とんど焼きの櫓の中には…
寒さの厳しい一月十五日の朝、僕は校区内の白鷺八幡神社を訪れたんだ。
何しろ今日は小正月で、とんど焼きの日だからね。
古くなった正月飾りをお焚き上げして、今年一年の商売繁盛や家内安全を祈願するんだ。
もっとも、商売繁盛も家内安全も、典型的なサラリーマン家庭の男子小学生である僕にとっては、ちょっとピンと来ないんだよね。
とんど焼きに僕がこうして足を運んだのには、また別の理由があるんだよ。
その理由というのが…
「よお、修久!約束通りに来たとは感心だぜ!」
「わ、鰐淵君!?」
境内によく通るガラガラ声の主は、声の印象に違わぬ大柄な少年だった。
まるで力士かプロレスラーみたいに屈強な身体の上では、ゴリラみたいに厳つい顔が自信満々な笑みを浮かべている。
この身体も大きければ態度も大きい屈強な少年は鰐淵君と言って、堺市立榎元東小学校四年一組のクラスメイトなんだ。
勉強は得意じゃないけどスポーツ万能で喧嘩も強いから、校区内ではガキ大将として君臨しているんだよ。
「御焚き上げが終われば甘酒を御馳走してやるから、それで修久も暖まれよ。何せ振る舞いの甘酒は、我が鰐淵酒販の特製だからな!」
「そうかい、鰐淵君。それは有り難いよ。」
これは決して社交辞令では無いし、ましてやガキ大将としての鰐淵君を恐れての御追従でも無いんだよ。
何しろ鰐淵君の家は酒屋さんだから、酒粕の目利きはバッチリで味の加減も最適なんだ。
甘酒の振る舞いや御神酒の奉納だけではなく、鰐淵酒販は八幡神社の御祭りや行事関係にも携わっているからね。
そういう訳で、とんど焼きに僕が参加するのはクラスの友達である鰐淵君への友情の証でもあるんだ。
「確かに甘酒は鰐淵酒販の特製だけど…それを鰐淵君が我が事のように自慢するのは違うんじゃないかな?」
「な、何だと!?」
鰐淵君が向き直った先に立っていたのは、小柄な身体をプレッピーファッションに包んだ七三分けの少年だった。
この如何にもお坊ちゃんという感じの気取った服装と気障で嫌味な口調の特徴的な少年は、黄金野桂馬君という僕達のクラスメイトなんだ。
羽振りの良い社長令息で、クラスの誰より早く入手した最新のゲームやラジコンを気前良く遊ばせてくれる鷹揚な友達だよ。
「だって、そうじゃない?酒粕の目利きも甘酒の仕込みも、鰐淵君のパパとママがやったんだろ?親御さんの頑張りを自分の手柄みたいに言うなんて、良くないよ。」
だけど、こうして嫌味な憎まれ口を叩くのが玉に瑕なんだ。
まあ、黄金野君の親戚には弁護士さんがいるらしいから、口達者なのは仕方無いかもね。
でも、そろそろ止した方が良いと思うよ…
「そう言うのを昔から、『人の褌で相撲を取る』って言って…わっ!?」
「褌もフンコロガシもあるかっつーの!」
ホラ、言わんこっちゃない。
鰐淵君に胸倉を掴まれちゃって、黄金野君ったら苦しそうだね。
そもそもプロレスラーみたいに逞しい鰐淵君を怒らせて、僕や黄金野君みたいな小柄な子が敵う訳無いのに。
「俺だってな、酒粕運んだり御米炊いたりと手伝ってんだぞ!それを何だよ。まるで何にもしてない鰹節みたいに言いやがって!」
「そ、それを言うなら穀潰しだよ…」
胸倉掴まれて足がブラブラなのに、黄金野君ったらよくあんな事が言えるなあ。
このまま大事になったらマズいけど、僕が止めても鰐淵君は聞かないだろうし…
「止しなさいよ、鰐淵君!黄金野君が苦しんでるのに、やり過ぎよ!」
そんな一触即発の二人に割って入ったのは、濃い目の茶髪を短いツインテールに結った、赤い吊りスカート姿の女の子だった。
僕や鰐淵君達と同じ四年一組の女子生徒である小倉メグリちゃんは、成績優秀で運動神経抜群なクラスのマドンナなんだ。
「め、…メグリちゃん…」
「そもそも鰐淵君、ここは八幡神社の境内よ。飼い犬の立ち入りさえも禁じられている神域で暴力なんか振るって、一体どうするの?」
そんなメグリちゃんの一番の美徳は、ガキ大将にも臆せず啖呵を切れる勝ち気さと、弱い者苛めを決して看過しない強い正義感なんだ。
だからメグリちゃんには鰐淵君も一目置いていて、正論で指摘されたら素直に過ちを認めちゃうんだよ。
「ましてや今日は、とんど焼きの日じゃないの。お店の評判に傷をつけるつもり?またお母さんに叱られたいの?」
「わ…分かったよ、メグリちゃん!母ちゃんの名前を出されちゃ仕方ねえ!」
そうして渋々という感じで黄金野君の身体を放してあげたんだけど、黄金野君ったら腰から力が抜けて崩れ落ちちゃったんだ。
きっと鰐淵君に胸倉を掴まれている間中、恐怖に苛まれていたんだろうな。
「ちょっと肩を貸してあげて、枚方君。黄金野君を立たせるから…だけど貴方も貴方よ、黄金野君!鰐淵君が家業をどれだけ大切にしているか、友達なら分かるでしょ?鰐淵君が怒るのも仕方無いわよ…」
「う、うん…反省してるよ、メグリちゃん…冗談気分で茶化したら駄目な事ってあるんだね…」
僕達二人に肩を貸されながら、弱々しくベソをかく黄金野君。
その惨めな姿には、さっきまでの気障な立ち振る舞いは見る影もなかったよ。
こうして無事に合流した僕達四人は、とんど焼きの会場である境内の広場に到着したんだ。
鳥居の辺りでは僕とメグリちゃんに両脇を抱えられて啜り泣いていた黄金野君も、とんど焼きの櫓が見えてくる頃には機嫌も直ったみたいで、お焚き上げする注連飾りの自慢話を語る程の余裕を見せていたんだ。
「僕のパパって社長だから、注連飾りも立派なのを飾ってるんだ。修久の家の注連飾りが、ミニチュアみたいに見えてくるようなのがね。」
「へえ…それは凄いわね、黄金野君。私は親戚の御兄さんが司法試験に合格したから、御兄さんの部屋に貼ってあった『合格祈願』と『七転八起』の御習字を焚き上げる事にしたの。」
メグリちゃんったら、上手い具合に話題の方向を軌道修正したね。
黄金野君の不用意な発言が鰐淵君を刺激しない為の配慮だろうけど、この鮮やかさは僕も見習いたいよ。
「メグリちゃんも考える事は同じみたいだな。俺もよ、店でいらなくなったのを剥がして持って来たんだ。」
そう言って鰐淵君が照れ臭そうに広げた半紙には、「歳末特価!ちびっ子シャンパン五割引」と朱墨で大書きされていたんだ。
どうやらクリスマス商品を年末にダンピングしたみたいだね。
「この貼り紙がいらなくなったって事は、シャンパンは無事に完売出来たんだね?」
「それがな、まだ一ダース半残ってんだよ。御陰で最近の俺のおやつは、売れ残りのシャンパンだ。欲しかったら修久にも、七割引で売ってやるぜ。」
これは新年早々に藪蛇だったかな。
不良在庫のシャンパンを売り付けられたんじゃ、お小遣いが幾らあっても足りないよ。
そんな和やかな小正月気分に満たされた僕達は、持参した注連飾りや半紙を巫女さんに手渡すと、櫓に火が付けられるのを参拝客と一緒に見守ったんだ。
焚き火やキャンプファイヤーとはまた違うけれど、火が燃えるのをみんなで見守るのってワクワクするよね。
「この火で餅を焼くのが毎年の楽しみなんだよな!そうして焼いた餅を俺ん家の甘酒と一緒にやったら、もう最高なんだよ。」
それは正しく、とんど焼きを毎年手伝っている鰐淵君ならではの楽しみ方だね。
ところが今年に限っては、例年とは少し事情が違っていたんだ。
「ねえ、枚方君…何か臭わない?何だか生臭いような…」
「そうだね、メグリちゃん。注連飾りのミカンが傷んでいて、それに火が付いたんじゃない?」
そんな現実的な理屈で異臭を説明付けたのも束の間、今度は黄金野君が異変に気付いたんだ。
「あれ、鰐淵君?さっきから犬が鳴いているような…境内には犬なんかいないはずなのに…」
言われてみれば確かに、何処からともなく犬の鳴き声が聞こえてくるよ。
今にも息絶えてしまいそうな、か細くて弱々しい鳴き声がね。
「馬鹿を言うなよ、黄金野。どっかで野犬でも遠吠えしてんだろ。」
野犬なんて今時いないのに、何とも苦しいこじつけだよね。
それは言いだしっぺの鰐淵君も分かっているみたいで、ガラガラ声にも普段の自信が感じられなかったよ。
「何だ、この鳴き声は?神域に野良犬でも迷い込んだのか?」
「子供達が噛み付かれたら一大事だ。早く捕まえないと!」
そうこうしているうちに、大人達も騒ぎ始めたんだ。
犬の声が聞こえたのは、どうやら僕達だけじゃないらしいね。
だけど神社の人達が境内を探しても、遠吠えを続ける野良犬の姿は見つからなかった。
犬の声の出処は、僕達の予想外の場所だったんだ。
「おい!何だこれは!?」
燃え盛る櫓からポロッと崩れるように転がった物を見て、その場にいた誰もがアッと驚いたんだ。
それは半ば黒焦げの無惨な姿になった、秋田犬の生首だったんだからね…
直ちに警察が駆け付けたけれども、捜索願いの提出されている秋田犬はいなかったらしく、あの生首が誰の飼い犬だったのかも、どうして首を切断されていたのかも、何も明らかになっていないらしい。
それから僕達小学生の間で、自分の首を探して夜の街を彷徨う首無し犬の噂が囁かれるようになったんだ。
目撃した僕達の証言に尾鰭がついたのか、それとも本当に見た人がいるのか。
それは定かじゃないけれど、もしも本当に首無し犬の幽霊がいるとしたら、あまり変な噂をしない方が良いかも知れないね。
今はただ夜の街を彷徨うだけだけど、そのうち出食わした人間に危害を加える噂が加わるかも知れない。
それも単なる体当たりじゃなくて、もっと化け物染みた方法かも知れない。
例えば、鉢合わせした相手を瞬時に焼き尽くしたり、切断面から毒の血を吹き付けたり…
そうして噂にどんどん尾鰭がついていったら、どんな危険な化け物になるか分からないもの。
とんど焼きの生首事件は、確かに怖かった。
だけど本当に恐ろしいのは、僕達人間の想像力かも知れないよ。
何しろこうやって、恐ろしい物を自分から考え出してしまうんだから。
もし君が、町を彷徨う首無し犬の噂を誰かから聞いてしまったら…
そこに君は、どんな恐怖の物語を付け加えてしまうのかな?