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<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

僕のために争わないでほしかった~僕との婚約を賭けた美少女同士の決闘の末路は絶望だけだった~

※コメディーではありません

※残酷な描写注意

「どうして、こうなってしまったのだろう…」


 馬車に揺られながら、僕は思わずそう呟いていた。




 5年前に起きた事件。

 決して取り返しのつかない悲劇。

 あの日のことを、僕は一時たりとも忘れたことはない。


 ―――忘れることができないのだ。




 僕は名門貴族の跡取り息子だ。いや、だったというべきか。

 精神に異常をきたしてしまった今の僕には当主としての役目を果たせるはずもなく、父が亡くなった現在は、弟にその役目を担ってもらっている。

 僕自身の具体的な身分については詳しく述べないでおく、というか、その身分も原因であの事件が起こったと思えば、今となっては考えたくもないことだ。

 とにかく、かつて将来を期待されていた僕は、幼少期より皆からの注目の的であった。そして、権力争いも絡み、僕のもとに娘を嫁がせたいと考えている貴族は少なくなかった。


 そんな経緯で出会ったのが、金髪の美少女・シャルロッテと、銀髪の美少女・サラ。


 2人とは幼い頃に父に連れられて参加した夜会で出会い、小さい頃からよく一緒に遊んでいた。

 2人と遊ぶのは好きだったし、彼女たちの父親はそんな僕らの姿を見ながら満面の笑みを浮かべていた。

 当時の僕はといえば、いずれは彼女たちのどちらかと結婚するのだろうなと、幼いながらに漠然とそう認識していたが、まだ先のことだと思い、そこまで深くは考えていなかった。よその国や街の常識はよくわからないが、僕の周りに幼少期から婚約者が決まっている者の噂は聞いたことがなかったのだから、仕方がなかったと思いたい。


 父は、昔から事あるごとに決まって僕にこう言った。


「お前の好きにしなさい」


と。


 自由に育ててくれたことには感謝している。しかし、僕は決断をすることが大の苦手だった。

 どんなことにも優柔不断なところ、今思えばそれが僕の最大の欠点だった。


 しかし、当の本人である僕は、そのことをさほど欠点だとは思っていなかった。

 どんなことにも白黒つければよいというわけではない。そう考えていたからだ。

 僕は、それぞれに違った長所を持つシャルロッテとサラのことがどちらも好きだった。

 だから、彼女たちのどちらかを選ぶなど、到底できそうになかった。



 僕はシャルロッテとサラ、どちらにもできるだけ平等に接した。

 勿論、彼女たちの性格は異なるから、接し方が同じというわけではなく、なるべく彼女たちが喜ぶように接した。そうすることが、僕にとっても幸せだった。


 シャルロッテは小さい頃から何をやっても優れた子で、1番になることが当たり前という教育を受けていた。そのせいで高すぎるプライドが彼女の欠点でもあったのだが、いつも自信に満ちていた彼女の姿はとても眩しくて、僕にとって憧れの存在だった。

 そんな彼女はいつも周囲に気を張って振る舞っていたけれど、僕にだけ、ときどき弱い部分を見せたり、甘えた言動を取ったりしてくるのだった。それは彼女からの僕に対する信頼の証であり、それを受け止めてあげられるのは僕だけ、という優越感も少なからずあったのだろうと、今になって気づく。


 サラはストレートロングの銀髪が美しい少女だった。その見た目通りのおしとやかな佇まいは年齢に見合ってはいなかったが、時折見せる少女らしい可愛い仕草には何度もドキッとさせられた。

 心優しい子で、いつも他人の気遣いばかりしてしまう性格。器用でありながら、何をするにしてもどうしてもシャルロッテには叶わず、2位の座に甘んじてきたことから劣等感を覚えていたが、それをひた隠しにしていたことを僕は知っていた。そんな彼女を慰めてあげられるのは僕だけ、という優越感も少なからずあったのだろうと、これまた今になって気づく。


 2人とも僕にとっては大切な女の子で、誰にも渡したくはなかった。


 だから、シャルロッテと遊んだ翌日は必ずサラと遊ぶようにしていたし、サラと夕食を共にした翌日は、シャルロッテと同じように過ごした。


 やがて3人で遊ぶことも増えた。シャルロッテはプライドこそ高いけれど他人に自慢するタイプではなかったし、人を見下すようなことは絶対にしない。むしろ、サラの上品で可愛らしい姿に憧れていたようで、僕がシャルロッテと2人きりのときには、サラみたいな、ああいう女の子が好みなのかと詰め寄られたこともあった。


 シャルロッテとサラ、どちらも可愛いと思っていた僕は、サラの魅力を認めつつも、シャルロッテには今のままが可愛いと告げた。シャルロッテにしかない魅力もたくさん伝えた。それを聞いて恥ずかしそうに、しかし心の底から嬉しそうに微笑んだシャルロッテの姿は、今でも忘れることはないが、遠い昔のことに思える。


 話が逸れたが、とにかく僕たちは『学園』に通い始めてからもいつも一緒で、3人で仲良くしていた。


 しかし、いつからだろう。シャルロッテとサラの間には、どうしても塞がることのない溝ができ、2人の仲は次第に良いとはいえない状況へと変化していった。


 後になって知ったことだが、シャルロッテとサラは父親から僕の心を掴んでくるよう厳しく躾けられていたのだ。


 僕の父は、僕を自由に育てていることで有名だったし、『最終的な婚約相手は僕に決めさせる』と日頃から周囲に言い振る舞っていたからだろう。


 しかし、彼女たちの父親の行き過ぎた教育は、次第に2人の少女の心の枷となって、彼女たちがその重荷に耐えられなくなった頃には、僕らの間には常にギスギスした雰囲気が漂うようになっていた。


 何とかして2人には仲直りしてほしい。しかし、その溝は少しずつ深まっていったもので、これといって明確な喧嘩のきっかけがあったわけではないし、僕はどうすれば良いかわからず困り果てていた。






 そうしているうちに訪れた16歳の春のこと。

 学園のルールに従って、決闘が行われることになった。

 その理由といえば、僕との婚約を賭けてだ。

 そして、決闘するのは、言うまでもないが、シャルロッテとサラ。



 僕らが16歳になるとき。

 実はそれが、婚約のタイムリミットだった。

 父親からは何も聞かされていなかったが、優柔不断な僕のすぐ目の前に、知らず知らずのうちに決断の時が迫っていたのだ。


 しかし、2人の決闘を知らされたそのときの僕はといえば、


「これで僕の婚約者が決まってくれるのなら、楽でいいな」


 そんな風に、気軽に捉えていた。

 もし過去に戻れるのだとしたら、


 …戻れるとしたら、そのときの僕をぶん殴ってやりたい。

 だが、僕のことを求めてくれている2人の気持ちは素直に嬉しかったし、僕がどちらか一方のことを断るなど、やっぱり考えられないことだった。正妻を2人迎えることができたなら、と何度思ったことだろう。

 だから、どうしても1人を選ばなければならないのだとしたら、彼女たち2人の当人同士で決めてもらえたら…と、そう思ってしまったんだ。




 決闘のルールは単純。

 闘技場で戦闘を行い、相手を降参させた方が勝者となる。

 当然だけれど相手に命の危険を及ぼすような攻撃はしないこととし、そのため使える魔法の類は制限され、武器の使用も禁止されている。


 戦闘中にうっかり危険行為が行われてからでは取り返しがつかないので、安全のために、使用可能な魔法に制限のかかった結界の中で決闘は行われる。


 そして、それでも万一のことが起きた場合のために、有力な治癒魔法師が周囲に待機している。


 このように万全を期した体制のもと、学園側の運営に従って執り行われた決闘の結果なら、誰も文句を言うことはできないし、決断が苦手な僕としても有り難い機会だった。

本当に、そう思っていた当時の僕は…


 もう、考えたくもない。






 決闘が始まった。


 開始の合図とともに、両者は真っすぐ突き進み、激しく衝突した。

てっきり2人は魔法で相手のことを拘束すると思っていたから、この展開は正直意外だった。


 彼女たちの華奢な体のいったいどこに、あのような力が秘められているのだろうか。


 歯を食いしばりながら取っ組み合う姿は、しかし両者ともに絶世の美少女だからこそ、目を引くものがあった。


 その証拠に、どこで聞きつけたのだろうか、学園中の生徒が見物に集まって、ヤジを飛ばしていた。2人の美少女にはそれぞれにファンがついていた。それで各々のファンがそれぞれを応援するのかと思いきや、『負けて婚約レースから脱落すれば、やがて将来俺と結ばれる未来もあるのではないか』と考え、逆にもう一方を応援する者も現れるなど、状況はカオスそのものだった。


 だけど、そんな中決闘をしている2人の美少女の姿を見て、僕は少し寂しい気持ちになった。



 昔はあんなに仲が良かったじゃないか。



 かつては可愛らしい笑顔で微笑み合っていた2人が、今ではこうしていがみ合い、ぶつかり合っているというのは何とも悲しい気持ちにさせられる。


 やがて、2人はもつれ合いながら地面に倒れた。その後も激しくもみ合いつつ、両者一歩も譲らない激しい攻防が繰り広げられていく。


 転倒した際に、サラの綺麗な脚には生々しい傷が刻まれた。

 シャルロッテの方は額を強く打ち付けた為、歯でも折れてはいないかと心配になる。

 しかし、そんな中でもそういったことを気にする素振りは一切見せず、2人は互いのことを傷つけ合い、痛々しい姿となっていく。


 小さい頃から2人を見てきた僕は、彼女たちの美しさが生まれ持ったものだけではなく、努力の賜物であることを知っている。だからこそ、たとえ魔法で元通りに戻るとしても、お互いに積み重ねてきた努力を無下にするようなことをしてほしくないと思ってしまう。


 2人は地面を這いながら、どちらが上を取るかで争い、やがて組み合った状態で再び立ち上がったかと思えば、数秒後には再びもつれて倒れ込む。


 今度はサラの体がうつ伏せに崩れて、シャルロッテの下敷きになる形となった。

まるで見世物のように、彼女たちの必死の攻防に対する歓声が上がるが、そういった生徒たちのことを軽蔑しつつも、その局面に目を離せず釘付けになっている自分がいた。

 なにせ、この決闘で僕の将来がかかっているのだから。


 …そんなことを本気で考えていた当時の僕を、呪ってやりたい。


 2人の転倒と同時に砂煙が上がり、視界が悪くなったため一瞬状況がよく掴めなかったが、それが消えた頃には、サラはなんとか向き直して仰向けとなって、覆いかぶさるシャルロッテと拳の応酬をしていた。


 だが、少しずつシャルロッテの方が優勢となっていった。


 シャルロッテの拳が何度もサラの顔面を襲う。


「ひゃあっ!」


 僅かに聞こえるサラの悲鳴は、しかし周囲の群衆のヤジにかき消されていく。

サラの端正に整っていた顔が次第に崩れていく。


 勿論、魔法で治療すれば元通りになるわけだけど、ここまでの暴力は流石に見ているこっちが辛い。

そこまでしなくてもいいのではないかと思ってしまうし、サラにはもう降参してほしいと思ってしまう。だけど、それでも降参しないということは、それほど僕と婚約したいと思ってくれているということで…ちょっぴり嬉しくもあった。


 群衆を見れば、喧嘩好きのガラの悪い男子生徒たちは


「やっちまえー!!」


とタオルやらを振り回して大騒ぎしている。


 対して、大人しいタイプの男子生徒たちは


「サラさん…」


と呟いて、目の前の惨状に目を背けていた。


 そして僕自身も、サラのあまりの痛々しい姿に、思わず目を逸らす。

 これ以上の続行に、もう意味はない。

 そう誰もがシャルロッテの勝利を確信した、その時だった。




「あうっ!!」


 目の前の美少女から発せられたとは到底思えない、悲痛な叫び声が響き渡った。


 驚いてよく見ると…








 シャルロッテの左腕から激しく血が流れていた。


 そして、そこには血にまみれたナイフを手に持つサラの姿が…








 この光景を見て、僕は頭から血が引いていく感覚を覚えた。


 それほどまでに衝撃的な光景だった。


 そのままサラは力を緩めることなくナイフを振りかざし、シャルロッテの左腕が地面に転がったときには、辺りは騒然とした雰囲気に包まれていた。




 早く決闘を中止しなければならない。




 そのはずなのに、シャルロッテとサラの父親を見れば、


「よくもうちの娘に…!」


 僕とは逆で、頭に血が上ってしまったのだろう。互いを罵り合いながら、激しい喧嘩をしていた。


 すぐに彼らを止めに入ろうとした学園側だったが、彼らの家柄を思うと下手に手出しをできないようで、近づいて行った教員はあえなく突き飛ばされていた。


 そして気づけば、あちらこちらで我を忘れた者同士が、野生の獣のように暴れ回り、収集のつかない状況となっていた。


 もう決闘どころではない。


 学校側は決闘の中止を宣告し、治癒魔法師たちを結界の中に干渉させようとする。しかし、


「…け、結界が解けません!」


「なんだと!!」


 腕が切断されるほどの重傷を負っては、どれだけ優秀な治癒魔法師だったとしても、流石に5分以内に何かしらの治癒を施さなければ、元通りにすることはできない。


 しかし、決闘中の2人を覆う結界には、何らかの特殊な魔法が後付けで施されており、喧嘩を続ける2人の空間に第三者が入り込むことが許されないのであった。

 名高い学園長でも解くことのできないような結界が施されるとは聞いたことがない。

 はっきり言って、手の打ちようがなかった。早く救わなければという焦りもあったと思う。

 だが、残酷にも時間は過ぎていき…



「…お、おい、もう5分、経ったよな…!?」


「いやあああ!シャルロッテさまあ!!!」


 動揺する男子生徒や、彼女のファンの女子生徒達のざわめきが聞こえてくる。


 そうだ。彼女たちはみんなに愛されていた。


 シャルロッテは常に皆の先頭に立つ、あこがれの存在。しかし、自分の才能を驕らずに、努力を欠かすことなく、勉強や魔法が苦手な生徒には熱心に教えてあげたりしていた。


 サラは家柄に恵まれていながら誰にでも分け隔てなく接し、よく見ず知らずの生徒の相談にも乗ってあげていた。彼女の優しさに救われた生徒や、その結果勘違いしたりうっかり惚れてしまった男子生徒も少なくないことだろう。



 …だが、今はそんな彼女たちの面影を見ることは叶わない。


 透明な結界の向こうでは、残った右手でサラからナイフを奪い取ったシャルロッテが、狂ったようにそれを振り回していた。


 美しかった金髪と銀髪が、ナイフで切り裂かれて宙を舞っていた。


 憎しみにまみれた表情で、シャルロッテは右手でサラの額を鷲掴みにし、何度も何度もサラの頭部を地面に叩きつける。


「…うぐ…」


 サラは声を出すのがやっとという状況に見えたが、シャルロッテが攻撃の手を緩めることはない。


 それでいて、そうしているシャルロッテの左腕から流れる血は、止まる気配がない。

 次第に激しい痛みと失血で意識が遠のいていったようで…




 駆け付けた名高い魔導士たちを含んだ10人がかりで、なんとかして結界が解けた頃には、2人の『美少女だった何か』の声は、既に聞こえなくなっていた。














 あれから5年が経ったのだと思うと、長かったような、短かったような。


 あの一件以降、僕は何度も死のうと思った。心の弱い僕には、あんな光景を目の当たりにした後、元通りの生活を送ることなど無理なことだった。あの決闘を思い出すたびに、僕は何度も吐いた。


 僕以外にも転がった左腕を見たショックで何人もの野次馬生徒たちが病院送りになったと聞くが、僕の場合は、あの決闘の光景とともに、小さい頃から一緒に過ごしてきた彼女たちの笑顔が脳裏に浮かんでしまうことがストレスの原因だった。


 あんなに眩しくて、優しくて、そして綺麗だった2人の少女。


 彼女たちの可愛らしい笑顔を、もう見ることができないと思うと、瞼の裏が重くなり、堪えきれずに涙が溢れてくる。


 事故の類ではなく、彼女たちがやらなくても良い争いをしたせいで、このような結末を迎えてしまったことが、僕の心を締め付ける。


 決闘を止めていれば。

 決闘が起こる前に、僕が婚約相手を決断していれば。


 …僕がいなければ。


 彼女たちは今でもあの可愛らしい笑顔を振り撒いて、皆の人気者で幸せな日々を過ごしていたはずなのだ。


 その事実が、何度も僕を自傷行為に移させていた。


 そんなとき、僕を支えてくれたのは、ミサという1人の少女だった。


 愚痴を当たり散らす僕を、何度も僕を慰めてくれた。いつでも傍に寄り添ってくれた。


 事件当初は他人と会話することすらままならなかった僕だけど、彼女はそんな僕に残された唯一の救いだった。


 ミサは下級貴族の出であった。だから、次期当主の座を明け渡したとはいえ、名門貴族の一員である僕に取り入って、金を巻き上げようと企んでいるなんて噂も耳にした。


 実際のところ、そうなのだと思う。いや、例えそうでなかったとしても、僕はもう他人に心を開くことができない。


 だが、親身になって寄り添ってくれたミサのお陰で今の僕がいることは間違いない。

 ミサには本当に感謝している。


 少しずつ正気を取り戻した僕は、トラウマになっているあの事件について、ちゃんと向き合うことにした。


 最初は、忘れようと思った。

 だが、どうしてもそれはできなかったのだ。


 事件を忘れるということは、彼女たちのことを忘れるということ。

 そしてそのことは、小さい頃からのたくさんの思い出をすべて捨てることを意味する。


 そんなこと、無理に決まっていた。


 彼女たちのためにも、僕はしっかりと向き合わないといけないと思った。


 そんな僕は、現在あの事件の黒幕の存在を調べている。


 破れない結界が張られていたこと。

 そして、最終的にナイフまで手に取り、互いを命の危険にさらすまで傷つけようとしたこと。

 今になって思えば、心優しい彼女たちが取っ組み合いの決闘なんて、どんなに関係が歪んでしまったとしても、するはずがなかったのだ。


 後に調査した結果、シャルロッテとサラには両者共に精神操作系の魔法が施されていたことが明らかとなった。また、サラの懐に隠されていたナイフに金属探知に引っ掛からないよう特殊な細工が施されていたことは、何者かがあの日の決闘に関与していたことを決定づけた。サラはそのような魔法を習得していなかったわけだし、そもそも生徒のレベルでできる隠蔽工作ではなかったのだ。



 しかし、犯人の尻尾を掴む決定的な証拠は、未だに見つかっていない。

 5年も前のことだ。あったとしても、もう失われているのかもしれない。

 急がなければと思う。

 だが、僕の精神は浮き沈みが激しく、今でも調査を全くできない日がしばしばある。


 …そんな日の翌日は、決まって外に出ることにしている。


 本当は毎日調査を続けるべきところだが、ずっと屋敷に引きこもっていてはいけないと、ミサも言ってくれる。


 しかし、外に出たところでこれといって行く当てのない僕は、最終的には決まっていつも同じ場所に向かっている。




 そこは、街外れの小さな病院。


 小さな入り口から中へと入る。古い建物だから、一歩踏み出すだけで床がミシミシと音を立てる。

 一階建てのため、無駄に長い廊下。その突き当たりまで真っすぐ進む。

 何度も歩んだ道筋。すっかり通い慣れている。


 そして、一番奥の部屋の扉を開ける。


 ―――そこには、白いベッドの上に横になっている銀髪の少女がいるのだ。




「…おはようサラ。」


 返事はない。

 彼女は決闘中に何度も後頭部を打ち付けたことで、意識が戻らなくなってしまった。

 今は辛うじて一命をとりとめているという状況だ。


 サラの家族はあの事件の後、何の価値もなくなった彼女のことを一家から追放した。

 病床に伏せる彼女の治療費を援助してくれるものは、誰もいない。

 初めの頃は彼女を心配した同級生がお見舞いに来ていたけど、サラの変わり果ててしまった姿にショックを受け、しまいには彼女の治療費を援助するよう病院側に訴えられては困ると、病室に来ることはなくなってしまった。


「サラ、着替えようか」


 今日は僕の気分とは真逆で、雲一つない青空が広がっている夏の日。


 外の暑さによってすっかり汗ばんでいた彼女のために、僕は服を脱がせていく。


 …小さい頃からの付き合いがある仲とはいえ、1人の女性に対して、本当は僕がこんなことをせずに女性看護師に任せるべきなのだろうけど、今日は彼女、ヤツの担当の日だったから仕方ない。


 ヤツが当番だったある日。意識が戻らず身寄りのないサラのことを、まるで人ではないように乱雑に扱っている姿を偶然見てしまった。


 ヤツに任せるくらいなら、僕がやった方がいいと思い、僕が足を運んだ日が偶然ヤツの当番だったときは、こうして僕がサラのお世話をしている。

 ヤツの日に毎日ここへ通っているわけではないし、僕は病院の関係者ではないから看護師たちのシフトをちゃんと把握できていない。そもそも、他の看護師たちだってヤツと同じような態度で、サラのことを扱っているのかもしれない。なにせ、僕がヤツのサラへの仕打ちを病院に訴えても、まともに取り合ってくれなかったのだから。


 考え出せばキリがないが、それでもここの施設がこうして場所を提供してくれているだけで、名門貴族である一家の端くれである僕が、本来であれば関わってはいけない身分である『身寄りのない女性』とも、誰にも見られずに会うことが出来るのだから、感謝しなければならないのだ。


 ただ、せめて僕の目の届く範囲では…サラにはこれ以上傷ついてほしくないと思ってしまうのである。


 しかし、サラの羽織っている上着を少しずらしたところで、僕の手は止まってしまう。


「…う…」


 言葉に詰まる。何度もやってきたことだけど、やはり慣れることはない。


 かつては透き通るように白くきめ細かな肌で、洋服越しにその胸元を見るだけでドキドキしてしまっていたものだけど、今ではあの頃の輝きは見る影もなく、身体のあちこちに痛々しく刻まれた傷痕を見るたびに、泣きたい気持ちになる。


 どうして…


 決闘後、サラの体には複数の治癒魔法が施されたものの、彼女自身の生命力がなければ、完全には回復しないのだという。


 もし、意識が戻れば彼女の体は元通りになるかもしれないけれど…


 5年が経った今でも、全くその兆しはない。




 これは僕の罪だ。サラがこのような姿になってしまったのは、僕のせいだ。


 僕がサラを選んでいたら…或いは、はっきりとサラの婚約を断っていたら、あんな決闘は起こらずに、今でも上品な佇まいで可愛らしい笑顔を見せる彼女が見られたはずなんだ。


 サラは、幸せになっていたはずなんだ。


 ここに来るたびに、今度こそと思うのだけど、やっぱり耐えられなくて、泣いてしまった。


「サラ…」


 またサラのベッドを涙で濡らしてしまった。


 どれだけ声を上げて泣いても、サラは返事をしてくれない。


「うわああああ!!!…ああ…」


 病院で大声を出して、他の患者に迷惑だからと注意されてしまった。何とか平静を取り戻し、彼女の着替えを済ませたところで、僕は病院を後にする。






 晴天の空。こんなにも気持ちの良い天気なのだ。


 僕は帰らずに、馬車を走らせて次の場所へと向かう。

 街外れの出発点から、さらに街外れへと進む。

 しばらくすると、やがて周囲に建物はなくなり、木々が生い茂った景色へと変化する。放置されて潰れてしまった小屋なんかが度々あるが、辺りに人の気配はなく、次第に進む道は細くなっていく。何とも不気味な雰囲気が漂っているが、僕はそんな光景は気にもせず、ひたすらに突き進んでいく。


 そうして着いた先。

 そこは、かつて利用されていたものの取り壊しが決まったが、実はひっそりと今でも使われているマーテン家の別荘。


 そこに、シャルロッテ・マーテンは住んでいるのだ。






「また、来ちゃったのね」


 そう言って、右手で杖をつきながら作り笑いを浮かべる彼女を見ると、胸が苦しくなる。

 すぐに声は出せなかったが、僕は右手を挙げて、できる限りの挨拶をした。


 シャルロッテ本人に案内され、古い屋敷の一室にある椅子に僕らは腰掛ける。


「どうだった?」


「いつも通りだったよ」


 お茶を飲みながら、これまたいつも通りの会話をする。


「…ごめんなさい…」


 毎回、ここへ来るたびに、彼女とは同じ会話をしてしまう。

 シャルロッテの言うごめんなさいは、勿論サラへと向けられた言葉だ。


「…ごめん…」


 そして僕も、シャルロッテに謝る。彼女の ない左腕を見るたびに、謝らずにはいられなくなる。

 加えて、彼女の失血は酷いもので、あの決闘の後、救護班が最善を尽くしたものの、身体には麻痺が残ってしまった。今では杖なしでは歩くことすらできない。


 そんな彼女は、一家の令嬢としての価値を失い、こうして離れた別荘で暮らしているわけだが、実は戸籍からは既に抹消されて、死んだことになっている。


 何でもそうしなければ家の立場がなかったそうだが、辺境の地で僅かな使用人と寂しく暮らすことが、あんなにも輝いていた彼女の末路だと思うと、いたたまれない気持ちでいっぱいになる。


 僕が来ると、シャルロッテは決まってサラのことを尋ねる。

 だが、サラの名前は決して口にしない。それでも、「どうだった?」のその一言で、心配している気持ちが痛いほどに伝わってくる。


 だから、意識が戻らないままだ、とか、改善の兆しは見えない、とか、どうしても否定的な言葉を伝えることができなくて、いつしか僕は「いつも通り」とだけ返すようになっていた。


 「ごめんなさい」という言葉も、口にしたところで何の意味もないし、そもそも謝ったところでどうにかなることではないと、お互いに分かっているはずなのに、毎度顔を見るたびにその言葉が漏れてしまうのは何故なのだろうか。


 昔はあんなに笑い合って、賑やかに会話していた僕とシャルロッテだけど、今では無表情で、断片的な言葉でこうしてやり取りをするだけ。


 無言の空間に、茶器の僅かなカチャリ、という音が響く。


「もう、ここに来ないでよ」


 これも、いつものシャルロッテの台詞。僕はこの屋敷に足を運ぶたびに、決まって彼女にそう言われる。


「私は、もういない人なのよ」


 確かに、戸籍上彼女の存在はもういないことになっている。

 シャルロッテの葬儀には多くの生徒が参列し、今でも彼女の墓に花を手向ける者も少なくない。それは、それほどまでに彼女が皆に愛されていたことを意味する。


 だけど、彼女は今もこうして生きているのだ。


 その真実を知っているのは、限られた数名だけ。

 だから、あれほどまでに慕われていた彼女が、今は一人で寂しく暮らしていることを思うと、僕はどうしても放ってはおけない。


 来ないで、と、何度そう言われても、僕だけは彼女の味方でありたいと思ってしまう。


 本当、今更の話だ。




 ここに来るようになって間もない頃だっただろうか、僕はシャルロッテから、当時の事件について聞き取り調査をしたことが何度かあった。


 かつての自信に満ちていた頃の面影は全くなく、ボソボソと語る彼女だったが、その証言は、大変参考になった。


 精神操作をされていたときは、まるで夢の中にいるような気分で、普段の自分には感じられないような怒りと憎しみの感情が溢れていたという。

 決闘を行う話が決まった時から、既にその状態だったということだった。


 真面目で心優しい彼女は、必死でその感情を抑えつつ日々を過ごしていたが、やがて決闘が始まった瞬間、サラと思うがままに力をぶつけ合ううちに大事な何かが壊れる感覚を覚え、気づけばあのような状況になってしまったのだという。


 つまり彼女は、サラを傷つけたこと、その瞬間を


『全部、覚えている』


という。


 だからこそ、シャルロッテにとって可愛らしい理想の女性像であったサラへの嫉妬が、抑えられないほどに暴走した結果、あのような結末になったことを彼女は心の底から悔やんでいる。そんな醜い自分が嫌になると言っていた。

 それを聞いてしまった僕は、シャルロッテからこれ以上過去の出来事を聞き出すのを止めた。


 シャルロッテとサラが何者かに精神を操られていたことは、わかってすぐに公になった。彼女たちの両家がすぐに公にしたのだ。娘『だった』者たちが、あんな惨劇を起こしたことにはしたくなかったから。

 普通であれば精神操作など民衆が信じるはずもないことだったが、適当な証拠と犯人をでっち上げることで、事件は幕を下ろした。怪しい占い師が犯人で、彼女たちに黒魔術を仕掛けたとか。

 民衆にとってはその作り話の方が、2人の少女の豹変よりも受け入れやすいことだったようで、すんなりと信じられた。


 勿論、そんなものは嘘に決まっているが。




「ミサは元気?」


 これもたびたびシャルロッテに尋ねられる。

 シャルロッテはミサと直接面識があるわけではない。だが、僕がかつてシャルロッテに聞き取り調査をした際に、その手助けをしてくれている彼女の存在をうっかり口にしてしまったことがあった。別に隠していたわけではないから良いのだが、それ以来、シャルロッテはミサのことも気にかけているようだった。


「早くミサと結婚して、幸せにしてやりなさい」


 また、そのようなことを言われてしまった。その言葉をシャルロッテの口から聞くたびに、僕は胸が締め付けられるような思いを味わう。


 かつて、好きだった女性。そんな相手に、別の女性と結婚しろと言われるのがどれほど辛いことか、彼女は分かっていないのだろうか。


 いや、だがもしかすると僕はまた同じ過ちを繰り返そうとしているのかもしれない。

 僕はミサからの好意に気づかないふりをして、ずっと傍にだけいさせて、そのままミサが結婚適齢期を過ぎるまでずっと…


 そんな僕に、シャルロッテは忠告してくれているのかもしれない。

 それとも同じ女性として、ミサには何か思うところがあるのかもしれない。


 だけど…


 駄目なんだ。


 僕はもう他人を愛せない。


 それに、あんな事件が起こってから、起こってしまってから…

 愚かな僕は、シャルロッテのことがどれだけかけがえのない存在だったかということに気づいてしまったのだから。




「また来るよ」


 最後にそう声をかけて、帰り支度をする。これも、いつも通りの僕の台詞。

 僕らの会話は、いつも同じことの繰り返しで、まるで時間が止まってしまったかのようだ。




「…ほんと、バカね」


 しかし、別れ際に見せた彼女の反応は、いつもとは違っていた。

 そう言って微笑んだ最後の笑みは、作り笑いではない本当の笑顔で…

 まるで5年前の、彼女のように晴れやかで、




 …それこそ今日の天気のようだった。


「…」


 その笑顔は、僕に楽しかった過去を思い出させるには十分だった。

 思わず泣き出しそうになった僕は、それをシャルロッテに悟られないように、


「ああ」


とだけ言い残して、後ろ向きのまま手だけを振って、屋敷を後にした。






 帰りの馬車の中。


「どうして、こうなってしまったのだろう…」


 僕は思わずそう呟いていた。


 何としてでも事件の黒幕を炙り出してやろうと、より一層決意を固める。


 本当は、気づいている。優柔不断な僕がいけなかったのだと。

 だが、彼女たちの姿を見るたびに、その罪を自分だけでは背負いきれないと思ってしまう。


 こうしていることで、ミサのことを不幸にしているだけなのかもしれない。

 ミサに対しても、白黒をつけるべきなのだろう。

 僕はもう誰かの女性を愛することなどできそうにない。そのような権利は、とうに失われた。

 だが、それでもミサに離れていってほしくないと思ってしまう僕は…なんて弱くてどうしようもない人間なのだろう。



 そう。僕はどうしようもない。

 結局は事件の真相を調べることも、僕のためなのだ。

 事件の黒幕を見つけることで、背負いきれない罪に対する気持ちを軽くしたいだけなのかもしれない。


 それでも、僕はあの事件を忘れずに一生背負っていくと決めたのだ。




 ―――それが僕の生きている意味だと思うから。

最後まで読んでくださりありがとうございました。

優柔不断反面教師用

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 黒幕は一番得をした人物と考えると… [一言] まだハーレムエンドの方がマシだという… 今からでも行けなくはなさそうだが
[良い点] 優柔不断の悲劇。 [気になる点] なろう的裏読みをすれば黒幕はミサ。 いわゆる聖女チート。 あるいは両ヒロインの親。 奇妙なことに、両方とも相手の家を責めるより役立たずになった娘の排除に…
[一言] 「シャルロッテッッッ!、サラッッッ!!お前達が俺の両翼だッッッ!!!」 ……〇ねよッ……
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