13.嫌いでいいから、そばにいて
エドワードとレナートの二人は護衛を外で待たせたまま、勝手知ったる軍の施設の屋上にいた。人に聞かれたくない話をする時にはよくここを使ったものだった。
ここに来るのは何年ぶりだろうか。
エドワードは愚痴を聞いて欲しかった。
第二王子でしかなかったリチャードが王太子になったのも、聖女が大騒動を起こしたのも、エドワードがなぜか王位につけと扇動されているのも、全てあの聖女が当時王太子だったレナートと婚姻を結ばなかったせいだ。
レナートは一通りエドワードの不満話を聞くと、面白そうに笑った。
「そうか、そなたに王位につけと」
「くそっ! なんでそんな事を思いつくんだろうな!」
「ルカティアから聞いた。お子を取り返したいとお思いのようだ。
それに私は悪くない話だと思う。そなたは自分の周囲を守ろうとする。戦友しかり、民しかり……。そなたには、少なくともリチャードよりも、その資質があると思う」
エドワードは買い被りすぎだと、口の中で呟いた。もちろんリチャードよりマシだというのは同感だったが。
それに、とレナートは少し遠い目をした。
「リチャードが国王になり、元老院もリチャードの息のかかった者たちで固められたら?
そなたも私も排除されるだろう。そうなれば聖女殿はただでは済まない。幽閉など甘い。聖女殿のおっしゃった通り、その存在を消しても、しばらく困る事もない。数百年は。
そして遠い未来に召喚が行われた時、悪しき歴史が記し残されていれば、その悲劇が繰り返される事になるかもしれん」
「それは、酷い未来絵図だな……」
エドワードは諦めに似た気持ちで、考えなければならない事を頭の中で整理すると、いくつかの協力をレナートに頼んだ。
「覚悟を決めたか」
レナートは彼らしく穏やかに微笑んだ。
「…… いくら考えても、それが一番効率がいいんだよ……。どうせ面倒なら、少しでも楽な方がいいだろ」
レナートが苦笑しながらエドワードの肩を叩き、「苦労をかける。出来ることはしよう」と言った。
彼が継ぐはずだった王位がその手から離れて行ってもなお、彼はその肩にかかるはずだった重責を感じ続けているのだろうとエドワードは思った。レナートはそういう男だ。
もしそれが実現したとして、エドワードは現王太子であるリチャードよりは、はるかに良い国王となるだろう。だが、レナートと比べたら……。
エドワードは小さく手を上げて友に挨拶をし、その場から立ち去った。
家に帰るために。
*
エドワードは王宮から郊外の屋敷に帰り着くと、食事を済ませて湯を浴びて聖女の元へ行った。
夜もふけた時間だったが、彼女はまだ起きていた。
「今日、帰れたの?」
聖女は驚いたような顔をした。
「帰れたどころか、しばらく謹慎だ。王宮に出仕することも出来ん。子作りには最適だな?」
「……え……?」
自分から言い出したくせに、聖女は目を見開いている。
「あんたが言った通りにしようと思う。子を儲け、王位を継ぐ。
しかし、今後のことを考えると、俺たちは恋仲であるという振りを、生涯し通さねばならない。互いに他の相手を見つけても諦めざるを得ない。それでいいのかよく考えろ。
婚姻の無効などという手はもう使えん。あんなものは、はっきり言って禁じ手だ」
「……エドワードこそ、それでいいの?」
「俺はそもそも誰か特定の相手と関係を続ける事を考えたことがない。
あんたと婚姻を結び、生涯を共にする事になっても、義務を伴うと思えば出来るだろうさ」
聖女はエドワードに悪いとでも思ったのか、俯いていた。
「私とは結婚しなくてもいいんじゃない? 庶子でも王位につけるのは法律で決まってるし。エドワードが本当に好きになった人が現れた時に困るだろうし……」
「困ることはないだろうな。結婚なんてものに何の価値があるか分からない。
俺は庶子だが、父親とその正妻である義母の子として育てられた。いろいろあってね。面倒だとしか思ったことがない」
「そっか……。私もどっちでもいいけど」
「では、あんたとの婚姻を無効にしたリチャードとの差をつけるためにも婚姻を結ぶ。問題はないな?」
エドワードは、「ないよ」と短く答えた彼女を引き寄せた。
「好きでもない男に抱かれ続けるんだぞ。本当にいいのか?」
彼女は表情を引き締めると、はっきりと頷いた。
「エドワードこそ、私とできるの……?」
「俺は、年上で、もう少し体の凹凸のはっきりした女が好みなんだが……。見事にかすってもいないな」
聖女は彼よりも年齢が下で、ほっそりとした体つきをしている。
エドワードは彼女の細いなりにもくびれのある腰の辺りを手でさすりながら言った。
「時間がなくて最近していないから、まあいけるだろ」
「……さいてー。それは言わなくていいやつ」
呆れたように聖女が彼を睨むのに、思わず笑いが漏れた。お互い様だろうに。好みでないのは。
「あんただってそうだろ? 平気なのか?」
エドワードは彼女の手を取って自分の胸に当てた。
「レナートを振った時、筋肉が嫌だのなんだのと言ってただろ? 俺はもともと軍人だし、今でも鍛錬は欠かさない」
なぜか聖女は頬を染めた。
「あの時そう言ったのは、今は違うけど、あの人の雰囲気が怖かったからで。勝手に決められるのも嫌で、断るためで……」
下を向きながらモゴモゴとそう言った聖女が、「エドワードは、別に平気」と言うのを聞いた彼は、彼女の顎をすくい上げて、唇を寄せた。
彼女が、まるで生娘のように顔を赤く染め、ぎゅっと目を閉じた様子に少しばかり気をよくした彼は、彼女にゆっくりと口付けた。
*
私はもう寝るところだった。
ノックされて、ガウンを羽織ってベッドから降り立った。
メイドだろうと思った。何か忘れ物だろうかと思って入るように言うと、すぐに扉が開かれた。そんなに急ぐのは珍しい。この家のメイドたちは、とても丁寧だ。
「起こしたか?」
「……エドワード……?」
私は慌てて電気をつけようとして、そんなものこの世界にない事を思い出した。
幸いエドワードが灯りを持ってきていて、それで燭台のいくつかに火を灯してくれた。
魔法がある世界なのに、それが日常生活に生かされていないのは、いつも不思議だ。
エドワードは私の結構無茶な提案を受け入れてくれて、結婚して、しかも恋をしている振りまですると言う。
恋仲の振りをする関係とは、どこまでの事を言うのだろう。結婚もするし、子どもも作る。だからそういう事はする。
好きでもない相手でも、彼はそんな事が出来るんだろうか。
私は真剣に、私とそういう事が出来るのか聞いたけど、エドワードは面白そうに笑いながら、私が好みじゃないとか、なかなか酷いことを言う。
でも、その顔は優しくて。
私のことを嫌いでもいい。面倒ばかり押し付ける、とんでもない女だと思われていてもいい。
嘘の関係でもいいから、やっぱりこの人が欲しいと思った。
手慣れた手つきで引き寄せられて、彼と目が合う。彼の瞳をこんなに間近で見たのは初めてだった。
黒いと思っていた瞳の色が、濃い緑なのを初めて知った。その瞳に吸い寄せられる。
その顔が近づいて来て、急に恥ずかしくなって、私は力一杯目を閉じた。
彼はとても優しかった。
それから四ヶ月後、私は彼の子を身籠った事を知った。
つづく……
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