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3話 熊の魔物

「ふぅ。今日はもうこんなものかな。」

 持ってきた紙で剣の刀身を拭いてから鞘にしまう。

 ウェンディ・フォン・ハイゼンブルグ。6歳。

 ウェンディの目の前で魔素になり始めている熊の魔物は、肩から脇腹にかけて一太刀入っているだけだった。

「そろそろ帰って寝ないと。≪風系統・超加速≫!」

 屋敷までの道のりをまっすぐ駆け抜け、そのまま屋敷の3階まで外壁を駆け上がり、ベランダに飛び乗る。

 ベランダから自分の部屋の中に入り、剣をしまって服を着替えていると、背後から声を掛けられる。

「…お嬢様、またおひとりで出かけてらっしゃったんですか?」

「ん?ディア。ごめんね心配かけて。でも誰か連れて行ったらそれこそ怒られるでしょ?」

「それはそうですが、嫡女では無いとは言えお嬢様はハイゼンベルグ家のご息女であられます。お嬢様が剣と魔法を愛していらっしゃるのはわかりますが…。」

「わかってるよ。12歳になったらアカデミーに行かなきゃいけないし、昼間の習い事の憂さ晴らしってことで。」

 ニコッと笑いかけると、ディアは少しほほを染めて目線をそらす。

「…ごまかさないでください。」

 運動着を脱いでいると、ディアがお湯とタオルを持ってき来て、体を拭いてくれる。

 一通り汗を拭きとると、寝間着を持ってくる。

「今日はどんな魔物を倒してきたんですか?」

「大きい熊みたいな魔物。赤色だったと思うけど、名前まではわかんないなぁ。」

「熊ですか~。この辺だと見かけませんが、いつもの山とは別の山に行かれたんですか?」

「今回は森、いや樹海かな?南西にまっすぐ行ったところの森に居たよ。」

 寝間着に着替えると、ディアがココアを持ってくる。

「どうぞ。今晩は冷えますから、ココアを飲んで体をあっためてください。」

 テーブルに置かれたココアを飲みながら窓の外を眺める。

(この前読んだ本に出てきたローレンス流ってどんな流派かな。本を見た感じだと、この世界の剣術は日本にいたころ程多くはないと思うけど。)

 日本なら念流(ねんりゅう)とか中条流(ちゅうじょうりゅう)みたいなおおもとの流派が存在し、それの流れを汲む形で新たな流派ができていく。例えば小野派一刀流(おのはいっとうりゅう)から分派した水戸派一刀流(みとはいっとうりゅう)のように。

 だけどこの世界の剣術は大きな流派がいくつかあるだけでそれ以外は存在しないようだ。

 その日は、外を眺めながら考え事をしていて、気が付かないうちに椅子で眠ってしまった。

 それから数日後、ウェンディ1人残るキューリッツ領にお父様とお母様に、4人の兄さまと2人の姉さまが戻ってくることになった。理由はウェンディの7歳の誕生日だ。

 普段は時々領地まで戻ってくるが、お父様とお母様は帝都の屋敷に、お兄様は上3人がすでに成人済みで政治家や研究員に騎士をやっていて、下の兄はアカデミーに在籍している。姉はというと、上の姉はすでに成人して官僚、下の姉は兄と一緒にアカデミーだ。

 ほかの兄弟に比べ、ウェンディが1人だけ歳が離れている理由は、ウェンディの母親が正妻ではなく、お父様が妾に産ませた子だからである。

 昼間は騎士団に何を言われるかわからないし、領民もいるから森にいけない。

 特にやることはなく、昼間は本を読んだり勉強をしたり、散歩をしたりしながら、隠れて筋トレをしたりして過ごし、夜は近くの森や山に出向いて魔物を倒す日々を過ごした。

「ねぇディア、みんなはどれくらいに帰ってくるのかな。」

「そうですね~。正午過ぎにはお戻りになると聞いております。…くれぐれも、本日はお出かけにならないようにしてくださいね。」

「わかってるよぉ。それはそうと、なんか外騒がしくない?」

「あ~そうですね。今日は朝から門の外が騒がしいですね。何があったか確認してきますね。」

 そういって部屋を出ていくディア。

 なんとなく嫌な予感がしたウェンディは、本棚の裏から剣を取り出すと、一緒にしまっていた手入れ道具で剣を磨く。

 しばらくしたらディアが戻ってくる。

「あらおかえり。どうだった?」

「はいお嬢様、なんでも森で巨大な熊の魔物が出ているとのことです。現在領主様たちはご兄弟たちと騎士団と合流して討伐にあたるとのことです。」

「そっか。さっきから感じてた気配はそれかな。騎士団で対応できるかな。」

「キューリッツ領の騎士団ですから、銃の配備も行われていますし問題はないと思いますが…。」

 いくら銃があったとしても、単発式のフリントロックだ。どんな銃なのかは知らないけど、歴史の教科書で出るレベルで古い時代のものなんだろう。

「私はあんまり銃についてよく知らないけど、どうなのかな。」

「ご安心ください。ここは帝都から近いですから、いざとなれば皇帝が黙ってはないと思いますよ。」

 その言葉とは裏腹に、屋敷には先遣隊の全滅が伝えられた。

 屋敷に残った騎士団は、急いで出撃準備をしているのが、3階のウェンディの部屋にも伝わってくる。

 窓際で剣を磨きながら外を眺めるウェンディは、ゆっくりと口を開いた。

「…ディア、前にお父様に内緒で用意させたあの服持ってきて。」

「お嬢様!?もしやお出になるおつもりですか?おやめください!あなたは公爵家のお方でまだ幼いのです!いくらお強くても、危険なことはお控えください!」

 必死で止めるディアに、ウェンディは優しく諭すように話す。

「ディア、お父様たちやお兄様たちも戦いに行ってるの。貴族に生まれた者の宿命よ。戦えるのであれば、領民の命を守るのも、貴族の務め。ディアや使用人はもちろん、私たちには背負って守るものが多いのよ。」

「ウェンディお嬢様…。」

「服と一緒に、もう一振り剣を持ってきてくれる?多分この剣じゃ、耐えきれない。」

「かしこまりました。少々おまちください。」

 少しは納得したようで、ディアは一度お辞儀をしてから部屋を後にする。

 剣を鞘に戻してテーブルに置くと、着ていた服を脱ぎ始める。

「お待たせしました。お嬢様、お洋服をどうぞ。こちらが剣です。」

「ありがとう。剣は机に置いておいて。」

「かしこまりました。」

 ディアは、持ってきたサーベルを机に置くと、持ってきた服もテーブルに置く。

 ズボンをはき、長袖のシャツを着た上からオーバーサイズの半袖のシャツを着ると、腰に帯をまいてブーツを履く。

 ブルネットの髪を頭の下側で縛ると、剣二振りを手に取る。

「お嬢様、どこかの旅人みたいですね。」

「そうかしら?まぁそういうような服を頼んだしね。」

「…もう、行かれますか?」

「うん。急いだほうがいいから。じゃぁ行ってくるね。」

 サーベルを腰に巻いた腰布に差し、お父様にもらったロングソードを背中に背負い、マントを羽織って窓を開けてバルコニーに出る。

 魔物が出た森の方を確認すると、手すりの上に立つ。

「…≪風系統・防護壁≫、≪風系統・気圧操作≫、≪雷系統・加速補助≫、≪土系統・千里眼≫。」

 自分の前に空気の防壁を張り、自分の周りの気圧を通常の状態に保つ。4つの魔術を同時に使いながら、加速体制に入る。

 飛び出そうとしたとき、屋敷の門を1台の馬車が入ってくる。窓から見える人影は、母親と姉2人だ。

「ディア、お母様とマリーお姉さまとエリカお姉さまが帰ってきたよ。適当に対応しといて。」

「かしこまりました。どうぞ、お気をつけて。」

「≪風系統・超加速≫……!」

 いつも以上の速度で街を走り抜ける。

 空気抵抗を減らし、自分の周りの気圧を保ちながら森に向かう。

 本来なら1時間近くかかる道のりを、5分もかからずに森に入る。

「…さて、どこかな?≪無系統・探知魔術≫。」

 探知魔術で周りを探し、魔物のいるポイントを探す。

 ちらほらと点在する魔物の反応の中から、一番反応が大きく近くに人が大勢いる場所を探す。

「………見つけた。」

 フードをかぶり、背中のロングソードを抜いて、魔物の方向に走り始める。

 草むらに隠れながら魔物の近くまで移動すると、魔物の目の前で屋敷の兵士たちが何人も吹き飛ばされている。

「うわぁぁぁぁああ!」

「陣形を崩すな!」

「増援はまだ来ないのか!」

 兵士たちはのけぞりながら、魔物の方に剣を向けている。

 とはいえ、少しずつ後ろに下がっていっている。

(まずい…。兵士たち、けが人が多すぎる。これじゃお父様や騎士たちの到着に間に合わないかもしれない。)

 尻もちをついて、地面に座り込んでいた兵士に、熊が腕を振り上げて襲い掛かろうとする。

「やば…!」

 気が付けば、自然と体が動いていた。

 振り下ろされる熊の腕を、ウェンディが右腕で降りぬいた剣が切り裂いたことで、魔物の血が周りに飛び散る。

 グォォォォォォォオオオオ!!!

 周りに響く熊の声に、兵士は固まる。

「早く逃げなさい!お父…、公爵様と騎士様のところまで逃げなさい!」

「あ、あなたは!?」

「いいから早く!」

 ウェンディの叫び声に、兵士たちは急いで逃げていく。

 逃げる兵士を見ながら、もう一度剣を構える。

「…この世界に来て、初めて手ごたえのありそうな相手が来た……!」

 右手で握ってた剣の(つか)に左手を添えると、右足を少し引き重心を前に落とす。左腕と右腕を交差させるようにして顔の右側に柄を近づけて切っ先を少し下に下げて構える。

 魔物の攻撃を、剣で受け止めるのではなく身をかわしてよける。

 相手の動線を避け、視界から離れると同時に剣で肩から脇腹に向かって背中を切り裂く。

 とはいえ、もとは熊の魔物。体に蓄えられた油の量が尋常じゃなく、筋肉も分厚いため刀傷もあまり効いているようには見えない。

「まぁ熊なら、太刀筋一つで倒れることはないか…。」

 それからも魔物の攻撃を避けながら、それでも確実に敵に致命傷を与えていく。

 だが、決定打がない。

 今の剣では倒しきるだけの決定打が、存在しない。

「…仕方ないか。」

 ≪火系統・火炎剣(ファイヤーソード)

 刀身に炎をまとわせ、敵を焼き切る。

 ありきたりな魔術だ。

 問題なのは6歳の少女が使っているということだ。

「…騎士団が来るまでに倒して、ここを逃げなきゃ。」

 垂れさがった腕に握られた剣は、静かに炎をその刀身にまとっている。

 お互いに、ただじっとにらみ合うウェンディと魔物。

 静寂を破って、先に動いたのは魔物の方だった。

 振り下ろされる魔物の右腕に、右下から逆手で刃を振り上げる。

 炎を纏った刃は、魔物の腕を切りきることはできず、ほんの皮一枚残して刃が折れる。

 グォォォォオオ!!!??

 自分の腕が、切られ跳ね飛ばされる様子を見て、魔物は一瞬自分の状態を理解できない。

 しばらくして、自分のおかれた状況を理解すると同時に、対峙している少女が、何段も格上の相手であったことに、魔物はようやく気が付いた。

「…やっぱり駄目だったか。仕方ないよね。もう何年も使ってるんだし。」

 ゆっくりと。それでも静かにつぶやくウェンディをよそに、魔物は騒ぎ立てている。

 柄と鞘を投げ捨てると、腰のサーベルを抜いて剣にさっきを同じ火炎剣(ファイアーソード)の魔術をかける。

 魔物は騒ぎながらも、反対の腕が無事なことを思い出したかのように左の腕で同じような攻撃をしてくる。攻撃をよけ剣を構えると同時に、視界の端に鎧を身に着けた集団が近づいてくるのが見えた。

 今からではもう間に合わない。

 隠れようにもすでに振りかざされた刃は魔物の首筋に触れている。

 思ったより切れ味のいい剣に、火炎魔術が加わり、皮も骨も簡単に焼き切る。

 力が抜けたように倒れる胴体と、重力に従って地面に転がる魔物の頭。

「おーーーい!!」

「あんた大丈夫かー!!」

 突然かけられる声に、驚きながらサーベルをしまって魔術を唱える。

「≪風系統・超加速≫!!」

 魔術を叫ぶと同時に、騎士団とは逆方向に逃げ出す。

 山を抜け、探知魔術に何もかからなくなった頃に、まっすぐ屋敷の方に向きを変える。

 しばらくして、もうさっきの森が見えなくなってきたころに、妙な違和感に気づく。

 来た時より、背中が軽い。

「あ~。捨てたっけ。剣…。」

 鞘と剣を忘れてきたことに、この時やっと気が付いた。

 気が付いた時には、もう遅かった。

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