Chapter 4
アトリは、なにも言葉を返さなかった。
「あの時、お前は、自分が死ぬことで……自分の【存在】が喪われることで強奪し返せると思ったんだろう? ザ・サンダンス・キッドを」
「…………」
「図星かよ」
黙り込んだままのアトリに、ブッチは吐き捨てる。
「なんで分かったのか、言ってやろうか?」
「…………」
「その銃だ」
「…………」
「お前が持つ、その銃は……」
ブッチは、アトリが所有する銃を指差す。
「ザ・サンダンス・キッドの得物だ」
「…………」
「それと、お前、シリンゴを嵌めただろ?」
「…………」
「やっぱりな!」
アトリの沈黙は、肯定の表明だった。
故に、ブッチは全てを確信する。
冷静になって考えてみれば、だ。
あの時、シリンゴと対峙した際、アトリがとったのは勇気ある行動でも無謀な挑戦でもない。
あれは、合理的な凶行だ。
正直、たちが悪いなんて言葉じゃ済ませられない。
他ならぬ自分の命、正確にいえば自分の【存在】と引き換えに、ザ・サンダンス・キッドの【存在】を取り戻そうとしたのだから。
実際、そうだろう。
だって、あの時のあの状況を考えれば、実現可能なのだから。
思い出してみてほしい。
あの時、対峙していたのはチャーリー・シリンゴ、【ピンカートン探偵社】において、ブッチの拿捕に固執する男だ。あんな状態になってもまだ追いかけてくる、お墨付きといっても過言ではない執念の持ち主だ。
そんな男が、予備知識を何も持たない状態で、あの手この手で挑んでくるだろうか?
これまでの言動から察するに、シリンゴはブッチがボリビアの地で死んだことを信じていなかった。
信じていなかったってことは、それが真実であるという確信がなかったってことだ。
一度目の対峙の時はブッチに対し、こう言った。「お前の他に、一体誰があの場にいたんです?」と。
あれは単なるハッタリだった。されど、そうでしかなかったはずの言葉は、ブッチに対しては誘導尋問と化した。
皮肉なことだと思わざるをえない。敵対する関係である以上、ブッチとシリンゴはお互いを決して心から分かり合うことはないのだから。
その結果、ブッチは答えの片鱗を見せ、シリンゴはそこから答えを得た。
すれ違いが、これまでまかり通っていたシリンゴが抱く虚構を壊したのだ。
それを知ったシリンゴが事実を明らかにすべく行動を起こすのは、目に見えている。全てを究明し、全てを正しく構築し直して。
だけども、もし――そうする上で、ことの全てを知る存在が介入してきたらどうなるだろう?
「アイツは探偵だからな、根っからの。宿敵を褒める気はさらさらねぇが、チャーリー・シリンゴってのは、敏腕探偵を自他共に認める野郎だ。そんな奴が、事実を突き止めようとしないはずなんてねぇ。お前は、そこに付け入った」
「…………」
「お前は、シリンゴに道を示してやった。その言動でもって、ミスリードしてやった。言動巧みにそれまでの虚構を、今一度わざわざ再構築させて、また別の虚構に塗り替えさせて、新たなる虚構へと創造し直させた」
「…………」
「新たなる虚構……いや、違うな。事実でも虚構でもねぇ、全く新しい存在かと思えばそうでもねぇ、かといってどっち付かず……事実じゃなくて虚構寄り、事実じゃねぇから虚構寄り……どっちかっつーと虚構ではあるが、一概にそう言えねぇけど、虚構に近い、限りなく……でも、虚構とは言えねぇ……言えねぇな、ならばそうさなぁ……ならば、伝説……いや、物語か?
そうさなァ、これは物語だな。
虚構に近い物語、とでも言うべきか?」
「…………」
「ソイツが完成すりゃあ、完成させることができりゃあ、ザ・サンダンス・キッドの【存在】が確かなものであると証明される。ソイツが完成すれば……ザ・サンダンス・キッドの【存在】の抹消が抹消される。
そうなりゃ、ザ・サンダンス・キッドは、帰還する」
「…………」
「けどよ、ソイツぁ、俺の知るザ・サンダンス・キッドじゃねぇかもしれねぇぜ。それまでこの世界における虚構でしかありえなかったはずの【存在】に、【異世界】における事実を与えられた、虚構に近い物語における人物であるザ・サンダンス・キッドでしかありえねぇんだから」
でも、アトリは成し遂げようとした。
結局、失敗に終わったのだけれども。
どのような形であれ、ザ・サンダンス・キッドが帰還することはなかったのだから。
だけれども――
「でもよ、その代わり……お前は、自分がどうなるか、想像しなかったのか?」
「…………」
「俺が【不死者】に成り果てたのと、逆のことが起こるかもしれねぇって考えなかったのか? ザ・サンダンス・キッドが帰還するのに、過去・現在・未来におけるお前の【存在】が代価になるかもしれねぇって」
「…………」
「そうであるならよ、お前……ザ・サンダンス・キッドと入れ替わる形で、虚構に成り果てちまうんじゃねぇか? もしそうなったらよ……ソイツぁ、お前が死んじまうのと同じことなんじゃねぇか? お前の【存在】そのものが、喪われるって、考えなかったのか?」
アトリは、答えない。
沈黙することで、ブッチが掴んでしまった全ての確信、その全てを肯定している。
ブッチの中で、何かが、切れた。
「お前さ……俺が、ンなことされて……喜ぶとでも、本気で思ってんのか?」
「…………」
「答えろ……ッ!」
ブッチは、アトリの喉首を掴んだ。
とはいうものの、本気でやっているわけではない。理性を総動員し、激昂をねじ伏せた上での行いだ。
やろうと思えば、アトリの首など簡単に握り潰せる。
「お前、どういうつもりだよ……ッ!」
「…………」
「なに考えてんだよ……ッ!」
「…………」
「答えろよ……ッ!」
「…………」
「なんか言えよ……ッ! 言えってんだよ……ッ!」
「…………」
「俺が納得できるように、理論立ててきちんと説明して……くれってんだよ……ッ!」
「…………」
「アトリ……!」
「…………」
「アトリ……ッ!!」
アトリは、答えない。
ただ、その顔が、苦しげに歪む。露ほども力がこもっていない手で、掴まれているだけなのに。
むしろ、そういう顔をしたいのはこっちだよ、とブッチは胸中で毒づく。こんな蛮行をしでかさせているのは、外ならぬアトリのせいなのだから。
「ンなことされて、残された俺が少しも後悔しねぇとでも思ってンのか!?」
「……後悔、くらい、しますよ……」
アトリはようやく言葉を吐き出す。その声には、涙を――泣きたいのを無理矢理押さえつけて塞ぎ止めている危うさがあった。
「……むしろ、しなきゃ……おかしい、です……」
「……お前ッ!」
「……状況があのまま進むだけだったら、ブッチさん……今度こそ本当に、捕まって終わっていましたよ」
「どういう、こった?」
「……もし仮に、シリンゴがわたしを撃っていたら、どうするつもりでした?」
「……ッ!!」
ブッチは、総毛立つ。
その言葉の意味を、理解できてしまったために。
皮肉なことに、それがブッチの感情を鎮静させることとなる。
アトリはただの人間だ。
撃たれれば、死ぬ。死ななかったとしても、深手を負う。
どっちにしても、血が流れることとなる。
【不死者殺し】――【不死者】を、現状におけるブッチを滅ぼす唯一の手段が。
そうなったら、形はどうあれ辿るのはどうしようもない破滅だ。
【不死者】であるブッチは、どうあったって【不死者殺し】であるアトリを助けることができない。
その上で、軛にかけられる。
文字通り、全てを失い喪って。
わずかな希望すら、全て絶たれて。
「それが、理由か……だから、ザ・サンダンス・キッドか」
だから、アトリは打って出たのだ。
自分の【存在】と引き換えに、ザ・サンダンス・キッドを帰還させる。
【不死者殺し】はいなくなる。そうなれば、どうしようもない破滅へのルートは絶たれる。
そうなったら、もう、心配することはない。
ブッチ・キャシディとザ・サンダンス・キッド、唯一無二の相棒であると認め合う同士が揃うのだ。あの程度の窮地を脱せないはずなんてない。
だけれども、これはあんまりといえばあんまりだ。
合理的もいいところ――故に、凶行。
アトリが外ならぬ自分自身を犠牲にしなければできないことなのだから。
全ては、ブッチを救うため。
ただ、それだけのため。
流石に、絶句せざるをえない。
それでも、なんとか質そうとした。
突きつけられた全てが、事実ではなく虚構であると思いたかったから、信じたかったから。
外ならぬアトリ、事を起こした張本人が「そんなわけないじゃないですか」と言えば、言ってくれれば――全ては、事実ではなく虚構になるのだから。
だけれども、望んだことを聞くことは結局叶わなかった。
「ッ!? やッべぇ!」
気付くのが、遅すぎた。
限界を迎えてしまっていたアトリは、既に意識を手放してしまっていた。
気がついた時、アトリはパジャマ姿のまま家のリビングに立っていた。
「……あれ?」
無意識に身体に触れる。
なんともない。勿論、肩に傷なんてあるわけない。
「……夢オチって、やつですか?」
それにしても、リアルな夢だったような気がしないでもない。
気がついたらいた荒野で出会った人が実在の無法者と同じ名前でしかも【不死者】で一緒に旅をしてたら違う【不死者】に襲われたかと思ったら仲たがいしちゃってでも助けてもらえたけど重傷を負って負わせてしまって助けにいくために銃を装備して撃ってそれからそれから――
「……まあ、夢なんてどうせこんなもんですよ」
アトリの人生経験上、夢なんてこんなもんである。
内容だって、あやふやにしか思い出せない。
でも、多分、いい夢だったんだろう。そうだと思いたい。
ふと見れば、ソファの上に【あの人】がいた。
クッションを枕に、仰向けで寝ていた。
近づいて、傍らに座って、その寝顔を間近で見る。
そんなに若くないはずなのだけれど、でも――なんて言えばいいか分からないのだけど、見る人にどこか不思議な印象を与える顔立ちをしている。
まだあどけない少年のようにも。
思春期を脱して垢抜けた青年のようにも。
大人の老練さを知り始めた成年のようにも。
そのどれにも見えてしまえるのだから、見た目から年齢をきちんと把握するのは、おそらく至難の極みだろう。
しかし、そんなことは今はどうでもいい。
なんとなく思う。夢に出てきた人も、こんな感じだった気がする。
種類は違うけれど、無法者であることだけは共通していたし。
「なにやってんの?」
考え込んでいたおかげで、【あの人】が目を覚ましていたことに気づけなかった。
「……別に、なんでもないです」
「なんでもないんだったらね、寝ているいい歳こいたおっさんの側で、そんなことするんじゃないよ」
「……すみません」
「ってか、その行動の意味わかってんの? 襲っちゃうぞ?」
「…………」
「ドン引くなよ、冗談だ」
「…………」
「で、どうしたんだい?」
「……え、ええっと……」
居心地の悪さを感じて、キョドってしまう。
特に用事はなかったはずだ。
用事があったとしても、明日まで待てばいいだけの話だ。
なにもなくても、言いつくろうべきなのだろうか。
思わず、うつむきかけて――
「うつむくな」
その声に、思わずはっとなる。
顔を上げたアトリに、【あの人】は言う。
「折角、しゃきっとできるようになったんだから。元に戻るなんて勿体なくないかい?」
「……元って、そもそもわたしはこうですよ?」
「そうは言うけれど、イイ顔してイイこと言ってしゃきっと立てていたじゃないか。アイツの前では」
「……でも」
「でも?」
「……わたし、ブッチさんに……ひどいこと、しちゃいました……」
アトリは言う。
「……ブッチさんから貰ったお守り、壊しちゃいました。……ブッチさんに色々よくしてもらっていたのに、ひどいこと言っちゃいました……ブッチさんを殺しかけて、危険な場所に追いやって……挙句、酷いことをしてしまって……」
【あの人】は、アトリの懺悔を、ただ黙って聞いていた。
「……結局、わたし、なにもできないんです。……なにかしようとしてあげても……ただ、傷つけるだけ傷つけてしまって」
「後悔しているのかい?」
「…………」
「じゃあ、なんで逃げなかったんだ? 後悔するのが怖いなら、逃げればよかったじゃないか。逃げなくても、立ち止まり続けることを選ぶことだってできたはずだ」
アトリは答えられなかった。説明するための明確な言葉が見つからないからだ。
そもそも、どう言葉にしていいのか分からないからだ。
「……わたし、事態を悪くさせてばっかりいます」
「…………」
「……わたしって、結局、なんなのでしょう……」
「分かり切ったことを言うなよ。アトリはアトリだろう?」
「…………」
「悪いけど、俺は今のお前が望むような答えなんか返してやらないよ」
「……優しいんですね」
「俺は優しいよ。お前限定だけどね」
「…………」
「アトリ」
【あの人】は、いつの間にか、目の前に立っていた。
「……今更、そんな……戻れませんよ」
「立ち止まっていて、どうする?」
「…………」
「待っていてくれているはずだぞ」
駄目だ、戻っちゃ駄目だ。
戻ったら、きっとまたブッチを傷つけてしまうに違いないから。
だから、このままがいいはずなのだ。
「なあ、アトリ」
「…………」
「虚構に近い物語を、アイツは……お前にそんなことを望むのか?」
「……!!」
「どうするか決めるのはお前だ」
そう言う【あの人】は、アトリが憶えていない顔をしていた。
笑っているようであっても、どこか寂しそうに見えた。
それは、巣立ちを迎え、遥か遠い場所へと征ってしまった娘を見る、父親の眼差しだった。
「お前は……選べるんだぜ?」