悪役顔のジェマお嬢様が今日もかわいい
「ジェマ、好きだ」
その日、ついにエーミール侯爵子息が、ジェマお嬢様に思いを告げられた。
「すき。エーミールが、わたしを」
ひと言ずつ、ジェマお嬢様がゆっくりと区切って、まるで確認するかのように。
「まあ、驚いたわ」
ちっとも驚いたようには見えない、冷静な顔でジェマお嬢様がエーミール様をご覧になります。エーミール様は、一歩、ジェマお嬢様に近づかれ、そっと、蝶が花に止まるようにそうっと、ジェマお嬢様の手をおとりになります。
「ジェマは、僕のこと、好き?」
今度は、エーミール様が、ひと言ずつ、言葉を絞り出されます。
世界から、音が消えたような一瞬。ほんのわずか、ジェマお嬢様の表情がやわらぎます。
「ええ、そうね。私はエーミールのことが、好きだわ」
エーミール様はポロリとひと粒の涙をおこぼしになりました。そして、小さく「やった」とささやかれ、ジェマ様を大事に腕の中に閉じ込めます。
固唾をのんで見守っていた、屋敷中の使用人が、声を出さずに拳を空に突き上げました。
やっと、ようやっと、エーミール様の長い長い、果てしない片思いが実ったのです。
ご挨拶が申し遅れました。私はジェマ・リッチーお嬢様の侍女アンヌでございます。ときに涙ぐましく、ときに笑うのをこらえるのが大変な片思いを、最も近くで見てきたのは私でございます。
さて、いつも通り、日誌を書くことにいたしましょう。ジェマお嬢様の一挙手一投足を、使用人一同で共有するための、大切な業務です。そうですね、高ぶった気持ちを落ち着けるために、おふたりの出会いを日誌で確認いたしましょうか。
「あれは、確か十年前の春でしたね」
分厚い日誌をガッとさかのぼる。ああ、ございました。ええ、このときの日誌も私が書いておりますわね。
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エーミール・テンペルホーフ侯爵子息のお茶会にて、またもや事件発生。どんく、もとい、足元がお留守なエーミール様が、何もない芝生で転倒。涙をこぼされる。
すぐそばにいらっしゃったジェマお嬢様。呆然とエーミール様をご覧に。呆然と、とはいっても、いつも通り表情は変わらないのですが。
すると、「あの子がやったんだよ」と知ったかぶりのクソガ、どこぞのお坊ちゃまが、ジェマお嬢様を糾弾なさいました。
キィイイイイー、許すまじー。こほん。筆が乱れました。失礼いたしました。私とジェマお嬢様は同時に口を開き、反論しようとしましたが。その前に、エーミール様が訂正してくださいました。
「違うよ。僕が芝生の草に引っかかってこけたの。ごめんね、びっくりさせちゃったね」
エーミール様は、真っ白なハンカチをさりげなく出して、ご自分の涙を瞬時に拭き取り、ニッコリとジェマお嬢様に微笑まれました。
なかなか、見どころのあるお坊ちゃまではございませんか。ジェマお嬢様に笑いかけるお子様なんて、とんと見たことがございません。
ジェマお嬢様は、いえ、お嬢様だけではございません。リッチー家のご家族全員が、どうにも誤解を生みやすいお顔なのです。使用人風情が申し上げることではないのですが。
「私たち、顔の表情筋が発達してないのよね」
奥様はそのようにおっしゃいます。
「精一杯、表情豊かにしているつもりなのだけど。ピクリとも動いていないらしいのよ。無理に笑うと、悪だくみをしているように見えるらしいし」
「無表情。お高くとまっている。悪役顔一家などと言われているものな」
奥様と旦那様は、淡々とおっしゃいます。
「悪役顔のおかげで、金貸し業はボロ儲けだから、まあいいのだが。そんな利息ではお貸しできませんなあって、渋い顔で言うだろう」
旦那様は無表情のまま、実演してくださる。
「ひいっ、トイチは勘弁してくださいいい」
「イヤイヤイヤ、トイチってあなた。それ、違法ですから。法定通り、年率二割の利息で結構ですよ」
「本当ですか。信じられない。ありがとうございます」
悪いことをされるに違いない。でも他のどこでも借りられない。背に腹はかえられぬ。仕方なく、泣く泣くリッチー貸金商会にやってくるのだ。ひどいボッタクリにあうに決まっている。そう確信している。
ところが、普通に貸してもらえたとなると、リッチー貸金商会への好感度は急浮上する。
「不良が犬をかわいがっていると、いいヤツに見られるアレだ」
「私たちの好感度、氷点下から始まりますからね。普通のことをするだけで、驚かれて見直されますわね」
「お父様、さすがです」
そうやって、少しずつ、チマチマと好感度を稼いでいらっしゃるリッチー男爵家。でも、初対面でご家族に微笑みかけるツワモノはなかなか、ね。
ということで、エーミール様は胆力のあるお子様だな、それが私の見立てでございます。
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「あらまあ、私ったら。話があっちこっち飛びまくっているわ。よほど動揺していたのかしら」
確か、そのあと、割とすぐにエーミール様のお父上、テンペルホーフ侯爵閣下から旦那様にお話しがあったのでしたわね。
ああ、ございました。ここですわね。これは、執事のハンスが記入しております。
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これは、喜んでいいのだろうか。我らが麗しのジェマお嬢様に、な、なんと、婚約話が。早くないのか、どうなのだろうか。ジェマお嬢様、まだ七歳なのに。皆、悪いのですが、今日は言葉が乱れます。
アンヌの日誌で皆知っていると思うが。先日のお茶会でのできごとで、エーミール様がジェマお嬢様にひと目惚れされたらしい。
「正気ですか」
旦那様は、思わず心の声をダダ漏らされ、珍しく冷や汗を額に出されていらっしゃいました。そっと、ハンカチをお渡しいたしました。
「エーミールがあれから、ジェマ嬢のことばかり話すのだ。堂々として、落ち着きのある態度。かっこよくて尊敬していると」
「はあ。それは、まあ。内心が表面に出にくい家系だからなのですが」
「エーミールは遠慮するタチで、何かほしいと言ったことがない。エーミールが初めて望んだのがジェマ嬢との婚約なのでな。叶えてやりたいと思っている」
「正気の沙汰とは思えません。うちはしがない男爵家ですよ。金貸し業でガッポガッポ儲けて、卑しい貴族と蔑まれています。テンペルホーフ侯爵家と釣り合う家格ではありません」
旦那様、もう本音をぶちまける方針にされたようです。
「心配しなくても、実情を把握している貴族家はいる。我が家もそのひとつだ。リッチー貸金商会は、本当に困っている人からは取り立てていないではないか。金が返せないなら、代々の家宝を担保にもらおうかなどと融通を利かせているだろう」
テンペルホーフ侯爵の言葉に、旦那様は口をパクパクさせ何もおっしゃいませんでした。
「家宝といいつつ、既に本物は売り払い、二束三文の模造品の場合もあったと聞く。だが、貴族のメンツを立てて、何も言わず引き受けてくれたと。感謝している貴族家が多い。金に余裕のない貴族が多いからな。いずれ必ず返すと言っておったわ」
「そうですか」
ははは、旦那様は乾いた笑いをもらし、冷や汗をハンカチで拭い、決意されたのです。
「そこまでおっしゃっていただけるなら。分かりました。ただ、先に娘の意見を聞いてみます」
旦那様が合図されたので、ジェマお嬢様をお連れしました。ジェマお嬢様はいつも通り、冷静な顔で淡々と旦那様の話を聞いていらっしゃいました。
「分かりました。私はかませ犬ということですね。いずれ、エーミール様に真実の愛の相手が現れたとき、盛大に散って盛り上げる、悪役」
「それは違うぞ、ジェマ嬢。エーミールは、真にあなたのことが好きなのだよ。そこは信じてやってくれないか」
「エーミール様がそうおっしゃったら、信じるかもしれません。でも、まだお互い幼いので、気が変わることもあるでしょう。ゆっくりと考えます」
「なんと落ち着いたご令嬢だろうか。浮ついたところのない、冷静な態度。うむ、エーミールが惚れるのも無理もない」
こうして、ジェマお嬢様はテンペルホーフ侯爵閣下も骨抜きにされたのでした。
さすがです、ジェマお嬢様。分かる人には分かる、ジェマお嬢様の聡明さ。尊い。
願わくば、エーミール様とジェマお嬢様が末永くお幸せでいられますように。
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「そうそう、そうだった。興奮したハンスがみんなに説明してくれて。夜遅くみんなでこっそり祝杯をあげたんだったわ」
ペラペラと日誌をめくる。
「それから、エーミール様のヘタレ日記が続くわね。あーのお坊ちゃまってば、まったく」
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今日も好きのひと言がどうしても出てこないエーミール様でした。
なぜなのだろうか。俺には分からない。
護衛として少し離れたところからおふたりを見守っていたのだけど。
「ジェマさん、僕と婚約してくれてありがとう。僕、本当にそのう、ジェマさんのことが、すすすすすす」
「すすすすすす」
ジェマお嬢様は冷静に繰り返します。
「すごいなって」
「ありがとうございます」
バカー。
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いやあ、あのお坊ちゃん。ダメな子なんじゃないか疑惑が。ワシ、庭木の手入れしながら、応援しておったんじゃがな。
おふたりは仲良く庭園を散歩されておって。きれいな花を見て、小声でお話しされとるのよ。みんな、息をとめて必死で耳に集中したよね。
「ジェマさんのところの庭師は腕がいいね。こんなにたくさんの花がきれいに咲いている」
「ありがとうございます」
「でも、一番きれいなのは、ジジジジジジ」
「ジジジジジジ」
「ジンチョウゲ」
「かわいらしくて、香りがいいですわよね」
コラー。
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グスタフ王子殿下のお茶会に同行いたしました。おふたりが初めて公の場に連れだって出席された日です。
「まあ、エーミール様が」
「あの話は本当だったのですね」
「釣り合いませんわ。お美しいエーミール様と、貧相なあの方では」
「太陽と死神ではありませんか」
ジェマお嬢様は目も髪も真っ黒で、お肌が真っ白なのです。確かに、エーミール様のように分かりやすい派手な美貌ではありません。ですが、ですが、ジェマお嬢様は決して死神なんかではありません。私たち使用人には、女神です。
ご家族は、陰気な死神、守銭奴なんて陰で言われているようですが。バカも休み休み言え、でございます。
旦那様は、金貸し業で儲かったお金を、貧民街の立て直しにつぎ込んでいらっしゃいます。
「私が表立って動くと、うがった目で見られてよくない。テンペルホーフ侯爵閣下に前面に出ていただこう」
そうおっしゃって。手柄は全部エーミール様のご一家に。テンペルホーフ侯爵閣下は、何度も、真実を明かそうとおっしゃったらしいのですが。旦那様は固辞され続けているのです。
私たち使用人は、貧民街の出身です。旦那様も奥様もジェマお嬢様も。犬や猫を拾うような気軽さで、私たちを助けてくださいました。
「君、掃除はできるか? 窓ガラスを拭く使用人が必要だったのだよ」
そんなことを言って、路上から救い上げてくださるのです。
私もあと一歩で身売りするところだったのを、奥様に見つけられたのです。
「あなた、そっちに行くとダメよ。あの路地がどいうところか知っているの?」
「あ、え、はい」
「私ね、今妊娠しているの。よくツワリで吐いてしまうのよ。洗濯がおいつかなくて。うちで洗濯を担当してくれない」
私はキラキラのお屋敷で洗濯をするようになったのです。夢かと思いました。雨にも風にも雪にもさらされず、美しいお屋敷の中で、フワフワのベッドで寝られる。温かいごはんも食べられる。殴られたり、好色な目で見られたり、お金を投げつけたり、そんなこととはもう無縁です。
心の底から感謝し、尊敬している奥様と旦那様。そしておふたりの赤ちゃん。使用人たちが、ジェマお嬢様を命がけでお守りし、僭越ながら幸せを祈るのも当たり前なのですわ。
それを、あのアマ。死神だなんて。やるか、やってやるか。いや、直接やるのはマズイ。お嬢様の評判に傷がつく。クッ、視線で人をやれればいいのに。今なら邪神の誘いにも乗ってしまうかも。
「ジェマは、死神じゃないよ。僕の女神だ」
キター。エーミール様ー、よくぞ言ってくださいました。
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「このあと、何があったのかしら。字が乱れすぎて読めないわ。まあ、きっと、使用人一同で祝杯をあげたのでしょう」
いつものことです。
あれから、ジェマ様は少しエーミール様に心を開かれるようになりました。ジェマ様、人づき合いには慎重ですから。
あれはいつだったかしら。唯一の親友、ローズマリー様と仲良くなるまでも、なかなか混沌としておりましたわね。
ああ、ありました。
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本日は、王宮での夜会です。腕によりをかけて、磨き上げたジェマお嬢様は、本当にこの世のものとも思えない美しさでございます。月の精と言っても過言ではございません。エーミール様も同じようにお感じなったようで。真っ赤になって、いつにも増してモジモジされていらっしゃいます。いけっ、私は念じました。
「ああ、ジェマ。君は、君はなんてきききききき」
「きききききき」
「気品があるんだ」
「ありがとうございます」
おしいっ。あとちょっとなんだけどな。後ろでこっそり聞き耳を立てていた使用人たちが、崩れ落ちた気配がする。皆、控えなさい。まったく。
夜会の場まで同行させていただきました。もちろん、私は御者席です。聞き耳は立てますが、おふたりの邪魔はいたしません。ええ。
侍女は夜会の会場には入れません。いつでもお世話ができるよう、使用人専用の待機室で手ぐすねを引いて待っております。
万一ジェマお嬢様が、誰かにワインをぶっかけられたり、ケーキを投げつけられたり、髪を引っ張られたりしたら。命じられればすぐに相手を制圧し、即座にジェマお嬢様を元通り美しくする手はずは整っております。替えのドレスもアクセサリーも、大量に持ち込んでおります。
ええ、武器はね、堂々とは持ち込めませんから、ええ。スカートの下にびっしりと隠し持っておりますわ。ホホホ。お前ら、ジェマお嬢様に手を出したら、俺の暗器が火を噴くぜ。ってなもんです。フフフ。
ところがです。ワインをぶっかけられたのは、ジェマお嬢様ではなかったのですわ。
「アンヌ、私、泥棒猫を拾ってしまったの」
ジェマお嬢様が、待機室の扉を開け、コソコソと私におっしゃいました。泥棒猫とは、はて。
「こっちこっち」
ジェマお嬢様が手招きされますので、私は全荷物を担いで後に続きます。王宮庭園のすみっこに、ドブネズミ。いえ、ずぶ濡れのご令嬢。ワインの匂いがプンプンしております。
あらまあ、瓶一本ぐらいぶっかけられたのかしら、この方。もったいないわ。芳醇な香りが漂っております。さぞかし、お高い年代物のワインだったのでしょう。あいつらー。私のもったいない精神が燃え上がります。かわいそうなワイン。大切に飲まれたかったでしょうに。
はっ、それどころではありませんでした。ジェマお嬢様が私を見つめていらっしゃいます。
「さっきね、エーミールと庭を散歩していたら、令嬢たちの円陣にぶつかったの。この泥棒猫って、叫んで、ワインを瓶一本分、頭からドボドボッて」
「やっぱり」
「ワインは人にかけるものではないです。飲むものですって、声をかけたら睨まれたわ」
「ジェマお嬢様は、何ひとつ間違っていらっしゃいません。その通りでございます」
「ブドウ農家とワイン生産者がかわいそうだわ」
「その通りでございます」
完全に同意。私が頷いておりますと、少し離れたところで見守っていらっしゃったエーミール様が、スッと近くに寄って来られます。
「ワインのことより、このご令嬢をなんとかしてあげないか」
「そうですわね。その通りでした。アンヌ、何か拭くものはあるかしら?」
「お任せくださいませ」
私は担いでいた大きなカバンを降ろし、乾いたタオルを取り出した。
「お嬢様、失礼いたしますよ。まずはザザッと拭かせていただきます」
フルフル震えている令嬢の答えは待たずに、ワシワシと全身を拭く。ビッチャビチャのお嬢さんが、ビッぐらいになった。カバンの中の、おとなしめの黒のドレスを出す。
「エーミール様、目を閉じてくださいませ」
エーミール様がしっかと目を閉じ、目の上に両手を当てたのを見た上で、手早くお嬢さんの服を脱がせ、新しいドレスを着させる。
「エーミール様、もう大丈夫でございます」
令嬢は、うつむいたまま、小さく「ありがとう」とつぶやきました。
「このドレス、いかがいたしましょうね。早くしみ抜きしないと、色がとれなくなってしまいます。赤ワインは侍女泣かせなんですよ」
薄いピンクのドレスが、赤ワイン色になっている。
あ、ちょうどよく、噴水がございます。何かの時のために持っていた重曹をふりかけ、噴水の水でワッシワッシと洗うと、少しましになったようだ。
水をジャーッと絞って、タオルでクルクルと濡れドレスを巻く。
「これで少しはマシだと思いますが。お帰りになってから、すぐに侍女にお申しつけくださいましね。もし染みがとれなかったら、刺繍を入れるか、いっそ染め直すか」
うーんと考えていると、ジェマお嬢様が、「もう帰りましょう。おうちまで、お送りしますよ」と令嬢に話しかけていらっしゃいます。
私はすぐさま、荷物を片づけ、目立たぬように馬車までお連れします。御者席に座って、御者と共に聞き耳を立てます。ええ、皆にホウレンソウしなければなりませんからね。情報共有、大事。
「助けてくださって、ありがとうございます。ジェマ様、エーミール様。私は、ローズマリー・ストゥールでございます。」
ああ、なるほど。確かモテモテ男爵令嬢というウワサを侍女仲間から聞いたことがありますね。
「ああいうこと、よくあるんですか? みんなで取り囲んで、ワインをかけるだなんて。だったらいっそ、ワインの飲み比べで勝負をすればいいのに」
分かります。分かりますわ、ジェマお嬢様。私と御者は深く頷きました。
「私、ワインは苦手ですので。どっちにしても勝てませんわ」
「あら」
馬車の中が静かになりました。
「泥棒猫と呼ばれているのですが。お相手のいる殿方なんて、私はごめんです。でも、向こうから勝手にくるのです。私、もう、どうしていいのか分からなくて」
ほうほう、モテるっていいことばっかりでもないのね。大変なのね。自分には無縁なことなので、とても興味深く、私の耳はどんどん背もたれに近づいていった。御者は、首は曲げられないので、ピッタリと体を後ろにもたせている。
「どなたか、虫よけになる殿方と婚約をなさればいいのでは」
「我が家は貧乏な男爵家ですから。愛人になれという話はたくさんきますが、正妻にと望まれるのは、本妻を亡くされた高齢の方ばかりなのです」
「高齢の方も割り切ってしまえば、ありかもしれませんけれども。しばらく我慢すれば、ひとりに戻れますし」
ジェマお嬢様、言い方ー。私は危なく突っ込みそうになり、口を手でふさぎました。
「やはり、それぐらい割り切った方がいいのでしょうか。結婚に夢を持つなんて、分不相応ですわね」
「そんなことはありません」
突然、きっぱりとジェマお嬢様が大きな声で否定なさいました。
「こんな悪役顔の私でも、曲がりなりにも素敵な婚約者ができています。今のところは」
「素敵? 今のところは?」
エーミール様の混乱しきった声が聞こえますが、ジェマお嬢様は気にせず続けられます。
「そのモテと美貌を無駄にしてはいけません。戦略を練って、最大限に活かし、正妻の座をつかみましょう。まずは、相手のいない殿方を調べ上げ、誰を狙うか決めるところからです」
ジェマお嬢様ってば。優しい。同じことをローズマリー様もお感じになられたようです。感極まったような震える声が聞こえます。
「ジェマ様、こんなに親身になって聞いていただけたのは、初めてです。ありがとうございます。もし、よろしければ、お友だちになっていただけませんか」
キター。ジェマお嬢様に初めての、お友だちがー。私と御者はゴクリと唾をのみこみました。
「喜んで、と申し上げたいところですが。早まってはいけません。私の悪役顔がローズマリー様の隣にあると、ローズマリー様のモテ度が下がるかもしれません。お友だちになるのは、相手を射止めてからでも遅くはありません」
「はい、深いご配慮、ありがとうございます。では、全力でがんばります」
「そういたしましょう」
よし。私と御者も顔を見合わせて頷き合った。ジェマお嬢様の初のお友だち候補。しっかと支えましょうぞ。
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「それから色々あって、ローズマリー様も無事にいい殿方と婚約を整えて。今では唯一無二の親友に」
ジェマお嬢様の素晴らしさ、分かる人には分かるのですわよ。じわじわ、きてるんですけどね。ジェマお嬢様を見直す、かすかな気運が。
「まあ、別に。少数でも、分かってくれる人がいるなら、このままでも平穏でいいんじゃないかという気もしますが。もう死神と揶揄されることもなくなりましたしね」
エーミール様とローズマリー様。パッと分かりやすく華やかなおふたりに囲まれると、ジェマお嬢様の良さが、くっきりと明確に浮かび上がるようです。遠巻きに見ていたご令嬢たちも、少しずつ、ビクビクしながら近づいてひと言ふた言、お話ししていかれることも増えてまいりました。
「あとはねえ、やっぱり。エーミール様が、決定的なひと言をお告げになられればねえ」
はあー。こればっかりは、私たち使用人の出る幕ではありませんから。そんなことを思っていたところに、ついに、ですよ。
「ジェマ、好きだ。ですもの。キター、キャーですわ。ですわですわ」
はあー、嬉しい。心を落ち着けて。今日の出来事を乱れのない字で後世に伝えましょう。
***
「ジェマ、好きだ」
とっくに知っていた言葉。でも、ずっと待ち望んでいた言葉。エーミールの心がまっすぐに伝わってくる。
泣き虫で、すぐワタワタして、私のことを真っ赤になって見つめるエーミール。私のかわいいエーミール。
幼い頃から、人の心が読めすぎるので苦労した。リッチー家の者は皆、人の表情を読むのが得意だ。分かるからこそ、自分たちの顔の表情は固定化されてしまう。防衛本能だろうか。
私たちの心を、他の人に読み取られたら。恥ずかしいではないか。他の人たちは、そんなに顔の表情を読むのが得意ではないと知っていても、やはり怖い。
それに、感情の揺れを、忠義心が強すぎるアンヌたちに見せたくない。暴走しそうなんだもの。アンヌはいつもスカートの下に暗器をしこんで、「さあ、いつでも来な、ザコども」なんて物騒なことをつぶやいてるし。
護衛のドノヴァンは、すぐ殺気を全開にして相手かまわず威圧をかけるし。
執事のハンスは、「お嬢様、アンヌから聞きました。今日、無礼な令嬢がいたそうですね。たいていの貴族家は旦那様の貸金業の顧客ですから。貸付け利息を爆上げして成敗いたしましょうか」なんてことをニコニコ顔で提案してくる。
皆、物騒すぎるのよ。私たち家族に忠誠を誓ってくれているのは嬉しいのだけど。愛が重いというか。
もし、エーミールとうまくいかなくなって、私が悲しい顔をしたら、総出でテンペルホーフ侯爵家の一族郎党を皆殺しに向かうと思うのよね。
だから、エーミールといるときは、ことさら表情を変えないように気をつけていた。誰もいない自分の部屋で、小声でつぶやくだけで我慢してきたのよ。
「エーミール様が、私の婚約者だなんて。信じられない。あんなお日様の似合う侯爵家の子息が、死神みたいな私と」
真っ白で死体みたいって、よくヒソヒソされた。日に当たるとすぐ赤くなるから、日差しを避けてきただけなのだけど。エーミールは、血色がよくて、私を見るとポッと赤くなるのだ。
考えてることが顔に出やすいエーミール。そこが、とてもいいと思う。
「私はきっと、新しいおもちゃ。飽きたら捨てられる」
そう自分に言い聞かせてきた。婚約が解消になっても、傷つかないように。
エーミールは飽きなかったみたいだ。変わらずずっと、大切にしてくれる。
肝心な言葉は、なかなか出てこないんだけど。そんなところも、いいと思う。
「両思いになってしまったら。あとはどうなるのかしら。そこが頂点で、あとは愛が目減りしていくだけなのでは」
だから、両思いになるのは、なるべく後の方がいいと思っていた。
でも、ローズマリーと友だちになって、友情は目減りしないって分かって。もうそろそろいいかなって思った。
いつもなら、「ジェマ、すすすすすす」が始まると、真似することで牽制してきた。
今日は、エーミールの目を見て、続きを待つことにした。勇気づけようと、少しだけ笑顔を浮かべてみる。エーミールはトマトみたいになる。
「ジェマ、好きだ」
あら、こんなに満ち足りた気持ちになるなんて。
「まあ、驚いたわ」
エーミールが私の手を取ってささやきます。
「ジェマは、僕のこと、好き?」
「ええ、そうね。私はエーミールのことが、好きだわ」
エーミールがポロリと美しい涙をこぼす。私は真珠のようなそれを、指で受け止めた。
エーミールが「やった」と言いながら、私を抱きしめる。温かくて、ドキドキとうるさいぐらいに鳴るエーミールの胸。
ああ、幸せだ。
屋敷中のみんなが、声を出さずに拳を空に突き上げている。
エーミールの背に手を回し、私も後ろで拳を握りしめた。
悪役顔だけど、好きになっていいんだわ。
私の婚約者と家の人たちが、今日もかわいい。
お読みいただきありがとうございます。
ポイントとブクマを入れていただけると嬉しいです。
よろしくお願いいたします。