ陽光が、国中を覆う結界に触れて輝き渡った。
*
リチャードが王宮を追い出されて、私たちが王宮に住むようになると、子どもたちにも自由に会えるようになった。
乳母に改めて話を聞くと、子どもが生まれてすぐにリチャードから命令され、私と子どもをあまり会わせないようにしていたらしい。
酷い話だった。彼が始めから、いつか私を排除しようとしていたのが分かった。
五歳のケイレブは私のことを覚えていたけれど、四歳になったばかりのアリッサは忘れていた。当たり前だ。ずっと会っていなかった。
でも毎日一緒に過ごすようになると、慣れない様子だった二人ともすぐに打ち解けた。これからは少しでも母親らしい事をしてあげたいと思う。
三人目の出産後は、子供たちと過ごしやすく改装させた明るく大きな部屋で三人の子どもたちとなるべく多くの時間を過ごした。
エドワードも仕事を抜け出して子どもたちに会いにくる。
彼は疲れた顔でやってくる事が多いが、まだ寝転んでいるだけの娘のユリヤの腕や足をぷにぷにしては大笑いしている。疲れを忘れるらしい。
気持ちは分からないでもない。赤ちゃんのむにむには正義だ。
彼は二人の血の繋がらない子どもたちにも、自分の子にも分け隔てない態度で接しているように思う。
もともと二人が生まれたばかりの頃から時折り会うことがあったから、彼らの成長を見守る事にあまり違和感がないのかもしれない。
ケイレブとアリッサは彼にもすぐに懐いた。「エドワード〜」「ぐるぐるしてよっ」と彼にまとわりついて遊んでくれと毎日強請っている。
「おい、ミナ、こいつら何とかしてくれ」
「私も乳母たちも、二人が元気過ぎてもう疲れたんだよね。遊んでやってよ」
「お前な、国王が暇だと本気で思ってるだろ」
「仕方ないな」と言いながら、エドワードは結局子ども達の相手をしてくれる。
さすがに鍛えているだけあって豪快な遊び方をしてくれる。もうだいぶ大きくなった二人を両側に抱えてぐるぐる回るとか、私たちにはとても出来ない。
子どもたちは歓声を上げている。
本当にお人好し過ぎる。
だから国王になんてなっちゃったんだけどね。
*
ミナはよく笑うようになった。聖女であった頃とはそれが違った。
本来の彼女はこのような人物だったのか、はたまたこの間の出来事に影響されて変わったのか、エドワードには判断がつかなかった。
子供たちを叱る時には、あの品があるとは言えない話し方になるが、その他の場では王妃として申し分のない所作を身につけていた。
これは、ルカティアと教師たちの特訓の賜物だった。
ミナは定期的に癒しの術を国全体にかける。
今日はそれをする日だから、腕輪を外してくれと言われて外した。彼女はバルコニーに出ると、あの大きな術式を展開し、それが昇っていって空全体がわずかに光る。
その光は病める者の希望になっているという。
エドワードは以前、一度かけたその術を、なぜかけ続けるのか聞いたことがある。「心の傷を深くしないため」と彼女は言った。
よく分からなくて聞き返すと、彼女は俯いて言った。
「みんな、私が結界を壊したせいで死んじゃった人の家族とか、体の一部を失った人と、私を会わせないようにしてるよね?
でも、そういう人って絶対いるはずだし、目の前で家族を殺されたけど、自分は生き残った人とかもいると思う。
癒しの術は失った体を再生する事は出来ないし、心が傷ついてもそれには無力でしょ。
でも、そういう人たちが他の病気とかするとさ、もとの傷の深さは変わらなくてもさ、弱ると結構キツくなっちゃったりするんじゃないかなって」
なぜそう思うのか聞くと、彼女はこれまで一度も話さなかったことを話した。
「私の母親、十歳の時に病気で死んでるの。その時は 寂しくて、悲しくて。
時間が経って、あんまり思い出さなくなっても、風邪で熱とか出て一人で部屋で寝てるとさ、思い出しちゃったりしたんだよね。弱ってると、どうしてもね。
だから、あの時生き残った人たちが、ちょっとでも悲しい思いしなければいいかなって。それだけ! ただの自己満足!」
ミナは明るい声で言った。
「母親がいなかったのか。他の家族は?」
「お父さんは新しい奥さんと結婚して幸せそうだった。その奥さんとの間に弟と妹もいるの。
二人とも私のこと気にかけてくれたけど、私、反抗ばっかりしてたし……いなくなってもそんなに驚いてないかも。探すくらいはすると思うけど……」
エドワードはその話を聞いて、彼女がどこか自分と似ていると思った。
癒しの術を国中にかけ終わった彼女がゆっくりとした足取りで戻ってきた。
エドワードは正面に座った彼女の手を取って、その腕に腕輪を戻した。そして、それに触れた。
「ありがと」と言った彼女は、手を離そうとしない彼に向かって「なに?」と首をかしげる。
不意に抱きしめると、ふわりと笑う。
「熱でもあんの?」
あれほど貴婦人らしく振舞えるようになったのに、エドワードに対する言葉遣いが変わらないのは何故だろうか。
彼女は不思議そうに首をかしげるが、エドワードは彼女をしっかりと抱きしめた。
聖女として召喚する事で、彼女とその家族を苦しめていた事にようやく気づいた。
誰も気にかけなかった。
聖女がどうしてあんな言動をしたのかも。
彼らにとっては、聖女は結界を張り直すもので、王族と婚姻を結び血を残すもので、それをして当然の存在だった。
そう教えられていたし、それを疑問に思う事などなかった。
自分たちの常識を押し付けて、他人に負担を強いている事にすら気づいていなかった。
エドワードが彼女の華奢な体を抱きしめる腕に力が籠る。
そうだ。彼女はこの体一つでここに投げ出された。そして、味方もいない中、一人で生き抜いたのだ。
果たして自分が同じ目に合ったら、正気でいられるだろうか。
「エドワード? 本当にどうしたの?」
「……いや、細いなと思って」
彼女はむっとした顔をした。
「はいはい。あんたの好みじゃないよね。知ってる知ってる」
「いや、最近はそんな事もない……」
「あっ! 細いって嫌味!? 太ったって言いたいんでしょ! 分かってるし! 産後太りだし!」
「そんな事言ってないだろ」
「私は平均的なの! こっちの世界の人が大きいの! そもそも、あんたの好みとか関係ないし! ちょっといつまでこうしてんの? 離してよっ!」
ミナは腕の中で暴れるが、力が弱いので全く状況が変わらず、彼女は諦めたようにエドワードに背中を預けた。
「なんなの、もう!」
ミナは怒りっぽいし、短気だし、考え無しなところはある。だが、それだけではない事も、これだけ一緒にいれば分かる。
「離す必要ないだろ。夫婦なんだし」
「……抱き心地は良くないんでしょ」
「そんな事はない。今ではもう離し難い」
「……それ、どう言う意味? いいよ、二人きりの時に無理しなくても」
「無理?」
「恋仲の振りってやつ。もう、しなくても……」
彼は彼女の唇を口付けでふさいだ。彼女の唇を解放すると、ミナは目元を染めている。
「な、なにしてんの?」
「散々してるだろ、やってる時」
「は!? 何、恥ずかしいこと言ってんの!? いや、そういう事じゃないし! 好きでもない相手にしなくていいって言って……」
顔を赤く染めて、必死に彼の腕の中から脱出しようとするミナを、ほとんど力を使わずに閉じ込める。
「好きだけどな」
「…………え?」
彼女の顔がさらに赤くなる。今では首元まで色づいている。
ミナが彼の事を憎からず思っていることは、初めて夜を共にした時から気づいていた。伊達に大勢の女性達と遊んできたわけではない。
眼差しで、ふとした反応で、伝わって来るものがある。
「あんたは? 俺を、都合がいいから子作りの相手に選んだのか? 知り合いだったから?」
ミナは下を向いた。結い上げられていない、初めて彼女を見た時と同じように真っ直ぐ垂らされた黒髪に口付ける。
彼女を初めて見たのは、レナートが聖女に自身との婚姻を納得させるべく会っていた時だった。
あの時は彼女をこんな風に想う日が来るなんて考えてもいなかった。
「……エドワードが良かった。他の人とするなんて、考えただけで嫌だった」
「素直だと可愛いな」
「……本気で言ってんの?」
「あ? 今更あんたに嘘ついて何か得な事でもあるのか?」
「……私からも……キスしていいの?」
エドワードは彼女の朱がさした目元に口付けて、その体をさらに引き寄せる。そして、艶をおびた笑みを浮かべながら言った。
「どうぞ? いくらでもしていい。どこにでも、何度でも」
「……その笑い方……なんかやだ……」
エドワードが吹き出すと、ミナも一緒に笑った。
そして、二人は互いを抱きしめ合いながら、長い長い口付けを交わした。
気持ちを確かめ合うように。
気持ちを伝え合うように。
バルテガン王国には、困った聖女がいた。
彼女に振り回された人間は数多く、彼女の行動で癒えない傷を負った者もいた。
王妃となった聖女は、相変わらず周囲を混乱に陥れたが、それは彼女が異世界から持ち込んだ、先進的な発想や知識によってもたらされたものである。
その後のバルテガン王国を、夫である国王と共に発展させたその女性は、晩年になり力を失ってからも、人々から聖女と呼ばれ続けたのだった。
終わり
最後までお読みくださり、ありがとうございます!
短編のつもりでしたが、ちょっと長くなりそうだからと連載にしたら、思いの外長くなりましたよ?
さくっと十話くらいで終わるはずでしたよ?
不思議ですね。夏ですから(?)ね。いろいろ起こりますよね。
何はともあれ、最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました!!