第71話 邦画「本心」
この「本心」という映画なのだが、原作の小説は読んでいないから、映画だけの感想になる。っで原作は、ちょっと読まない方がいいかな……と思ったりもしてるのだが、それは決してストーリーがどうしようもない、というものではない。どちらかと言えば、「ん?? これは原作を読まなければ理解がちょっと難しいぞ」と感じるところもあるのだが、それでも俺はきっと原作は読まない。なんとなく感じたのだ。映画の「本心」と小説の「本心」は重要な部分を違って描いてるような気がする。まぁそれは俺の勝手な解釈というより、原作を読んでいないのだから勝手な想像なんだけど………
まず最初に書いておきたいのは、映画の中盤以降に出てくるイフィーと名乗る男なのだが、車椅子に乗った下半身が動かない身体が不自由な男という設定は、どうやら小説でも同じらしい。っで凄く気になったのが、その呼び名なのだ。「イフィー」という、日本語では発音しにくい呼び名を何故あえて使ったんだ? だってね~~、登場人物の何人かが台詞で「イフィーさんが……」って何度も何度も言うんだけど、ハッキリ聞き取れなくて、ルフィーって言ってんの? って感じで……
っで「イフィー」を調てみた。
「イフィー」=「iffy」だと思う。スラングな英語で、「あいまいさ」や「不確実性」を表す言葉で、具体的には、信頼性が疑わしい、確定性が低い、不確かである、といった状況を指す言葉らしい。
っで俺が思ったのは、その車椅子に乗った男の信頼性が疑わしいのではなく、この映画の題名にもなっている「本心」というのが信頼できないものだと感じた。
2024年製作・公開
監督・脚本は石井裕也
近未来を舞台としたヒューマン・ミステリー
石川朔也 池松壮亮
三好彩花 三吉彩花(偶然にも一文字違いで読み方は同じ名前。原作でも)
イフィー 仲野太賀
野崎将人 妻夫木聡
石川秋子 田中裕子(朔也の母親役)
他には綾野剛なんかも出てたけどほんのチョっとの出演。それと窪田正孝なんかは声だけの出演。
この映画は2024年の11月公開という新しい映画だから、まだ観ていない人も多いだろうし、ネタバレは避けたいと思うが、けっこう書いちゃうかも……
そして舞台が近未来ということなので、いくつかの設定があるのだが、その一つが「自由死」というもの。この自由死を選択した人は役所に届け出をすることによって税金の優遇措置なんかを受けられるらしい。これって尊厳死の拡大解釈みたいなものなのかな~って思って観てたんだけど、どうもその辺が解らなかった。
っで物語は石川朔也の母親:秋子が死ぬことから動き始める。朔也に「重大な話があるの……」と何かを言いたかったようだが、それを言う前に、雨で水嵩の増えた川に流されて死んだ。警察は状況から自殺と判断する。そもそも自由死を選択していたこともあって。
だが納得のいかない朔也は、野崎将人(妻夫木聡)が経営する企業ーーーヴァーチャル・フィギュアを制作・提供する企業を訪れ、「死んだ母親を作って欲しい」と依頼する。
母親が自由死を選択していたことも知らなかった朔也は、「なぜ自殺したのか?」、「本当に自殺だったのか?」、「重大な話とはいったに何だったのか? 自由死のことか?」など、母親の本心を知りたかった。依頼内容を聞いた野崎将人は言った。ーーー本物以上のお母さまを作れますよーーー
これね~~、映画の終わりに、母親が黒いノラ猫に餌をあげているシーンが出てくるんだよね。そして台風だと思うんだけど、嵐になって川も増水してて、そんな悪天候の中を母親は河川の傍で傘をさしてその黒猫を探しているシーンに続いて、そして黒猫が怯えて怒ったようなシーンに繋がるの。これらのシーンは誰かの回想シーンではなく、時系列を過去に戻したシーンだと思うし、台詞の一つもない。だから原作には無いシーンのような気がするんだけど、映画版では母親は事故死であって自殺ではない、と暗に伝えているように感じた。
そもそも「本心」という題名なのだが、この言葉って意外なくらいに難しい言葉で、意味を正確に知ってる人、その意味に沿って使ってる人って少ないと思う。
「あなたの本心を聞かせて欲しい」な~んて台詞をドラマや映画でよく耳にするんだけど、この使われ方って「あなたはどうしたいの? なにが望みなの?」的な、欲求を訊ねてるよね。じゃ~「本心」って「欲求」のことなのか?
本心って言葉の意味は3種類あって、「真実の気持ち」と「本来あるべき正しい心」と「生まれつきの性質」。っでその3っつに共通してるのは「人が本当に持っている内面」だそうだ。これって「内なる宇宙」とかいう禅とか哲学の世界みたいで、「自分の本心」を解ってる人間なんかいるのかよ、って言いたくなる。要は、自分で本心だと思ってる事って結局は、その時その時の欲求なんじゃねぇの? ってのが俺の解釈。
母親が、自分の死ぬ時期は自分で決めたい、と思ったのも一つの欲求なんだけど、だからと言って自死を選ぶつもりなんか無かった。息子に大事な話があるの、というのは、自ら命を絶つつもりはないが自由死を選択したと言いたかったんじゃないだろうか。尊厳死という意味を込めて。
それとね、原作には無いらしいんだけど、映画での母親は若い女と恋愛関係にあったと分るんだよね。これさ~~、例えば、自分の娘が「パパ、私って女が好きなの」ってカミングアウトしてきたら相当に驚くだろうけど、受け入れる人は多いと思う。だけどね、母親が「アタシ、実は女が好きなんだよね」って言ってきたら、固まるぜ。うん、言葉が出ない。どうして原作には無いのにこんな設定をぶち込んだんだろう? でもこれって本心? 欲求だったと思うんだよね。
本心なんてものは、本人でも欲求との違いが解らないもので、他人なら、それが親子であろうと知る必要がない極めてセンシブなもの、とでも言いたかったのかね~。
三好彩花は、以前はセックスワーカーで、その時にされた酷い仕打ちがトラウマになって、男性に触れないという女。ひょんな事から朔也と同居することになる。
朔也は高校時代に売春をしていた同級生の女を庇って暴力事件を起こしているが、その同級生に三好彩花が似ている。
朔也が、売春やセックスワーカーをどう考えているかは明らかにならないが、「僕には触ることができないのに、イフィーさんの手を触った彩花さんは嘘をついていた」的な台詞から嫉妬心が読み取れるし、彩花に好意以上の思いを持っていたのだろうけど、どうなんだろう? 経済的な理由だろうと身体を売っていた女性を、そうではない女性と同じように見れない男は全然珍しくないからな~。それとさ~、母親と恋愛関係にあった若い女が彩花だって分かっちゃったんだよね。これね~~朔也の本心が……というより、アイツは可愛いし同級生に似てるから抱いてみたい。だけど元売春婦で母ちゃんともネンゴロだった。そんな女と普通に付き合えるのか? って己の欲望との葛藤だよ。
原作の小説版「本心」は知らないが、映画版「本心」は、本心なんてものはテメェでもよく解んねぇもので、いっつもアレがやりてぇ、それが欲しいって欲求やら物欲・性欲に振り回される厄介なものが人間ってもんだ。ってのを不器用な男と女を主人公に描いた作品だと、俺は思ったぞ。
妻夫木聡が言った「本物以上のお母さまをつくれますよ」という台詞が、本人でさえ分からない、本心というものをフィギュアはちゃ~~んと、それも明確に教えてくれますよ、と言ってるように聞こえた。
PS:でもこの映画は面白かったし、色々と考えさせられた。だけどさ~~コメディーにも出来ちゃうストーリーだよね。




