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第61話 邦画 流浪の月

 2022年に劇場公開された日本映画:流浪の月。

 この題名は好きだな。うん、センスが光る題名だと思う。


 流浪:一時的な滞在をせずに移動すること。経済的な理由や迫害を逃れるために用いられる言葉。

 放浪:自由気ままに歩き回ること。計画や目的を持たないことが特徴。


 っで「月」なのだが、この物語の主役2人を指していると解釈している感想をネットで読んだが、それは違うと思う。

 月って本当は丸い形をしているが、目に映る月は三日月だったり半月だったり満月だったりと、実際とは違った形に見える。だから「見えている」という事実、それと本当の姿ーー真実、それは違うということだろう。


 主役は、松坂桃李が演じるフミ。それと広瀬すずか演じるサラサ。


 この映画が第46回日本アカデミー賞でどうっだったんだろうと思い調べてみると、この年は「ある男」が総ナメに近い受賞で、流浪の月はどの分野でもノミネートに留まっていた。


 映画の感想はというと、違和感だ。


 自分でも「なぜ違和感を覚えたのか」、「その違和感の正体ってナニ」がよく解らなくて、妙に気持ちが悪かったもんで、原作である小説を買って早々に読んでみた。

 小説自体は読みやすくて、途中で飽きる事もなく読み終えることができ、そして俺が感じた違和感の正体も解った。




 ①事実と真実は違う、と言いながら、その真実ってどこにあるの?

 ②二人には二人だけの世界があった、と言われているが、描かれた二人の世界ってそもそも虚像じゃないの?




 視聴している間、違和感がずっとあった。だけどその違和感の正体に気が付けなかった原因は、「設定があまりにも奇抜過ぎる」からだと思う。要は、展開されるストーリーに耳目を奪われていたということ。


 偶然に出会った大学生のフミと小学生のサラサ。


 フミは、いわゆるポークビッツで、カルマン症候群かクラインフェルター症候群なのだと思われるが、子供の頃に母親から出来損ない・失敗作のような扱いを受け、目も合わせてくれない中で育った。そして成人となると、コンプレックスからか成熟した大人の女性に対し恐怖のような感情を持ち、いつしかロリコンになりたいと思っているようだ。


 サラサは、父親が死に、母親は男とどこかに行ってしまい、叔母に引き取られたが、叔母の息子ーーサラサにとっては従兄弟から性的虐待を受け続けていて、居場所のない女の子。


 こういう他人に言えないナニかを抱ている人って決して少なくないだろうけどね、出会う? ましてや同年代じゃないんだよ。

 落ち着いて考えると設定が奇抜過ぎちゃって、あ~あるよね~そういうこと、って何一つ思えない。

 っで家に帰りたくないサラサに対して「来る?」ってフミが言って、世間から隠れた二人の生活が始まるんだけど、サラサの事情を何一つ知らないフミがどうしてサラサを家に連れて行ったのかが解らない。もしかすると、サラサを見ていれば自分もロリコンになれて、性欲が目覚めるかも、って思ったの? 仮にそうだとするとだよ………ロリじゃないのにロリになりたいと思う人がいるってこと? これね~~どう考えてもムリがある。変だし気持ちが悪い。


 サラサは、いつも公園で自分たちを見ている怪しげな男のことをロリコンだと思っていた。それがフミなのだが、そんな男に「来る?」って声を掛けられて、行く? はなっからロリだと思ってんだよ。これさ~~家に帰ればクソ従兄弟に性的虐待されるからって、それを逃れるためにロリについてくって……よけいヤバイことになるって分る年代設定ーー確か5年生だったと思うんだけど、普通の5年生よりは性に関して嫌悪感を持って詳しいはずだよね。


 2人で生活している中で象徴的なシーンがある。それは食事をしている時にサラサの口周りについたケチャップをフミがちょっと躊躇いながらも手で拭ってあげるシーンなんだけど、けっこうエロチックな演出で、どう考えてもフミが試してみたとしか思えない。性的な欲求が目覚めるんじゃないかと。


 だからこの物語は、かなり有り得ない設定をブチ込んじゃってるけど、サラサが安らぎと安心を感じた場所というのは、全然そうではなく、めちゃくちゃにされた可能性の高い場所だった、と思えるんですが……

 そんなもんで、上の①と②に書いたように、フミの真実とサラサの真実はまるで噛み合っていないし、二人だけの世界ってナニ? って思わずにはいられないんですよ。


 女児誘拐の犯人として逮捕されたフミ。それから年月が流れ、再び二人が出会うんだけど、それ以降のストーリーよりも、この物語の核は「二人が出会って僅かな期間だけど共に暮らした」ことにあると思う……だけど無理あるでしょ! と強く言いたい。

 っでね、その後のストーリーだってね、サラサはフミのことをロリだとずーーーーーーっと思ってんだよ。最後の最後にフミがポークビッツだと解るまで。小説ではさ、フミが言葉で説明するんだけど、映画じゃいきなりフミが素っ裸になって見せるんだよね。それってさ~~見せられたサラサはどう理解できたの? 「え?!……ちっさ……」って思っただけじゃねぇの?




 原作の作者である「凪良ゆう」という作家さん。ちょっと男だか女だか解り難い名前なのだが女性だそうで、1973年生れだそうですので51歳で、33歳の時にボーイズラブ小説でデビュー。

 凪良ゆうファンの人には申し訳ないのですが、女性の書くBL小説ってファンタジーだと思うんですよ。これって女性に限った話じゃなくて、男が書いたGL小説やレズ小説もファンタジーですよ。自分から見た異性が同性愛に走るのを、こうだったら萌える、というように書くわけでしょうから。

 その延長っていったら大変失礼なのでしょうが、小説版「流浪の月」もファンタジーだと俺は思う。というのも、この小説を書くにあたって取材ってしたのかな? って疑問があります。

 確かに似たような誘拐事件ーーー誘拐された女児は「自分の意思でついて行った」と言い張り、逃げよと思えばいくらでも逃げられる環境であったがそうしなかった事件はあったが、ここまで特殊な事情を隠し持った男が犯人であったはずもないから、取材などやりようもないのでしょうが、でもフミのような症状で苦しんでいる男性の取材は出来たと思う。その中に「ロリになりたい」って欲求を持った人でもいたの?


 ちょっと調べてみた。クラインフェルター症候群というのはダウン症と同じく染色体の数が違う為に第二次性徴が来るとか来ない以前に、幼少期の頃に判明し、必ず医者が関与してくる。そしてカルマン症候群というのは難病に指定され、症状の一つに嗅覚異常がある。だからフミの場合は病気ではなく単なる極端な短小のような気もするのだが、映画のラスト近くでフミがサラサに言葉で告白する代わりに全裸となるのだが、陰毛がなかったように見えた。これは二次性徴が来ていないのだろうか? そうすると立たないという症状もあるの? だとするとカルマンかクラインフェルターなんだろうけど、そうすると難病か染色体異常ってことになるぞ……



 ネットの専門医の見解だと立って7㎝未満だと何らかの病気を疑うべきだそうですが、でも実際にいるよ。ちょっとビックリするくらい小っこい人。同じ男として気の毒に思うし、断固として言えるのは、だからと言って彼らがロリになりたいなどと思ってる訳がない!! バカな誤解を受けるような映画を作るな!!


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