11.浄化と癒しの魔法
私は聖女、つまり私自身の力を自分たちの都合のいいように隠してきた、王家や魔術師たちに少し呆れながらも、まあ国なんてそんなものかもしれないとも思った。
元の世界でも、子どもにも分かるくらい、都合のいい事ばかりを言う政治家がたくさんいた気がする。
魔術師に魔術を教えてくれるように頼んだけど、やっぱりダメみたいだった。まあいい。それは昨日、自分で勉強した。
浄化の術も、癒しの術も、術式の展開方法は知っている。本を読んで、術式の内容を理解して覚えた。
六年前に結界を張った時に、展開する術を国全体に広げる術式の組み込み方も教わった。
でもそれを試すためには、力を封じている腕輪を外してもらわないといけない。
「鍵を持っているのは誰?」
私はエドワードを見た。私の幽閉を押し付けられている彼が知らないはずはない。
「この腕輪、外して。私なら魔術師たちが何年もかけてしなきゃいけない事を、もっと早く出来る。私に責任が取れるとしたら、それしかないし」
リチャードの浮気に頭に血が上って結界を壊して、でも出来ると思ってたのに、すぐに結界を張り直せなかった時、自分の子どもたちの事が頭をよぎっていた。
国全体のことなんて、正直ピンとこなかったけど、自分の子どもまで巻き込むのに、傷つけるかもしれないのに、そんな事をした自分に嫌気がさしていた。
浮気野郎以上に最悪だ。
それから、沢山の人が私が結界を壊したせいで魔物に襲われて死んだと聞いた。
その中には子どももいただろうし、誰かの父親も母親も息子も娘もいたんだろう。
これまで自分がそんな事が出来てしまうなんて思った事もなかった。何も考えてなかった。
私は責任を取らなきゃいけない。
エドワードに対する言葉じゃなかったはずなのに、他の奴らに言いたかった言葉なのに、私は彼に感情をぶつけてしまった。
「この国を救えって言ったじゃない! 私を無視すんの、もうやめてよ。酷い事をしちゃった。その責任くらい取らせなさいよ!」
私はこの世界に無理矢理連れてこられてから、ずっと無視されてきた。そうとしか思えない。
結界を張らなきゃいけなくて、結婚しなきゃいけなくて、子どもを産まなきゃいけなくて。
そして、今は出来ることさえも、させてもらえない。
八つ当たりなのは分かってる。でも、エドワード相手にしかこんな事は言えなかった。
エドワードには分かって欲しかった。
あんただけは私を無視しなかったでしょ? 正面から叱ってくれたでしょ?
「私を使い捨てにするなら、したらよかったのよ。あんたたち、やる事が甘い。何その中途半端」
そう。本当に中途半端。いなくて良くなったなら、でも元の世界に返せもしないなら、殺しでもすればよかったのに。
私には国を乗っ取ったっていう聖女の気持ちが分かる。普通にムカついて、思い知らせてやりたくなる気持ちは。
「エドワード。鍵を出さないなら、私の腕を切り落として。手の平はいらない。術式の展開は頭の中でするものだから。
私が死なない程度に止血だけして。術を展開させる間だけ生きていられればいい」
私はこの部屋にいる誰も目に入らなかった。
眉を苦しげにひそめている彼しか見えなかった。
少しの時間が空いた後、「くそっ。なんでまたこんな面倒な……」という彼らしい悪態が聞こえた。
彼はちゃんと応えてくれた。
脅すような事を言ったけど、それは彼が後で罰を受けないためだった。これで彼が責められないといい。
私はエドワードに、心の中で「いつもごめん」と謝った。
エドワードは首から下げていた鎖を手繰り寄せて、服の間から小さな鍵を取り出した。
私が差し出した手を取り、腕輪を外してくれた。
魔術師が何か言っている声が聞こえた。でもそれはルカティア様が止めてくれているようだった。
私は雑念を頭から追い出して、庭に続く大きな窓に向かう。
外に出て、浄化の術式を展開する。術式が頭上に広がる。それほど大きくはない。あの場所一帯を覆えればいいから。
大公が何の術か、魔術師に確認する声を聞くともなしに聞いた。「確かに浄化の術です」と魔術師が答えるのが聞こえて、間違いのない事に安心すると、私はそれに力を込めた。
それは空に昇り、そして光った。
*
エドワードは周りが騒めいてきたのに気づいた。それまでは聖女の挙動に目を奪われていたのだ。
人が集まって来たようだ。それはそうだろう。悪名高い聖女が、彼らの土地に何か術を使ったのだから。
その時、レナートの元に兵士が駆け寄ってきた。屋敷の周囲を囲む塀の各所には物見台がある。そこから連絡が入ったのだろう。
レナートが皆に聞かせるように声を張った。
「我が領の黒い大地が消えたようだ」
ざわめきが広がり、屋敷の者たちがどんどんと外に出てくる。本来は叱られるところなのだろうが、誰もそんな事はしない。
聖女が再び何事か術式を宙に浮かべた。それがどんどんと空に登って行く。
「おい……魔術師、あれはなんだ?」
「あ、あれは、国中を覆う術式が組み込まれた……浄化の……。ありえない。立て続けにそんな……」
その円形の複雑な模様は、結界の内側で止まったように見えた。そして、どんどんと空いっぱいに広がり、おそらく国中を包み込み、光って、そして消えた。
どよめきが更に大きくなる。
聖女は手を下ろすと、やや疲れた顔でこちらへやってきた。結果はまだ分からないものの、たぶん彼女はとてつもない事をした。魔術など知らないエドワードにも分かった。
腕輪を付けに来たのかと思い、その用意をしようとした時だった。
聖女は言った。
「倒れると思うから。あとよろしく」
彼が何か言う前に、聖女がまた術式を展開した。それは先ほどと同じくらい巨大なもので……。
後ろから魔術師の声が聞こえた。
「まさか……国中に癒しの……」
それはまた空に浮かび上がり、ついには光を放ち、そして消えた。
エドワードは、その途端に人形のように倒れ込みかけた聖女を抱き止めた。
レナート大公は、国中で異変が報告されるであろう事を見越して、事の顛末をしたためた書簡を王都の国王の元に早馬で送った。
国王の元に、辺境や、魔物が飛来した各地から、魔物たちの痕跡や汚染が消え去ったとの連絡が届き始めたのは、それから丸一日以上経ってからのことだった。
つづく……
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