表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
41/81

第41話 地獄の黙示録

 フランシス・フォード・コッポラの代表作の一つである「地獄の黙示録」についてを書こう。

 前もっていうが、この映画の感想はちょいと長くなる。


 この映画には次に記載の3つのバージョンがある。


 ①1979年製作の「地獄の黙示録」147分 アメリカ映画

 カンヌ国際映画祭で最高賞であるパルム・ドールを獲得。

 アカデミー賞では8部門でノミネートされ、その内の撮影賞と音楽賞を受賞。


 ②2001年公開「地獄の黙示録 特別完全版」200分(53分の未公開シーンが追加)


 ③2019年公開「地獄の黙示録 ファイナルカット」180分(特別完全版を20分短く再編集)


 特別完全版もファイナルカットもコッポラ自らが編集しているそうだ。

 1979年版は何度も視聴した事がある好きな映画の一つではあるものの、「なんだか良く解らない映画だな~」ってな印象があったのも事実で、そんな難解さを解明しようと幾度も視聴していたこともある。そして特別完全版なるものの存在を最近になって知り速攻で観た。その結果、この映画に対する印象がガラっと変わっちまった。

 難解な部分はやっぱり難解でーー特に主人公がカーツ大佐マーロン・ブランドが築いた王国に辿り着いてからラストまでが多分に哲学的であったりして解り難いのだが、そこに辿り着くまでに主人公が経験するモノが、「ベトナム戦争の狂気」それと「この戦争の目的は何なんだ?」を視聴してるこっちにガンガン伝えてくる映画だった。


 しかしだ、特別完全版を視聴した結果、もう一つの感想を持ったのも事実で、それは「主人公がカーツ大佐が築いた王国に辿り着いてからラストまでのエピソード」は必要だったのか? ってな疑問だ。

 これは、このエピソードが哲学的で解り難いからじゃなくって、なんて言ったら良いのか難しいんだけど、このエピソードって明らかに誰が見ても「フィクション」ーー作ったお話しなんだよね。だけどこの映画って制作当初から「ベトナム戦争」と「アメリカという国」それと「アメリカ軍」を批判的に扱った最初の映画って事で大々々注目されてて、カーツ大佐の王国に辿り着くまでのエピソードも確かに映画という作り物なんだけど、ベトナム戦争に疎い日本人ですら「この戦争って…こうだったのか」と思ってしまうリアルティーがあるのに、そんなリアルティーを壊しちゃったのが、この作りものミエミエのエピソード(カーツ大佐の王国に辿り着いてからのエピソード)だ、って印象を持った。


 ちょっとここで特別完全版に収録されているエピソードを書き出してみる。


 A.

 ベトナム戦争末期、アメリカに一時帰国していたウィラード大尉(主人公)は情報司令部から呼び出され、驚くべき任務を受ける。その任務は、アメリカのスパイだったベトナム人4名を「こいつらダブルスパイだ」として処刑してしまったカーツ大佐の件(戦争中なのに殺人罪が適用)だった。カーツ大佐は軍の命令を無視しただけでなく、カンボジアのジャングルに逃げ込み、そこで王国を築き、現地人から神として崇められている。そんな正気を失ったとしか思えないカーツ大佐の暗殺が任務だった。

 ウィラード大尉は4人の哨戒艇メンバーと共にカンボジア国境付近へと向かう。


 B.

 ウィラード一行は「空の奇兵隊」と呼ばれるキルゴア中佐に危険地帯の護衛を頼むが、ヘリで船を吊り上げて移送はしてくれたキルゴア中尉だったが「狂」がつくほどのサーフィン好きで、ベトコンの拠点となっている海岸に2Ⅿもの波が立つ事を知り、サーフィンをするためにそこを攻撃する。しかしベトコンによる林からの攻撃に腹を立て、ナパームでその林を焼き尽くす。すると周辺の酸素が燃焼したことによって強風が巻き起こり、波が崩れ、サーフィンが出来なくなってしまった。


 C.

 ウィラード一行は悪戯からか、キルゴア中佐お気に入りのサーフボードを盗んで出発する。キルゴア中尉は「そのボードはお気に入りなんだ。返してくれ。決して処罰しないから…」とアナウンスしながらヘリで追跡する。


 Ð.

 一行は燃料を補給するためアメリカ軍の関所に立ち寄るが、そこではプレイボーイによる慰問ショーが行われていた。ショーは3人のプレイガールによるセクシーダンスなのだが、観客である大勢の軍人が舞台に上がるなど暴れ始め、収拾のつかなくなったショーは、プレイガールがヘリで逃げて幕切れとなる。


 E.

 一行はベトナム人の舟と遭遇する。ウイラードは「そんな舟など放っておけ」と言うが、哨戒艇のチーフはその舟の検査を始める。そんな中、一人のベトナム女が壺を隠そうとしたため、危険を感じた哨戒艇メンバーの一人がベトナム人全員を撃ち殺してしまう。だがその壺に入っていたのは子犬で、更にはチーフが虫の息のベトナム女を手当のために哨戒艇に乗せようとするが、そんな偽善に嫌気がさしたウィラードは、そのベトナム女を撃ち殺す。


 F.

 一行はプレイガールを乗せて逃げた慰問ショーのヘリを偶然見つける。聞くと燃料切れらしく、ドラム管2本分の燃料を分けてくれたら3人のプレイガールを抱かせてやる、と持ち掛けられ、一行はそこで女を抱く。


 G.

 一行はド・ラン橋のアメリカ軍関所に辿り着く。そこでは指揮官不在のアメリカ軍とベトコンが戦闘を繰り広げていたが、一行は燃料を補給して先へ進む。


 H.

 一行は敵襲にあう。そこで母親からのテープを聞いていたメンバーの一人が銃で撃たれて死んでしまう。他の4人は嘆き悲しむが先へ進む。


 I.

 一行の前に十数人のフランス人が現れる。彼らはそこで農園を営み自給自足で暮らしていた。そして自分たちの家族や土地を守るためにベトコンと戦っていた。一行は死んだ仲間を埋葬してもらい、一晩泊めてもらうこととなる。

 夕食の時にフランス人は言う。「私は第一次インドシナ戦争も経験してきた。私たちフランスは負け続けてきた。だが、ここでは絶対に負けない。もうどこにも逃げない。この農園を守るために私たちは戦う。アメリカは何のために戦っているんだ?」と言い、ベトナム戦争はアメリカに原因がある。そもそもベトコンを作ったのはアメリカだと責められたウィラードは愕然となる。


 J.

 一行は原住民の襲撃あい、そこで哨戒艇のチーフが槍に貫かれ死んでしまう。

 残った3人は「ここまで来たら先に進むしかない」と判断し、ついにカーツ大佐が築いた王国に辿り着く。


 上に書いたA~Jまでの10エピソードの内、CとFとIの3つは、1979年版ではカットされていたエピソードだ。中でも「Iのフランス人との遭遇エピソード」はけっこう長くて、俺は重要なエピソードだと感じたんだけど、なんでカットされてたんだろう? それと「Cの盗まれたサーフボードを捜索するために必死なってるギルゴア中佐」のエピソードも、ベトナム戦争の実態ーー派遣されたアメリカ軍人は何のために誰と戦い、よりどころとした正義ってヤツは? ってな問いに対し「そんなもんは無い」という答えを表していたエピソードだと思うんだけどな~。


 Bのエピソードは当時日本では盛んに映画の宣伝に使われていたシーンが入っている。十数機のヘリが隊を成して攻め入って行くときにワグナーの「ワルキューレの騎行」を爆音で流すシーンで、強烈に印象深いCMとして覚えている人も多いはずだ。このシーンは映画史上最も有名なクラシック音楽の使用例だと評価している人も多いが、実はこの音楽を戦闘シーンで使ったのはコッポラが最初ではないらしい。第二次世界大戦中、多くの国でこの音楽ーー「ワルキューレの騎行」を戦意高揚音楽として使用しており、あのヒットラーもプロバガンダ映画に同曲を好んで使ったという。確かにこの音楽は戦闘場面にピッタリだわ。

 話をBのエピソードに戻すが、このエピソードも1979年版ではかなり短縮されている。そしてナパームによって焼かれた林のシーンはCGではない。この映画の撮影ではアメリカ軍の協力は得られなかったが、フィリピンのマルコス大統領が援助しており、撮影に使われたヘリもフィリピン軍のものだ。だが当時のフィリピンはゲリラ戦で混乱していて、朝にはヘリにアメリカのマークを入れ、夕方にはフィリピンのマークを入れて飛び立って行ったそうだ。


 Gのエピソードでは非常に印象に残った台詞がある。指揮官不在のアメリカ軍には「橋を架けろ」といった任務があったらしく、その橋がベトコンに破壊されると、命令により橋を架け直し、また壊されるをずっと繰り返していて、橋を守るためにどうすべきかを考える指揮官がいないし、同じ命令を繰り返すお偉いさんは現地の実態なんか興味もない。そんな状況を見たウィラード大尉が「お偉いさんのお遊びだ」って台詞を吐くんだけど、この台詞も1979年版ではカットされてたような気がする。


 1979年版も2001年版も2019年版もエンドィングは同じだが、地獄の黙示録ファンは絶対に特別完全版を観るべきだ、と俺は強く思った。



 もの凄い映画なのだが、この映画が出来るまでの秘話的な話が結構あって、それを知ると、この映画って奇跡の映画じゃないのか、って思ったりもする。というのも立花隆氏は「この映画は世界文学に匹敵する作品で、文学的批評の対象となる作品だ」と評価しているのだが、当のコッポラは、「私たちはジャングルにいて、あまりにも多くの人がいて、あまりにも多くの金と機材が必要としていたので、少しずつ気が狂っていったんだ」と振り返っており、更には映画公開前に長谷川和彦氏(映画監督)がコッポラにインタビューをしていて、その中で「この映画のテーマは?」と質問している。それに対しコッポラは「撮っている途中でわからなくなった…」と応えてる。ギャハハハハハ。このオッサン、スゲーぞ。このコッポラのインタビューを知った人の中には「それくらい難しいものに挑戦していたんだ」と解釈した人も多かったらしいが、俺は絶対に違うと思うぞ。撮影秘話で有名どころを何点か書くが、それを知ると、この映画が監督の意志とは離れたところで出来上がった奇跡の映画だと思ちゃうから。


 先ずはこの映画の基本情報だ。

 いちおう原作がある。1902年に出版された小説「闇の奥」(ジョセフ・コンラッド作)だ。当初は1970年代初頭にカリホルニア大学に在籍していたジョージ・ルーカスとジョン・ミリアス(脚本を担当)が共同で進めていた企画だったが、その企画はポシャッている。後にコッポラが当時駆け出しの映画監督のジョージ・ルーカスとともに「アメリカン・ゾエトロープ」という製作スタジオを立ち上げ、そこで地獄の黙示録をスタートさせようとしたが資金面など環境が整わず、コッポラはゴットファザーの監督を引き受ける。

 その後、ようやっと地獄の黙示録をスタートさせる環境が整い、コッポラはルーカスに監督をやらせようと考えていたが、そのルーカスは「スターウォーズ」の制作にハマりにハマっていて、コッポラは自ら監督を引き受けることとした。

 ちなみに原作の舞台は19世紀後半のコンゴだったが、それを20世紀のベトナム戦争に移している。


 脚本はジョージ・ルーカスと共同で企画を進めていたジョン・ミリアスが一応は書いた。なぜ「一応」と付け加えたのかというと、コッポラ自身が撮影しながら唐突に思いついた事柄をアドリブで次々と取り入れていったーー脚本を書き替えていった。それ故に元々の脚本とは大きくかけ離れた内容になっちまった。


 そして強烈なのは主人公のウィラード大尉役を演じたマーティン・シーンが撮影中に心臓発作を起こしてしまうハプニングだ。この事実を公表すると映画会社が手を引く恐れがあり、大半の関係者には伏せて、マーティン・シーンの弟:ジョー・エステベスに代役を務めさせた。どのシーンがマーティンで、どのシーンがジョーなのかを見分けるのは不可能で、コッポラも「わからない……」と言っている。いやいやいや、やっぱりこのオッサンは神がかってた、というか笑える。


 ロケはフィリピンで決まり、撮影期間は6週間を予定していたが、そんなもんで終わるはずが無く、3カ月経ってハッキリしたのが、もう予算を全部使い切ってしまったことだけ。そんでもって3000万ドルという巨額の私財をなげうったコッポラだったが、撮影期間はなんと540日にもなり、やっぱり金が足りなくなって全世界に資金援助の協力を仰いだ。っでこの時のコッポラは、さっきオッサンと書いたが40歳なんだよね。

 だからこう言われている。


 ゴットファザーで稼いだ巨額の富を飲み込んだ超大作「地獄の黙示録」


 他のエピソードは次のようなものらしい。


 ①主役のマーチン・シーンが酔っぱらったまま撮影に臨み、素手で鏡を叩き割るという台本にない事をやり大量出血(このシーンはNGにならず使われている)。

 ②フィリピン軍に撮影用のヘリを頼んだが、ゲリラ対策で来れなくなり、準備に掛けた数千万円が水の泡。

 ③台風で大型セットが粉々にぶっ壊れた。

 ④カーツ大佐は精悍な元特殊部隊という設定なのに、その役を演じるマーロン・ブランドが激太りで現場に現れた。そのためカーツ大佐を健康状態の優れない人物というように物語の設定まで変更した。

 ⑤報道記者役のデニス・ホッパーは麻薬中毒で台詞が覚えられなかった。

 ⑥マーロン・ブランドが原作の「闇の奥」を読んで来ていないのが判明。更には台詞も覚えていなかった。

 ⑦映画のラストでは何を撮ったら良いのか思いつかず、とりあえずマーロン・ブランドにアドリブで演技をさせていたコッポラ。

 ⑧主人公が泥水から顔を出す名シーンは即興・思いつきで決まった。

 ⑨エキストラの原住民が何を思ったのか生贄の牛を殺し始め、急遽ラストシーンに採用。




 この映画は実際のベトナム戦争を分かっていなければ難しいだろうな。日本人の中には「ベトコンって何?」って人も珍しくない。それに当時の日本でベトナム戦争の情報ってアメリカから入ってくるのが大半だから、太平洋戦争時の大本営発表じゃないけど、当時のアメリカ人たちにも、戦況がおもわしくなかったってのは知らせれていなかったようだし、「正義は我にあり」って信じ込んでいたんだろうな。

 ちなみにベトナム戦争って呼び方にしても、ベトナムでは「アメリカ戦争」って呼んでるって聞いた事がある。


 ベトナム戦争に至るまでの経緯が先ずはややっこしい。関係する国が、北ベトナム、南ベトナム、フランス、イギリス、ソ連、中国、アメリカ、それと国連といった具合に「これって世界大戦じゃねぇの?」って思ってしまうほどオールスター勢ぞろいなのだが、忘れては困るのが日本だ。日本も相当に関与している。


 そもそもベトナムはフランスの植民地で、フランスの圧政に苦しんでいた。そこに大日本帝国が大東亜戦争を仕掛け、フランス領であったベトナムにもやってきたもんだから、当時のベトナム人たちは「救国の神兵来る」と大喜びだったらしい。救国とか神兵ってワードが凄いよね。それくらい当時の大日本帝国は、日清戦争や日露戦争に勝利しアメリカにもケンカを売ったアジアの星だったのだろう。

 だが現れた大日本帝国軍は強烈な期待外れ。現地に駐留した日本兵たちはベトナム人に協力したいのだが、大日本帝国参謀本部はフランスによるベトナム支配を認めた。これって酷い結果をもたらしているんだよね。「日本が来てくれたんだから俺たちも立ち上がろうぜ!」って勢いでフランス軍に反乱を起こしたベトナム人たちが大勢いたんだけど、結局は日本に梯子を外された形になっちまって、フランス軍によるベトナム人虐殺事件まで起きてる。

 その後は、「日本もフランスも同じフアシズムだ。自分たちで自分たちの国を独立させよう!」とベトナムの共産勢力(後のベトミン軍)がフランス軍&日本軍に抗戦を続けるのだが、フランスがドイツに降伏しベトナムの支配権が日本単独となる。

 そうこうしているうちにベトナム共産勢力ベトミンになんとアメリカ軍が協力。まぁ敵の敵は味方ってことで、当時のアメリカは共産勢力と手を組んでも日本を叩き潰したかったのだろうね。

 っでその後、日本がポツダム宣言を受け入れて降伏し、ベトナム民主共和国が誕生した。

 ところが再度フランスが出てくる。なにがなんでも植民地を手放したくなかったのだろう。南ベトナム共和国というフランスの傀儡国を作ってしまった。この段階でベトナムは北と南に分断された。ベトナム人から圧倒的な支持を受けていたベトナム民主共和国の政権主導者たちはジャングルに逃げ込みベトミン軍を組織する。

 敗戦国となった日本軍の多くは本国へ引き上げていったのだが、当初からベトナム人に同情的だった一部の兵隊がベトミン軍に参加していく。正確な数字は残っていないが、フランス軍との本格的な戦闘突入時には600名の残留日本軍がベトナム全土で戦っている。日本に帰って来た帰還兵の報告によると「ベトナム独立の戦いは職業軍人の仕事だ。一般召集兵は国で待っている家族の元に帰れ」と説得されたという。

 又、最終的には国に帰ってきた兵隊たちも、敗戦直後、まだベトナムにいて連合軍の管理下に置かれた状況の中、ベトミン軍に武器が渡るようにしたり、イギリス軍によるベトミン軍への攻撃地点を知らせたりいている。

 それとベトミン軍に参加した日本軍の多くはベトナム人に同情的だった者が主だが、国に戻って戦犯として処罰されるのだったら、ここで戦って死ぬ、と所属部隊から脱走して参加した者もいた。そういった脱走組がベトミン軍の中で大活躍することとなる。

 それから2年後のフランス極東派遣軍参謀本部の報告書には次のような内容が書かれている。


 日本人による技術面での支援が無ければ、ベトミン軍が現在のように組織的に行動することは出来なかったのは明白だ。日本人がベトナム人に譲渡したとしか入手先を説明できない武器を暴徒が所有しているという否定できない証拠があるように、暴徒は作戦、指導、戦術、戦闘指揮において、まったくもって日本人の影響を受けていることは間違いない。


 又、別の報告書ではフランスは残留日本兵の数を4000人から10000人以上と推定していたとある。


 ちょっと説明するが、上に書いた中で「ベトミン」って何度も出てくるんだけど、「ベトコン」とは別物なんだよね。簡単に言うと、ベトミンはベトナム共産党の前身組織で北ベトナム。ベトコンはアメリカの傀儡国となった南ベトナムの反乱分子で正式名は「南ベトナム解放民族戦線」という組織。


 話を戻すが、ホー・チミン率いる北ベトナムとフランスの傀儡国であった南ベトナムの戦争、実際は北ベトナムVSフランスの第一次インドシナ戦争が始まり、残留日本兵の北への協力もあってその戦争は8年間にも及ぶがフランスの敗退で終る。

 ここで国連が出てくる。北緯17度線を停戦ラインとしてベトナムを南北に分け、ゆっくりと統一を目指していこう、という事になるが、元々フランスの傀儡国だった南ベトナムはアメリカの傀儡国となり、南ベトナムの人々はこの政権への反発が大きく「南ベトナム解放民族戦線ベトコン」が組織され、ベトナム戦争(第2次インドシナ戦争)に繋がっていく。

 だからベトナム戦争に派遣されたアメリカ軍は、北ベトナムと戦ってるのか、南ベトナムの反乱分子であるベトコンと戦ってるのか、更にはアメリカの勝利ってどういう状況を言うのかまでも、よくわからない、まったくもっての泥沼にハマっていったのがベトナム戦争なんだろうね。



 ベトナム戦争に繋がった経緯が随分と長くなった。話を映画に戻すが、主人公のウィラード大尉が興味深い話をしていて、それが妙に記憶に残った。それは次のような内容だ。


 徴兵された者たちは1年で帰国する。だからここで戦っているアメリカ軍人の大半が素人だ。そんな軍隊がベトコンの精鋭に勝てるはずがない。全てがお偉いさんのお遊びだ。


 確かこんなことーー徴兵期間が1年だと言っていたはずだ。う~~ん2年だったかな~? ネットで調べてみたがどうにも分からなかったが、1年だとしても2年だったとしても、日本兵に訓練されたベトコンーージャングルに紛れたゲリラ戦と言われているが、実際は組織的な戦術を駆使した精鋭がジャングルを利用して攻撃してきたのだろうし、守るモノがあるヤツは強烈な粘りを見せる。アメリカが勝つ見込みは最初っからなかったと思うな。


 それと、この映画に出てくる4人の哨戒艇メンバーの1人がランス・ジョンソンという名前の新兵なのだが、役の設定は「戦場のことなど何も知らないジョンソンは、戦場の奥に進むにつれラリっていく」というものだ。このジョンソンという名前は、アメリカがベトナム戦争を始めた時の大統領の名前と同じなのだ。



 追記

 主人公のウィラードはカーツを探す旅で、だんだんとカーツ大佐に共感、そして同化していく。途中まではそんな映画なのだが、コッポラの妻エレノアは次のように語っている。


「成功しなければ全財産を失うというプレッシャーからかウィラード大尉だったフランシスが、いつの間にかカーツ大佐になっていた」


 ※フランシスとはコッポラのこと。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 投稿お疲れ様で御座います カーツ大佐の王国…… 実は原作書いたコンラッド先生の其れでは無くグリーンベレーのとある大佐が特務でゴールデントライアングルで山岳少数民族のモン族使って栽培してたケ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ