Chapter 4
オルガンの修理具を抱え、ケサダは物置へ向かっていた。
既に夕刻だ、慣れない作業に手間取りすぎたせいで。
闇が薄く屯し始めた中、併設する厩を通ろうとして――
「そこにいんのは、誰だ」
手に持つそれを放り出し、腰の得物――レ・マット・リボルバーを抜く。
「ウチからなにか盗っていくんだとすりゃあ、大した盗っ人だ。大人しく出て行きやがれ! さもないと……」
「ケサダ、撃つな、俺だ」
「首魁!?」
ケサダは、得物を下ろした。
「ご無事だったんですかい? それより一体どうなさってったんですかい、今の今まで」
「聞いてくれるなや」
姿は見えない。されど、薄い闇の中から声が返ってくる。
「事情が事情だってんだ」
「ソイツは、大事なことなんですかい?」
「あぁ」
「お連れになられていた、お嬢さんよりもですかい?」
「…………」
「首魁」
「……俺ってば、最低だってばね」
「否定しやせんぜ。で、どうなさったってんです? 懺悔したいんでしたら、教会にでも行ってくだせぇよ。半年にいっぺんぐらいしか神父が来ねぇ場所ですけど」
「馬車ン中から持ってきてほしいモンがある、緑の箱だ」
「鍵は?」
ちゃりん、と音。ケサダの足元に、鍵が転がっている。
「中に入っているモン、全部出しといてくれや」
「首魁の事情なんですから、首魁ご自身がおやりになりゃあ」
「頼むよ」
件のそれは、御者台のすぐ近くに置かれていた。道中、アトリが座席代わりに腰を下ろしていた金庫だ。表面に【WELLS FARGO &CO】というロゴが書かれている。
ちなみに、緑の箱っていうのは、無法者たちの隠語で金庫を示す。現金や砂金や手形を入れる金庫が、緑色に塗られていたことが起因だ。
余談だが、ブッチにとっての【異世界】においても、かつて同様のものが存在していた。アメリカ西部開拓時代に作られた、【ウェルズ・ファーゴ社の緑の箱】という通称を持つ金庫である。
その【異世界】、浅倉アトリという少女が生きる時代においては、骨董物収集家垂涎の逸品だ。
鍵を差し込み、捻る。頑強に作られた無骨な南京錠が外れ落ちる。
そして、蓋を開けば――
「ナ? ……ナガ? ……ナジ?」
「ナガでもナジでもどっちも読みは同じだ。慎重に、デリケートに、丁寧に扱え。いっそ、敬虔な尼さんか貞淑な寡婦みたいに」
「分かりやした。それと、コイツぁ一体なんですかい? ブリターニアかエステ・ライヒの貴族のガキのおもちゃみてぇなモンは?」
「リュックらしいぜ」
「リュック? だとすりゃあ、あんまりにも小さすぎやしやせんかい? これじゃあ、水筒も毛布も積めねぇじゃねぇですか」
「変なケチつけるなや、アトリの私物だぞ」
「あぁ……お嬢さんの、だったんですかい、道理で……」
思わず、ケサダは言葉の流れを淀ませた。
アトリの性格は、どうやら所持品にも反映されているようだ。
ケサダから見たアトリってのは、深窓の姫君もいいところだし。
「結局のところ、あのお嬢さんは何者なんですかい?」
「俺の連れってだけじゃ、不満か?」
「首魁の連れってこたぁ……まさかとは思いやすが、新しい情婦、なわけありやせんよね?」
ケサダは知っている――否、ケサダのみならず、無法者であれば誰でも知っていることなのだが、ブッチはかつて女性関係がかなりお盛んであった。
それこそ、歳下であれ歳上であれ、処女であれ人妻であれ、娼婦であれ寡婦であれ、淑女であれ淫売であれ。
新大陸にその名を轟かす無法者集団【ワイルドバンチ強盗団】を率いる存在であったからってのもあるだろうが、それを除いてもモテていた。
噂によると、美女二人――それも姉妹がブッチを巡って決闘沙汰を繰り広げたことがあるというし。
「ンなわけあるか。つーか、アトリは……アイツぁ、情婦なんかじゃねぇよ。そもそも、そういうモンですらねぇし」
そう言う通りなのだろう。
ケサダが見る限り、ブッチはアトリを情婦として扱っていなかったし、見てもいなかった。
だけれども――
「首魁は首魁で、お嬢さんを必要な存在として見ていらっしゃるんでしょう? ンでもって、お嬢さんはお嬢さんで、首魁を必要な存在として見ていらっしゃるみてぇですし。なんつーか、それじゃあまるで……」
「まるで、なんだってばね?」
「畏れ多くも、かつての首魁とエッタ様みてぇじゃねぇですか」
「ったく……血の繋がりのねぇ身内ってモンほど厄介なモンはねぇよ。痛いところを上手い具合に突き刺してきやがって」
先程ケサダから受け取った備品、及び、自身の装備の調整を行う。
一人だった、ブッチは独りだった。当然だ、アトリはここにいないのだから。
アトリを【異世界】に還すための旅は、ブッチの中では既に終わってしまった。尻切れトンボ以上に無残な結果で。
だが、アトリのことを考えればこの方がいいと思う。
約束を破るという最低の行いを、結果はどうあれ犯したのだから。
アトリは結局、元【ワイルドバンチ強盗団】の構成員であった夫婦の下に置いてきた。
返すべきものはきちんと返しておいてくれと頼みこんである。まだ生きていた【ネットワーク】に接触し、手に入れた情報も渡しておいてくれと託した。
漏洩の心配は皆無だ。なにせ、ひらがな・カタカナ・漢字――こことは異なる世界、文字通り【異世界】の文字を織り交ぜた文章で記しているのだから。
それを頼りにすれば、後はアトリ一人でもどうにか――
これでいいのだと、ブッチは思わなければならない。
それが最良の選択肢であったのだと思わなければならない。
そもそも、自分たちは本来であれば出会うことなんてなかったはずなのだ。
【異世界】に生きて、出会うどころかそのはずも、関わり合いどころか感情を触れ合わせることもなかったはずだ。
惜別の最後、別れを惜しむ感情と涙なんて、ありえない。
「なんで今更、お前が出てきやがるってばね……エッタ」
考えを振り払うべく、ブッチはわざと苦い言葉を口内で転がす。
正直、思い出したくない名前でしかない。エッタ――エセル・エッタ・プレイスの名など。
ザ・サンダンス・キッドの情婦であり、ザ・サンダンス・キッドが生涯で唯一愛し抜いた存在であり――されど、最終的にザ・サンダンス・キッドを棄てていずこへと姿を消した女性など。
「つーかよ、キッドの【存在】が無くなって出来ちまった穴に、なんで俺が入っているのやらだ」
問題にすべきなのは、ブッチがエッタとそういう関係に収まってしまっているということじゃない。
ブッチがエッタとそういう関係に収まっていたという、周囲からの認識だ。
事実が虚構と入れ替えられている。
ザ・サンダンス・キッドの【存在】が、虚構でしかありえなくなってしまっている。
「……あえて言わせてもらいますが、ザ・サンダンス・キッドって往年の西部劇で有名になった人物ですけれど、史実を紐解いてしまえば、英雄でも革命児でもない、単なる無法者その一みたいなものじゃないですか」
例外がありえないわけじゃない。
浅倉アトリ。
【不死者】ブッチ・キャシディの、唯一の理解者であってくれようとした少女。
もういい加減にしておこうと、思考に打ち切りをかける。堂々巡りもいいところだ。
ホルスターに、得物をしまう。既に装填を終えたそれの感触と重みは、掌にしっかり馴染んでいる。
コルトでもS&Wでもない、それどころか、新大陸で製造されたものじゃない銃の。
昔会った胡散臭い武器商人から購入したものだ。
この銃を得物にするのは、久しぶりだった。
コルトともS&Wとも違う銃、複雑な構造をしたそれを手入れするため動かしたお陰で、戻って間もない右腕の感覚が大分マシになってきている。
気付けば既に夜だった。
太陽は既に沈み、夜の闇が徐々に濃くなりつつある。
闇の黒が、町を呑みこんでいく。
「ンじゃまァ、征くとすっかぁ」
決め定めた先へ征く。
許せぬ者を討つために。