第65話 ばるぼあ
2019年製作の日本映画「ばるぼあ」。
配給はイオンエンターテイメントでR15。
このイオンエンターテイメントという会社は映画館運営がメインかと思っていたら、映像作品の企画・開発、出資、配給もやってるんだね。主な配給作品の内「きさらぎ駅」だけは知ってた。
っで「ばるぼあ」なのだが、手塚治虫の衝撃の問題作を実写化したもので、手塚治虫誕生90周年を記念して作られたそうだ。
監督は手塚治虫の長男:手塚眞。この人が撮った映画って初めて観たけど、正直、映画監督としてどうなの? としか思えなかった。う~ん……好みの問題かな……
脚本は黒沢久子。この脚本家、ドラマ「セクシー田中さん」の脚本書いた人なんですよね。俺は最近の民放ドラマは殆ど観ないから「セクシー田中さん」も観てないけど、彼女が言った
「最近の原作者はこだわりが強いんですよねぇ。悲しいかな、原作通りにやってほしい人がたくさんいる。私は原作者とは会いたくない派。大切なのは原作であって、原作者は、まぁ関係ないかな」
と発言して大炎上したのは知ってる。
なんだろうね、この脚本家。大して才能もないくせに随分と上から目線で、この「セクシー田名さん」の脚本を担当しなくても、遅かれ早かれ問題を起こしたと思うな。
ちなみに黒沢久子が脚本を担当した映画でキャタピラーは凄い映画だと思うが、この「ばるぼあ」を観て、「あ~、やっぱりキャタピラーは主演の寺島しのぶと、監督・製作の若松考二が凄かったんだ」と改めて思った。
映画版「ばるぼあ」なのだが、俺は原作の漫画は読んでいません。っで、ネットでこの映画の感想読んで改めて思ったのが、「原作を読んでから映画を観ると、映画の足りない部分を勝手に補完してしまうんだ」ってことが分かった。というのも、ストーリーでは、三倉洋介という売れっ子作家は実は異常性欲者、という設定で、マネキンとか犬にも欲情するんだけど、映画だけを観ると異常性欲者だとは思えなかった。何らかの病気、もしくは酷い妄想で、マネキンや犬が生身の女に見え、だから人間の女に欲情してるつもりだったのが実はマネキンだった、犬だった。という風にしか見えなかったし、異常性欲者だとの印象は持たなかったな。
それと、もう1人の主役が不思議な魅力を持った「ばるぼあ」という女なのだが、この女が三倉洋介のミューズという設定。
ミューズっで色んな説があるんだけど、ゼウスとムネモネスの間に生れた9人の姉妹をミューズと呼んだらしく、誰か一人の名前ではないらしい。そしてミューズと出会った人間は才能を授けられて大芸術家になれる。だから「ばるぼあ」と出会った三倉洋介は素晴らしい作品を生み出し続けるのだろうけど、どうにも映画ではそう見えない。
これね~、この映画で「ばるぼあ」をどう描きたかったのかが全然分かんない。アルコール依存症で何日も風呂に入ってないフーテン女で、母親がまるでブードゥ教のような怪しげな宗教にハマってるヤバイ女の娘? それとも全てが三倉洋介が書いた小説でした、ってオチ?
三倉洋介を演じたのが稲垣吾郎。
ばるぼあを演じたのが二階堂ふみ。
っでこの映画を語る上で欠かすことができないのが撮影監督がクリストファー・ドイルだってことだろうね。映像が独特な色彩で、なんともいえない「毒々しさ」でありながら「このうえなく美しい」映像。これって返って失敗なんじゃないのかな。上にも書いた通り、R15作品でエッチなシーンが結構出てくるんだけど、妙にエッチに見えない。これってクリストファー・ドイルの映像だからだと思う。そういう意図で作られた作品ならいいんだけど、三倉洋介って異常性欲者なんだよね。それがコンセプトなんでしょ。いや~~別にもっとスケベに描けって言うつもりはないんだけどさ、稲垣吾郎と二階堂ふみの濡れ場なんかもけっこうあるんだけどね、普通なの。うん、普通のセックス。だからドイルの映像のせいだけじゃないんだろうけど、普通のセックスを更にスケベに見えなくしちゃってる。っで映画の終わりの方で「ばるぼあ」が死んじゃって、三倉洋介は屍姦という極めつけな異常性欲を発揮するんだけど、このシーンも何故だか普通のセックスにしか見えなくて、インパクトは全然なかった。
ただ稲垣吾郎って役者さんは凄くいい。不思議な雰囲気を持っていて、浮世離れしてるとか、何を考えてるか分からないポーカーフェイス、って表現されるけど、稲垣吾郎を上手く言い表す言葉ってなかなか見つからない。
俺が稲垣吾郎ってスッゲーなって度肝を抜かれた映画が「十三人の刺客」だ。とにかく最狂・最悪で鬼畜なの。気持ち悪くて不気味で変態で素晴らしいのだ。どこの藩だったか忘れたけど殿様役なんだよね。だけど部下である家老とか側近ですら理解不能な突き抜けた存在が稲垣吾郎演じる殿さまで、そんな宇宙人みたいな役を、漂わせる雰囲気だけで見事に演じてた。そう、どこか感情が欠落してる宇宙人チックなの。そんな役を無理なく淡々と、決して力むこともなく演じることができる役者って少ないと思うな。これって、今は完全に干されちゃってるけど、東出昌大と稲垣吾郎しか醸し出すことができない不思議な雰囲気だと思う。例えばね、「俗世界なんかにはまるで興味がなくって、いつも神のことしか頭にない、夢見る少女のような目をした神父か牧師」の役ってハマり役だと思う。それ以外では、善悪の区別がつかない精神疾患なんだけど無口でいつもにこやかな人当たりの良い人物役。
そんな稲垣吾郎だから、漫画の主人公を演じていても違和感なく観れたのだろうね。とにかく貴重な役者さん。
だけどこの映画は、ちょっとね~~……監督のせいなのか脚本のせいなのか……両方だろうね。
二階堂ふみって女優さん、実はあまり好きではない。決して大根役者ではないのは分かるんだけど、どうにも目を見張るようなナニかがあるとは思えないんだよね。この映画でもずいぶんと裸になって、それはそれで綺麗な身体をしてるんだけど………確かに手塚治虫が書いた女性のヌードって淫靡じゃないから、それを考えるとピッタリの役なのかもしれないけど……
追記
三倉洋介の作家としての仕事をサポートする役を演じた石橋静河って女優さん。1994年生れらしく現在(2024年)は30歳なのだが、けっこう売れてる女優さんらしく、いろんなドラマに出ているようだが、民放を殆ど観ない俺にとっては知らない女優さん。でも「13人の鎌倉殿」で静御前を演じてたみたい。
っで、この「ばるぼあ」という映画では、エロチックなシーンを演じていた訳ではないのだが、すごくエロい雰囲気を出しててーーーまったく脱がなくて、エッチな素振りも見せないのにエロい雰囲気を出せる貴重な女優さんだと思う。彼女をもっと活かせなかったのかが非常に勿体ない。




