第9話 海外ドラマLOST その2
第8話からの引き続きでLOSTの感想なのだが、やはりもう少しだけ登場人物についてを書いていこうと思ってます。
フアイナルシーズンをどう解釈したかについては最後に述べます。
【シャノン】
ブロンドヘアーの白人女。どうしてこいつをサイード(元イラク防衛軍の男)と恋仲にしたのか俺はドラマ制作陣に問いたい。
物語序盤でロックのせいで無駄死にをしたブーンの義理の妹がこの女なのだが、こいつもブーンと一緒に死んでほしかったゾ、俺は。
とにかく恐ろしいほどの我儘女で、誰がこいつの頬を引っ叩いてくれと何度祈ったか数知れず。それも一発じゃダメだ。バチーン、バチーン、バチーン、バチーン、バチーン、バチーン、バチーン、バチーン、バチーン、バチーン、バチーン、バチーン、バチーン、バチーン、バチーン、バチーン、バチーン、バチーン、バチーン、バチーン、バチーン、バチーン、バチーン、バチーン……と顔が腫れあがって、誰だか、男だか女だか全然分らんくなるまでヤってくれ。こいつが一言でも喋るたびにだ。
だが物語の途中で死んでくれたのは良いのだが、あの腐れ目女のアナルシアに間違って撃たれて死亡ってのが何となく消化不良。それにくどいようだが何故にサイードの恋人なんだ? とにかくサイードはLOSTに登場する好きになれない老若男女ばかりの中で数少ない好感度の高い人物なんだぞーーこれって本当にそうで、LOST登場人物の人気ランキングなるものでも絶えず上位にランクインしていた。そんなサイードの好みの女があの我儘クソったれ女?? 趣味が悪いにもほどがあるだろ。顔だって大してカワイくもないし、頭もキテレツに悪いし、だいたいあの性格はどんな男でも無理だ。おまけにフラッシュ・サイドウエイというパラレルワールド(完全に別世界での時間軸)でもサイードがこっちの世界を思い出す鍵があの我儘クソったれ女ーー絆が深い2人という設定は、完全に制作陣の怠慢だろ! これ以上登場人物を増やしてフラッシュバックでその人物の過去を明らかにするのが面倒になって、「こんな薄らバカ女でもしゃーねー、サイードの恋人にしちまおうや、どうせ途中で死なせるんだからよ~」ってな具合か?
【エコー】
シーズン2から腐れ目女アナルシアと共に出てくる墜落した飛行機の後部側生存者の一人、大男の黒人。
この人物は好きだった。登場人物の中で数少ない応援したくなるヤツ。登場した時からとにかく寡黙で、その内、「なにか自分に罰でも与えてんの?」って心配しちゃうぐらいに喋らない男になっていくのだが「なすべき事」が解ったりしながら協会を建てようとするが、それを投げうって「108分ごとのコンピューターへの数字入力」を自ら買って出る。しかし、あの超・超超超頑固で独りよがりで間違いだらけのロックのせいで死亡。はいーーーーー??? なんで死んじゃうの? 絶対に重要なキャラクターだったはず。これからも物語に深く絡むはずじゃ……
制作者側となんかトラブルでもあった? そう勘繰りたくなる死亡による途中退場。
【イーサン】
白人男。確か「他の者たち」だったような気がするが、牛に激似の顔がやだ。
【ケルビン】
白人男。
かなり雑な扱いの登場人物。だが考えれば考えるほど重要人物だったはず。
ダーマという組織が造ったスワン基地の中でコイツともう一人が「108分ごとの入力作業」を実施していたはず。
しかしダーマの職員の殆どが「他の者たち」に殺されているから、コイツがダーマの生き残った職員だったのか他の者たちなのか良く分からないままで死亡。108分ごとの入力作業はデスモンドという男が引き継ぐのだが、そのデスモンドもそれ以降一言もコイツの事を語らないし、思い出しもしない。……なんなんだコイツは? ドラマ制作者もうっかり忘れちまった存在か?
【アーツとイラーナ】
この2人は同時に登場はしないし、全く絡まない2人だ。だが死にざまがおんなじ。ダイナマイトの誤爆でドッカーーン。
先ずはアーツだ。こいつは白人の中年男で確か中学校で科学を教える教師役だ。島で発見されたそうとうに古い難破船の中に大量のダイナマイトがあったのだ。するとコイツは「ダイナマイトは素人が扱えるものじゃないんだ! 俺は科学の教師だからダイナマイトの扱いだってチョッチョイノチョイだ!」と偉そうに力説したのはいいが、ミスって自分が細切れの肉片に。それも物語の序盤でだぞ。それなのにフアイナルシーズンで描かれたフラッシュ・サイドウエイでも教師役で出てくるってのは、この俳優はドラマ制作陣に対して強烈なコネでも持ってたのか?
次にイラーナだ。
こいつも黒人なのかアラブ系なのかちょっと判りにくい肌で、どことなく腐れ目女アナルシアに似ているのが嫌いだった。死にざまは、この腐れ目女2号がちょっとイラっとした為にダイナマイが入ったバックを勢いよく机に置いた衝撃でドッカーン。それってどうなの? 視聴者の誰もが「え…」って思った死にざま。
【シャーロット】
人類学者の白人女。
学者のくせに妙にハスッパで愛想も素気もない土木現場で働く女のようだった。顔が細いから身体もそうなのかと思いきや、妙に下半身だけが太くて、出てくる都度それが気になってしかたがなかった。
【リチャード】
19世紀に島に来てから何故か年をとらない謎の男。だから年齢は200歳を超えてるはず。
「他の者たち」のリーダーはベンジャミンなのだが、この男はそのベンジャミンからも一目置かれた男なのだが、誰にでもあだ名を付けたがるソーヤ(生存者の男)から「アイライン野郎」という、役どころではなく、役を演じている俳優の顔が濃いという理由で変なあだ名で呼ばれ、それに返事をしていた妙に素直なヤツだ。
それでも結構ミステリアスな登場の仕方で、他の者たちの不気味さを際立たせていたはずが、物語が進むにつれて段々と笑えるキャラクターになっていって、俺は好きだぞ。
ただフアイナルシーズンでのこの男はミステリアスな男なんかじゃなくって、なんだか破れかぶれの変なオッサンみたいで、妙にコミカルで一生懸命で、黒い煙に弾き飛ばされたシーンなんてドリフターズのコントみたいになっちゃって……
【ビンセント】
超かわいい。文句のつけようがない。
それでは視聴者の賛否を分けたフアイナルシーズンについてを俺なりに考察しよう。
そもそもこのドラマはオーシャニック815便が南太平洋上にある島に墜落して始まっている。しかし「フラッシュ・サイドウエイ」という技法を取り入れたフアイナルシーズンではオーシャニック815便は墜落などせず無事にロサンゼルス空港に到着してから始まる。そして登場人物は同じなのだが、それぞれの家族や職業が違う。
この「フラッシュ・サイドウエイ(以下ではFSWと書く)」では、普通に暮らしている登場人物達が何かの切っ掛けで、今まで見たことも経験したこともない「ある島での壮絶なサバイバル生活」や、出会った事などないはずの「かけがの無い大切な人達」の記憶が脳裏をかすめ、そして混乱し、ついには思い出す、といった物語なのだ。
そしてここまでがFSWなのだ。フアイナルシーズンではこのFSWとは別に協会のシーンが最後に出てくる。その協会のシーンではジャックが「俺は死んだのか…」と呟き、扉の向こう側(光の中)に歩いて行き、エンディングでは「島のとある場所で仰向けに倒れているジャックが空を見上げ、目を閉じ、そしてそんなジャックにビンセントが寄り添う」シーンで終わるのだから視聴者は混乱してしまう。というのも、この物語の最初ーーシーズン1の出だしで815便が墜落するのだが、その際、飛行機から投げ出されたジャックが仰向けで空を見上げているシーンがあるのだ。そしてフアイナルシーズンのエンディングでも同様にジャックが仰向けで空を見上げ、そして目を閉じて死んでいく。そんなんだから勘違いした視聴者は「なにーーー!! するってーーと、815便が墜落してジャックが死ぬ間際に見た夢がずーーーーっと展開してたのか? その夢の内容をシーズン1からシーズン6まで延々とやってたって訳か? っざけんじゃねーー!!」ってな具合だ。
だがその解釈ーー夢落ちドラマという解釈は完全に間違っている。そもそも製作者サイドも違うと言っているのだが、俺が「これは夢落ちドラマなどではない」と思った理由を述べよう。2つある。
一つ目は、ジャックの服装だ。シーズン1の冒頭で仰向けに倒れて空を見上げていたジャックはワイシャツ姿だったが、フアイナルシーズンのエンディングで仰向けに倒れて空を見上げていたジャックは丸首シャツだ。
二つ目はデスモンドの存在だ。シーズン1で墜落する815便にはデズモンドは乗ってはいない。そもそもデズモンドは815便が落ちる前から島にいたはずで、墜落時のジャックはデズモンドの顔も名前も知らない間柄だ。しかしフアイナルシーズンのデズモンドは815便に乗っていて、唯一、こっちの世界とあっちの世界ーー時間軸が違うパラレルワールドを行き来できる人物。
但し、ここまで書いておいてなのだがFSWがパラレルワールドなのかというと……実は俺は違うと思っている。正確に言うと「パラレルワールドでありながら、誰もが考えるパラレルワールドではない」という意味だ。
タイムスリップを描いたSF小説やSF映画は極めて多いが、「過去は変えられない」点をしっかりと押さえた上で描かなければ何でも有のフアンタジーになってしまう。
話は横道に逸れるが筒井康隆のSF三部作「家族八景」、「エディプスの恋人」、「七瀬ふたたび」で興味深い設定が描かれている。随分と前に読んだ小説の為に詳細はうろ覚えだが、確か七瀬は「人の心が読めてしまう能力」の持ち主で、違った能力を持った人たちと仲間になるのだが、仲間もろとも命を狙われるはず……違ったかな? そんな危機を救うのがタイムスリップ能力を持った仲間なのだが、絶体絶命に追い詰められた瞬間に過去に飛ぶのだ、七瀬を含めた3人程度で。ところが過去に飛べなくて取り残された仲間が何人かいて、そのままだったら拳銃で撃たれるか何かして非常に危機なのだが、そういった危機を知った上で過去に飛んだ七瀬たちなので、その取り残された仲間の危機ーー危険がマックスになる間際で対策を取って仲間を救って「めでたし、めでたし」だったんだけど、ある時点で気が付くんだよね。「これっておかしい」と。過去に飛んだ俺たちは起きるだろう未来を変えて仲間を救った。だけどあの時点に置いてきぼりにしたアイツらを本当に救ったのか? 違うんじゃないのか? って疑問が湧くの。
「置いてきぼりにしたアイツラにしてみたら、目の前にいた俺たち3人がいきなり消えた訳で、その後どうなっちゃったのよ? あの時の世界は消えてなくなったのか? そんな訳ない…日本だけでも1億人の人間が生きていた世界だぞ。消えるわけがない……消えたのは俺たちの方だ。だったら俺たちが今いるこの世界はなんなんだ?」って疑問。
そこで次の疑問に発展していくんだけど、確かーーうろおぼえだがーー「俺たちが飛んできたこの世界にはアイツらがいた。アイツラは仲間である俺たちのことを当たり前だけど仲間として知っていた。 ってことはずっと前から行動を共にしてたからだ。だけど俺たちは飛んできた。それ以前のこの世界には俺たちはいなかった……ここは本当に過去なのか?」ってなストーリだったような。
そこで導き出された結論は、タイムスリップ能力は究極の能力。過去に飛んだ時点で、一本の直線的に流れていた時間が俺たちが降り立った時点で枝分かれする。別の時間軸の世界ーーパラレルワールドを作り出してしまったのだ。だからあの時ーー置いてきぼりにしたアイツラはきっと殺された。今俺たちがいる世界とは別の世界が存在している。
上に書いたもは、筒井康隆の小説で描かれたパラレルワールド論を正確に理解しているのか、それとも俺の解釈が多分に含まれているのか怪しいが、とにかく筒井康隆が描いたパラレルワールド論に俺は一票を入れる。直線的に流れている時間は何かの衝撃で枝分かれをしてしまう。そしてそれはパラレルワールドを作り出すという事。
話をLOSTに戻そう。このドラマでパラレルワールドが生まれるほどの衝撃があったのか? 実はあったのだ。島のエネルギーが暴発するのだ。それが2004年9月22日に起きている。そうなのだオーシャニック815便が島の上空を通過した時にその島のエネルギーが暴発し、そして815便は空中で真っ二つとなり墜落したのだ。この暴発で時間が枝分かれをして一つの世界では815便は墜落、もう一つの時間では無事に着陸、という事も考えられる。しかし…しかしながら、それだとどうにも整合性が取れない。
島のエネルギーが暴発という衝撃によって時間軸が枝分かれして2つの世界を造りだしたとしよう。すると2004年9月22日を起点に「815便が墜落する世界」と「815便が墜落しない世界」という2つの世界に分かれていったことの説明はつくが、2つの世界では登場人物の家族や職業が違う事の説明がつかないのだ。
「夢落ち」でもなく「単純なパラレルワールド」でもないとすると、考えられるのはこのドラマには宗教観が多分にベースとなっている事だろう。それもキリスト教--旧約聖書の「創世記」だ。
結論から述べるが「輪廻転生」だ。
キリスト教ーー聖書の教えには生まれ変わりーー輪廻転生の教えなど絶対にない、と多くの敬虔なクリスチャンは言うだろうが、創世記では輪廻転生を比喩を使って教えていると解釈している人々も少なくはない。その一つはこうだ。
「地上の楽園であるエデンの園」と「来るべき神の国」それと「楽園から追放されたアダムとイブ」という三つの世界が聖書では描かれている。
追放されたアダムとイブは人間であり、追放後は「男は労働という苦痛」、「女は出産という苦痛」を罰として与えられた。ちなみに楽園にいた時はこのような苦痛ーー罰はなかったのだろう。併せて、聖書では「人間は追放されたアダムとイブから始まっている」との教え。しかし人間は何千年経っても「労働、出産の苦痛」から逃れられてはいない。輪廻転生がなければ「人間というのは単に生れてきて死ぬだけの存在」であり、元いた場所--楽園にいつまで経っても戻れないではないか。という疑問と解釈だ。
そこで俺はLOSTのファイナルシーズン描かれているFSWは「生まれ変わりの世界だ」という結論に達した。
ちなみにFSWについてはネット上でも様々な解釈に溢れている。しかしドラマ制作陣は「夢落ちの話ではない」と言ったきりで、正しい解釈はコレだ! というものを公表してはいなかったはず。
だが、生まれ変わりの世界なら「815便に乗るなど以前と同じ時代を生きる」設定はおかしい、と考える御仁も多いかと思う。しかしだ、生まれ変わると「死んだ時点より未来・将来の時代に生きる」という制限など、おそらくはない。それ故に、死んだ時点より過去の時代だったり、又は同じ時代だったりしても特には不思議ではない。ただし、同じ時代であった場合ーーこれがFSWなのだがーー並行世界という一つのパラレルワールドなんだろうと俺は解釈している。
これは相当にスピチュアルな考えが含まれているが、ソウルメイトというものがFSWで描かれたストーリーの重要な【鍵】となっている。
極めて強い絆を持った者同士は生まれ変わった後も、兄弟だったり夫婦だったり、又は親子、親友など関係の深い間柄で再び出会う。だから、LOSTで描かれた「どことも解らない島で、助けも来ないが故に経験した壮絶なサバイバル生活」は「貴重で得難い経験であり、ある意味しあわせな時間」だった。というのもフラッシュバックでそれまでの人生が描かれた登場人物達は、みな不幸せというか少なくとも人生を謳歌してはいなかったのが分る。出会うべくして出会った者たち。墜落事故が切っ掛けで。
ここでフアイナルシーズンで描かれたもう一つのシーンについて俺なりの解釈を述べる。もう一つのシーンとは「協会でのシーン」だ。ここでジャックは自分が死んだ事を自覚するのだが、この協会のシーンはFSWの一部ではない、と俺は思っている。それではあのシーンはいったい何なのか? それはジャックにとっての「煉獄」だ。
煉獄とはカトリック教会の教義では「天国に行けないが地獄に行くほどでもない小さな罪を犯した者が炎によって清めながら天国に入れるのを待つ場所」と言われている。俺はこの教義を知った時に「あ~仏教でいう49日みたいなものか」と理解した。宗派によっても違うのだろうが、簡単に言ってしまうと死んだ後に浄土に行くまでの「待合室にいる時間」みたいなものだろうと勝手に解釈している。確かテレ東で放映した30分ドラマ「死役所」がそれだろうな。
話を戻すが、あの協会のシーンはジャックのみの煉獄。だからジャックと縁が深かった多くの仲間や父親が協会に集まっているのだが、それら仲間の死んだ時期はバラバラで、父親と遭ったジャックは「死んだはずなのに…何故ここにいる…」と相当に驚くし、ジャックよりも前に死んだ者もいれば、かなり後に死んだであろう者もいるーー時間など全く関係しない空間があの協会のシーンだ。
ちなみにこの協会のシーンでジャックは「俺は死んだのか…」と自覚するのだが、死んだジャックは「墜落した815便に乗っていたジャックなのか」、「それとも墜落しなかった815便に乗っていたジャックなのか」については、もちろん墜落した815便に乗っていて最終的には島でたった一人でーービンセントに寄り添われながら死んでいったジャックだ。
追記をするが、LOSTはFSWだけではなく物語全体を通して旧約聖書の創世記を連想させるエピソードが多い。
特に楽園から追放されたアダムとイブの子供ーーカインとアベルの関係に似ているのが双子の兄弟で、弟がジャイコブ、それと名前の無い兄だ。
創世記に出てくるカインとアベルの話を最後に書こう。
弟のアベルは兄カインに殺されるのだが、殺した理由は嫉妬だ。
兄弟が神に捧げものを持って行った際に、神から祝福を受けたアベル。しかしカインが持って行った物は神にとってふさわしい物ではなかった。それを言われ激しく怒り顔を伏せたカイン。
しかし「ローマの信徒への手紙」で次のように書かれている。神はアベルだけを自分と共にあるものとして選んだのではなく、カインも違った意味で選ばれたのだと。
判りやすく言うと、神は、創造主としての主権を持って「アベルを尊い者」、「カイルを尊くない者」として選んだ。しかし、どちらも神の栄光を表すという目的のためなのだ。
どうにも日本人の俺としては、この宗教の神ときたら傲慢極まりないな、としか思えない。そういった宗教観がベースにあるからだろうかLOSTの終盤は日本人にとって解りにくい。