第5話 泳ぐひと
この映画は……なんと言ったら良いのか…深い。うん、深いのだ。とっともとっても深くて深くて俺には無理だった。
1968年のアメリカ映画でバート・ランカスターが主演。
一言でいうと、バートラン・カスターが最初っから最後まで海パンいっちょうの映画。
この映画を視聴する切っ掛けは今でも覚えている。洋画専門チャンネルで町山なんだかさんが解説していたのだ。だから一応は予備知識を得て視聴したはずなのだが…
とにかくこの映画は少なくとも「娯楽映画」ではない。娯楽ではないという事をもうちょハッキリ言うと「楽しくない」だ。
後でわかったのだが、この映画は淀川長春さんの解説付きで地上波で放映された事があったらしい。
どの映画を放映するかにつてテレビスポンサーの意向を無視できないケースもあって、淀川長春さんが「こんなクソくだらねぇ映画をなんで俺が解説しなきゃなんねぇんだ、アホンダラが!」と思いながら解説した映画も多少あったらしく、そんな時の淀川さんはテレビ越しでも「あら、なんだか今日はこのおじさん機嫌悪そう」と分かったそうだ。そんな淀川さんがこの「泳ぐひと」をどう解説したのか是非聞きたい。
邦題が「泳ぐひと」。
俺はこの映画を視聴した後、この邦題を考えた人はきっと俺と同じで「この映画の監督はいったい何なんだ? 意味深な映画を作ったと勝手に思い込んでるらしいが、ちゃんちゃらおかしくて涙も出ねぇわ。邦題つけて欲しいだと? 笑わせんな。男が最初から最後まで泳いでるだけだろ。だったら【泳ぐひと】でいいんじゃね?! ギャハハハハ、ざまーみやがれってんだ」てな勢いでつけた邦題だろうと思ったのだが、原題が「THE SWIMMER」だった。
まぁ、そのものズバリで邦題という意味をなさない邦題だ。そう考えると、邦題をつけてくれとの依頼を受けた人がギブアップした、とも考えられる。
映画の内容に少しだけ触れてみる。
確か、ある富豪の家の中庭にあったプールに突然すでに海パンいっちょうで泳ぐ気満々な姿のバートランカスターが現れ、見ず知らずの人が所有しているプールにもかかわらず、そこで泳ぎ、「俺は泳いで家に帰るんだ」と宣言し、そこから自分の家までの道すがらにある他人のプールを次々と永破する。そんな映画だ。
先にも記載したが、とにかく深い意味が隠されている映画なのだ。しかしだ、この映画の監督、更にはこの映画を評価している人々には申し訳ないが、「そったら深い意味を求めて映画館に足を運ぶ奇特な人などどれほどいる? いねぇだろ!」
深い深い、とってもふかーーーい隠された意味については、あえて記載しないことにする。
興味が沸いた紳士・淑女は是非この映画を視聴してくれ。きっとDVD化されているはずだ。俺と同じように「なんだこれは……」と脱力する姿が目に浮かぶぜ。ぎゃはははははは……