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第51話 ソロモンの偽証

 ソロモンの偽証。原作は、言わずと知れた宮部みゆきの長編推理小説だ。

 小説新潮で2002年10月号から連載が始まり2011年11月号まで連載された。但し、「事件」・「決意」・「法廷」の三部構成のためか、連載の途中で空白期間がある。そして「このミステリーがすごい」で第2位にランクインしたミステリー小説だ。


 俺はこの小説を随分と前に読んだ、ような気がする。というのも、一時期、宮部みゆきの小説にハマっていたことがあり、かたっぱしから読んだのだ。だが、どの小説も殆ど覚えていない。これって宮部みゆきファンには大変申し訳ないのだが、なぜか記憶に残らないのだ。


 余談になるが、栗本薫ーー他にもペンネームがあり、中島梓や京堂司も同一人物で2007年に死亡した小説家であり評論家なのだが、彼女が執筆した魔界水滸伝は20年以上も前に読んだのだが、いまだに内容を覚えている。クトゥルー神話をモチーフにしたSF伝記小説。でもこの小説ってSFか? そいで魔界水滸伝が凄いのは、作者の栗本薫も認めているのだが、主要な登場人物のキャラが途中から完全に変わっちまって、しまいには主人公すら別の人物に代わってるんだよね。笑うぞ。っで、栗本薫曰く、この小説ーー魔界物を執筆している間は、超常現象に悩まされ続け、肉体的にも精神的にもボロボロにされたという。そして、これは栗本薫が何かに書いていたのだが、「この小説は間違いなく私が執筆した。だけどナニか、この世の住人ではないナニかに書かされていたとしか思えない執筆状態だった」というようなニュアンスを言っていたな。そんな事もあってなのか、この小説は異様な迫力があった。


 話しをミステリー小説に戻すが、これは俺個人の勝手な思いなのだろうが、ミステリーには2つの種類があると思ってる。

 一つ目は、主人公が刑事、探偵、又は素人探偵や記者なのだが、その主人公が事件に遭遇し、少しずつ手掛かりを集めて、その事件に隠されている難解な謎を解いていく過程のお話しで、読者もその主人公目線で謎を解いていくミステリー。


 もう一つは、複数の登場人物がいて、物語はそれぞれの登場人物の視点で、又は、視点の時系列を前後させながら進み、それ故に多数の伏線が散らばっていて、小説の構成としては難解なのだが、謎解きの妙は無いミステリー。


 最近のミステリーは後者が多く、俺は「これってミステリーって言えるの?」と思っていて、というのも、小説の構成というか書かれている順番を変えてしまえばミステリーにならない。宮部みゆきのソロモンの偽証もそうだと思うし、だから、読んでいる時は面白かったのだが、まったく記憶に残らないのだと思う。



 だが、映画版のソロモンの偽証は面白かったし、色々と考えさせてくれた。


 映画は2015年に劇場公開され、確かその数年後に俺も観た。だが、最近になって2021年にWOWOWで放送された連続ドラマを観たのだ。それで、アレ? ソロモンの偽証ってこうだったっけ? と思い、再度映画版を視聴したのだ。


 先ずは題名のセンスが優れてるな~。うん、すごくいい題名。

 そして小説のキャッチコピーが、



 【その法廷は14歳の死で始まり偽証で完結したーーー】



 う~~ん、このキャッチって誰が考えたんだろう? すごくセンセーショナルで、いい。


 今、ここで書こうと思っているソロモンの偽証は、もちろん小説版ではなく、映像のソロモンの偽証なのだが、映画版を主とするがドラマ版にも少し触れようと思う。


 映画とドラマでは設定に大きな違いがあります。


【映画版】

 配給は松竹。

 監督は成島出

 脚本は真辺克彦

 前編・後編で合計267分(4時間27分)。

 時代は1990年。バブル崩壊後の中学校が舞台。まだ携帯電話もさほど普及してはいない。

 中学2年生の柏木卓也の遺体を発見した主人公:藤野涼子。

 中学校の屋上から落ちたらしい柏木君は自殺なのか他殺なのか。

 藤野涼子と柏木君の関係は次の通り。

 藤野涼子は学級委員長で、「イジメをなくしましょう」的な発言を度々している。

 だが、クラスメイトの三宅樹里が大出俊次ら3人の不良男子に、蹴られるは踏んずけられるはのイジメを目撃するが、怖くて助けられない。そこに浅井松子という太った女子が三宅樹里を助けに入るが、その浅井松子もボロボロにやられ、2人の女子は、「助けてーーー! やめてーーー!」と泣き叫ぶが、それでも藤野涼子は動けない。

 そんな様子を見てたのが柏木卓也。そして柏木卓也は藤野涼子に言い放つ。


「お前みたいな口先だけの偽善者が一番タチが悪いんだ」


 その後、藤野涼子は次のように言います。


「柏木君に心を血まみれにされた」




【ドラマ版】

 制作は松竹とWOWOW

 監督は権野元

 脚本は篠崎絵里子

 8回連続ドラマで合計410分(6時間50分)

 時代は現代。私立高校が舞台。誰もがスマホを持ち、ラインでのやりとりが当たりまえで、ユーチューバーも存在している。

 高校2年生の柏木卓也の遺体を発見した主人公:藤野涼子。

 高校の屋上から落ちたらしい柏木君は自殺なのか他殺なのか。

 藤野涼子と柏木君の関係は次の通り。

 成績優秀であった藤野涼子は或るテストで苦戦する。そして生れて初めてカンニングをしてしまうのだが、それを柏木卓也に見られた。だが何も言わない柏木君。

 藤野涼子は柏木君の目が怖かった。「いつかバラされるんじゃないかと、怖くてしかたがなかった」

 三宅樹里は大出俊次ら3人の不良男子にイジメられているが、そのイジメはエスカレートしてレイプにまで発展している。



 上に書いたように映画とドラマでは設定がかなり変わっている。どうしてこのように変えたのか?

 実は、映画版の評価が極端に分かれていて、実にくだらなくて面白くない、という評価を下している人が非常に多いのだ。中でも、前編は良かったのに後編は、なんだコレ? の印象を持った人が実に多い。

 ここからは全くもって俺の独断と偏見に満ちた勝手な思いなのだが、映画版の評価を覆すために設定を変えたのでは? と思ってしまった。

 映画が実に面白くなかった、という人の理由はだいたいが次の7点だ。


 ①中学生にあんな法廷など出来る訳がない。あまりにも現実離れしている。

 ②役者のレベルが低すぎて観るに堪えない。あれじゃ学芸会だ。

 ③柏木卓也がクソすぎる。なんなんだアイツは? たんなるカマってちゃんだろ。

 ④どうして柏木卓也は死んだんだ? それが明らかにならない裁判なんてなんの為にやった?

 ⑤三宅樹里にハラたつ。アイツが全ての元凶だろ。アイツこそが裁かれるべきだ。

 ⑥最後の神原和彦の告白など、だから何なんだ? としか思えない。

 ⑦死んだ生徒が2人、辞任した教師が2人。なのに爽やかなエンディングって…

 ⑧原作にあった重要なエピソードを削除していて、ふざけるな。



 上記の批判の内、①と②と③、それと⑤をなんとかするために設定を変えたのでは? と俺は思っちまった。だって映画版の配給が松竹さんで、ドラマ版の制作も松竹さんなんだぜ。


 先ずは③だ。確かに映画の柏木は超々々めんどくせー奴で、あれは或る意味、暴力的イジメなんかよりももっとタチの悪い陰湿なイジメ嫌がらせなんじゃないのか、って思ったな~~。でも、中学生で哲学とか仏教でいう「無」とか「空」を自分勝手に分ったつもりになっちまったら危険だし、それにハマった自己中な中学生ってあんな感じだろうな。でも原作で描かれた柏木ってどうなの? 覚えてないのだが、作者の宮部みゆきがどう考えていたかなんだろうけど、ドラマ版では、そこまでクソ野郎にはなっていない。高校生らしいチョッと大人の感情がかいま見える。


 次に⑤だ。この三宅樹里が俺もハラたった。イジメの被害者ではあるんだけど、加害者になって行くんだよね。それも自分のことを心底大事に思ってくれている浅井松子に対し、それこそ「弱い者はもっと弱い者を虐める」を地でいっちゃって、そしてその浅井松子が死んでしまう道義的責任まで胡麻化して全部を死んだ浅井松子のせいにする。そして担任の女教師にも嘘の告発状を送り付け、それが要因になってその女教師は辞任に追い込まれる、という2件の加害者的な立場のために、イジメの被害者であることを忘れてしまうくらいのクソ女。

 要は、映画版での三宅樹里は視聴者にとって共感できないどころか嫌われ過ぎた。それ故に、ドラマ版ではイジメられてレイプまでされた被害者にしちゃたんじゃないのかね。ここまで徹底的な被害者にすれば、後に加害者になったところで視聴者の共感を得ることができるんじゃないだろうか、ってな思惑があったんじゃなかろうかって思ったりしました、俺は。

 そんで、中学生が中学生をレイプするってのは、現実にはあるけど、それは流石にちょっとって感じもあって、ドラマ版では舞台を高校生に変えたような気もする。


 ⑥の神原和彦の告白は、映画版では自ら告白をしたくてしたくて、事前に藤野涼子を打ち合わせをして証人として告白していくのだが、確かにね~~、「最初っから言えよ、バカ」って感じなんだよな。というのも、コイツがハナっから説明していれば嘘の告発状も出なかったろうし、そうなると担任の女教師も辞めなくてすんだろうし、浅井松子も死ななくて済んだはず、そして学校内裁判なんか必要なかった。それをね、最後に言っちゃって、「壊し」だよね「壊し」、もう壊しの達人。もし俺が学校内裁判の判事役だったら、「はぁぁぁああああああ??? おめぇ今更なにいってんだぁぁ、おめぇぇ弁護人なんだぞおおおお、この裁判どうすんのよ。俺判事なんだからな。そったらもん今頃ゲロして、全部を判事に預けるってか。ぶっ殺すぞ」ってキレるだろうな。


 ②の役者のレベルが低すぎるっていうのは、確かにそうなのだが、監督の成島出は、この映画を撮るにあたって中学生役を全てオーデションで選んだらしく、経験豊富とは言えない彼等、彼女等は相当に頑張っている。俺は彼らの演技が瑞々しくって、妙に擦れた感じもなくって、返って良かったんじゃないかと思った。そして主役の彼女は、その役の名前:藤野涼子でデビューしている。それくらいこの役に何かを感じたのだろうと思うし、真っすぐに相手を見る彼女の目は、世の中は正しいだけでは通用しないと解ってしまった大人にとっては、物凄く眩しくて、そして怖い目で、思わず彼女の視線から逃げたくなってしまう目だった。

 でもドラマ版で高校生役を演じた役者たちは、さすがに学芸会レベルではなく、全体として締まった印象はあったな。



 ドラマ版も良いには良いのだが、藤野涼子と柏木君の関係が「カンニングを見られた」にしたのは、う~~ん……しかたがなかったのかな。というのも、映画版で「心を血まみれにされた」という藤野涼子の台詞は、名台詞だと思ったけど、それを高校生が言ってしまうと、ちょっと青くさく感じるだろうな。

 ただ、原作では藤野涼子と柏木君に接点は無かった、とネットで読んだ。すると、三宅樹里がイジメられているのを怖くて助けに行けなかった藤野涼子。それを柏木君に見られ、「口先だけの偽善者」と罵られたのは、映画版でのオリジナルなのかな。もしそうなら、この2つの台詞ーー「口先だけの偽善者」と「心を血まみれにされた」という台詞は、いかにも中学生らしくーー自分はもう子供ではないと背伸びをしていて、それでいて脆くて傷つきやすく、だけど真っすぐにしか物事を見ることが出来ない思春期特有のなにかを表している上手い台詞で、映画を観終わった後にもこの台詞は記憶に残った。



 冒頭に書いたセンスが良いと思った題名「ソロモンの偽証」なのだが、ソロモンとは旧約聖書に出てくる古代イスラエルの三代目の王様だ。ちなみに最初の王がサウル、二代目がダヴィデらしい。っでソロモン王というのは神の神託を受けて人を裁くことを許された人物。その人物が行った偽証という意味深な題名だ。


 映画版で誰が偽証をしたソロモンなのか? というのが随分とネットで話題になり、宮部みゆきも雑誌のインタビューで同様の質問をされ、次のように答えている。



 最も知恵のある者が嘘をついている。

 最も権力を持っている者が嘘をついている。

 最も正しいことをしようとしている者が嘘をついている。



 ネットでは、神原和彦、津崎校長、ニュースアドベンチャー記者の茂木、三宅樹里、藤野涼子、この5人の中の誰かを挙げる声が多い。

 だがどうなんだろう? 作者がどう考えて執筆したのかも重要なのだが、これは視聴者、又は読者がどう考えたかが最も重要な気がする。

 俺は登場人物全てだと思う。神原和彦や藤野涼子、それに三宅樹里なんかは当たり前にそうなのだが、自殺した柏木君も、交通事故で死んだ浅井松子も何らかの嘘ーーそれは他人に対してついた嘘だけではなく、自分に対する胡麻化しや嘘をついて、なんとか自分が行っている行為が正しいと思い込もうとしていて、それは学校内裁判に参加した生徒全員も同じだと思うし、マスコミなんてその最たる者で、ドラマ版に出てくるユーチューバーなんて「我こそは正義なり」って感じに演出されていた。

 結局は、そこまで深掘りすると極論になってしまうのだが、「人が人を裁くと言う行為に正義はあるのか?」という難問に辿り着くような気がする。

 そう言った意味も含めて、映画版は色々と考えさせられ、中学生だからこそ出来得た学校内裁判だろうな。ドラマ版のように高校生による学校内裁判は、どうなんだろう? 逆に出来ないような気がする。



 追記

 交通事故で死亡する浅井松子役なのだが、映画版でもドラマ版でも富田望生とみた みゆという女優が演じていてビックリ。2000年生れだから、映画版の時は15歳。そしてドラマ版の時は21歳。ちなみに彼女はこの映画でデビューしているのだが役作りのために15キロ太ったというから凄い。

 ただ、富田望生と聞いても顔が思い浮かばない人も多いと思う。朝ドラ「なつぞら」で、主人公のすずが十勝の農業高校に入学した際に、友達になった太った女の子。

 それと今放送中の朝ドラ「ブギウギ」では、主人公の福来スズ子の付き人で、東北訛の女で、視聴者からメッチャ評判が悪かった演技を披露した女優。


 ついでにもう一つ。ドラマ版で主人公:藤野涼子役を演じたのは上白石萌歌。この芸名、なんて読んでいいのか解らなかったのだが、「かみしらいしもか」だそうだ。彼女も2000年生れらしく、ドラマ版の時は21歳だ。名前を聞いても顔が解らない人の為に書くが、あの悪評高き朝ドラ「ちむどんどん」で、主人公の妹役で、いっつも寝込んでる役で視聴者から「東京に行ったんだから医者に行け!」と盛んに言われていた役柄を演じた女優さん。


 もう一つ。ドラマ版で神原和彦を演じたのが宮沢氷魚。いや~~この芸名見た時もね、「こうりさかな?? 魚屋か?」って思ったけどなんて読むのか全然分かんなかった。「みやざわひお」らしい。これって芸名だよね? まさ本名じゃないよね? と思ったら本名だった。

 彼は1994年生まれらしいのでドラマ版では27歳。

 この俳優さんも顔が思い浮かばない人の為に書きましょう。悪評高き朝ドラ「ちむどんどん」で、婚約していた女がいるのに主人公の暢子に乗り換え、視聴者から鬼畜と呼ばれ、しまいには、背が高くてあまり台詞が無かったせいで「木偶の坊」呼ばわりされた俳優さん。


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