Chapter 3
得た情報を、ブッチは紙片に記す。大陸共通言語の綴りではなく、ひらがなとカタカナの綴りを混ぜたもので。
下手な暗号を使うより、ずっと安全だ。もし万が一見られたとしても、どうあったって読めもせず、理解すらも出来ないだろう。この世界の人間にとっては、まるっきり未知の領域、なにせ【異世界】の言葉なのだから。
「っつってもなぁ」
得た情報を記したそれを見ていると、暗澹とした気持ちになる。
『【ネットワークにたずさわるもの、テディ、死ぬ】』
「また一人、逝っちまったわけか……」
確かそいつは、元は巡業劇団の下働きだった。友人を虐待し続けていた座長の娘を諍いの果てに誤って殺してしまい、無法者になった奴だった。
「まだ、ガキだったってのによ……」
言葉を吐き捨て、グラスの中身を呷る。度数の高いアルコールが咽喉を焼きつつ流れ、胃の腑に落ちていく。
アトリから教わった【異世界】の言葉で言うところの【ゴゾウロップニシミワタル】。
「つっ!」
多分、これは美味い酒なのだろう。だから、思わず呻いて腹を押さえてしまう。
文字通り、ブッチの【ゴゾウロップニシミワタル】のだから。
「どうした、ブッチ?」
「気にすんな、レイ。ちぃとばかり腹が痛ぇだけだ」
「オイオイオイオイ! 酒盛りの日に腹を下しちまうとは、首魁も運が悪いな!」
「あーははっ、ホントだねー」
「全く、首魁もついてないよ。折角今回も仕事がうまくいった祝いの席だってのにさ」
「って、ベン! 俺まだ飲んでねえのにそんなガブ飲みしちまう奴がいるか! オイ、ハンクス! お前も何か言ってやれ!」
「…………」
「無茶振りは止めてよね、ローガン。あと、騒ぐんだったら極力静かに騒いでよ。アンタ普段からうるっさいんだから」
「ひでぇよ、ローラ!」
「同感じゃ、一理あるわい」
「デカ鼻まで!?」
「お前ら、あんまりローガンをいじめてやるなよ」
「でもさー、ニュース。本人だって、そーゆーことって普通、言われなきゃ分からないんじゃなーい?」
「ミークス、てめぇコノヤロウ! オイ、レイ! 止めてくれるなよ!」
「お前たち、少しは程度を考えろってんだ」
酒瓶が、次々とあけられる。皿の料理には手が群がって、あっという間に消えていった。
ブッチは、目を細める。
酒場での光景、集い、飲み、騒ぎ合う仲間たち――在りし日の【ワイルドバンチ強盗団】が揃っている光景に。
「なぁ、ブッチ」
「ンだよ、レイ」
「あまり傷むようだったら、医者を呼べ」
「いや、いい」
「お前はいいかもしれない。けれども、俺はよくない」
レイこと、エルジー・レイは言う。
「よくないのは、俺だけじゃない。名高き無法者の王、新大陸の誇りにして伝説――【ワイルドバンチ強盗団】の首魁たるお前に付き従う俺たちはよくない」
言い回しは戯曲家気取りだが、その表情は真剣そのもの。
もっとも、ブッチはレイが真面目な表情を崩したところを見たことないのだが。
レイだけではなかった。いつの間にかそこにいる全員から、ブッチは視線を注がれている。
ローガンこと、ハーヴェイ・ローガンから。
ベンこと、ベン・キルパトリックから。
ハンクスこと、カミーラ・ハンクスから。
ローラこと、ローラ・ブリオンから。
デカ鼻こと、デカ鼻ジョージから。
ニュースこと、ニュース・カーヴァーから。
ミークスこと、ボブ・ミークスから。
ブッチ・キャシディのその近くに付き従う者たちから。
「なァよ、レイ」
どうも居心地の悪さを感じ、ブッチは言う。
「キッドの奴ぁ、どこ行ったってんだ?」
レイは、あからさまに鼻白んだ顔をした。
「キッドなら……あそこにいるだろう?」
コルトSAA・アーティラリーの引き金を引くより詩集をめくる方がずっと様になる細い指が、後ろを指差す。
つられて見れば、案の定だった。
「オイ、キッド、お前ってば、また独りでお楽しみか?」
ブッチの揶揄の言葉を、しかし、キッドはコートに覆われた背で受け止めるだけ。
背を向けているおかげで、面差しを窺うことは出来ない。もっとも、ステットソンハットを目深に被るのはいつものことなのだけど。
だからブッチは、キッドが何を思い考えているか分からない。この時だけじゃない。いつだって、どれだけ一緒にいても。
そんなキッドの傍らに添うことが許されたのは、ブッチを除けば情婦として入れ込んでいたエセル・エッタ・プレイスと【エリザベス】と【エステル】ぐらいだ。
【エリザベス】は背に負うレバーアクションライフル・ウィンチェスターM1892、【エステル】はガンベルトに収まるコルトM1851――どちらも、キッドが絶対の信頼を置く得物たち。
ちなみに、銃を扱う者が自分の得物に愛称、特に女の名前をつけるっていうのは、新大陸では別に珍しいことではない。ブッチにとっての【異世界】で言うところの【チュウニビョウ】に似ていなくもないけれど。
キッドは、離れたカウンターで一杯やっていた。その場の全てに背を向け――まるで、馴れ合いを好まぬ孤狼みたく、一人で。
実際、キッドは馴れ合いを好まなかった。仕事の時を除けば、基本一人でいた。
ブッチ以外の【ワイルドバンチ強盗団】のメンバーと組んでなにかをする――酒場で飲むとか、賭場や娼館に行くとか、猥談に花を咲かせることをしなかった。
そんなんだから、キッドは他のメンバーからあまりいい目で見られていなかった。蛇蝎のごとくまではいかないけれど、嫌われていた。
「長所なんて射撃技巧と紙巻き煙草の巻き方ぐらい」だの「法執行官とは意味は違うが同じ狗」だの、陰口を叩かれていた。キッド自身、なにをどれだけ言われようが歯牙にもかけちゃいなかったが。
ブッチが知る限り、キッドは大体こんな男だった。
「なァ、キッド」
呼び寄せて隣に座らせたキッドのグラスに、ブッチは酒を注いでやった。
「俺ぁ、時々思わずにゃいられねぇんだよ」
キッドは答えない。ただ、黙ってブッチの話を聞いている。
「なんつーかよ……今の新大陸って、すげぇ生きにくくねぇか? 鉄道が敷かれて、大牧場が出来て。威勢さえ溢れていりゃあ、誰にだって成り上がれるチャンスがあったってのに。弾丸と硝煙で、伝説なんていくらでも創つくれたってのに」
キッドは答えない。ただ。黙ってブッチの話を聞いている。
「気づけば俺たちは居場所を失っちまっていた。ジェシー・ジェイムズ、ビリー・ザ・キッド、ベル・スター……先に逝っちまった数えきれねぇ先駆者たちと同じく、歴史の墓標の下の存在になっちまった」
キッドは答えない。ただ。黙ってブッチの話を聞いている。
「なァ、キッド」
キッドは答えない。ただ。黙ってブッチの話を聞いている――ただ、それだけ。
当たり前だ。これはただ、再現されているだけ。キッドであれば、ブッチが知る限りにおけるザ・サンダンス・キッドという男がおそらくとる行動が、ブッチの前で再現され続けているだけ。
キッドだけじゃない。レイ、ベン、ハンクス、ローラ、デカ鼻、ニュース、ミークス――ここにいる【ワイルドバンチ強盗団】の面々の行動ですらも。
過ぎる時代に取り残された男――リップ・ヴァン・ウィンクルが見ている、泡沫の幸せに彩られただけの幻。
そうであることを自覚出来ているからこそ、ブッチは嫌でも自覚せざるをえないのだ。
「そもそも、今更どこにあるってんだ? もうとっくの昔におっ死んじまっている、俺の居場所なんざ。俺ぁもう、とっくの昔に歴史の墓標の下の存在だってんだ。時のうつろいに抗えなかった、歴史の敗者でしかねぇ。
けど、もしかすりゃあ、話はそれ以前かもしれねえょ。大体、俺たちに明日なんてあったか? 明日だけじゃねぇ、明日の先の未来、永遠ってモンがあったか? あったからって、約束されてたか?
よくよく考えてみりゃあよ、俺たちにゃ最初から明日なんてなかったじゃねぇかってんだ」
文字通り死んでしまって、ようやく思い知った。
なにもかも失って、思い知らされた。
「そもそも、今更どこにあるってんだ?」
けれども、ブッチは問う。
「今更どこにあるってんだ? どうにもならねぇ今日を耐えることすら出来なかった、俺の居場所なんざ、今更そんなモンどこにあるってんだよ……なァ、キッド!?」
問わずにはいられなかった。それが、無駄な戯れにすぎないとしても。
ああ、と――思わず嘆息せざるをえない。キッド、外ならぬお前、我が唯一無二の相棒たるお前。
俺の胸にあるこのどろどろとしたわだかまりに、どうか答えてほしい。明日などなくても、今日だけは確かに俺たちのものだったと、お前の口から言ってほしい。俺が言うそれは、紛うことなきものであったのだと、言ってほしい。外ならぬ、お前の口から発せられる、その声で。
お前の【存在】を虚構だと認識しない例外、パラドクスを共有し合える唯一、未知の知識を持つ【異世界】の人間、この世界の理から外れた者であるアトリという少女を傍らに置いても尚――とても足りそうにないのだ。
「あるわけなんてないだろう? それぐらい、お前は何故分からない?」
だが、打ち破られる――ブッチが見ていた泡沫の幸せに彩られた幻は、唐突に。
「ブッチ・キャシディ、お前はここで終わりなのだから」
揶揄と嘲りを含んだ声が放たれるのと同時に、ブッチを取り巻く状況は一変する。
果たして、どちらが早かっただろう。
らしからぬ大失態を犯したことにブッチが毒づくのと、声の主が得物のS&Wモデル2・アーミーを抜くのは。
「よりによってお前か、シリンゴ」
「どこまでもお前を追い、軛にかけ、その死を見届けてやる……そう、かつて言ったはずですが? ブッチ」
ブッチは呼ぶ。
己を追う、宿命の大敵の名を。
眼前の男、かつての追跡者であり、最強最悪の追っ手こと、【ピンカートン探偵社】の探偵、チャーリー・シリンゴの名を。
シリンゴは呼ぶ。
己が追う、宿命の大敵の名を。
眼前の男、かつての撲滅対象であり、無法者の伝説こと、【ワイルドバンチ強盗団】の首魁の名を。
「よォ、実に久しぶりじゃねェかってんだ」
「ええ、実に七年ぶりです……お前がボリビアの地で死んだとされ、我々が捜査を打ち切ってから。もっとも、僕は信じてなんていませんでしたけどね」
「素直に信じていりゃあよかったってのに」
「僕自身の勘と、探偵としての本能に従ったまでですよ。で、結果として」
シリンゴは、撃鉄を起こす。
「お前を、こうして捕捉することが出来た」
「決定づけなどしなさんなよ。軛どころか、手錠すらかけてねぇってのに」
「お前がここで僕に捕らわれるのは、既に決定事項ですよ」
「そりゃあ、嫌なこった。俺は、全身全霊で拒否するね」
「けれども、その前に」
「いいぜ。望まぬ再会を祝して、俺の奢りで一杯やろうや。おい、バーテン! コイツにペヨーテ・テキーラをバケツ一杯!」
「折角だが、謹んで辞退しよう」
「残念だな、美味いのに」
「美味い不味い以前の問題だ。幻覚カクテルを真っ当な人間に勧めるとは、やはりお前は無法者だ、無法者でしかない。真っ当な人間から外れた害獣でしかない」
「無法者で大いに結構だ。真っ当な人間とやらに金で雇われて、害獣を追い回す【ピンカートン探偵社】こと資本主義の走狗と同族扱いなんざされたら、こちとらやってられねぇっての」
「……ッツ!」
シリンゴの目が、怒りを帯びる。
「……まぁ、いいでしょう」
だが、先に矛を収めたのはシリンゴだった。
「どういうこったよ?」
「くだらない口喧嘩を止めて、本題に入りたいがためですよ」
「ぁア!?」
眉をひそめたブッチに対し、シリンゴは先に帯びた怒りが嘘だったかのよう、淡々と言う。
「外ならぬ、お前の口から答えてほしいことがありましてね」
「嫌なこった」
シリンゴに向けられるのは、断固とした拒絶、邪険に凍る面差し――そして、割れた貴石みたく不吉な貫禄。
そこにいるのは、先程とは全く別の存在だった。ブッチという人物を形成しているもの――人を魅せる愛嬌、飄々とした振る舞い、戯れに叩かれる軽口、それら全てが失われた――無法者ブッチ・キャシディの。
「僕はまだ、何も言っていませんが?」
「答える義理などないと、答えてやったまでだ。無法者に、法執行官の流儀が通用するとでも?」
「誤解しているようですが、僕はお前に答えてほしいがため、お願いするために言ってるんじゃない。命じているんだ、答えろと」
「ならば尚更お断りだ。帰れ、とっとと去ねさらせ」
「そもそも法執行官の僕に、無法者の流儀が通用するとでも?」
青鋼色とライトブラウンの眼光が、激しくぶつかり合う。
大爆発、その寸前の空気だ。まるで、抜かれていないはずの銃が抜き放たれ、銃口が向けられ合わされているような。
「今一度言う。帰れ、とっとと去ねさらせ。そして、その面を二度と俺の前に晒すな」
「ボリビアの地でのことについてです」
そんな中においてシリンゴの口から放たれた言葉は、ブッチの内面を深々と穿つこととなる。
「お前の他に、一体誰があの場にいたんです?」