Chapter 1
キエン・エスは、コルトM1877・ライトニングを両手で握りしめた。
教会に隠れ潜んでから、ずっと行っている所作である。
その様はまるで、存在しないはずの怪物が闇の中に潜んでいると信じ、ぬいぐるみか毛布に縋りつく子供のようだった。
けれども、こうでもしていないと、どうにかなってしまいそうだった。
止まらぬ震え、指先には氷の冷たさ、カチカチと不快に鳴る歯、唾を上手く飲み込めないくせにやたらと動く咽喉。
忘れもしないあの時が、そもそもの元凶だ。
同じ【不死者】である存在を撃とうとするも、失敗した。それまで倒れて震えているだけだったくせに、なにを思ったか知らないが飛び込んできやがった、ソイツのおかげで。
当然、撃ってやった。お楽しみを邪魔してくれたのだから、当然だ。
故に、後悔という名の無間地獄に堕ちる。
あの時、キエン・エスは確かに見たのだ。ソイツから、【あれ】が吹き出たのを。
直感する。【あれ】はキエン・エスを――【不死者】を殺せるモノだ。それこそ、ダメージから【再生】する間もなく、青仄白の色の炎が上がる間もなく。
得物に、縋りつく。こうしていなければ、今にもどうにかなってしまいそうだ。
どうにかなってしまうことになど、耐え切れない。
「……ギャ、レ……ット」
黒ずんだ液体を肺腑から吐き出すよう発したその名は、歪んでいた。
許されざる裏切り者、元無法者で保安官で、しかし親友であったはずの男。
勿論、殺そうとした、殺してやろうと思った。
だが、皆が皆、口を揃えて言うのだ。「それは一体、なんなのだ?」と。
誰もが皆、否定した。名前どころか、その【存在】すらも。
勿論、キエン・エスは知らない。かつての彼が【不死者】へと成り果てることへの代償に、親友であったはずの男の【存在】が失われていたなんて。
否定され続け、いつしか彼は気付かぬうちに自分を見失っていった。
「……!」
徐に、キエン・エスは立ち上がる。直感、或いは本能が告げていた。
【あれ】の、【不死者】に滅びを与える存在が、強まる。
「キエン・エス」
教会の両開きの扉が、開く。
開かれた先に立つのは、さながらそれは黄泉を従える者、【死】の名を冠する騎士。
「ソイツぁ、こっちの台詞だ」
――ではなく。
ブッチ・キャシディは言う。
「ソイツぁ、アンタにとってのオトモダチに言うべきなんじゃねぇか? 【存在】はなくなっちまっているけどよ。つーか、誰に言うのか分からねぇ言葉、肝心の自分自身すらも分かってねぇような言葉が、意味をきちんとなしているかなんて思ってんじゃねぇよ」
ブッチは懐から取り出したものを投げる。
澄んだ金属音を上げて、それらは教会の床に散らばった。
「憶えてるか? あの晩、アンタが俺の腹にプレゼントしてくれたモンだ」
金属の小さな塊、鉛で出来上がったそれは、ガンマン――とりわけ無法者と呼ばれる連中の御用達――銃弾。それが、三つ。
「誰に殺され、何故死んだ? でしか終わらねぇ。撃たれりゃお終いでしかねぇ人間なら、絶対に分かりっこねぇ。そもそも、人間ってのは死んじまえばそれまでだ。けどよ、お前が殺ろうとしたのは【不死者】だった。
あの時俺は殺られ、されど殺り返し――そしてふと思ったのさ。アンタという相手は、どうやらただ者じゃねぇに違いねぇ、ってな。強盗にしちゃあ恐ろしくやり方が上手すぎるし、賞金稼ぎにしちゃあ恐ろしくやり方がスマートすぎるし、殺し屋にしちゃあ恐ろしく目的が掴めなさすぎるしよ。それ以外だとすりゃあ分からなさすぎる。どれにしたって、分かりゃあしねぇ。
……だから俺は、思考の方法を変えてみることにした。人間の思考から【不死者】の思考に変えてみた。で、結果として、俺は手掛かりを……答えを得ることが出来た。手前の腹から抉り出したソイツらが、俺にアンタが誰なのかを教えてくれた。
つーかよ、犯人がアンタだなんて誰も分かんねぇよ。ぶっちゃけ、痛ぇじゃすまなかったぜ。自分の腹の肉を裂いてはらわたに指を突っ込んで弄って、めり込んじまったそれらをきちんと全部抉り出す作業ってのは。ぶれることなくちゃんとやらにゃあならんから、アヘンチンキだって飲めなかったしよ。【不死者】でなけりゃ間違いなく死ねる、身心共にぶっ壊れ死ねる。先に逝った連中と談笑出来ちまった、この俺という【不死者】ブッチ・キャシディが保障してやるぜ」
対し、キエン・エスは答えなかった。戦慄せざるをえなかったからだ。
淡々と紡がれる言葉、狂気が籠るそれにではない。
何故、お前がそれを知っている?
誰もが【存在】を否定した、自分の暗殺実行犯であった男のことを。
だが、キエン・エスが答えを知ることはなかった。
そりゃあそうだ。ブッチはそもそも、答えなど用意していないのだから。
ただ、言葉巧みにミスリードさせただけだ。
故に、キエン・エスは謀られる。無法者ブッチ・キャシディの、奸智の所作に。
銃声。
銃声が、夜闇と教会内部の空気を引き裂いて轟き合う。
銃が、床に落下する。
ブッチの左手の銃が。
キエン・エスが撃ち落としたからではない。ただ、わざと手放しただけだ。
抜くも、されど、狙いをつけるでもなく引き金を引いただけの、デリンジャーを。
すぐ側を、死の速度を纏った鉛の死神――キエン・エスが放った銃弾が通り抜けていく。
すかさず、引き金を二度引く。今この僅かな間にもう一方の手で抜いた、もう一方の銃の。
銃声、銃声。
着弾の衝撃に、キエン・エスはたたらを踏んだ。
持ち備えていた天賦の才、確実に相手を殺せるはずの射撃技巧は、今や破られていた。
動揺を誘う一言――そして、銃声のとどめによって。
実際、効果てきめんだった。ブッチが思っていた以上に。
想定外の銃声は、聞く者を動揺に陥れる。
射撃技巧の特化、特に初撃による決着――俗に言う早撃ちを得意とする者であれば、尚のこと。
例えるなら、早撃ちっていうのは、繊細に出来上がっている結晶みたいなものだ。
衝撃――この場合は動揺を受ければ、容易く決壊――失敗する。
「つーかよ」
どッっ!
動揺が収まる前に、キエン・エスの胸に一撃を叩きこむ。それは銃弾より重く、拳より鋭い。
衝撃で、キエン・エスは喀血した。当たり前だ、ナイフの一撃は、質量は銃弾よりずっと重く、威力は拳よりずっと鋭いのだから。
「そもそも、勝てると見込めない戦いに、正攻法を持ち込むかってんだよ、バーカ!」
言い放つと同時に、ナイフを引き抜きつつ後方へ飛び退く。
直後――きゅばっ!
同時に、銃声、銃声。
不意打ちとしては完璧だ。確実に相手を殺れる。
だが、キエン・エスは【不死者】だ。
故に、いくら即死に直結するダメージを与えようが無駄である。死なない存在を殺すなんて、そもそも不可能なのだから。
だから、どうしようもない恐怖を覚えざるをえなかった。
きゅばっ! 殺り返され、身体から青仄白の炎が上がる。
ブッチは、ナイフと銃を握りしめる。
逃げられない。この場だけではなく、望まざる定めからも。
状況は、どうあったって絶望的でしかありえない。例え、どれほど足掻き通そうとも。
そもそも、人ならざる者同士の相食に、終焉は訪れてくれるのだろうか?