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第54話 夜の鼓

 1958年に公開された白黒映画だ。

 配給は松竹。

 監督は今井正。


 原作は近松門左衛門ーーなんだか「門」という漢字が2回も使われて読みにくい名前なのだが「ちかまつ もんざいえもん」と読むのだろうーーが書いた「堀川波の鼓」が原作だそうだ。

 ちなみに近松門左衛門という人物は人形浄瑠璃の作家で1653年生れで1724年に死亡だから、四代将軍:家綱の時代に生れ、九代将軍家重の時代に亡くなった人物なのだが、代表作には「曽根崎心中」や「女殺油地獄」といった昭和・平成で映画化されたモノまである。


「堀川波の鼓」は1706年頃に作られたとされているので五代将軍綱吉の頃だろう。武士の時代ではあるが、平和な時代が100年以上も続き、藩の取りつぶしなどで士官先がなければ浪人、士官先が江戸幕府であれば国家公務員、士官先が藩であれば地方公務員。武士にとっては就職氷河期で士官先がある武士であっても剣を生業にした「侍」などではなく、腰に剣を差しただけのサラリーマン武士の時代だ。剣以外の秀でた特技が重宝された、現代であれは接待ゴルフとかが必要不可欠な時代。そんな時代背景があるから、武家なのに鼓という習い事をしている弟がいるという映画だ。


 主演の彦九郎を演じたのは三國連太郎(35歳)。

 妻のお種を演じたのは有馬稲子(なんと26歳)。宝塚歌劇団36期性で二代目有馬稲子を襲名。主演娘役で活躍していた元タカラジェンヌ。


 先ずは原作である「堀川波の鼓」の粗筋を超簡単に説明しよう。


 ①お種は、単身赴任中の夫:彦九郎が恋しく、そして寂しくてたまらなかった。

 ②お種は根っからの酒好きだった。

 ③お種は弟の鼓の師匠:宮地と楽しく酒を酌み交わし、酔ってしまう。

 ④師匠が別の部屋に行ってしまったために、一人残されたお種は横になる。

 ⑤火照った身体を持て余すお種。そこに夫の同僚が訪ねてくる。

 ⑥その同僚にしつこく言い寄られるお種は、その場しのぎの言い逃れに「明日にでも忍んで来てください…」と言ってしまう。

 ⑦それでもお種をモノにしようとする夫の同僚だが、外からの鼓の音に慌てて胡麻化し逃げて行く。

 ⑧鼓の師匠に全てを聞かれたお種は他言無用をお願いするが、酒のせいもあってか師匠を誘惑し関係を持ってしまう。そして妊娠する。

 ⑨何も知らない夫が帰ってきたが全てを知られてしまい、お種は自ら命を絶つ。


 こんなストーリらしいのだが、いや~~この原作って人形浄瑠璃の脚本らしいんだけど、誰か現代語に翻訳した小説にでもしてないかな~。是非読んでみたいわ。



 この人形浄瑠璃の脚本は今でも歌舞伎で上演されているらしいが、映画化にあたって脚本を担当したのが、戦後最大の脚本家と言われている橋本忍。橋本氏が執筆した物には、主人公が状況を打破しようと奮闘するほど、自分ではどうにもできない事情によって破滅的な結末を迎えるという、バッドエンドのストーリーが多いのだが、そもそも原作をろくすっぽ読まずに隙のない構成で運命に翻弄される人々を描き出す剛力かつ天才脚本家が橋本忍だ。それと新藤兼人の二人で脚本を担当している。この二人が脚本を担当して面白くないはずがない。



 映画の感想はというと、「もの凄くスリリングで面白い」だ。ちなみに映画では、お種は妊娠しないし自害もしない。いや、もしかしたら妊娠はしていたかもしれないが、そこは描かれていない。


 彦九郎が1年ぶりに帰って来るのだが、鳥取藩では「お種が不義密通をした」という噂が広まっている。だが、お種は何も言わない、という展開だ。


 95分間の映画なのだが、その95分間の大半を「この嫁はヤっちまったのか……」という問題を掘り続ける。いや~~凄いわ。うんうん、それ以外のエピソードなんか殆どない。唯一あるのが、ラストぐらいかな。とにかく「嫁はヤったのかの一点のみ」をこれでもかってぐらいに描き続ける力量は、凄いとしか言いようがない。こういう作品ってもう作れないんだろうな。


 この映画、脚本を執筆したのが2人になっているが、実際は、先ずは橋本忍が書いている。その橋本が様々な時代劇映画を研究し、各種文献や舞台となる土地の研究、綿密な時代考証などを行い、可能な限りのリアリズムを追求したものを、新藤兼人が手を加え、そして監督の今井正と三國連太郎が手直ししながら撮影を進めたという。


 この映画というか原作もそうなんだけど、「武家のしきたり」というものがベースにある。ただし、俺はこのケースーー不義密通をした武家の妻は死罪というものが、実際はかなり怪しいと思っている。しかし、原作では、「お種は自害した」というストーリーらしいのだが、映画では、お種は武家の妻らしくない行動を取るのだ。うんうん、このアレンジはいたく納得した。参勤交代制度が定着した平和の時代の武家なんてものは、上にも書いたが地方公務員の家庭だ。どんなに「武士の妻とはこうあるべきだ」というカビの生えた倫理教育を施したところで、他の男と一回セックスをしたくらいで自害する嫁などいるはずがない。


 よく「江戸時代で武士の妻が不義密通を犯した場合は死罪」と言われていて、それを固く信じている人が大勢いるが、実際のところそれは建前だ。

 確かに、御定書百箇条なるものの「四十八、密通御仕置之事」が書かれていて、


 ・密通致候妻(ヤッちまった妻):死罪

 ・密通之男(相手):死罪

 ・密通之男女共夫殺候ハ:無紛においてハ無構


 3番目に書かれているのは、ヤっちまった妻を夫は「切り捨て御免」に出来て、相手の男を殺しても構わないよ、という意味で、この制度は「女敵討メガタキウチ」と呼ばれているけど、奉行所に「俺の嫁がヤっちまった」と訴え出る必要があり、これって、めっちゃくちゃに格好悪い。

 他にも江戸時代は奉行所に訴えて認められれば、「親の仇」だとか「亡き夫の仇」なんてものはあって、それってお涙頂戴でもあるからテレビドラマの水戸黄門なんかにも出て来て、黄門様が「助さん、角さん、助太刀をしてあげなさい!」なんてシーンはあるけど、ヤっちまった嫁の女敵討は、さすがに無いわ。


 川柳にもあるんだけど、ヤっちまった妻とその相手を殺した旗本なんかは、かなりの笑いものにされていたのが現実。「あいつ、嫁に浮気されただけじゃなくって、ブチ切れちまって……」というように恥の上塗りだったらしい。

 っで嫁がヤっちまった場合の解決方法が3つあったらしい。


 ①殺す。

 ②示談。

 ③そんな事実はなかったことにしてしまう。


 ②の示談というのは、あまりにも世間体が悪いから金で解決する方法で、「首代」と呼ばれていた。相場は「2両7分」で現在の貨幣価値だと30万円~100万円程度らしい。そんで「首代」と「詫び状」がセットになっていたみたいで、慰謝料と謝罪文ってとこだろうね。


 っで映画の話に戻るが、嫁がついに「ゆるして……」とゲロしちゃったから、彦九郎は悶え苦しみ、一晩中責める。うん、嫁を言葉で攻め続けるんだけど、一旦は許そうとする。そう、③の「そんな事はなかったことにしちゃおうかな~」って思ったんだろうね。若くて美人の嫁だし。だけど彦九郎の妹がそれを許さない。「手打ちにするのが筋ってものですが、あなたも武士の妻、自ら命を絶ちなさい!!」


 これね~、鳥取藩なんだけど、どこの藩でも同じなのかな? 彦九郎には2人の妹と1人の弟がいて、弟は彦九郎が妻を娶った時にだと思うけど養子にして、上の妹は同僚の武士の家に嫁いでいて、下の妹も良い縁談が進んでいる。それ以外にも親戚が何人も鳥取藩に士官しているのだが、そんな中で彦九郎の妻がヤっちまったのが公になると、ヘタをすると一族全部に類が及ぶらしい。そうなの? ちょっとビックリ。鳥取藩独自なのか、どこの藩でも同じなのか分からないが、映画では、お種を除いた一族が集まって会議をするんだよね、その議題が「お種は本当にヤっちまったのか? ただの噂だけなのか?」だけ。大真面目に延々と議論するの。いや~~、このシーンは笑っちまったぞ。

 だけどね、男どもは、お種が実際にヤっていようが、とにかくヤってないことで収まって欲しいって願ってたと思うんだけど、お種本人がゲロっちまって、それを妹まで聞いちゃったもんだから始末に悪い。③の目は完全に潰れた。後は、もう女敵討制度に則って行くしかなくって、ラストがなんとも気の毒。

 彦九郎と、養子にした弟、一旦は嫁に行った上の妹、それと良い縁談が進んでいた下の妹、この4人が鉢巻しめて京都にいる鼓の師匠の家に討ち入りに行く。

 そして見事に討ち果たす。上の妹は、「これは刃傷ではございません! 敵討ちでございます。我らは敵を見事に討ち果たしたのでございます!」って叫び続けるんだけど、その時の彦九郎:三國連太郎の表情がなんとも言えない表情なんだよな~……



 不義密通に関して、この映画で描かれた内容ーー当たり前に死罪が当時のリアルだったのかは、そうとうに怪しいと俺は思ってる。

 武士以外の町人とかはどうなっていたかなんだけど、当時の江戸って人口が100万人を超して世界最大都市だったんだけど、とにかく男と女の構成比率が最悪で、女が全然足りなかったのが江戸で、2:1だったと言う。中でも長屋に住む経済力の乏しい男で結婚できるのは2割しかいなかったらしい。だから長屋に嫁いでくる女は貴重も貴重、もう大変。長屋って12軒単位が普通だったらしくて、そんな中に居る奥さんって1人か2人。多少みったくなしだろうが魅惑の人妻っていうか肥溜めに鶴。っで、長屋って個別の台所も便所もないから、奥さん方の仕事って4畳半一間をチャチャっと掃除するくらいしかなくって、着物も少ないから洗濯だってた大して無いし、メっちゃ暇だったそうだ。ある大学の研究によると、当時の江戸で人妻の浮気は物凄く多かった。だから姦通罪という法令が出来たという。だが姦通罪の適用をなされた女性は殆どいなく、売春として処理されたみたいだね。というのも五代将軍綱吉の「生類憐みの令」によって、とにかく殺生は良くないという風潮が広まったのと、あまりにも不義密通(やっちまう人妻)が多くて、とてもじゃないけど厳密な処分なんかできなかったらしい。笑える。


 そんでもって心中っていうのも何故だか流行ったらしく、幕府はなんとかそれを防止しようとして色んな策をめぐらせた。


 心中を題材にした芝居の禁止。

 心中という言葉を「相対死」と称するこにした。

 心中した死体は、裸にして晒しものにする。

 心中に失敗した者は、裸にして3日間晒しものにして、市民権を剥奪(乞食にしてしまう)。

 心中で片方だけが生き残った場合は、一旦治療した後に斬首。


 但し、裸にして晒すというのは、心中に失敗して生き残った2人だけじゃなく、死体であっても見物人が殺到しちまってーーー死体であってもというより、死体だからこそ裸の隅々まで見れるからって輩が多くて取り止めになった。



 話しが脱線しちまったが、映画に戻しましょう。

 彦九郎の上の妹が……って感じなんだよな。とにかく不義密通をした義姉を許さない。きっつい目で睨みつけてるの。あれって「妻に裏切られた兄が不憫で…」って感じじゃなくて、妹自身が女として、主婦として許さないって描かれようだったと思う。監督や脚本家がどう描いたのかによるけど、俺の感じた通りなら、昭和になってからの価値観で描いたんじゃなかろうか。

 夫がいる女優や政治家が夫以外とヤっちまったのがたま~に週刊誌にスクープされるけど、ネットの掲示板で怒りに燃えた書き込みしてる人って、8割以上が主婦だろうな。凄いよね。だってさ~、現代では姦通罪なんてものはなくって全部が民法じゃん。犯罪でもないし、極めてプライベートな話で一般の人にとってはゲスな話題でしかないのに、あそこまで義憤に熱くなるのってナンデなのかね? 女同士なのにね。


 ちなみに現在の貞操観念とか貞操って明治時代以降に日本に根付いたものだよね。

 35年間も日本に滞在したポルドカルの宣教師:ルイス・フロイスが書いた「日欧文化比較」では、「日本人の女性は処女の純潔を少しも重んじていない。それを欠いても名誉も失わなければ、結婚もできる。日本女性は性にだらしなく、奔放だ」など、自分たちの国での価値観と全く違った価値観にそうとうに驚いていたらしく、当時の日本人女性は、特に性にかんしては「おおらか」だったことは間違いない。


 織田信長の妹の「お市」は、浅井長政の正妻の後は柴田勝家の正妻。但し、最初の結婚ーー浅井長政との結婚がお市が21歳と遅いせいもあって、それが2度目の結婚という説もあるのだが、とにかく何度でも結婚できちゃう。亭主が死んでも尼さんなんかにならない。

 そんでもって笑っちまうのは実質天下を統一した豊臣秀吉だ。なかなか言う事を利かない徳川家康に妹を嫁がせる。それも既に結婚していた妹を別れさせてだぞ。これね~、当時の宣教師達って、顎を外して、腰を抜かして、小便ちびったと思う。だって徳川家康の正妻に、昨日まで別の男とヤってた妹をだぞ。

 諸外国でも、攻め滅ぼした国王の妃なんかを辱めるために妾にしちゃったり、部下にくれてやったりはするけど、人妻だった女を正妻に迎えるって国は……無いんじゃないかな。それくらい貞操という処女性なんかに拘りがなかったのが日本だったはず。

 何を言いたいかというと、江戸時代の女性は、この映画に出てくる「彦九郎の上の妹」のような、不義密通をする女を許さない、といった感覚が当たり前だったのかな~って疑問なんです。まぁ舞台が女不足の江戸の町ではなくって、女も大勢いたはずの田舎だったこともあるのだろうけど、なんだか現代の女性みたいで、まぁそれはそれで面白いのだが。


 蛇足ついでに書くが、日本が戦争をしていた当時、戦地に向かう夫を待つ妻が不義密通をするかもしれない、と最も恐れたのは大本営だったとか。要は、それをなんとしてでも阻止しないことには兵隊さん達の士気が落ちること間違いないから。そんでもってこれは俺の想像も含まってるんだけど、先の大戦時に「欲しがりません勝つまでは」という言葉が当たり前に叫ばれて、国防婦人会という組織を軍が監督下に置いて徹底的に教育した。そして国防婦人会の人達が先頭に立って、パーマをかけるな、派手な服装をするな、化粧もするな、スカートを穿かずモンペズボンを穿け……これってどう考えても憎き鬼畜米英を倒す為じゃないよね。パーマ掛けようが掛けまいが、スカート穿こうがズボン穿こうが戦況には関係ないじゃん。戦地に行ってる亭主の心配事を無くすためでしょ。過度な貞操観念植え付けて、それを軍が利用したというのが事実だろうな。それが不思議と現代の貞操観念に生き残ってるような気がする。




 映画とは全然違った話になっちまったが、「夜の鼓」という映画は観ていてドキドキするし、面白い。黒澤明の「羅生門」より面白いと俺は思ったし、三國連太郎の演技も凄くいいわ。

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