第80話 国宝
今年(2025年)の6月から劇場公開された「国宝」という映画、10月の中旬になった今でも公開されてるロングラン上映。なんでも10月13日時点での興行収入が162億円を超え、観客動員数も1150万人を突破したそうだ。凄い人気だね。実写の邦画では2003年公開の「踊る大捜査線 THE MOVEI 2」が興行収入173億円で歴代トップなのだが、それを抜くのではないかって言われてる。
その国宝を俺も観に行った。映画館までわざわざ足を運んでだ。実は8月にも観に行ったのだが、その時は満員で入れなくってビックリだった。開演15分前くらいだったからロビーで待ってる人がゴッサリいて、その大半が20代に見える若い女性が多く、「へ~~……動画配信が当たり前になった今でも、こんなに映画館に来る若い人が多いんだ」と改めて驚いたのを覚えている。
俺は、この映画が歌舞伎を題材にした映画だって事は嫁から聞いて知っていたが、地上波ではウザイCMが延々と流れる民放番組は殆ど観ないから、この「国宝」という映画の宣伝をテレビでやっていたのかどうかさえ知らないーーーきっとやってたと思うんだけど、そのCMを一度も観た事がないから、事前情報なしで観に行った。そんでもって映画が始まって暫くして「ああ、女形なんだ」と分った始末。
っで観終わった後にネットでの口コミ評価を調てみた。すると「日本を代表する素晴らしい映画だ」、「エンドロールが流れても感動のあまり立ち上がることが出来なかった」、「涙が止まらなかった」など賛美の嵐。
俺の感想はというと、普通に面白かった。それと絵がとても綺麗だった。
だけど「これはスゲー!!」と感じたのが曽根崎心中だ。でもこれって劇中劇なんだよね。劇中劇というのは、映画やドラマのストーリーの中で、登場人物が役者だったりして、その登場人物である役者が舞台などで演技するってお話し。
国宝という映画では吉沢亮が喜久雄を演じているが、喜久雄は歌舞伎の世界に飛び込み、花井東一郎という芸名で女形の才能を開花させる。そして女形の東一郎が曽根崎心中という演目で演じたのが遊女の「お初」だ。
邦画で劇中劇と言えば薬師丸ひろ子の「Wの悲劇」かな~。何が言いたいかというと、劇中劇を演じる俳優さんって物凄く大変だと思う。国宝で言うと、吉沢亮は喜久雄を演じながらお初も演じる。そして舞台の台詞回しって独特だよね。「Wの悲劇」の薬師丸ひろ子ですら、映画の台詞回しと、劇中劇である舞台の台詞回しーーー感情の表し方がまるで違う。それが歌舞伎ともなると、台詞回しだけでなく動きもまるで違う。
映画のラスト近くでは横浜流星ーーー俊介を演じ、その俊介は歌舞伎の御曹司で芸名が花井半弥で、半弥も曽根崎心中のお初を演じる。
とにかく、吉沢亮、横浜流星が演じたお初ーーー曽根崎心中は圧巻だった!!
これね~……劇中劇だから、当然、映画の中に歌舞伎の演目「曽根崎心中」を観ている大勢のお客さんーーーエキストラなんだろうけどお客さんが大勢いて、幕が閉じると割れんばかりの拍手をするの。そしたらね~、その劇中劇という映画を観ている俺も、思わず拍手しそうになった。うん、マジで。っで慌てて、「ヤバイ、ヤバイ、これは映画のワンシーンだった」と自分の置かれた立場を思い出したぜ。それも2度も。最初は吉沢亮のお初、そして次が横浜流星のお初。
歌舞伎なんて一度も観た事がなくって、もし観るのだったら歌舞伎じゃなく能を観たいと思ってる歌舞伎素人の俺なんだけど、この映画の劇中劇で演じられた歌舞伎版:曽根崎心中には感動した~。
だけどそれって「国宝」という映画全体に対する感動じゃなくって、あくまでも劇中劇への感動なんだよな。
曽根崎心中って知ってる人は知ってると思うけど、いや、殆ど知らんか? 人形浄瑠璃の作者:近松門左衛門が作ったお話しで、第54話で感想を書いた「夜の鼓(武士の妻が浮気しちゃった後の顛末のお話し)」も近松門左衛門作なんだけど、曽根崎心中は当時から人形浄瑠璃だけでなく歌舞伎でも演じられて大人気となった。っで当時ーーー江戸時代なんだけど「心中」がブームみたいになっちゃって、江戸幕府は心中を演目とするのを禁止にしちゃう。それぐらい人気のあった演目ーーー人々に影響を与える芸能で、江戸時代は大衆芸能がいかに盛んだったってことだろうね。大河ドラマ「べらぼう」でも分る通り、当時の日本では芸術が一部の裕福層だけのものではなく、一般大衆に広く馴染んだもので、世界的にみても珍しい国だった。
その曽根崎心中なのだが、国宝という映画では「なぜ、あの部分だけをクローズアップさせて、他の部分を省略しちゃったんだろう?」というのが俺の正直な印象でもある。だってさ~、あの部分だけだったら、曽根崎心中ってお話を知らない人は、絶対に誤解するぜ。どうでも良い劇中劇なら、それこそどうでもいんだろうけど、吉沢亮と横浜流星があそこまで強烈な演技を披露してるのに、それを視聴してる人たちが彼らの演技の根っこを誤解するって、俺は有り得ない造りだと思ってるぞ。上にも書いたけど、映画館に足を運んだ人って、若い女性が多くて、中には「高校生の娘が観たいっていうから付き合ったの」というお母さんも多いという。きっと、吉沢亮ファンや横浜流星ファンが大勢観にいった映画なんだろうけど、それでもそんな女子にも分からせる造りをすべきだと俺は強く思ったね。尺の関係で省略せざるを得なかったのか? そもそも3時間映画だぞ。10分や15分伸びたところで大して違わないだろ。
国宝という映画の中で劇中劇として演じられた「曽根崎心中」でクローズアップされたのは、次の台詞を吐いたお初だ。
「この上は徳様も死なばならぬさだめなるが……死ぬる覚悟が……聞きたい」
この台詞だけなのだ。そして徳様という男はお初が座る床の下に隠れている。
これだとさ~、前後の脈略が分からないから、「徳様ってヤローは、口では一緒に死のうと言ってたクセに、途中で逃げたヘタレ野郎か?」って思っちまう人もいるだろうし、中には「床の下に隠れてる男って誰?」といった具合にストーリーにまるで付いて来れない人もいたと思う。
っで吉沢亮のお初、そして横浜流星のお初、それぞれ別のお初を浮かび上がらせていた、と俺は感じた。
吉沢亮のお初は、血反吐を吐くほどの「怒り」だ。
横浜流星のお初は、全てに絶望した「悲しみ」だ。
ちょいと曽根崎心中の粗筋を書いておく。
お初は売れっ子の遊女で19歳。
徳兵衛はお初と深い馴染となる。25歳の苦労人だが気が弱い。
九平次は徳兵衛の友人なのだが、お初に横恋慕している。
徳兵衛の奉公先の主人は、自分の姪と徳兵衛の縁談を勝手に進め、既に徳兵衛の継母に持参金を払った。
それを心配するお初。徳兵衛はこの縁談をキッパリと断り、持参金も取り戻したとお初に言う。徳兵衛に抱き着いて喜ぶお初。
友人の九平次が現れ、どうしても金がいるんだ、と徳兵衛に頼み込む。人が良い徳兵衛は取り戻した持参金を貸してしまう。
だがその後、金など借りていないとウソをいう九平次。徳兵衛は九平次の印が押してある借用書を出すが、その印鑑は偽物だ! と騒ぎ立てた九平次によってボコボコにされる。
徳兵衛は金も信用も失ってしまう。
お初の元に徳兵衛の奉公先の主人が現れ、そして言った。徳兵衛はお前のせいで金遣いも荒くなり人が変わってしまった。今日も店に戻ってこない。
自分のせいで徳兵衛がそんなことになってると知ったお初は驚き、徳兵衛がここに来たら連れて帰ってくださいと謝り、そして徳兵衛の主人を店の奥に入れる。
そこに現れた徳兵衛。お初は咄嗟に床の下に徳兵衛を隠す。
そこに更に現れたのが、酒に酔った九平次。そして徳兵衛の悪口を言い始める。
っで上に書いた台詞をお初が吐く。
「この上は徳様も死なばならぬさだめなるが……死ぬる覚悟が……聞きたい」
床下にいる徳兵衛はお初の足を掴み、その足で自分の喉を切る仕草をして「死のう」という意思を示す。
歌舞伎版のストーリーはこうなのだが、近松門左衛門が作った曽根崎心中では、この場面に続きがある。
【①】
床の下で死ぬ覚悟を示した徳兵衛。その覚悟を知ったお初は言う。
「徳様は死んで名誉を取り戻すはず!」
だが九平次は笑いながら言う。
「バカな。あの徳兵衛が死ねるはずがない。だがもし死んだら、俺がお前をネンゴロに可愛がってやる」
それに対してお初が言う。
「ありがとう。私と昵懇になってくれたら、お前を殺してやるがそれを承知か! 徳様と離れたら片時も生きていけない。九平次……盗人め。お前の言ってることなど誰が信じるか! なにがあっても私は徳様と一緒に死ぬ!!」
歌舞伎版では上に書いた【①】の全てが省略されているが、それは「この上は徳様も死なばならぬさだめなるが……死ぬる覚悟が……聞きたい」との台詞に【①】全部を込めて、そしてこの台詞をクライマックスとしているのだろう。うん、うん。この台詞にはそれだけのインパクトがある。だけど、国宝という映画の劇中劇である曽根崎心中では、いくらなんでも省略しすぎだ。繰り返して言うが、吉沢亮のお初、そして横浜流星のお初は、凄まじく、そして圧巻だった。
俺は歌舞伎の台詞回しって、「なんであんな風に喋るんだろう?」って思ってたんだけど、吉沢亮のお初、そして横浜流星のお初が吐いた「この上は徳様も死なばならぬさだめなるが……死ぬる覚悟が……聞きたい」という台詞を聞いて、俺は鳥肌がたったぞ。
映画館で売ってるパンフレットに曽根崎心中の粗筋でも載ってたのかな? 吉沢亮と横浜流星が渾身の演技をして吐いたあの台詞、クドイようだが曽根崎心中の粗筋を解っていなければ………
そう言うアンタは曽根崎心中の粗筋をそもそも知っていたのか? と思う人もいるでしょう。おまけに上にも書いたように歌舞伎素人なんだから。でも知ってました。うん。俺は曽根崎心中の粗筋を知っていたのです。昭和の頃ーーー確か1970年代だと思うのだが、曽根崎心中は映画化されていて、お初役は梶芽衣子。徳兵衛役は宇崎竜童。それ以外の配役は……忘れた。けっこう前に観たから細かい内容は覚えていないのだが……………この映画は酷かった。うん、強烈に酷いの。だから妙に覚えてる。それと梶芽衣子って女優さんのことが意外と好きなんだよね。宇崎竜童は別にファンでもなんでもないんだけど、「なんで宇崎竜童を起用したんだ? 役者なら他にいくらでもいるだろ!」と強く思っちまって、それで忘れる事ができない。っでこの映画を忘れられないもう一つの理由があって、それは、遊女のお初と徳兵衛が心中するために逃げて、心中がエンディングなんだろうな~って感じて観ててーーーあまりにも酷い映画のせいで「どうやって死ぬんだろう?」ってことだけが関心事項になったんだけど、その死に方が「ええ? ええええええ!!」ってな具合で、もう忘れようにも忘れられない映画になった。その死に方ーーー心中方法を書こう。
お初が「死ぬ間際の苦しみにのせいで、見苦しい姿を他人に見せたくない」と言い、それに同意した徳兵衛。1mくらい離れた二本のそこそこ太い木を見つけ、それぞれの木に自分の身体を縛り付けたお初と徳兵衛。そこまで観た俺は、「ふ~~ん、それぞれが刃物で自分の首の頸動脈を切るんだろうな」と思った。徳兵衛も短い刀持ってたし、お初も剃刀を持ってたから。だが違った。先ず最初に徳兵衛がお初を刀で突くの。だけど町人の徳兵衛は刀なんか使ったことがないせいなのか、突いても突いても急所から外れ、お初は血まみれ。だけど死ねない。もうこの時点で俺は唖然・呆然で笑った。っで血まみれのお初が言うの、「苦しみを長引かせないで……徳様、ひとおもいに……」って。そりゃ~言うわ。いい加減にせい! って唾吐きかけちゃうかも。っで大きく頷いた徳兵衛は渾身の力を込めて突いた。喉を。いや~~ノド突いたって死なねぇだろ。案の定、「え……」って顔をした喉を突かれた血まみれお初。だけど喉を突き刺したまんまの徳兵衛は、その突いた刀でグリグリやる。そうなんです。こうすればきっと死ぬだろうと思ったのか、徳兵衛は、お初の首に刺さったまんまの刀をグリグリ、グリグリやるんです。あれは痛ぇぇぞ~~すんげーー痛ぇ。もう死ぬどころじゃなく痛い。だけどお初は「嬉しい」って言うの。首を刺されてグリグリやられてるから満足に喋れないようで、「……う……れ……じぃ」みたいに。だけど表情はさ~~、目をこれ以上開けないくらいバッチリ見開いて瞬きもしないし、首を刺されてるから顔を前に突き出した姿勢。俺さ~~大笑いしたの覚えてるもん。ギャハハハハハハハ……
っでこの映画を観終わった俺は速攻で調べた。スタッフは誰よ? と。すると時代考証の先生までついてる映画でビックリ。江戸時代の中期以降だと思うんだけど、心中ブームは本当にあったらしいんだけど、町人が刀を使って死のうとしたのもあったんだろうね。だけど武士じゃないから酷い有様だったのかもしれない。この映画はそれを忠実に表した??
話が横道に逸れちまったぜ。国宝に戻そう。
この国宝という映画でどうしても腑に落ちないというか納得がいかない台詞がある。確か映画の前半部分だったと思うのだが、吉沢亮演じる喜久雄が囲った女との間に娘が生まれる。決して妻に迎えられることがない日陰の女でも良いと尽くした女なのだが、その娘と喜久雄が小さな神社に願を掛ける。娘が喜久雄に問う。「何を願ったの?」と。すると喜久雄の答えは「悪魔と取引をしたんだ」というもの。
これって原作にあった台詞なのかな~……。原作は吉田修一が書いた「国宝 上 青春篇」と「国宝 下 花道篇」なのだが、作者の吉田修一は歌舞伎役者の中村鴈治郎(成駒屋)の協力のもと、3年間にわたって黒衣として舞台裏を取材したらしい。そんな吉田が書いた歌舞伎を舞台とした小説に「悪魔」ってワードが使われるかな~? 日本的じゃないんだよな。だって神社での願掛けだろ。妙に違和感のある台詞でズーーーっと気になった。っで悪魔との取引の結果って何なんだろうと考えると、渡辺謙が演じた花井半次郎が死ぬ間際に「目が殆ど見えない」って言ってから末期の糖尿病なんだと思う。そして花井半次郎の実の息子である俊介(横浜流星)も酷い糖尿病を患い死んでいく。これなのかね?
それと吉沢亮演じる喜久雄が人間国宝となった際に「見たい景色がある」的な台詞を言うんだけど、それって子供の頃に見た、ヤクザの父親が殺される時に降っていた雪が不思議と綺麗に見えて、その時の景色なのかな~~。でも何で? っていうのが分からないし、映画の中で、吉沢亮と横浜流星が稽古の合間に舞台から天井の方に目をやりながら「あれってなんだろう?」的な会話をするんだけど、見たい景色に関係してるのだろうか?
追記
国宝は、劇中劇で演じられた曽根崎心中は凄まじい。だが国宝という映画自体は上に書いたように普通に面白かったが、ネットに溢れる賛美みたいな感想には、俺は全くもって同意できないな。
それと国宝を観てる最中に感じたことがもう一つあって、どこって訳じゃないんだけど「昭和元禄落語心中」に似てると感じた。元々は漫画が原作でアニメにもなったが、NHKで連続ドラマとして実写化された昭和元禄落語心中。主演は岡田将生なんだけど、彼が演じた落語家が古典落語の「死神」をやったんだけど、「おおおお、すげーー!」って感動した。だが、国宝という映画の中の劇中劇で、吉沢亮と横浜流星が演じたお初にはもっと驚き、そして感動した。でもなぜか、国宝という映画と昭和元禄落語心中というドラマが似てると思った。
それと余談ついでにもう一つ書いておこう。随分前になるが、あれは坂東玉三郎だったかな~? それも定かではないのだが、女形で有名な人が雑誌かなにかのインタビューに答えていた内容を思い出した。
「女形の仕草は、本物の女より女らしい仕草を……」ってな事を言っていた。要は、そんな女は実際にはいない。「こういう仕草をすれば凄まじく色っぽい」といったような空想の女・妄想の女を実体化させたのが女形の女だってことらしい。




