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第68話 キリエのうた

 2023年公開。

 監督も原作も脚本も全て岩井俊二氏。だから「岩井ワールド」全開の映画……らしい。

 なぜ「…らしい」としたのかというと、俺は岩井俊二ファンでもなければアンチ岩井俊二でもなく、今までにもきっと岩井俊二作品を観た事があるのだろうがーーー実は日本映画より外国映画の方が好きなこともあり、日本の映画監督であれば数人しか好む監督がいない。だから「岩井ワールド」と言われてもピンとこないのだ。


 だがこの映画「キリエのうた」は好きだな。凄く良い映画というより、単純に好きな映画だと言える。


 っで前もって書いておくが、この「キリエのうた」という映画は賛否が分かれていて、その両方の感想をネットで読んだが、この映画に関する解釈というか理解の仕方が、俺の場合はかなり皆と違う。


 まず最も重要なのが題名だ。

「キリエのうた」という題名なのだが、この映画の題名にあるキリエとは誰のこと指しているのか?


 石巻市に住む姉妹がいるのだ。

 姉の名はキリエ。

 妹の名はルカ。


 東日本大震災の津波によって姉のキリエが行方不明(おそらくは亡くなった)。小学生だったルカは助かるが、十数年後、東京で路上ライブを行うルカはキリエを名乗っている。


 石巻に住んでいる時のキリエを「アイナ・ジ・エンド」というシンガーソングライターが演じているのだが、東京で路上ライブを行っているルカもアイナ・ジ・エンドが演じるという二役なのだ。そしてアイナ・ジ・エンドが何曲も何曲も歌うのだが、彼女の粗削りな歌い方は聞く者を魅了する。うん、凄いね。ハスキーボイスという表現では収まらないナニかがある。聞く者の心を震わせる。

 この映画って、先ずは彼女の歌に圧倒されちゃうんだけど、それを歌ってるのがキリエだ、と当たり前に思ってしまうんだけど、歌ってるのは妹のルカ。

 じゃ~題名にまでしているキリエって??


 俺はね、石巻で死んだ姉を題名にしたと思うんだよね。


 キリエとルカは親の影響でクリスチャンだ。だから高校生で妊娠したキリエは堕胎という発想がなく、当たり前に「産む」を選択する。

 だけどキリエは聖母のような清らかな女には描かれていない。1つ先輩の夏彦に一方的な恋心を持っていたらしい。そして夏彦と二人だけで神社に行けるというチャンスを決して逃さない。


「先輩、手ぇ繋いでいいですか?」


 そう言うと、めん食らった様子の夏彦の手を積極的に握る。そして夜の神社の境内で寄り添うように座る二人。そしてキリエが夏彦に問う。「付き合っている人がいるの?」と。いないと答えた夏彦は同じ質問をキリエにする。するとキリエが言う。


「先輩と付き合いたい………ダメ? ダメだよね…………ダメ?」


 どう答えて良いのか口籠る夏彦に、キリエが言う。


「キスして………ダメ?」


 そして二人の唇が触れ合うが、何度も何度もキリエの方からキスをする。

 そして数日後に身体の関係を結んでしまう二人。っで妊娠。


 大学受験の夏彦。当初は仙台の大学を狙っていたが成績がどんどん落ちていく。そんなこともあってかキリエとは連絡を取らないようになっていった。そして志望大学のランクを落としたのか、大阪の大学に合格。そこで初めてキリエに言う。それも電話で。


「大阪の大学に行く」

「………え……遠い……ね」


 仙台の大学には行かない、と知らされていなかったキリエだが、それを責めたりはしない。ただ「夏彦が好き」という感情だけが否応なく伝わる。

 そして或る日、夏彦とキリエが電話で喋っている途中で巨大地震が起きる。


 上にも書いたけどキリエ一家はクリスチャンという設定なんだけど、この映画でキリスト教を織り交ぜているのはそこだけではない。

 新約聖書って「福音書」・「歴史書」・「パウロ書簡」・「公同書簡」・「黙示録」という5つの章で構成されてんだけど、その中で福音書はイエスキリストの誕生から死、そして復活までが書かれているんだけど、大きく執筆者が4人いる。「マタイ」と「マルコ」と「ルカ」と「ヨハネ」。

 そうです。まちがいなく福音書を執筆した一人の名を使ったのでしょう。そして福音とは「良い知らせ」という意味です。

 ちなみにそれぞれの福音書の特徴みたいなものを書いておく。


「マタイの福音書」

 ひたすらユダヤ的。ダビデの子孫であるユダヤ人からメシヤが誕生するという預言が、イエスが生まれることによって成就したことを強調。


「マルコの福音書」

 外国人のキリスト教者に向けて書かれている。イエスの教えよりも行動に重点が置かれた書。


「ルカの福音書」

 綿密な取材重ね、歴史を順序だてて書かれ、福音書の中では「文学的に最も美しい本」といわれている。

 そしてイエスを「人の子」として描写し、イエスの人間性を強調している。


「ヨハネの福音書」

 イエスの生涯を紹介しておらず、イエスが「神の子」であることを強調。

 福音書の中では最も神学的。



 4っつの福音書はこんな感じなんだけど、福音書の執筆者であるルカを語る上で欠かせないのが、4人の執筆者の中でルカが唯一ユダヤ人ではないことだろう。


 福音書を執筆したルカは「異邦人」なのだ。


 それと福音書ではルカはあくまでも執筆者であって、中心人物はイエスキリストだ。ルカは主役ではないのだ。


 映画の中でーーーまだ東日本大震災が起きる前に、小学生のルカが久保田早紀の異邦人を歌うシーンがある。確か、キリエが自宅に夏彦を連れて来た時だったと思う。「この人が私の彼氏なの」と家族に紹介するために。

 あの歌の歌詞はこの映画にとって意味深だよね。



 1番の歌詞の途中から

 ーーー空と大地が、触れ合う彼方、過去からの旅人を呼んでる道 あたなにとって私 ただの通りすがり ちょっと振り向いてみただけの異邦人ーーー


 2番の途中から

 ーーー私をおきざりに過ぎてゆく白い朝 時間旅行が心の傷を なぜかしら埋めてゆく不思議な道ーーー




 1番の「あなたにとっての私」というフレーズで、「私」はルカなのかキリエなのか、どちらでも取れるけど、「あなた」は夏彦なんだろうね。

 そして2番の「時間旅行の旅」なんだけど、映画は時系列がアッチに行ったりコッチに行ったりする手法なんだけど、大きく4つの時間軸、というか4つの時間をルカが旅をしているんだよね。


 ①2010年~2011年 仙台・石巻編

 ②2011年 大阪編

 ③2018年 北海道帯広編

 ④2023年 東京編



 この映画のキリスト教に絡んだ話をここでもう一つ書く。映画の題名にもなっている「キリエ」とは、ギリシャ語の「主」を表した言葉の略称をラテン文字で表したもので、「主よ」という意味らしい。そして「キリエ」とはキリスト教の礼拝における重要な祈りのことで、「憐みの賛歌」とも呼ばれ、日本正教会では「キリエ」という言葉を「主よ憐みたまえ」と訳している。



 この映画の或るシーンについてを書こうと思うが、このシーンは凄く重要な気がする。

 北海道帯広の「足跡すらついていない雪の中」を高校生のルカとイッコ(広瀬すず)が歩き、そこで空を仰ぐように、雪の中で仰向けに寝るシーンがあるのだが、そのシーンが映画のオープニングとエンディングの両方で使われている。そして何故か「カラっぽの鳥かご」が映っているのだ。

 この「カラっぽの鳥かご」って、童話「青い鳥」を暗示してるのだろう。


 青い鳥って童話なんだけど、なんとなく知ってる人が大半だろうけど、詳しい内容まで覚えてる人は少ないと思うからチョっと書いておく。


 貧しい家庭の兄弟:チルチルとミチル。二人はいつも近所の金持ちを羨ましがっていた。そこに魔法使いの婆さんが来た。


「病気の孫を治すために青い鳥を探してるんだ。お前たち、探してくれないか」


 そしてダイヤモンドが付いた不思議な帽子を手渡された二人。そのダイヤを回すと家じゅうの物から精霊が出て来て、二人はその精霊と一緒に鳥かごを持って青い鳥を探す旅に出た。

 最初に行ったのは「思い出の国」。

 そこには死んだはずのお婆さんやお爺さん、妹や弟がいた。そして青い鳥も見つかった。だがその国を出ると青い鳥は真っ黒になった。

 そして次に「夢の国」に行った。

 そこではたくさんの花が咲き、青い鳥もたくさんいた。二人はたくさんの青い鳥を捕まえたが、外に出ると全部が死んでしまった。

 次に「未来の国」に行った。

 そこには贅沢な御殿やこれから生まれる赤ん坊がいた。そして青い鳥もいっぱいいた。だが捕まえた青い鳥は外に出るとみんな死んだ。

 光の精霊が言った。


「もうお別れです。私たち精霊は沈黙に帰らなければなりません」


 それを聞いた二人は「いやだ、ずっと一緒にいたい」と言う。すると光のい精霊は言った。


「私は、月の光にも、ランプの光にも、そしてあなたの明るい思いの中にもいます。あなたに話し掛けていますよ」


 すると突然、「もう起きなさい!」という声が聞こえた。母親の声だ。

 目を覚ました二人は家の中にいた。鳥かごを見ると、青い鳥が入っていた。

 チルチルとミチルは大切なことに気づいた。


「ずいぶんと遠くまで探しに行ったけど………ここにいたんだ」




 青い鳥は色んなバージョンがあるけどザックリ言えばこんな感じで、思い出という過去に行って、そして未来にも行く二人のお話し。



 映画の話に戻るが、主要な登場人物は4人だ。


 夏彦    ーーーー松村北斗

 キリエ(姉)ーーーアイナ・ジ・エンド

 ルカ(妹) ーーーアイナ・ジ・エンド

 イッコ(キリエとは会っていない)---広瀬すず


 夏彦は積極的なキリエに押し切られるように付き合い始め、妊娠させてしまう。そして自分でも卑怯なふるまいだと嫌悪する態度をとってしまう。それらの思いと現実をどう解決するかーーー現実から目を背けてる内に東日本大震災が起きた。よりいっそう自己嫌悪に苛まれ、キリエの妹であるルカは自分が守らなければと思うが、同時に、自分にそれが出きるのか? いったいなにが出来る? と悩み続けている。


 ルカは夏彦が姉のフィアンセだと思っている。そして東日本大震災によって身寄りがいなくなり夏彦を頼る。その後、里親に引き取られるが、やっぱり夏彦の傍に来る。


 イッコは大学受験のために家庭教師に勉強を教わる。その家庭教師が夏彦。そして夏彦に頼まれる。「君と同じ高校に行ってる一つ下の学年のルカに話し掛けてあげてほしい」と。



 この映画のストーリーって、キリエが核になってる。池に投げ込まれた石がキリエ。そしてその石を中心に波紋がどんどんと広がっていく様。「波紋」という言葉を言い換えると「影響」。

 キリエとは直接会ったことのないイッコですら、広がってきた波紋に影響され、葛藤を抱える夏彦に恋心を抱き(原作ではそうらしい)、まるでキリエが母親のようなルカと親密になる。

 だから上にも書いたが題名の「キリエ」は、波紋の中心にいる姉のキリエだと思う。っで「うた」というのは、17年という短い生涯だったキリエが最も輝いていた時期ーーー夏彦と結ばれ身籠った時期と、この世からいなくなったキリエに影響された人たちの人生を「うた」としたんではないだろうか。



 っでこの映画は4っつの時間軸で描かれているのだが、「現在」はどこ?

 これね~……俺の勝手な解釈なんだけどね、童話「青い鳥」にも出てくる「未来の国」ってこの映画でも使ってんじゃないのか~~って、微妙に思ったりしてんだよね。微妙だけど……

 だから映画のオープニングとエンディングに使われた北海道帯広での雪の中のシーン(2018年)が現在だと思う。

 だったら2023年を描いた東京編は? というと、雪の中に寝転んで空を見上げる二人に、何故か見えてしまった「一つの未来」。

 童話「青い鳥」だけではなく、異邦人の歌詞にある「時間旅行が心の傷を なぜかしら埋めてゆく不思議な道」とも合致するような、でもしないような……

 ただ、ここまでキリスト教を絡ませて、ましてや「主よ憐みたまえ」という訳の「キリエ」という言葉を題名にしてるからには、一筋縄にはいかないお話しだと思うぞ、俺わ。


 それとそのオープニングとエンディングに使われてる雪の中のシーンで、高校生のルカは歌を口ずさむ。その歌はオフコースの「さよなら」だ。この歌ってまずもって出だしが強烈だよね。「もう、おわりだねーーー」から始まる。うん、凄い歌詞だと思う。

 そして、この映画にどうしても重ねてしまう歌詞がある。


 1番では

「ーーー私は泣かないから このまま一人にしてーーー」

「ーーー僕らは自由だね そう話したね まるで今日のことなんか思いもしないでーーー」


 2番では

「ーーー僕が照れるから 誰も見ていない道を 寄り添い歩ける寒い日が 君はすきだったーーー」



 凄く心に刺さる詞なんだけど、すくなくとも「フったり、フラれたり」という別れ方をした男女を歌ったんじゃない詞だ。この映画に不思議なほどマッチしていた。





 追記ーーー


 岩井俊二の作品ってきっと観たことがあるのだと思うが、正直、あまり覚えていないのだ。そこで「打ち上げ花火、横から見るか? 下から見るか?」の映画版を観てみた。50分弱で、短くて観やすかった。

 この映画って「if もしも……」を描いたそうだが、まるでパラレルワールドだね。

 主人公の男の子が友人と二人でプールで50mの競争をするんだけど、「ターンの時にかかとをぶつけてしまい負ける世界」と「スムーズにターンして勝つ世界」の2つの世界が描かれている。そうなのだ、主人公がかかとぶつけた時に時間軸が枝わかれする、というように理解できる。

 他の岩井俊二作品は知らないけど、なんとなくファンタジーっぽいというか、ちょっと現実離れした設定を普通にブチ込んで、あとはその設定に沿って淡々と物語が進むように感じた。

 そう考えると「キリエのうた」も、2023年の東京編は、2018年を生きる2人の女子高生が見た未来、なんじゃねーーのかね~……どうなんだろう? 


 とにかく色々と想像が膨らむ面白い映画で、俺は好きだな。大好きな黒木華も出てるし。ただね~、大阪の小学校の先生役なんだよね。それも化粧っけが無くて髪の毛だってフワ~ってしてないの。うん、ちょっとだけ元横綱:稀勢の里にやっぱり似てると思っちまったじゃねーかよ。

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