Chapter 3
胸に、銃弾を受ける。
対し、投げ放ったナイフが、相手の喉に突き刺さる。
いずれも、命を吹っ飛ばす一撃。それが、お互いを貫き合う。
されど、死闘に決着には至らず。
否、最早これは死闘にあらず。
死を恐れぬどころか、そもそも死のそのものを持たざる【不死者】同士の饗宴。
「クソったれ、がァ!」
血反吐と共に、ブッチは罵声を吐き出す。同時に、きゅばっ! 青仄白の炎が上がる。
焦燥と憤激が、猛り狂う。それに衝き動かされるように、ブッチは間合いを一気に詰めた。
「去ね」
キエン・エスの喉に突き刺さっていたナイフを、引き抜く。
「さらせやァ!」
生暖かい深紅の驟雨を浴びながら、ブッチは構え直す。
長年培った経験に従い、再びナイフを叩き込む。
人体に搭載されている天然の鎧、肋骨の間を、刃が肉を引き裂いていく。おぞましい感覚が、直に手に伝ってくる。
そして――キエン・エスの心臓を、切っ先が、突く!
「ガッ!」
人間であれば間違いなく即死。
されど、【不死者】であれば【再生】可能。
キエン・エスから、青仄白の炎が上が――
「ガァッ!?」
――る前に、心臓にナイフを突き刺す。キエン・エスに【再生】の機会を与えることなく。
「あばよ、元【英雄】!」
三度目、四度目、五度目――その全てが、正確無比な一撃。キエン・エスに成す術はない。
「アトリの痛みと、俺の赫怒を知って逝け!」
眼を開いていたはずだった。だが、衝撃と共に視界が暗黒に呑まれる。
そのまま、キエン・エスの意識は、ブラックアウトした。
我が儘を言ってしまえば、高級銘酒を飲みたかった。出来ることなら、直瓶で一気に。
摂取したアルコールは嫌悪感を鎮めてくれるだろうから。
銃撃戦では決して味わうことのない、直の殺人。
倒れたキエン・エスを、ブッチは見ていた。
既に死んでいる。上手いことやって、殺してやったのだから。
例外を除けば、【不死者】は死なないはずだ。だが、その例外以外に、番外なるものが実は存在していたらしい。
その番外とやらのために、キエン・エスは無惨な死に様を晒している。
キエン・エスの後頭部からは、ナイフの柄が生えていた。その真逆に位置する刃の先端は、脳の中心部にまで達しているだろう。
こうすると、脳――正確に言えば頭の中身のよく分からない名称の器官がブッ壊れる。
ずっと前にやらかした時、相手をよくよく確かめたらどういうわけか僅かに傷つけた憶えがない心臓や肺が停止していた。
人間の死に様として、この上なく異常なものでしかありえなかった。察するに、どうやら人間というのは生きていく上で決して停止してはいけない器官がブッ壊れると、こんな異常な死に方をするらしい。
恐らく、人体の臓器を上手いこと動かして生かしてくれる基だったのだろう。
もしそれを、【不死者】に――人間で言うところの【異常な】死に瀕する・匹敵する・直結するようなダメージを負わせたら、どうなる?
猛攻に怯んだキエン・エスの前髪を引っ掴み、前に引き倒す。
無防備に晒された後頭部に、ナイフを刺し込む。
その際、基を的確な一撃で破壊する。
結果はご覧の通りだ。件の青仄白の炎を上げることなく、無残な死に様を晒している。
ちなみに、ブッチが破壊したのは脳幹という器官――人体の生命維持機能を司る、中枢神経系だ。
破壊されたら、ただじゃ済まない。良くて昏睡状態。最悪、脳死だ。
既に、戦いは過去のものである。現在を支配するのは、冷たい嘲りのような静寂。
この虚無感は一体なんだ? けじめは、確かにつけたはずなのに。
そんなの、決まっている。
けじめなど、ブッチはつけちゃいなかった。キエン・エスとの決着なんて、本当にやらなければならないことから逃げるための口実だ。
想い慕ってくれた相手を、ブッチは裏切って傷つけた。
それ以外にも、酷いことをやらかしていた。
「……なァ、キッド。俺は……」
今この時だけでいい、この時が最後でもいい。究極的につまらねぇエゴイストに堕落しきった、この最悪のろくでなしを嗤ってくれ。
よくよく考えれば、関係としてうまくいきすぎていやしなかっただろうか? 「【異世界】からやって来てしまった」という特異な点を除けば、アトリはただの少女でしかありえないはずなのだ。
今になってようやく合点がいった。ケサダとのやりとりで意識せざるをえなかった引っ掛かりの正体は、アトリだ。
話を聞く限り、アトリが元々いたというブッチにとっての【異世界】――ただし、【ニホン】にのみ限定されるらしいが、銃の所持は【ジュウトウホウ】と呼ばれるルールで所持することが禁じられているのだという。
アトリは、生まれてからずっと、そんな場所で育ったのだという。
そんな天国だか地獄だか判別のつかない色んな意味でクレイジーな温室育ちの少女が、銃を持つのが当たり前の男に接する――よくよく考えてみれば、異常なことではないだろうか。
理由はどうあれ問答無用で腹パンを入れて拉致同然に連れ去り、【不死者】であることを証明するためとはいえ自分の頭を吹っ飛ばせる無法者を、ごく自然に、ごく普通に、アトリは受け入れて接するのだ。ろくでなしと口汚く罵倒することも、みっともなくギャーギャー泣きわめいて助命を乞うことなく。
そんな類の人間に、ブッチは心当たりがあった。
それは、理由や原因はどうあれ、無法者という呼称を受ける人間を身近に受け入れ、慣れきってしまった人間だ。
堅気として生きる上で背負ってはならない十字架を背負わされる、不幸な人間だ。
「俺は一体いつから、言い知れぬ不幸に傷ついて泣いている存在の側で、平気な面をして酒が飲めるようになっていたんだ?」
やにわに、アトリは立ち上がった。
しかし、しゃがみこんでしまう。唐突かつ突発的な動きは、肩の傷を容赦なく打ち据える。
「お嬢さん……?」
エメさんは驚いて、持ってきていたパンケーキの皿を取り落としてしまう。
ただならぬ異変を嗅ぎつけたらしいマックスが、ばうばう派手に騒ぎ立てる。
だけど、歯を食いしばってアトリは立ち上がった。足元をふらつかせながら、一歩、また一歩、前へ踏み出していく。
されど、傍から見れば、それは行動として危ういものだった。一歩間違えれば、間違いなく破滅しかねない足取り、そういうことに気付いていない人間の足取りだ。
「お嬢さん、お止めになってください!」
「……行か、行かないと、行かないと……行かな、きゃ……!」
「お嬢さんっ!」
しかし、アトリはそれを振り払う。言葉じゃなく、行動で。
エメさんが茫然とするのが見えた。おそらく初めて表に出されたであろう、アトリの意思表示に驚いたのだろう。
また一歩、踏み出そうとするアトリに、今度はマックスが吠えつく。
「行くな!」というより「なにやってんの!?」とばかりに、周りをぐるぐる回りながら。
それでも、アトリは進もうとする、行こうとする――征こうとする。
その様は、意味のない場所へ辿り着く前に死ぬ愚行でしかありえなかった。
だから、アトリは張っ倒される。
「ア、アンタ、なにを……?」
「お嬢さんを椅子に座らせな。アタシは鎮静剤代わりのモンを持ってくる」
ことを鎮めたケサダは、静かに言い放った。
「……すみません、でした」
「いいから、ぐっとお飲みなせぇ。謝るより、昂ぶりを鎮める方がずっと大事なんですから」
椅子に座らされたアトリは、マグカップの中身を口にする。
「……う!」
思わず、えずきかけた。熱々のホットコーヒーだ。この【異世界】ではメジャーなブラックコーヒー。
だけど、「ぐっと」飲めるような代物じゃない。
「……ま、まっずぅ!」
「不味くて当然ですぜ。ソイツぁ、酔い冷まし用のコーヒーだ」
「……なんで、こんなものを、わたしに?」
「昂りを鎮めるにゃ、濃すぎるコーヒーが一番なんでさぁ。もしくは、拳を顔面に……こう、ガツン! と」
「……ってことは、飲まなかったら、わたし……」
「ええ、そうですよ」
冗談に聞こえないのはどうしてだろう。テーブルを挟んだ先の真正面に座るケサダの眼が、ガチで真剣なせいだろうか?
「で、お嬢さん。一体どこへ行かれるおつもりだったんですかい? エメを振り切って」
「……決まっているじゃないですか」
アトリは言う。
「……ブッチさんのところに、ですよ」
「ご自身のことをもう少しお考えになってくだせぇ。お身体だけでなく、そんなどうしようもないお心持ちで」
「……分かってます、それぐらい」
「でしたら、ベッドに戻ってて休んでいてくだせぇよ」
「……嫌です」
「お嬢さん、そんな、聞き分けのねぇクソガキみたいなことおっしゃらねぇでください!」
「…………」
「お嬢さん、どうかお願いですから! お頼みしますから」
「わたしが聞き分けのないクソガキなら、ブッチ・キャシディはなんなんだ!!」
豹変は、唐突だった。
ケサダは思わず息を呑む。そこにいるのは、最早、終始おどおどしっぱなしのか弱い少女ではなかったのだから。
「あのバカ、わざわざ死に逝きやがったんだぞ! 自暴自棄で、用心棒の責務を放棄して! だから、わたしは、行くんだ!」
「……!?」
「今度こそ本当にくたばり果てちまう前に、連れ戻しに行くんだ!」
今のアトリは、凛としていた。
視線を逸らすことなく、揺らすことなく、しっかりと前を見据えている。
それまで自分を護るために纏っていた理屈という壁、納得しなければ通り抜けることが出来なかった道理という境界をぶっ壊そうとしていた。
だが、今のままじゃ、情動に駆り立てられるまま、無謀につっ走り切ろうとする馬鹿だ。
「どうするね?」
壁際で腕を組んでそれまでの成り行きを見守っていたエメさんは、黙って首を横に振った。
それだけで、ケサダには分かる。覚悟を決めきった者を、誰が止められるというのだ?
「エメ、例のモノ一式を持ってきな。カウンター裏の隠しスペースだ」
エメさんは頷き、言われた通りのものを持って出て来る。
「お征きになられるなら、覚悟をお見せくだせぇ」
エメさんは、アトリの前に例のモノ一式とやらを置き、開く
【COLT MODEL 1851 NAVY】
それが、ソイツの名だ。飴色に輝く木箱の中に鎮座した。
丸みを帯びたクラシカルなフォルム。
朧月のように蒼褪めた不吉な輝きを宿す銃身。
恐怖を感じた。だけど、そんなの一瞬のことだ。
思わずほぅっと溜息を吐いてしまう。
当然だろう、中に鎮座するコルトM1851が持つ、獰猛な美しさを見てしまえば。