第34話 獣は月夜に夢を見る
2014年製作、デンマーク映画でR15+の作品だ。
ホラーでありミステリーでありダーク・ファンタジーなのだが、「この映画をどうして15歳未満鑑賞禁止にしたんだ?」っていうのが俺の第一の感想だ。
そして次の感想は「獣は月夜に夢を見る」といった邦題について「それはないだろう!」だ。
原題は「nor dyrene drommer 」なのだがデンマーク語らしく、なんて読むのか不明。だが意味を調べると「または、動物の夢」らしい。
これね~~、映画を観て強く思ったのは、「なんで邦題に月夜だの獣ってワードを入れたかな~」なんだよね。と言うのも、この映画って説明をとことん排除した作品なんだわ。だから観てる側が「行間を読み取る」みたいな事をすべき映画のはず。字幕がバンバン出てきちゃう日本のテレビを見慣れた人には極めてつまらない映画だと思うんだろうけど、題名に「月夜」と「獣」ってワードがあれば、「あ~~狼男の映画か」って想像しちゃうだろ。実際には狼男じゃなくって狼女なんだけど、ネタバレ的な邦題つけた奴って誰よ! 物凄く腹が立つ。
そもそもこの映画で描かれている狼女って「月を見ることによって変身する」ような設定じゃないんだぜ! それなのにあえて「月夜」ってワードを使って、いったい何をするつもりなのよ!
「または、動物の夢」って、ちょっとそれだけでは意味不明な日本語なんだけど、その方がーー意味不明な題名の方がこの映画にはマッチしたはずだ。
だけど、日本で劇場公開ーー2016年ーーの時のポスターには次の文言があった。
僕は君のそばにいる。たとえ君が「何者」でも―――
まるで詞の一節のような文言なんだけど、デンマーク映画って映像やテンポが「詞的」なんだよね。だがら、この文言をそのまま邦題にした方が絶対に良かったのに。……ちょっと長ぇけど。
前置きはこれくらいにして映画の話に移るが、北欧の映画って、まずもって絵が情緒的というのか、とっても綺麗なのが多く、この映画も同様だ。「映画はこうでなくてはならない」って伝統なのかな~。
この映画ーー「獣は月夜に夢を見る」はスェーデン映画「ぼくのエリ200歳の少女」に似ている、又はコンセプトが同じだ、という批判めいたものを多々目にするが、どうなんだろう? 俺はそうは思わなかった。確かに、「ぼくのエリ」も「獣は月夜に夢を見る」も北欧映画だから共に絵が情緒的であり綺麗だ。そして2つの映画のヒロインが共に「化け物」であり、なおかつ真っ当な男子ーー普通の身体をした人間がその化け物に恋をする、ってストーリーだから似てる言えば似てる。
だが、「獣は月夜に夢を見る」の見所は次の事柄だと俺は感じた。
①思春期の少女が身体の異変に悩んでいて、同時におかしな夢を見る。
②少女の母親は車いす生活で植物人間のようだ。どんな病気なのか。
③村人はそんな母親を何故か恐れているようだ。
④しかし少女は一部の村人から虐められている。
⑤父親と医者は全てを知っているようだ。
この映画は少女の視点で進んでいくため、上記5の「なぜ?」は少女にとっての疑問であるのだが、同時に視聴者にとっての疑問でもあり、それが徐々に解明されながら物語は進んでいく。
そうなのだ、映画「ぼくのエリ200歳の少女」はバンパイヤという「人間とは相いれない存在」との哀しい恋を描いた「ホラーラブストーリー」なのだが、「獣は月夜に夢を見る」はミステリーだ。
そして設定の決定的な違いは、「ぼくのエリ」のヒロインは血を飲まなければ生きていけない「悲しいサガ」を持った化け物なのだが、「獣は月夜に夢を見る」のヒロインは日本でいう「犬神憑き」のようなもので、渇きによって人を襲う化け物ではない。
それと人間の本質ーー「人は一人では生きていけない」って言えば聞こえが良いが、言い換えると村社会であり、もっとハッキリ言うと「群れをなすしかないのが人間」で、結局はどこかで異端を排除しなければ自分たちの暮らし・世界を維持できない、ってものが根底にある作品じゃないかな。
監督はヨナス・アレクサンダー・アーンビー。
この人は「奇跡の海」や「ダンサー・イン・ザ・ダーク」といったラース・フォン・トリアー監督作で美術アシスタントだったらしく、長編監督デビュー作が「獣は月夜に夢を見る」だという。
主役であるマリーには新人女優のソニア・スール。
ほんとに新人だったらしく、彼女の情報を調べても殆どヒットしなかったのだが、当時の年齢はどうやら19歳だったようなのだが、物凄くスレンダーな人で、ちょっとビックリ。というのも服を着てても胸があまり大きくないのが分かるのだが、濡れ場のシーンで胸が露わになり……パリコレのモデルになれるわ、この人。
まるで植物人間の母親役にはソニア・リヒター。
この女優さん、当時40歳なんだけど結構若々しいんだよね。よくテレビ番組で「美魔女」って言われる「40歳過ぎには、又は50歳過ぎにはとても見えない…」って女の人が出てくるのあるけど、あれってマジで日本人しか有り得ないんだよね。特に欧米の女の人ってある年齢を過ぎたら頑張ってボディーは維持できても顔は無理ってのが大半。その点この女優さんの顔は若々しくて、そして娘役のソニア・スールに随分と似た顔で髪の色もおんなじなもんで、最初は「あれ…もしかして二役?」って思った。横から見た鼻の形なんてソックリ。そして名前も何故か二人ともソニア。まさか本物の親子? 違うよな~~。本物の親子なら同じ名前にする訳ないもんな。
そして父親役がラース・ミケルセン。
俺はこの映画の主役はラース・ミケルセンだと思ったね。うん、ひたむきで、だけど「俺は妻と娘を心の底から愛してる」って芯が一切ぶれなくて、哀しくなるほど凄くいい夫であり父親なんだよな~。
ちなみにラース・ミケルセンはマッツ・ミケルセンの実兄で、弟の方が売れてる俳優のせいもあって、弟マッツが主演の映画を観たことのある人は多いのだが、兄ラース・ミケルセンの方が好きだという映画ファンもいる。俺はというと、どちらもかなり好きだわ。
「獣は月夜に夢を見る」は冒頭に書いたように説明を相当に削除した造りになった作品なので、これ以上の感想はネタバレに繋がるだろうから止めるが、この映画と似ているという「ぼくのエリ200歳の少女」について少し感想を書こうと思う。
【ぼくのエリ200歳の少女】
2008年製作スェーデン映画 PG12
原題は、Let the light one in で「正しき者を招き入れよ」という意味の題名だ。
原作は「小説 モールス」で作者はスェーデン人のヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト。
バンパイヤのエリ役には13歳のリーナ・レアンデション。
この映画の凄いとこは、原作の作者ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィストが脚本を書いているって点だ。ちょっと聞いた事ないわ。
そしてリメイク版が【モールス】
2010年製作アメリカ映画 R15
原題は、Let me in で「私を中に入れて」という意味だ。
原作は当然「小説 モールス」
バンパイヤのアビー役には13歳のクロエ・モレッツ
2つの映画、それぞれの邦題が興味深い。
「ぼくのエリ200歳の少女」って……なんで「ぼくのエリ」にしなかったのかね? 200歳の少女ってワードをあえて付け加えて…バカじゃねぇの。今の日本で邦題考えてる奴ってテレビ関係の人なんじゃないのかね? とにかく説明しなければならないって「テレビの癖」があるとしか思えないわ。
その点「モールス」って邦題は、なぜか急に自ら邦題を考える事を放棄しちゃったかのように原作名をそのまま邦題にしているのだが、「それでいいんだ!!」と声を大にして言いたいわ。どうせクソくだらねぇぇ、そんでもってネタバレ的な題名しか思いつかんのだろうから、原題か原作名を使え! ばかやろーーー!!
話を戻すが、「モールス」と「ぼくのエリ」のどっちが好みの映画かっていうと、邦題が気に入らねえ「ぼくのエリ」の方が俺は好きだ。北欧映画特有の映像美が好きなのもあるのだが、主役の男の子とバンパイヤの「幼いがピュアな恋」がとてもいい感じに映し出されている。
だけど「モールス」は俺の大好きなクロエ・モレッツがバンパヤ役だ! やっぱ捨てがたい。
ちなみに小説版モールスの作者であり、なおかつ「ぼくのエリ」という映画の脚本まで書いたヨン・アイヴィデ・リンドクヴィストは、次のようにリメイク版までもを評価している。
私は最も幸運な作家である。自分のデビュー小説が生きている内に2つもの素晴らしい映画となり、信じられない。「ぼくのエリ」は素晴らしいスェーデン映画で有り、そして「モールス」は素晴らしいアメリカ映画でありスウェーデン映画と同じく私の涙を誘った。そしれそれは同じ場面ではなかった。
追記:書いている内に「獣は月夜に夢を見る」って映画とは別の映画の話なってしまったが、「獣は月夜に夢を見る」って映画は邦題はクソだが、いい映画だ。但し、好き嫌いはハッキリと別れるだろうが。




