第63話 邦画「望み」
この「望み」という日本映画は数年前に観たのですが、観た事を忘れたせいでもう一度観ました、最近。
っで、前に観た時にどう感じたのか、ということまで思い出しちまった。
どう感じたか? うん、強烈にハラがたった。
2020年製作・公開。配給はkadokawa。
監督は堤幸彦。
原作は、2016年1月から7月に電子小説に掲載され、同年9月に単行本が出版。作者は雫井脩介。第7回山田風太郎賞受賞。そして週刊文春ミステリーベスト10において2016年国内部門で9位。要はベストセラー小説らしい。
俺は原作である小説版「望み」は読んだ事がないので、映画だけの感想を書く。
映画の主要キャストは次の通り。
父親 石川一登 堤真一 (1級建築士、自宅の敷地内に事務所を構えいる)
母親 貴代美 石田ゆり子(自宅で出版物の校正をしている)
長男 規士 岡田健史(高校1年生、元サッカー部)
長女(妹) 雅 清原果那(中学3年生)
映画の冒頭シーンをサラっと書いておくことにしよう。
1級建築士である一登の事務所に、30~40代と思われる夫婦が家を建てたいと訪れていて、一登は注文住宅の良さをアピールする。そして事務所に隣接している自慢の自宅を案内する。まるでモデルハウスのように。
吹き抜けとなっているリビングを見せ、そのリビングと繋がっているダイニングとキッチン。そのキッチンはアイランドキッチンで、妻の貴代美が料理をしていて、使い心地を訊ねられ、収納スペースがちょっと足りないような話をした為に一登は少し鼻白む。そして一登は2階の子供部屋にまで案内をする。
これね~~その時の時間が解らないし、きっと子供は学校に行ってる時間なんだろうな~、それでも子供が留守の時に見せちゃうの? って思ったんだけど、部屋に居るんだよね。高1の長男も中3の長女も。っで案の定、長男は極めて愛想が悪くて殆ど喋らない。だけど中3の長女はまるで父屋の事務所の従業員のように満面の笑顔で対応してくれる。
っでその夜の夕食時、ダイニングテーブルを家族4人で囲んだ時に父親が長男に言う。「お前、お客さんが来た時にはもっと愛想良くしろよ」って。
この年代の男の子にそれは無いだろう、この父親って自分がその年代の頃のことを完全に忘れてんだろうな~って物凄くイヤ~な感じを覚えた。
そもそも親が食事をする時間に合わせて高校生の男の子が殆ど毎日一緒に夕食をとることを考えても、この子は親思いの優しい子だと思うし、自分を無理に押さえていると感じた。
そしてこの長男は幼少期からジュニアサッカークラブに入っていたらしく、高校でも続けていたのだが、膝を怪我してサッカーを断念せざるを得なかった。まぁ、だから、余った時間をどうしたら良いのか分からなくて、明るい時間から部屋に居たんだろうけど、サッカーを辞めてからそんなに経っていないはず。それなのに夕食時に父親は、これから何をやるんだ的なことを説教混じりに言う。
そんなシーンからこの映画は始まるのだ。
何を言いたいかというと、映画は自宅とその自宅に隣接した事務所を、ドローンを使ったと思うんだけど、上空から映していくんだよね。その時点で「でかい家だな~」って感想を持つ。っで訪れたお客に自慢の自宅を案内するシーンでは、視聴者も「うわ~~いい家だな~。キッチンもそうだけどダイニングテーブルだって高そう……」って感想を持つ。だけどそんな綺麗で素敵な家という器に住んでいる家族は、けっして素敵で綺麗な関係ではないのが映画の最初の部分で解るのだ。だから「家族って……」というのがテーマなのかと思ったのだが、どうにも映画は違った方角に行っちまって、冒頭のシーンって必要だったの? と思わずにはいられない。
そして映画の題名にもなっている「望み」だ。家族のそれぞれが―――父親は、母親は、妹である娘は、更にはマスコミが、それぞれ何を望むのかが違うというのをサスペンフルに描いていく映画なのだが………
まず最初に、俺は妻もいて二人の息子がいる父親なんですが、この映画を観て「自分だったらどうする」と問いかけたところで意味はないとハッキリ言えます。所詮、視聴者でしかない訳で、どんなに想像力を働かせても当事者の思いや、その思いにしても揺れ動き、そして揺れ動いた思いに引きずられた言動や行動なんてものを、自分事で理解は出来ない。当事者にはなりえない第三者が視聴者な訳ですから、あの設定は無い、絶対におかしいし、石田ゆり子が演じた母親の「望み」なんてものは唾を吐き掛けてやりたかった。思い出すたびに許せないわ。
ちなみにだけど、父親役の堤真一、母親役の石田ゆり子、妹役の清原果那の演技は凄くいい。ただ難点があるのは、これは俳優さんのせいではなく、そういった脚本・原作なんだと思うんだけど、妹は思春期の間っ只中にいるんだから、もっともっと感情を爆発させるのが本当のような気がしたし、あまりにもいい子過ぎる。あの環境に置かれた中3の女の子が、はたから見てあの程度の動揺であれば、実際はそうとう溜め込んじゃって危険だと思うな。
物語の核の部分を簡単に説明しちゃう。
或る日のこと、長男の規士が夜に出かけたまま朝になっても帰ってこない。そんな中、テレビでは家族が住む街で起きた殺人事件を報道。横転した車のトランクの中から若い男性の遺体が発見されたのだ。身元は直ぐに分かり、顔写真や氏名も報道された。それを見た妹が「この人が着てる制服ってお兄ちゃんの高校のだ」と分かる。
規士は次の日になっても帰ってこないが、母親のラインには一度だけ返事があった。
警察に相談をする両親。その際、家に帰って来なくて連絡がつかない、いわば行方不明になっている高校生が他にも数人いることを刑事が言う。
犯人が逮捕されたの報道があった。しかし規士は帰ってこない。そのうちネットでは「もう1人殺されてるようだ」との噂が広がる。それを警察に言うが、噂にまで警察が言及することはありません、という回答で、両親は、誰もなんにも教えてくれない、と更に不安が増す。
規士も加害者の一人だという噂がネットに広がり、その噂はリアルの世界でも広がり続け、家にはマスコミが押しかけ、父親の事務所には嫌がらせの電話やファックスが後を絶たず、朝になると自宅の壁や車に「殺人家族、出て行け、死ね」などとスプレーで書かれ、妹は塾や学校で孤立していく。
こんな内容なんだけどね、どう考えてもおかしいのは、登場人物の全員が同じ考えに縛られてるの。姿を現さない規士について。
①生きていれば加害者だ。
②被害者であれば死んでる。
この物語では①と②しかないの。「もう1人殺されてる」って噂なんだけど、まだその遺体が出てない内からそうなの。
③加害者の一人ではあるけど殺されている。
④被害者だけど逃げおうせて今も怖くて隠れている。だから生きてる。
この③と④の可能性を誰も口にしないの。なんで? みんなバカ?
まだ遺体の発見も無い段階で、仮にもう1人殺したってことを逮捕されたヤツが言ったとしても、警察の公式発表が無い限りは、誰が死んだのか解らない。だから「生きてるか死んでるか」といことと「加害者なのか被害者なのか」って全く別の問題でしょ。それなのに、映画の設定が①と②しか存在しない。特に酷いのが石田ゆり子が演じた母親。まだ40代なのにまるで痴呆症の老人。
この映画を最初に観た時も、二度目に観た時も、今はもう死んじまった婆ちゃんのことを思い出したんだよね。最終的には痴呆症が進んじまって家族じゃ手に負えなくて施設に入ったんだけど、しょっちゅうあったんだよね、財布を盗まれた、って言い出すことが。一緒に住んでいた叔父さんや叔母さんが、「盗まれるわけないでしょ。どこに置いたの? 置き忘れなんじゃないの?」と言っても、「いっつもこの引き出しに入れておくの! ほら見てみなさい、引き出しに入ってないでしょ」と言い張り続けてた。
要は、「引き出しに入ってない」=「盗まれた」ってことで他の可能性など頑として受け入れない。
映画の母親も同じで、当然、息子は生きていて欲しいわけで、いつしか絶対に生きてると思い込むのは当たり前だと思うけど、「生きてる」=「人を殺した加害者」なの。だから、息子は逮捕される、面会に行かなきゃ、美味しい物を持って……というように妄想がどんどん膨らんでいく。これさ~共感ってできる?
親だから、家族だから、遺体を見せられるまでは絶対に死んでなどいない、って生きてることを信じ続けるよ。だけどそれと同じように、「誰がなんと言おうと、あの子が人を殺すはずがない」って息子を信じる。もしも自分の子供が殺人を犯したという事実が判明した場合、自分だったらどうするか、というのは想像できない。でも、その事実が判明する前であれば、まともな親であれば息子の潔白を信じる。なのに映画の母親は息子を信じない。加害者だと思い込んでる。娘がそんな母親に言うんだよね「お兄ちゃんが加害者だったら困る」と。そうしたら母親は「あんたはお兄ちゃんが死んでることを望んでるのかい!!」って、もう完全な痴呆老人。娘が塾や学校でどんな目に合っていようが関係なくって、娘が「志望校にだって行けなくなる」というと、「あんたも、あんたなりに覚悟して生きていきなさい!!」って、娘だって自分の子供なのに突き放したようなセリフを吐く。
この映画の結末は、息子は被害者で、既に殺されていたというもので、世間の家族に対する誹謗中傷も止む。そして娘も無事に志望校に入学出来て、楽しそうな学校生活の様子が映し出されるんだけどね、この事件を通じで、娘の母親に対する思いっていうのはガラっと変わると思う。子供を信じない母親、いざとなったらテメェで勝手に生きいけ、というようなことを言い放つ母親ってことが解っちゃって、将来にわたって母親を許さないと思う。
冒頭にも書いたけど小説は読んでいませんが、おそらくは映画と極めて似通ったストーリー展開で、父親の望み、母親の望み、妹の望み、それら3人の望みが一致してないことを浮き彫りにしていくんだと思う。だけど、ありえない設定に無性にハラが立つ映画で、精神衛生上よくない!!




