Chapter 6
用いた奇策、その全てが、容易く打ち破られて終わった。
これが【英雄】、生きて伝説を創造する存在――それだけではなく、【不死者】としてしても格が違いすぎる。
キエン・エスがナイフを振り下ろそうとするのを、ブッチはただ見ていた。
角度と軌道から察するに、おそらく右目を潰すか抉るつもりだ。
当たり前だ。伝説に謳われる通り、彼は左利きなのだから。
実際、ガンマンの利き手ではない方で銃を扱い、そして、今はナイフを握っている。
【英雄】ビリー・ザ・キッドが、左利きの天才ガンマンであったという伝説がある。
左利きのガンマンって、天才って称されるくらいすごいの? と大体の方は思われるだろう。大体、銃なんて引き金を引ければ誰でも撃てるんでしょ、と。
ピンとこない方のために解説しておくと、銃っていうのは、本来であればガンマンの利き手――右手で扱うことのみ想定して製造されている武器だったりする。そうであるのは、大体の人間が右利きだからだ。
だけど、撃つだけだったらそうじゃなくても出来たりする。引き金を引ければ、銃弾は射出されるんだから。
しかし、その考えには実は大きな問題がある。
考えてみてほしい、弾を全部撃ち尽くしてしまったら、右手で扱うことのみ想定して製造されている武器の手入れ、とりわけ、弾込め――弾丸の装填作業を、そうじゃない方の手でスムーズに行えるだろうか?
乱闘か銃撃戦の渦中であれば、文字通り一巻の終わりだろう。騎士道もへったくれもクソもない命のガチのやりとりの現場じゃ、格好の的にしかなりかねないのだから。
それ故、ビリー・ザ・キッドは天才ガンマンと伝えられる存在であり、【英雄】と謳われるのだ。早撃ちに特化させた射撃技巧でもって敵を早々と倒し、その大きな問題とやらにはまってしまう前に事を終わらせてしまうのだから。
今一度思わざるをえない、敵いっこねぇ――と。よりによって、そんな【英雄】が【不死者】に成り果ててしまっているとなれば――【異世界】の言葉で言うところの【ムソウ】もいいところじゃねぇかってんだ!
諦念が絶望に変質しつつあった。その狭間からにじみ出た囁きが、昏く嗤いかけてくる。
かの【英雄】はただの【不死者】とは違う。
そもそもの話、【英雄】ってのは死なないんじゃないか? 例え、卑劣な手段で倒されようとも、創造した伝説は否定されずに残るんだから。
だが、その囁きは、ブッチを、今一度、存在しないはずの怪物との遭遇の恐れを――
――邂逅の悦びとして、再認識させる。
故に、ブッチは――
「……ッの、馬鹿!」
「バモサマタールッ……!」
瞬間――銃声。
「バモサマタール・コンパネロス!!」
乱入者が上げた鬨の声が、世界を赤く染め上げる!
はっきり言って、いくらなんでもこれはちょっと――だったからだ。壁にぶちあたりまくる銃声と怒号のハウリングは、相殺し合うことなく互いを高め合っている。
奏でられるのは、生命と倫理への冒涜――死の軛に繋がれざる【不死者】同士が尽きる事のない生命を永遠に相食み合うことへの讃美歌。
それが、辿り着いた教会内部を狂奔している。
正面扉――戦いが繰り広げられているそことの境界線を前に、アトリは竦み上がった。
今度こそ死ぬかもしれない恐怖がある。
だけどそれより、ただのJKでしかないアトリが、【英雄】ビリー・ザ・キッドを殺せるのだろうか?
西部劇では誇張されて描かれていることが多いけれど、アトリが知る限りにおけるビリー・ザ・キッドの射撃技巧は、チートもいいところなのだ。
だって、機構上ガンマンの利き手じゃない左利きのまま、銃を扱いこなしていたっていうし。
余談だけど、西部劇において左手で銃を撃つのは大抵止む負えない事情を持つ設定を持つキャラクターに限られる。敵にこっぴどいリンチを受けて、右手を使えなくさせられて――っていうような。
唯一の例外は、クラウス・キンスキーぐらいだったと思う。そういう設定に縛られず、左手で銃をバンバン撃ちまくる演技をしていたっけ。往年の映画大スターである彼は、確かガチの左利きだったからそうしていただけらしいけど。
知る限りの情報を頭の中で纏めれば纏めるほど、なけなしのバイタリティが萎んでいく。
逃げたい、逃げ出したい――でも、行かなきゃ、行かなくちゃ。
不安定にぐらぐらする感情を宥めすかして、なんとか奮い立とうとする。でも、肝心の一歩を踏み出せない。
我ながら、情けないと思わう。さっきまでの勢いはどこに行ってしまったのだろう。
駆けつけるための翼をみんなからもらったのに、肝心な時、躊躇ばかりして羽ばたけない。
思わず、眼を瞑ってしまう。悔しかった。惨めだった。
「真面目に怖がるな、馬鹿」
閉ざしていた視界のどこかから、声が届く――それが幻聴だってことぐらい、アトリには分かっている。だって、今ここにいるのは、アトリ一人だけなのだから。
「……わたしのわがまま、聞いてくれますか?」
アトリは、クラレントに呼びかけた。
クラレントから降りたアトリは、サドルバッグを開けた。目当てのものを取り出す。
振ると、中身――本来は飲料だけど、可燃性のある琥珀の液体が、ちゃぽちゃぽ音を立てる。
蓋を開け、口にぎゅうぎゅうと布を押し込む。そうするための布は、羽織っていたボロ布を破いて使った。
最後にそれに、サドルで擦って着火したマッチで火をつける。
完成した凶器を携え、アトリは教会の敷地内を移動する。正面から、側面へと。手綱を引かなくても、クラレントは付いて来てくれる。着火の危険性が高いので、ボロ布は教会正面に捨ててきた。
裏手近くの窓の前で、アトリは止まった。控えるようにして背後に待つクラレントに、言う。
「……いい、ですか?」
「いつでもいいよ」という返事はなかった。そりゃあそうだ、クラレントは馬なんだから。
件の凶器を、アトリは内部に向けて思いきり投擲する。火が放物線を描いて飛び込んでいくのと同時に、クラレントは駆け、跳躍し――戦場に踊り込んだ。
見届けるのと同時に、アトリは手を伸ばす。伸ばした先のそれを握りしめ、抜き――構える。
思っていた以上に――重い!
ブッチが当たり前のように持って扱っていたのと同じはずのものなのに、得物である銃は、びっくりするほど重かった。
これが、ガンマンの武器、無法者の牙、無法の地に生きる人々の生きるための手段なんだ。
引き金を引けば、弾丸を放てば――敵を倒せる、殺せる。
【不死者殺し】であるアトリが引き金を引けば――それがたとえ【不死者】であったとしても。
引き金に指をかける。指と手が、腕全体が震える。だけど決して、重さのせいだけじゃない。
これは、覚悟と――そして、命の重さだ。奪う側と奪われる側の。
震える指に、力を込める。覚悟は、既に決めたはず。
指に、己が全ての力を集中させる。的に、銃口を向ける。
「バモサマタールッ……!」
知らず知らずのうちに、アトリは叫んでいた。それは、無限に湧いて出ては立ち止まらせようとする恐怖を振り払うための咆哮。
そして、ビリー・ザ・キッドへの宣戦布告となる。
「バモサマタール・コンパネロス!!」
同時に、今まで感じたことのない昂ぶりが、アトリを支配した。大きな潮のようなものに衝き動かされるがまま、アトリは叫び――
――引き金を引いた。
銃声。
その所作に連動し、ハンマーが雷管をぶっ叩く。
火薬に着火し、燃焼ガスが弾丸を押し出す。
大量の白煙が吹き出し顔面を、燃え残った火薬かすが両手を――コルトM1851が初弾を射出する際に必然的に発生する現象が、アトリを容赦なく打った。
「……ァッ、がッあ……ッ!」
それらを一身に受け、アトリは呻き声を上げる。
両肩がぶっ壊れるか、外れたんじゃないかって思った。傷にだって、ガツーン! ときた。
脚だって、生まれたての子牛か小鹿みたくガクブルになっている。
それぐらい、凄まじかったのだ。銃を撃つことっていうのは。
正直、転倒しなかったのが不思議だった。
はっきり言って、奇跡もいいところかもしれない。この手の銃を初めて撃つと、普通であれば反動と衝撃に耐えきれず、後ろに引っくり返るっていうし。
もっとも、それを許さなかったのは、教会内部で上がった炎だろう。
「……う、うわ、わ……!」
炎の赤が、教会内部で踊り狂っている。
アトリが放った弾丸は投げ込んだ凶器に見事に命中したらしかった。だからといって、ここまで凄まじい威力を発揮するとは思っていたわけじゃないんだけど。
すぅ、と深く呼吸する。吸い込んだ空気は、熱く渇いていた。
そして――意を決する。
一体、なにがなんだか――である。
銃声、叫び声――そして、炎。
どれが一番最初だったのか、ブッチには分からない。
だけれども、一つだけ分かる。忌々しいことだが、【不死者殺し】を恐れるブッチの【不死者】としての本能が、教えてくれる。
一連の事をしでかしたのは、他ならぬ一人の少女だ。
一方的に置いてきたはずのその少女は、【不死者】同士が相食み合う地獄に乱入をかまし――いかなる手段を用いたかは分からないが、一瞬にして一つの空間を大炎上させたのだった。
その一方で、キエン・エスは身体を震わせていた。己が身が震えることへの震えだった。
おそらくそれは、【不死者】のみが知る恐怖だ。【不死者】に本物の滅びをもたらす【不死者殺し】を前にした。
望まざるそれを振り払わんと、キエン・エスは叫び声を放とうとした。
その直前、衝撃が顔面から脳天――そして、意識を突き抜けていく。
反撃に遭い、ぶん殴り飛ばされたのだと理解した。しかし、こんなのなんてことない。死ぬことに比べれば。
ふらつきながらも、立ち上がる。
歪む意識が映す視界の中、ブッチ・キャシディは銃を奇妙なポーズで構えていた。
キエン・エスは嘲笑う。
馬鹿が、その銃はもう撃てねぇよ。六発全部撃ち尽くしているんだ。弾切れの銃で、なにが出来る? そんな虚仮脅しが無意味だってことぐらい、こっちは分かってい――
「斃り……さらせ!」
銃声。
意識は歪んでいた。だが、身体はしっかりと捉えていた。右眼に命中し、脳を食い破り、後頭部を突破していく弾丸の感覚を。
バ、バカな!? そんな、ありえない!!
そう――実際、ありえないことなのだ。銃で、七発目の弾丸を放つことなど。
銃に装填できる弾の数は六つ。だから、六発しか撃てない。
なのに、一体、どうやって?
「クソガキが、おっさん舐めんじゃねぇぞ!」
キエン・エスの動きが止まる。
そうさせたのは、恐怖以外のなにものでもないだろう。【不死者】が唯一恐れる存在こと、【不死者殺し】への。
確信せざるをえないことがある。その確信とやらは、ブッチが抱いていた恐怖を打ち砕いてくれる。
だから、ブッチは行動を起こせていた。動けたからだ。
【不死者殺し】を怖れるが故、立ち止まってしまうキエン・エスと自分は――違う!
【不死者殺し】である前に、アトリはただの少女なのだ。
生真面目で、恐がりで、お人好しの。
いや、話はそれ以前だ。【ワイルドバンチ強盗団】の首魁である前に、無法者である前に、ガンマンである前に――ブッチは男なのだ。
もし、出会わなければ、出会えなければ――あと何年かすれば、キエン・エスと同様の存在に成り果てていたかもしれない。
ブッチにとって恩人たる存在を、キエン・エスは、バケモノ扱いするのだ。
「ふざけんじゃねぇよ……ッ!」
左手を、握りしめる。
吹っ飛ばされた指は、【再生】していた。ただ、感覚がちょっとおかしい。指が形作られているけれど、神経が根こそぎ抜け落ちているみたいな感じで。
銃を握れるか、引き金を引けるか、分からない。
そんなの、分からなくて構うものか。握りしめられればいい、拳に出来ればいい、拳を振り上げられるだけでいい。振り上げて、相手にガツン! と一発入れられれば、それでいい。
「……!!」
キエン・エスが吹っ飛ぶ。
当たり前だ。顔面中央、鼻を、拳でストレートに打ち抜かれたのだから。
感触で、鼻の骨を砕いてやれたのが分かった。前歯も砕けていた。
しかしその反動、手加減一切抜きにやらかしたおかげで指が軒並みオシャカになる。
そんなの構うものか。どうせ【再生】するのだから。
炎に照らされる視界の端に映ったものを見つける。歩み寄り、右手の指に引っかけて拾い上げる。先程奪われた得物だ。
見る限り、オシャカになっていないようだ――これならいける。
握り開きが出来た。指はしっかりと動く、握力も戻っている。これなら、銃を持てる――そして、撃てる。
しかし、ここで問題が一つ。上手く構えられない。
見てくれは元通りだ。だけど、握り砕かれた衝撃で感覚がぶっ壊れている。
構えようにも、ぐらぐらして照準が定まらない。
これじゃあ、意味がない。引き金を引けたって、弾丸が標的に当たらなければ。
だったら――ブッチは、右手首に、歯を立てる。その側面をがっぷりと噛んで咥え――頭を傾ける。
そうやって、銃を構える、固定する。角度と位置を調整し、標的への照準を定める。
引き金に、指をかけた。あとは、引くだけ。
この銃は、ダブルアクション式だ。撃鉄を起こさなくても打てるタイプ。
視界の先、標的が立ち上がる。
目が合う。案の定、こっちを嘲笑っていやがった。
多分、こう思っているんだろう。馬鹿が、その銃はもう撃てねぇよ。六発全部撃ち尽くしているんだ。弾切れの銃で、なにが出来る? ――と。
ブッチは嘲笑い返す。
「斃り……さらせ!」
引き金を引く。
銃声!
放たれた弾丸、本来であればありえない七発目のそれは、キエン・エスの右目に命中。
穿ち、後頭部から血の華を咲かせる。
バ、バカな!? そんな、ありえない!! と凍りついた表情で倒れたキエン・エスに、ブッチはこれまで溜まりに溜まっていた恨みと鬱憤の罵声を浴びせた。
「クソガキが、おっさん舐めんじゃねぇぞ!」