Chapter 2
「……え、えくすきゅーずみー?」
「…………」
「……は、はぶあないすでぃ?」
「…………」
「……ゆ、ゆーきゃんすぴーくじゃぱにーずらんげーじ?」
「…………」
駄目だ、相手から返ってくるのは、ただひたすら無言。
でも、アトリが取得している英会話スキルなんて、こんなものでしかない。それでも、何でもいいから反応を、出来れば何かしらの声ぐらいかけてくれてもいいのではないだろうか? 「クレイジー」でも「ジャップ」でも、最悪「ファ〇ク・ユー」でもいい。じゃないと、いい加減心が折れそうになってくる。
で、そもそもの話、アトリがなんでこんな受難に陥っているかなのだけど。
アトリの側に、馬車は停まってくれた。御者台に座っていた人物は、降りてきてくれてアトリと向き合ってくれた。
だが、その人物を見た際にアトリが思ったのは「うわぁ!」だった。「うわぁ!」って思わざるをえなかったのだ、色んな意味で。
「……ゆーあーのっとじゃぱにーず、ですよね?」
日本人のことを「平たい顔の人間」っていうギャグがあるが、目の前の人物はどう見たってアトリと同じ「平たい顔の人間」じゃない。むしろ「平たい顔の人間」って言う側の人間だろう。
すっきりと鼻梁が通った顔立ちといい、薄い唇といい、色素が薄い肌といい、被っているつば広のステットソンハットから零れるアッシュブロンドの髪といい、アトリを見る青鋼色の目といい。
外人だった。それも、どう見ても東洋系以外の。
薄汚れた羊皮紙色のジャケットの上に、鮮やかな彩色の糸で刺繍が施された深紅のポンチョを流し、くたびれたジーンズに、西部劇のカウボーイみたいな靴こと拍車付きのブーツ。
胸元には、年代物の金の懐中時計。それを中心に身体を飾るのは、見た感じ宝石っぽい輝石をあしらった銀細工のアクセサリー。
背は高い。身長一六〇センチ未満のアトリが見上げる形なのだから、間違いなく長身だ。
あと、結構スタイルがいい。でも、モデルみたくすらっとしているように見えるわけじゃなくて、格闘家みたくしなやかにぎゅっと引き締まっている感じ。
なんて言えばいいか分からないけど、見る人にどこか不思議な印象を与える男の人だった。
まだあどけない少年のようにも。
思春期を脱して垢抜けた青年のようにも。
大人の老練さを知り始めた青年のようにも。
そのどれにも見えてしまえるのだから、見た目から年齢をきちんと把握するのは、きっと至難の極みだろう。
でも、そんなこと今はどうでもいい。
「……えっ、えっと、えっと、すみません。……わたしが言っていること、分かりますか?」
「…………」
返されるのは、無言のみ。何の感情を浮かべることもなく、男はアトリを見るだけ。
「……あいあむそーりー。……あいあむじゃぱにーず。……あいあむきゃんのっとあんだーすたんど。……あいあいむじゅにあはいすくーるすちゅーでんと」
もっとマジメに、英語の授業を受けておくんだった。
「……うーぬ、どうしよう、どうすれば、どうすれば……」
いっそのこと、ボディランゲージにでも頼るべきなのだろうか? でも、あれは文化圏によっては、伝えたいことが別の意味にとられてトラブルを招きかねないっていう。
八方ふさがり。万事休す。
「ってかよ、普通に話せばいいじゃねぇかってんだ」
「……いや、普通に話してちゃんと通じてくれれば、こっちは苦労しないんですって……って」
――あれ?
「いや、だから、訳の分かんねぇことをごちゃごちゃほざくのに力を入れるぐれぇなら、普通に話せや」
――ちょっと待て。アトリは今、誰と会話のキャッチボールをしている?
この場にいるのは、アトリと、あと――って、ま、まさか!?
「……ゆ、ゆーきゃんすぴーきんぐ、ほ、ほわっ!?」
「だからなァ、普通に言えってんだよ!」
「ふぅん、迷子ね」
「……はい」
「ま、とりあえず飲んどけ。咽喉、乾いてるだろ」
「……いただきます」
手渡されたブリキのカップにはコーヒーが注がれて、湯気と焙煎特有の芳香がふわふわ上がっている。
ふぅふぅ冷ましつつ、熱々のそれを少しずつ飲む。
熱々と表現するからにはホットである、ホットコーヒーである。
だけど、ただのホットコーヒーじゃない。石を集めて作った即席のかまどで一気に沸かした、超本格アウトドアコーヒー。
正直、不味くはない。でもだからって、美味しくもない。
ミルクも砂糖も入っていない所謂ブラックコーヒーなんだけど、苦さも香りもほとんど感じられなかった。なんていうか、ものすごく薄い。
でも、これは相手側からの好意である。味の良し悪しなんて後回しにするべきだ
「……あの」
居住まいを正し、アトリは男に向かって頭を下げる。
「……助けていただいて、ありがとうございます」
「アー、いや、別に礼なんざいいってばね。ガキ一人、それも女なんざ見殺しにすれば、目覚めが悪ぃし……ってか、お前、どこのガキだ? 移動手段もなしにそんなナリで荒野を歩いて、どこに行くつもりだってんだ?」
「……そりゃあ、山手線経由で」
「ヤマノテセン?」
「……JRですけど」
「ジェイアール?」
「……一応、メジャーな鉄道ですよ?」
「聞いたことねぇな」
「……京浜東北線とか埼京線とか湘南新宿ラインはどうですか?」
「知らねぇよ。つーか、そんなまだるっこしい名前のモン、聞いたことねぇし」
「……ご冗談でしょう?」
「冗談もクソもねぇってばね、マジだよ」
「……えー、でも」
「つーか、考えてみろってんだ。どこの誰とも分からんガキを手前に、どうして俺みてぇにいい歳こいたおっさんがカマトトぶらなきゃならねぇってんだよ」
「……言われてみれば、そうですね」
「だろ?」
「……じゃあ、逆に、何線だったら知ってます?」
「サンタフェ、ノーザンパシフィック、グレートノーザン、サザンパシフィック、あとは……」
聞き覚えのない線ばっかりだった。かといって、知らないわけじゃない。
アトリが知る限り、これらは現代日本の首都圏を走る鉄道じゃないはず。
「……あの、ここ、日本ですよね?」
「ニホン?」
「……ジャパンです」
「ジャパン?」
「……日本語、随分お上手ですけれど……まさか、日本を知らないんですか?」
「ニホンゴ?」
富士山、寿司、天ぷら、東京スカイツリー、秋葉原、折り紙、藤子・F・不二雄、アニメイト、織田信長。
その他諸々の日本文化をアトリなりに列挙した、のだけど――
「……本当に、知らないんですか?」
「だから、知らねぇモンは知らねぇとしか言いようがねぇだろうが」
「……いや、でも……」
「あのなァ、なんでこの俺がンなくだらねぇ嘘をつかなきゃいけねぇってんだよ」
「……ですよねー」
「大体な」
アトリが考えることを見透かすように、男は切り出す。
「ンなしょーもない嘘をつくのに頭使うんだったらよ、もっとこう……有意義なことに使うべきじゃねぇか? そもそも、ンなことでああでもねぇこうでもねぇっていちいち立ち止まって懊悩するなんざ、芸人が扮する悩める知識人にしか見えねぇってばね。
この、ザ・サンダンス・キッドに言わせりゃあよ」
「…………」
「ンぁ、どうした?」
「……えーっとですね、その……今、あなたがおっしゃったのって名前ですよね?」
「アー、そういえば、まだ名乗っていなかったっけか」
そして――
「じゃ、名乗らせてもらうぜ。俺はキッド。ザ・サンダンス・キッドだ。どうぞよろしく、お嬢さん」
「…………」
「オイ、どうしたってんだ?」
「…………」
「なんだよ、言いてぇことがあるんなら言えってんだよ」
「……ええっとじゃあ、ザ・サンダンス・キッドさん?」
「キッドでいい」
「……じゃあ、キッドさんは、ゆーあーねーむいず、ザ・サンダンス・キッド……でおっけーなのですよね?」
「あのなァ、さっきからなんだよ。ってか、止めろ。意味分からん言葉の羅列に、人の名前を組み込むんじゃねぇってんだ」
「……でもですよ?」
アトリは言う。
「……偏見による失礼を承知で言わせてもらいますけれど、初対面の相手からそういう名乗り方を堂々とされちゃうと……斬新っていうよりありきたりだなあって」
「ソイツぁ、どういう意味だってんだ?」
「……いや、なんていうか、その……ビッグネームじゃないですか」
「ビッグネーム? ってこたぁ……俺ってば、有名人みてぇじゃねぇか」
「……ええ、まあ」
有名人といえば有名人なのだけど。
けど、どちらかというと有名なのは、ザ・サンダンス・キッドなる人物が所属していた、とある組織の方かもしれない。
「ンで、どういう風に?」
「……そりゃあ、【ワイルドバンチ強盗団】関連で」