第60話 バクラウ地図から消された村
この映画は面白かった。うんうん、すっげー見入ったぞ、俺は。
ちなみにだけど、元アメリカ大統領のオバマさんって大の映画好きらしいんだけど、そのオバマさんの一押しの映画がコレだそうだ。
2019年に制作された、ブラジルとフランスの合作映画で、監督は何故だか二人いて、クレーベル・メンドンサ・フィリオ監督と、ジュリアノ・ドネルス監督だ。
クレーベル・メンドンサ・フィリオ監督はブラジル出身の若手ーーと言っても1968年生れだそうだから50代後半なのだがーー新進気鋭の映画監督なのだが、ジュリアノ・ドネルス監督の情報がない。この映画が監督デビュー作っぽい。
っで、脚本も二人の監督が担当しているので原作のないオリジナル作品だ。
そんでもってカンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞し、各国での評判の高い映画。日本でも公開したらしい。
原題は「BACURAU」でバクラウがなのだが、う~ん……地図から消された村か~~、確かにこの邦題は興味をそそられる題名ではあるんだけど、必要だったかな~? 登場人物全員がーー貧しい村に住む人たちも全員がスマホを持っていて、タブレットやパソコンも当たり前に存在するから、IT機器類に示された地図上では村が消えてる、ってことも悪意のある政治力を持ってすれば出来るのだろうけど、紙ベースの地図上で消すなんてことは出来ないだろうし、そもそもこの映画では「地図から消された」ってことをそこに住む村人はまるで気にしていない。やっぱり原題のままの方が良かったんじゃないかね。
この映画って、なんとなくだけど観た事のある人が意外と少ないような気がする。だからネタバレに繋がる感想は書かないようにする。
映画の冒頭シーンなのだが、映像が宇宙空間から南米、そしてブラジルにズームインしていき、時代設定が近未来ーーー確か「数年後」というテロップがあったはずだからSF映画なのか? とも思ったが、マカロニウェスタンっぽい音楽が使われていたり、走行しているトラックはエライぼろで、道路も未舗装の砂利道。っで、けっこうな残虐シーンなんかもあってR15指定映画だから、ある意味ホラーか?
要はジャンル不明の映画なのだが、後半部分は完全に西部劇。それも「7人の侍」……いや西部劇なんだから「荒野の7人」的なブラジル・フランス合作のマカロニウェスタンなのだ。
映画の前半はバクラウという架空の村に住む、ポルトガル語が母国語のブラジル人なのだが人種はバラバラでアフリカ系の人もいれば先住民族的な人も住む集落で、そこに住む人々の視点ーーーこれって非常に重要で、ポルトガルの植民地時代からずっと彼らの言葉を使い続けることを強制されて、更にはブラジルが今でも直面している様々問題を丁寧に描いているのだが、日本人の中でブラジルが直面している問題というか実態は、ほとんど知られていないだろう。だから、この映画を視聴した日本人の大半は、「なんだか退屈な映画だな~」と感じ、映画の前半部分で脱落すると思う。
っで中版になると映画の視点が変わる。そこで、アメリカなどアングロサクソン系の人達にとってのブラジル人なんか差別の対象でしかないことが解ってきて、そして怒涛の後半に繋がっていくのだ。
7人の侍や荒野の7人的な映画だと書いたので、まぁ、村人VS悪党集団だという想像がついてしまうだろうが、うん、その通りです。村人が反撃を開始した時点で「ザマーみろ!!」って喝采しちゃうから。
そんな反撃をする村人達って、実は物凄い戦闘民族だった、というのが、村の数少ない観光資源である博物館に陳列されている品々で解る仕組みなのだが、中でも俺が最も感動してカッコイーー! と思った村人が、老夫婦だ。その老夫婦、何故だか分からないのだが、いっつも全裸で暮らすジジーとババーなんだよね。そう、素っ裸。股間なんかも全然隠してないの。その全裸じしぃがショットガンで悪党の頭半分を吹き飛ばすの、平然と。っで全裸ばばぁも、もう1人の悪党を平然と狙い撃つ。貧しい中でも助け合って暮らす穏やかな人のように見えたのに、イザとなったら表情も変えずに平然と人を撃つ全裸の老夫婦。そしてショットガンの持ち方がチョット変わってて、それが余計にカッコ良かった~。
ブラジルという国にを語る上で欠かせないのはポルトガルの植民地であったことと奴隷制度だ。
先ずは植民地の件だが、そもそもトルデシリャス条約ってクソくだらねぇ取り決めが1494年に出来た。この条約って日本にも影響してるんだよね、信長・秀吉の時代に。俺はそれについてどうしても書きたい! 映画の話ではないのだが…………
まずその条約ってのを超簡単に説明するぞ。これって日本の教科書には載ってなかったはず。
大航海時代のことだ。スペインとポルトガルで世界を二分してし支配しましょう!! ってトンデモ条約が結ばれたのだ。っで互いに領土権を認め合えば紛争はなくなって平和だよね~って選民思想の権化みたいな条約。東洋人やアメリカ大陸の先住民にとっては「冗談とタンポンはマタにしてくれや」って話なんだけどローマ教皇がこれを承認。具体的な内容は、子午線にそった線(西経46度37分)から東側の新領土はポルトガル。西側がスペイン。
これってキリスト教的には「非キリスト教地帯をカトリックの布教によって文明化させる」という神の事業だったらしく、そのせいで正当化されていた。
子午線からちょうど反対側にあるのが日本列島だ。そのせいで1543年にポルトガル人ーーイエズス会によって種子島に鉄砲が伝わり、1584年にはフィリピンを征服したスペイン人ーーフランシスコ会までがやってきた。
この当時の日本って1573年に足利義明が信長によって追放。1582年に本能寺の変というように、まだ戦いに明け暮れた戦国時代。ポルトガル系のイエズス会宣教師たちが残したアジア征服に関する書簡がある。内容は次のようなもの。
「ニッポン超ヤベーって。いっつも集団で戦ってる。昨日まで仲良かったヤツ同士が急に殺し合うんだぜ。怖ぇって。そんでもって暇さえあれば人殺しの練習ばっかやってる。あいつらデタラメだ。下手に手ぇ出したらナニされるか解ったもんじゃねぇ。命なんぼあっても足りねぇって………慎重にやろうって」
だけどイエズス会日本準管区長は積極的な攻勢を主張して、フィリピンにいる布教長に次のような手紙を送っている。
「ニッポンには言う事きかねぇ侍がゴッサリいやがるけどよ、中にはキリスタン大名なんかもいるのよ。そいつら応援すりゃ~うまいこと行くって。だから、兵隊と弾薬、そんでもって大砲を速攻で送ってくれ」
イエズス会に残されている数多くの書簡には興味深いのもあって、信長と秀吉の二人が、イエズス会による日本侵略を話題にしていたという書簡も残っている。その書簡によると、日本侵略を懸念していたのは秀吉で、信長は「そんな遠方から攻めてこれるはずがない」と楽観していたらしい。これって信長らしいよね。どっか脇が甘いというか、抜けてるんだよな。だけど宣教師フロイスが本国に送った手紙には「信長は毛利を平定し、日本の絶対君主となった暁には、一大艦隊を編成してシナを武力で征服し、諸国を自らの子孫に分かち与える考えである」と記されている。
信長の明国征服の目的はハッキリしないが、スペイン・ポルトガルの動静を掴んでいたことは間違いなく、もしかするとなのだが、「遥か遠い国から日本が直接攻撃されることは無いが、明国がヤツらに征服され、そこを拠点にされたらマズイ」と考えていたのかもしれない。
だがチョットばかり脇の甘い信長に影響されたと思うんだけど、1580年にキリシタン大名の大村純忠って野郎が領地をイエズス会に寄贈。はぁああ?? ってなもんだよな。日本の土地をくれてやるってどういう事?
1582年に本能寺の変が起き、天才かつ強靭な精神力を持っていながらも極めて脇の甘い信長さんが死亡。っで続く秀吉が天下統一事業をおこなっている最中の1584年にキリシタン大名の有馬晴信も領地の浦上をイエズス会に寄贈。領地内の社寺が破壊された。
1587年に大村純忠が死亡、その翌年に秀吉は「伴天連追放令」を発令して、イエズス会に寄贈されていた長崎、茂木、浦上を取り上げて直轄領とした。もう大名どもには任せられないってことだろうね。
そんで伴天連追放令には「十八日覚」ってのがあって、その中で秀吉は、日本人奴隷の売買を厳しく批判、そして禁止した。この日本人奴隷の売買って、イエズス会宣教師が奴隷貿易に関与していたのが近年の研究で明らかになってる。ちなみに秀吉がイエズス会をどのように見ていたかについては、ルイス・フロイスが残した書に記されている。次の内容。
「宣教師たちは一向宗のようにも見えるが、しかし予は、より危険であり有害と考える」
っでルイス・フロイスも本国の国王や司教に対し、援軍の派遣を要請しているが、実際に派遣されることはなかった。これって信長さんの予想通りなんだけど、だけど脇の甘い信長さんがもっと生きていたら日本人奴隷の売買貿易は続いていただろうね。
そして朝鮮出兵が始まる。この朝鮮出兵って名前は絶対におかしい。あくまでも明国を征服しようとしたのだが、その通道に朝鮮があっただけ。っで明国征服の目的は、明国がフィリピンのように、スペインやポルトガルに征服される前に征服しちまえ、だ。
秀吉はフィリピンを征服しているスペインに書簡を送りつけている。
「お前らより先に明を征服するから、お前らも速攻で俺様の軍門に下れ。それが僅かでも遅くなったら、お仕置きしちゃうぞ。後になって後悔しても知らんからな」
この書簡に腰を抜かしたフィピンを占拠するスペイン総督は慌ててマニラに戒厳令を敷き、スぺイン国王に対し援軍派遣を要請するなど非常事態を宣言している。というのも秀吉は書簡の中にこのような事も付け加えていた。
「俺んとこの島津がな~~マニラ欲しがってんだわ。俺がエエよって言っちまったら……島伝いに攻めいっちゃうかも……いや、ヤルな。島津はゼッテェにヤる」
その書簡にビビり恐れたスペインは、日本の戦闘能力などに相当詳しく把握していたらしく、太閤秀吉に対し、ご機嫌取りの贈り物をタップリした上で次のような手紙まで送っている。マジで。
「いやいやいや、あたしらスペインは、太閤様との親交を切に願ってるだけでして………島津さんにはどーーか宜しく伝えてくださいな。お願いだから攻めてこないで」
そして強烈なのが、土佐に漂流したスペイン船の積み荷を日本が没収しちゃったんだけど、それにスペインが抗議をしたら、秀吉自ら怒りの手紙を送りつけている。
「おめぇら、布教とかぬかしながら古くからの君主を追い出して、てめぇらが君主になりやがるとはどーーいう了見だ。それが布教か? ざけんじゃねーー! 欺瞞と策略だろうが。フィリピンのことなどぜーーーんぶバレてんだ。こっちが黙って見てりゃ~いい気になりやがって、てめぇらの教えだかってヤツでコッチの教えを壊したのはドコのどいつだ。日本に来た目的は占領だろ。やってみろや、やれるもんならやってみろ。もう我慢ならねぇんだよ」
スペインにしてみたら、荷の没収に抗議したら逆切れどころか、とんでもない警告をされ、そして、キリスト教の布教を隠れ蓑にした日本侵略など断固許さないとの外交戦略を宣言された。
っで秀吉はインドを占拠していたポルトガルにも書簡を送っている。
「明を征服するからな。オメェらなんかに明は渡さん。それと忘れるな、これから日本で布教なんてもんをヤったらどうなるか……わかるよな?」
当時のスペインやポルトガルに真っ向勝負を仕掛けけたのは、世界中で日本・豊臣秀吉ただ一人だ。そしてこれらの手紙から読み取れるのは「明の次はお前らだ!」という、ある意味宣戦布告でもあるし、スペイン・ポルトガルの世界征服事業に対する強烈な対抗処置だ。日本はそれだけの軍事力を持っていた証なのだろうね。実際に信長の時代であっても日本は世界有数の鉄砲生産国。要は、鉄砲が伝来した数か月後には国産の鉄砲を作る技術をマスターしていた。まぁ「これは使える! 戦そのものを変えてしまう武器だ!」って感じだったんだろうね。とにかく戦いに明け暮れ、勝てるのなら何だって取り入れるという、絶えず戦のことしか頭にない民族が当時の日本だ。
だから秀吉の朝鮮出兵はーーーとにかく「朝鮮」というネーミングが絶対におかしいし、本質を見誤る元なのだが、よく言われているような、「秀吉が老いぼれ、ボケたあげくに打ち出した誇大妄想狂的な外交戦略」などではなく、海外の情勢をシッカリと把握した上での危機感と明確なビジョンがあったと考えるのが正しいだろう。
っでようやっとブラジルの話になる。トルデシリャス条約という勝手な取り決めによってブラジルはポルトガル領なのだが、大航海時代であっても直ぐにブラジルが見つかったわけではなく、1500年にインドを目指していたポルトガルの船が風に流され偶然発見。っで最初の頃は200万人以上いたと推測される先住民とポルトガル人は友好的な関係だったが、徐々に先住民を奴隷化して砂糖農園なんかを経営した。
当時のブラジルには多くの部族・先住民がいて、そのいずれもが狩猟民族だろうから部族間の争いなんかもあって、そこそこの戦闘民族だったんだろうけど、いとも簡単に奴隷化をされた。
そして1570年頃よりアフリカのギニア地方などから黒人を大量に輸入する。ここで黒人奴隷化が始まるのだが、メチャクチャに悲惨だった。そして農場主であるポルトガル人にとっての黒人女や先住民女は、労働力である一方、性的奴隷でもあり、農場主にとってはハーレムのような生活様式だったから混血がいっぱい生れた。ちなみにラテンアメリカで白人と黒人の混血を「ムラート」と呼び、白人と先住民との混血を「メスティーソ」、そして先住民と黒人の混血は「サンボ」。ついでに現地で生まれた混じりッ毛の無い白人は「クリオーリョ」。
ムラートの意味ってね、雌馬と雄ロバの交配で生まれた「ラバ」を意味する言葉なんだよね。要はムチャクチャに差別されてたってこと。っで奴隷に対する残虐行為はポルトガル人の農場主よりは、その妻からの方がよりエグくて悲惨だったらしく、ちょっとここで書くには憚られるくらい。
奴隷たちは逃亡を繰り返した。そして捕まらなかった奴隷は奥地へと逃げ込み、そこで「キロンボ」と呼ばれる集落をつくり隠れて生活した。だがキロンボで暮らす奴隷たちには安らぎなど無く、農場主が派遣した殺人隊との死闘が繰り広げられた。
このキロンボなんだけど、現在(2024年)でも存在してる。
逃亡奴隷の子孫たちが未だにそこで、祖国の文化とか伝統を守りながらひっそりと暮らす貧しい集落がブラジルには未だに1000か所以上残っていると言われていて、映画「地図から消された村」は明らかにキロンボという集落に住む人々を描いたものだ。そうなのです、この映画で描かれたバクラウという名の貧しい村は、遥か何百年前にキロンボという集落で白人達と殺し合いを続けてもなお生き残った逃亡奴隷の子孫たちが住む村だった、というのが映画の後半で解る仕組みなのです。
っで実際のブラジルには南北問題があって、南側に住む人たちの方が裕福で、北側は貧しい人が多いそうだ。っで映画のバクラウって村はブラジルの東北部って設定だから極貧。そしてブラジルは実に様々な人種の人が暮らす国なのだが、バクラウって村も人種はバラバラで、実際のブラジルを表しているのだろう。そしてブラジルは2019年頃から深刻な水不足が続いていて、この映画でも水の確保に苦慮している実態が描かれている。
この映画をこれから観ようとする御仁は、ぜひとも現在でも存在しているブラジルの問題をある程度は知ってから視聴した方が、この映画で描かれている内容が解ると思う。それと俺たちが暮らす日本という国が、ブラジルとは全く違った繁栄を辿ってこれた理由についても知るべきだ。一歩間違えば植民地になっていた可能性があった。
追記
最後に付け加えるが、この映画は「根本的な差別」というものにも踏み込んでいると感じた。
というのも、バクラウって村には、白人、黒人、先住民、そして色々な混血の人が住んでいる。そして共同生活のような暮らしで互いを助け合っているのだが、売春婦、そして男娼もいるのだ。それも隠れて身体を売っているのではなく、あっけらかんと、まるで普通の商店を営んでいる者のように自分の身体を売っている。そんな彼らを村人たちの誰一人、蔑むことも差別することもしない。普通に、当たり前に接していて、これって究極かもしれないな、と妙に感心しちまった。
とにかくこの映画は面白い!




