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第29話 原作 宮尾登美子の映画

 今までは一つづつの作品の感想を勝手気ままに書き連ねてきたが、第29話では宮尾登美子の小説が原作となった映画について纏めて書こうと思う。

 というのも最近、宮尾登美子原作の映画を纏めて観たのだ。どの作品もかなり前に視聴した事のある映画なのだが、改めて観て、俺がそれ相応の年齢ーーこれらの映画を理解できるようになったのか「これって面白いゾ」という印象を持っただめだ。

 それと、ここでどうしても一緒に感想を書きたい映画がある。原作:水上勉の「白蛇抄」だ。


【①鬼龍院花子の生涯】1982年製作 東映 五社英雄監督 脚本:高田宏治

 原作「宮尾登美子作:鬼龍院花子の生涯」

 仲代達也(50歳) 伊集院政五郎 侠客ヤクザの組長

 岩下志麻(41歳) 伊集院政五郎の妻

 夏目雅子(25歳) 伊集院政五郎の養女:松恵

 仙道敦子(13歳) 松恵(夏目雅子)の子供時代

 夏木マリ(30歳) 伊集院政五郎と敵対する組の姐さん

 高杉かほり(新人:年齢不明)伊集院政五郎の実娘:伊集院花子

 佳那晃子(26歳) 伊集院五郎の妾、花子の実母


【②楊暉楼】1983年製作 東映 五社英雄監督 脚本:高田宏治

 原作「宮尾登美子作:楊暉楼」

 緒形拳(46歳) 太田勝造:女衒ー売春労働者の斡旋業ー人買い

 池上季実子(27歳)楊暉楼の№1芸妓

 浅野温子(22歳) 一旦は遊郭の女郎になるが売春業から足を洗う

 倍賞美津子(37歳)楊暉楼の女将

 熊谷真実(23歳)楊暉楼の芸妓

 西川峰子(25歳)楊暉楼の芸妓

 市川良枝(33歳)楊暉楼の芸妓

 佳那晃子(27歳)楊暉楼に送り込まれたスパイ芸妓

 仙道敦子(14歳)楊暉楼の芸妓見習い


【③白蛇抄】1983年製作 東映 伊藤俊也監督 脚本:野村龍雄

 原作「水上勉作:白蛇抄」

 小柳ルミ子(31歳)石立うた

 若山富三郎(54歳)加波島懐海ー寺の住職、身体が不自由で這っての移動

 杉本哲太(18歳)加波島昌夫ー懐海の一人息子、高校生

 仙道敦子(14歳)鵜藤まつのー中学生、昌夫に恋心を持つ

 夏八木勲(44歳)村井警部補

 岡田奈々(24歳)まつの(仙道敦子)の実母、うた(小柳ルミ子)と姉妹のように育てられた


【④序の舞】1984年製作 東映 中島貞夫監督 脚本:松田寛夫

 原作「宮尾登美子作:序の舞」

 名取裕子(27歳)島村津也

 岡田茉莉子(51歳)勢以:島村津也の実母

 小林綾子(12歳)勢以(岡田茉莉子))の子供時代

 水沢あき(30歳)津也の姉


【⑤櫂】1985年製作 東映 五社英雄監督 脚本:高田宏治

 原作「宮尾登美子作:櫂」

 緒形拳(48歳)富田岩伍:女衒

 十朱幸代(43歳)岩伍の妻

 草笛光子(52歳)大貞楼の女将:大貞

 名取裕子(28歳)大貞楼の№1芸妓。

 石原真理子(21歳)岩伍の養女

 真行寺君枝(26歳)女義太夫、岩伍の子を身籠る


【⑥夜汽車】1987年製作 東映 山下耕作監督 脚本:松田寛夫、長田紀生

 原作「宮尾登美子作:短編小説 夜汽車、岩伍覚え書など」

 萩原健一(37歳)田村征彦:ヤクザの息子だが、その稼業を嫌い堅気

 丹波哲郎(65歳)征彦の実父。ヤクザの組長

 十朱幸代(45歳)岡崎露子:妹を育てる為に芸者。

 秋吉久美子(33歳)露子の妹

 白都真理(29歳)ヤクザの情婦

 新藤恵美(38歳)ヤクザの情婦

 速水典子(28歳)ヤクザの情婦


【⑦寒椿】1992年製作 東映 降籏康男監督 脚本:那須真知子

 原作「宮尾登美子作:寒椿」

 西田敏行(45歳)富田岩伍:女衒

 藤真利子(37歳)岩伍の妻

 南野陽子(25歳)貞子:21歳で楊暉楼に身売りされ芸妓になる。

 かたせ梨乃(35歳)楊暉楼の女将

 萩原流行(39歳)ヤクザの組長

 高島政宏(27歳)貞子に惚れぬいたヤクザ


 上記のほかに宮尾登美子作品7作目の東映映画「藏」があるが、ここでは宮尾登美子の6作品と水上勉の1作品についての感想を書く。


 まず圧倒的な印象を受けるのは楊暉楼だ。

 とにかく池上季実子がムチャクチャに綺麗なのだ。それと映画冒頭で10人ぐらいの芸妓ーー池上季実子がセンターで両脇には熊谷真実、西川峰子、市毛良子…が腰を振ったり突き出したりの踊りとは思えないような踊りを楽し気に踊ってるシーンがあるのだが、全員が凄く綺麗で、そして楽しそうで、何とも言えず圧巻なんだよな~。うんうん、あのシーンだけでこの映画は大成功だと思う。それと楊暉楼の芸妓全員で階段を下りてくる――池上季実子を先頭に「Ⅴ字」になって降りてくるシーンも、なんだかワクワクしちゃうほどカッコ良い。

 つい最近、BSの再放送で「マー姉ちゃん」やってて全部観たんだけど、あのドラマって1979年から1980年放送なんだよね。それの主役を演じた熊谷真実が3年後に楊暉楼の芸妓役。さすがに脱いだりはしなかったけど、とにかく綺麗だったしカッコ良かった。

 エンディングはちょっと…って感じなんだけど五社監督の最高傑作の一つだろうな。

 池上季実子と浅野温子の乱闘シーンは強烈な長回しーー15分くらいあったんじゃないのかな。当時の浅野温子は目付きもギラギラしてて見るからにヤンチャっぽいからキャットファイトやってもそんなに驚かなかったっけど、池上季実子には女優魂を見たな。あんだけ長い時間カットを入れないでのタイマンなんて男優同士だってほとんどない。やってる二人は途中から本気になってたって全然不思議じゃない。

 それと倍賞美津子と佳那晃子の風呂場での乱闘シーン。佳那晃子は入浴中だったから当然素っ裸での取っ組み合い。この女優ってよく知らないけど……うん、凄いね。

 だけど、浅野温子が堅気の男と一緒になる際に、仲良くなった池上季実子と「もう会えなくなる」という別れのシーンはかなりクドイ。なんなんだろうな? 観てるこっちが白けちまったわ。それと西川峰子が死ぬシーン。あれはないわ。クドイの通り越して完全にホラーだって。

 そしてこの「楊暉楼」を語る上では「鬼龍院花子の生涯」抜きには語れない。


 鬼龍院花子の生涯は……良くない! 断じて良い映画じゃない、と俺は断言する。

 先ずは仲代達也はミスキャストだ、と俺は感じた。

 確かに侠客の親分役だからヤクザではあるんだけど、なんとも憎めない「お人よし」的な男でもあり、コミカルな部分もあって、そんでもって女衒のような「人買い」もやるんだよね。

 五社監督は続く「楊暉楼」の時にも仲代達也を使おうって考えていたらしいんだけど、黒澤明の「乱」の撮影とぶつかっていたために楊暉楼の女衒役は緒形拳に決まったという。

 確か「乱」は当初の主演は勝慎太郎だったが黒澤監督とぶつかり合っちゃって、撮影途中に主役交代ーー仲代達也に代わったはず。それでトコロテン方式でもないのだが「楊暉楼」も「櫂」も女衒役は緒形拳になったのだが、いやはや緒形拳で大正解だろ。あの人ったらしで女好きで、根はヤクザなんだけどちょいとコミカルで、妙にキュートな部分がある役どころを演じ切れるのは緒形拳以外には考えにくい。

 仲代達也は決して悪い俳優ではないと思いたいのだが……重たいのだ。どんな役を演じていても、声の出し方、喋り方、そして演技までもが仰々しくて、とにかく重い。ハッキリ言って「普段からこんな仰々しい喋り方するヤツなんているわけねぇだろ!」ってツッコミたくなる役作りなんだよな。

 それと夏目雅子。なぜか映画を観終わった後に印象に残っていない。

 夏目雅子が「なめたらいかんぜよ」と凄むシーンはこの映画の目玉として宣伝に使われ、その台詞もキャッチコピーとして有名になった。そうなのだ、このシーンと台詞のみ有名になりすぎちゃって、きっと彼女のすばらしい演技が披露される映画なんだろうと期待するが、実はそうでもない。昔なんどか観た映画なのだが改めて視聴した結果、棒演技ではないものの凡庸な演技だったと正直ガッカリした。

 この映画ーー鬼龍院花子の生涯の製作秘話を調べてみて驚いた。

 まず作者の宮尾登美子なのだが、根強い愛読者はいたが決してベストセラー作家ではなく、作風も「とにかく暗い」と映画化に反対する声が圧倒的だったという。それを「いやいやいや、伊集院花子の生涯という小説は素晴らしい。絶対に映画化すべきだ!」と東映のプロデューサーに企画を持ち込んだのは梶芽衣子だ。

 当時の映画製作は「まずは主演を先に決めてから、次に監督を誰にやらせるか」という順番だったらしく、更には俳優(又は女優)が自ら企画を持ち込んだ場合の主演は、企画を持ち込んだ本人がやるというのが暗黙のルールだったらしい。

 梶芽衣子は映画化に向けての具体的なプランも進めていて、伊集院政五郎役については若山富三郎、監督は増村保造を考え、若山富三郎は快諾をしていたという。

 いや~~梶芽衣子のセンスと小説登場人物に関する理解力は凄いわ~。伊集院政五郎役について仲代達也はミスキャストだと書いたが、誰だったらピタっとハマるかと考えると、やはり緒形拳、それと若山富三郎も……うんうん、いいね、いいね。

 だが当時の梶芽衣子は35歳で、70年代には「野良猫ロック」シリーズや「女囚さそり」シリーズの主演で大ブレイクしていたもんだからアウトロー的なイメージが付いて回り、「鬼龍院花子の生涯」の映画化が現実味を帯びてきて監督が五社英雄に決まった後キャストを決める際に、監督が考えるヒロインのイメージとは合わずに梶芽衣子起用は無くなったという。

 ちなみに五社監督が最初にこの映画のヒロイン役をと考えていた女優は、当時、演技派女優として飛ぶ鳥を落とす勢いだった大竹しのぶ(25歳)だったらしいが、本人(大竹しのぶ)が頑なに拒否ったらしく、結果として自ら五社監督に談判した夏目雅子に決まった。

 いや~~……解らないな~~。五社監督がイメージしていた鬼龍院花子の生涯でのヒロインって、どんなんだ? 夏目雅子は女優を目指したものの「お嬢さん芸」だって揶揄されるほどに酷い演技ーー40数回連続のNGを出すなど、それ以降はCMを中心としたモデル業がメインだったんだけど、TVドラマの西遊記の三蔵法師役で人気が出て、続くNHKのドラマでは上半身裸のシーンがあり「お嬢さん芸から脱却した」との評価ーーこれって物凄い安直な評価で、本来は「よくNHKがおっぱい出しを許可したよな」という驚きの評価だったと思う。だから伊集院花子の生涯でヒロイン役に抜擢された際も「本業がモデルである女優の卵」ってのが当時の夏目雅子の肩書だった。


 この映画ーー伊集院花子の生涯で圧倒的な存在感を示したのは、先ずは岩下志麻だ。当時の岩下志麻は松竹映画の至宝と言われていた女優で、東映映画には出演したことが無かったのだが、五社監督が伊集院政五郎の妻役に「一本釣り」したらしい。そして後に当たり役となる極道の妻たちに繋がる訳なのだが、侠客ヤクザの妻として、あの冷たい目付きと場数を踏んだ女が醸し出すオーラは凄い。

 だけど岩下志麻演じる政五郎の妻は伝染病で死んでしまうんだけど、そのシーンーー死ぬシーンが異常なほどにクドイ。俺はとにかく岩下志麻の大ファンなのだが、そんな俺でさえ「ちょっとちょっと、もういいって! 早く死んでよ」って呟くほどクドイ。いや~~あのシーンって誰が考えたんだろ。

 話を戻すが、もう一人この映画ですごい存在感を示した女優がいた。それは仙道敦子だ。

 夏目雅子が演じた松恵の子供時代が仙道敦子なのだが、演技が上手いとかセリフ回しが凄いというレベルではなくって、存在感が半端ないのだ。まだ13歳なのに、あの眼は凄い。役どころは12歳で侠客ヤクザである伊集院政五郎の養女になるーー貧しい商家に生まれ育ち、弟と一緒に金で売られた娘なのだが、弟は一晩で逃げ出し、その後一人で侠客一家に踏みとどまるという役を、凄い目付きだけで見事に演じてるんだよね。

 この映画は岩下志麻と仙道敦子の二人に完全に食われた作品だ。そもそも、金の為に実の両親から売られて養女になった娘が、どうして大人になったら(夏目雅子)あんなに明るい眼になる訳? 梶芽衣子の方が断然しっくりきたはず。梶芽衣子も自分が持っている雰囲気をしっかり理解していて「このヒロインは自分が演じるべきだ」って思ったんじゃないのかな。だけど、当時35歳の梶芽衣子では、養母になった岩下志麻(41歳)と年齢的に無理だったかな~~。


 でも梶芽衣子って、もしかしたら日本より海外での評価が高い女優なのかもしれない。有名なのは「キルビル」や「ジャンゴ」の監督のタランティーノ。彼は、自分は梶芽衣子が大好きなんだと公言していて、来日の際に当時65歳の梶芽衣子との対談が実現した時なんて、頬を染めてずっと梶芽衣子の手を握り続けていた。そして「キルビル」では梶芽衣子が歌う「恨み節」と「修羅の花」を挿入歌として使用している。そもそも「キルビル」はタランティーノの「梶芽衣子大好き」が高じて作られた作品で、タランティーノ本人も「キルビルは梶芽衣子さん主演の修羅雪姫をオマージュした作品です」と言ってるくらいだからね。

 いや~~、もし仮に「伊集院花子の生涯」のヒロイン役が梶芽衣子だったら、あんな台詞ーー「なめたたらいかんぜよ」なんて台詞は不必要だったろうな。というのも原作にはあのセリフは無いらしい。素の梶芽衣子はけっこうお茶目な性格で、意外なほどにベラッベラ喋る人なんだけど、スクリーンに映し出される梶芽衣子は、まるで女版ゴルゴ13のように恐ろしいほど喋らず、目だけで凄むことが出来る女優だったから、説明めいたセリフ回しなんていらなかった……観たかったな~梶芽衣子主演の伊集院花子の生涯。当然、義父役は若山富三郎で、そうすると義母役の岩下志麻の起用はなくなるんだろうけど、それでも、仲代達也、夏目雅子バージョンよりはるかに良い作品になっていただろうに、残念。

 それと余談だが、「鬼龍院花子の生涯」という映画が興行的に大成功を収めた後に、東映のプロデューサーが「あの映画は俺様が企画したんだぜ!」てな調子で散々言いふらしていたもんで、さすがに頭に来た梶芽衣子は「東映の〇〇プロデューサーは私の企画を横取りした卑劣な人間」だと雑誌のインタビューに答えている。


 続いて「白蛇抄」なのだが、なぜ宮尾登美子の作品ではないのにここで一緒に感想を書こうと思ったのは、仙道敦子が出ていたからだ。いや~~相変わらず凄い存在感なんだよな~。

 作品自体はエロ満載でーー若山富三郎がまずは小柳ルミ子の身体に夢中のエロ坊主で、小柳ルミ子の身体をひたすらーー朝も昼も夜も舐め続けるという、ある意味拷問のような愛撫をする爺さんなんだけど、そんな痴態を仙道敦子がじっと、何度も何度も覗き見ているという設定。13歳の中学生って役どころだったんだけど、俺は仙道敦子の実年齢が17歳くらいかと思って観ていたから、それでも10代だからアレに耽るシーンの撮影は無理か、でも中学生だったら普通にやるだろ、なんて思いながら観ていたのだが、なんと仙道敦子の実年齢は14歳だった。さすがにそのシーンは無くって視聴者の想像におまかせします、というようなものなのだが、その後レオタード姿で登場したり、映画の最後の方では下半身パンツ1枚で床に仰向けになって杉本哲太に迫るシーンなどがある。どうなんだろうね? 14歳という「子役なのか一人前の女優なのか微妙な年齢」ではあるのだろうけど、あのシーンを演じさせるのであれば、のぞき見の際のシーンももっとリアルな演出があっても良かったんじゃないかな。


 っで、この作品ーー「白蛇抄」自体の感想はどうなのかというと……小柳ルミ子の為の映画だった。

 確かに小柳ルミ子の演技力には驚かされた。うん、歌手やアイドルがおちゃらけで出演した映画ではない。原作は知らないけど、エロ爺に身体を狂わされてしまい、他の男からの誘いを頭では拒もうとするのだが身体が反応してしまうという哀れな女役を見事に演じていて、うんうん、凄い演技力で、身体もとても綺麗だった。

 だけどカメラが小柳ルミ子を追いすぎちゃって、物語に幅がないというのか一本調子なんだよな。確かに小柳ルミ子が脱ぐことに所属事務所の社長は大反対だったらしいから、それを説き伏せての撮影だもんな。「これでもか!!」ってくらいに小柳ルミ子が出続ける映画になっちゃってるのも仕方がないのかもしれない。

 それと強烈なのが杉本哲太。

 もう恐ろしい演技で、小学校の学芸会レベルなんてもんじゃない。その辺を歩いている人つかまえて「いいからこの役を演じろ! 金は払う」ってやった方が数倍ましだったと思われるほどに酷い。もう、酷すぎちゃって酷すぎちゃって、その内に見慣れてしまったのか「もしかしたらこういう演技をしているのかもしれないな…」な~んてバカな発想が芽生えるぐらいに酷い。

 そんな素人以下演技の杉本哲太なのだが、さすがにあのシーンは可哀そうだ。彼の俳優人生で恐らくは黒歴史だろうな。寺の一人息子で高校生の役。本人の実年齢も18歳。そんな黙っててもモンモンとしてしまう年頃の男の子が本山に修行に行くんだけど、そりゃ~無理だって…想像通りにモンモンモンモンモンモンモン……ってなっちまって、ある晩、いきり立ったモノを持て余しだんだろうね、そいつで障子に次々を穴を開ける行為に走っちゃう。確か本山での修行って朝5時ごろから始まって結構おそい時間までビッチリ管理されてるはずだから、普通の高校生なら毎日の日課になってるだろう行為なんてやってる暇もなくって、あんな風にトチ狂っちまうのは判るんだけど、ナニで障子を次々と突き破るシーンをあんなに長回しで撮る必要ってあったのかね? それとも杉本哲太の演技が想像を絶する酷さだったもんで、頭にきた監督が急遽あんな馬鹿気たシーンをやらせたんじゃねぇの?

 この映画は、最初っから最後まで仙道敦子演じる13歳の少女目線で追いかけた作りにした方が、ずっと良い作品になったと思う。それと、どうしてあんなチョイ役に岡田奈々を使ったのかな?


 次に「序の舞」。

 この映画は「鬼龍院花子の生涯」の大ヒットで気を良くした東映が、「楊暉楼」に続く宮尾登美子3作目の映画化として選んだ、と言われているが、俺は「白蛇抄」で気を良くした東映が企画した作品だという印象を持った。というのも主演の名取裕子のための映画、というくらい物語に幅がなく、どう贔屓目に見ても「名取裕子が初めて脱いだ」という事ぐらいしか見どころがない。どうにも「今まで脱いだ事がない歌手を脱がした」のが白蛇抄の売りで、「今まで脱いだことのない清純派女優を脱がした」のが序の舞の売りで、東映は明らかに二匹目のどじょうを狙ったのだろう、というのがこの映画に対する俺の感想で、あとは何もない。

 但し、ちょっと気になったことがあるのだが、それは「NHK朝ドラで今だに伝説となっている【おしん】」で天才子役と謳われた小林綾子(12歳)が出演していた点だ。実際に当時の小林綾子をめぐる映画会社の争奪戦は凄まじいものだったらしいが、元々が東映に所属していた為に、この映画の出演はすんなり決まったらしい。

 っでその天才子役ーー小林綾子についての印象なのだが、「確かに演技は上手だ」とは感じたが「天才だ」とはまるで感じなかった。もしかすると「おしん」のイメージを拭い去る事ができないせいなのかとも思ったが、それはやはり違う。その後、小林綾子という女優がさほど売れなかった理由と一致するのだと思うが、この作品では「貧しい農家の少女が京都にある葉茶屋に養女として貰われる」役どころなのだが、小林綾子の「目付き」と醸し出す雰囲気は「親の借金で年季奉公に出された娘」なのだ。そういった役であれば恐らく当時の小林綾子の右に出る者はいなかっただろうが、養女となると「年季が明ければ自由になれる可能性のある奉公」とは違った演技が必要だが、そこまで器用な子役ではなかったのだろう。

 どうしても当時の小林綾子と仙道敦子を比較してしまうのだが、「鬼龍院花子の生涯」に出演していた仙道敦子が13歳、「序の舞」に出演した小林綾子が12歳、そして両方ともが「養女」という役どころなのだが、俺は仙道敦子に文句なく軍配を上げる。

 しかし、この2人の子役、というか女優の卵にとって「おしん」というドラマの存在が不幸だったと俺は思うな。

 小林綾子は「おしん」に出演しなくとも他の映画やドラマで間違いなく才能を見い出されたと思うのだが、いかんせん「おしん」の人気が出過ぎたがために、そのイメージや、染み付いてしまった雰囲気や目付きから抜け出すことが出来なかった。

 片や仙道敦子は、本来は小林綾子を遥かにしのぐ天才で、けっして当時から子役などというレベルではなかったのだが、「おしん」の爆発的な人気によって国民的な人気子役になってしまった小林綾子という存在によって、仙道敦子は恐ろしいほどの実力を正当に評価されない子役となったのだと思う。しかし……しかしながらなのだが、仙道敦子は12歳の時ーー鬼龍院花子の1年前ーー「おしん」に出演しているのだ。それも、おしんの姉役で。それを知っている人は意外なほど少なく、いかに視聴者が小林綾子に注目していたかが判るエピソードだ。う~ん、仙道敦子が5年早く生れていれば彼女の女優人生は全く違ったものになったはずだ。それに結婚後の23年間のブランクは痛い。痛すぎる。


 続く「櫂」。

 映画化された宮崎登美子の作品の中で、実はこの「櫂」が最初に執筆された小説だ。そして次が「楊暉楼」そして次に「寒椿」がくるのだが、寒椿と同じ年に「岩伍覚え書」という4つの短編小説からなる「櫂」のスピンオブのような小説を書いている。そして映画の「夜汽車」は上記にも書いた通り、原作は短編小説の「夜汽車」と「岩伍の覚え書」を参考にしたものらしいが実態は脚本家のオリジナル物語だともいえる。

 そして「櫂」は、女衒を父親に持つ宮尾登美子の自伝小説らしい。そんなこともあって、恐らくはかなり原作に忠実に描かれたのだろうと思う。

 十朱幸代が「女」と「母親」そして「人間」というちょっと哲学じみた言葉で解り難いだろうが、次のような複雑な役どころだ。


 夫の岩伍に抱かれる女としての自分。

 自分が腹を痛めた子供、金で買った養女、そして夫がよその女に産ませた子供を育てる母性。

 人間を銭で売り買いする女衒を生業としている夫への嫌悪。


 そんな役を十朱幸代が見事に演じていて、彼女がこの映画の主役なのだ。だから楊暉楼のように華やいだ世界に身を置いている女が主人公ではない。そんな事もあって、じっくり視聴するなら「櫂」がうってつけの映画だろうと思う。女衒である岩伍役の緒形拳の演技も光っているが、そんな緒形拳に真っ向勝負を仕掛けるような十朱幸代の演技。うん、楊暉楼みたいな派手さは全然ない。

 当時の「女の社会的地位」や「その地位ゆえに一人になった女の惨めさ」みたいなものに十朱幸代がどんどん追い詰められて行くんだけど、意地でも負けないんだよね。

 十朱幸代って少しタレ目でギラギラした目じゃないから、「優しい女の人」って第一印象なんだけど、顎を引いて歯を食いしばって生きる様をガンガン醸し出していて、「私は絶対に引かない」って覚悟が伝わってくるんだよね。

 そしてこの映画ーー「櫂」って「楊暉楼」と「鬼龍院花子の生涯」と同じように五社監督なんだけど、脚本まで高田宏治って同じ人。でも「櫂」を見終わってホっとしたのは、楊暉楼や鬼龍院花子の生涯と同じように、どうせ、みょ~~~~にクドイ場面があるんだろうな~って思いながら視聴してたのだが、それは無くて本当に良かった。あれって五社監督のクセなのかね? それとも高田宏治って人が書く脚本には、とにかく延々とくどいシーンがあるんだろうか? あんな場面観て白けてしまわない人っているかね?


 次は「夜汽車」。

 同じ東映映画なんだけど、ようやっと五社監督から離れた宮尾登美子作品……なんだけど、前にも書いた通り、宮尾登美子作の「夜汽車」って短編小説と「岩伍の覚え書」を参考にして脚本が作られた作品。だからこの映画ーー「夜汽車」のストーリーを知った宮尾登美子は東映に苦情を入れたとか入れなかったとか。

 主役は十朱幸代。う~~ん……凄いの一言。櫂では女衒の女房ながら堅気であろうと頑張り続ける母親役。それが今度は芸者役。櫂と夜汽車を続けて視聴した事によって十朱幸代の凄さを改めて知ったわ。

 芸者役の十朱幸代は、立ち方、歩き方、そして姿勢、目つき、顔つき、そして着物の着崩し方……などなど、とにかくそこに居るだけで芸者なんだよね。櫂の主役だった十朱幸代とはまるで違う十朱幸代だった。

 そして十朱幸代の妹役に秋吉久美子(33歳)。いっや~~良かったーーー。

 病弱で、そんな自分の為に姉が芸者になった事を知っていて、そんな姉妹なんだけど、姉の恋人だった萩原健一に身体を奪われ、それから萩原健一と暮らし始める、という強烈な姉妹関係に発展。そして萩原健一の会社が上手くいかなくなり借金の為に秋吉久美子が身体を売ろうとするのだが、買ったのが萩原健一に恨みを持つヤクザ。ヤクザとその情婦2人に辱められながら犯される秋吉久美子。身体が弱くて最後は病死してしまうんだけど、姉を想い、夫を想い、だけど自分が選んだとは言えない境遇に、まるで底なし沼のようにどんどんハマっていく運命に必死で立ち 続けるんだわ。それも子供時分から病弱だった事もあってなのか、すぐに下を向いてしまう娘なんだけど、下を向いたままで立ち向かう姿は胸を打つ演技だった。俺はおもわず涙ぐんじまったぜ。

 だけど…人力車に十朱幸代と二人で並んで乗りながら死んでいくシーンが……くどーーーい。とにかく超くどくて、いやいやいや、早く死んでよ、って思わず呟いちゃった。これってなんなの? 五社監督の映画でもなくって脚本も高田宏治ではないのに……当時の東映映画のお決まりな訳? すべてを台無しにしてるって気が付かないのかな?

 余談になるが、この映画ーー夜汽車を見終わって思ったのが、「鬼龍院花子の生涯」のヒロイン役には秋吉久美子がいたじゃん!! だった。鬼龍院~が夜汽車の5年前の映画だから秋吉久美子は28歳。41歳の岩下志麻の養女役でもおかしくはない。どうして秋吉久美子にしなかったかな~~。当時の大竹しのぶも確かに若手の演技派女優として売れていたが、秋吉久美子も絶対に引けを取らなかった。そう考えると夏目雅子は無いわ。


 最後に「寒椿」。

 女衒の岩伍役を西田敏行(45歳)が演じている。う~~ん、どうなんだろう? どうしても緒形拳と比べてしまう。

 ヤクザで人買いなんだけど、お人好しでコミカルな部分もあってという役どころは西田敏行にピッタリなんだろうけど、いかんせん緒形拳が演じた岩伍が強烈すぎて……ちょっと気の毒でもある。

 ただ、この映画の原作はどうなのだろうと気になった映画だ。宮尾登美子の小説は読んだことが無いーー今度ぜひとも読もうと思うーーからあくまでも俺の想像なのだが、ヒロイン役に抜擢した南野陽子の為にかなり脚本を弄っているような気がする。要は、この映画もストーリーに幅がなくって、2時間は切る映画なのだが、それでも妙に「長い映画だ」と感じたのは、南野陽子を追い過ぎちゃった結果、一本調子になっているからだろうと思った。

 当時の南野陽子は元アイドルで、それまでキスシーンすら演じたことのない女優? だったのが、おっぱい出すわ、強姦されるわ、誰とでもヤっちゃうわ、って役で良く出演をOKしたよな~。なんていうのかな~~、観終わって南野陽子演じるヒロインって結局は、バスの車掌だったんだけど親の借金によっていきなり芸妓になったもんで、その落差が激しかったがために、まぁ芸妓なんだからそうなのかもしれないけど、いやよ、いやよと言いながらも男なら誰にでもさせる女になっちまった、というストーリー。そうなんです、キスシーンすら演じたことのなかった南野陽子が「サセ子」を演じたのが寒椿なのです。

 寒椿はどうにも原作を読んでみたくなった。先にも書いたが宮尾登美子は「櫂」の次に「楊暉楼」そして次に「寒椿」を出版しており、「櫂」と「寒椿」に出てくる女衒は同一人物ーー富田岩伍であり、二つの小説には連続性があるはず。映画で南野陽子が演じた芸妓にあそこまでスポットライトがあたる作りの小説だったんだろうか? というのが俺の率直な疑問だ。

 それとこの映画ーー「寒椿」の感想でどうしても忘れてはならないのは、西田敏行ーー富田岩伍の妻役を演じた藤真利子(37歳)だ。とにかく酷すぎる。これは藤真利子本人には責任はないのだと思う。おそらくはそういった役作りを指示された結果なのだろうが、まったく綺麗でもなければ、女としての魅力もない、もちろんエロさなんて0%。そして夫が女衒というヤクザ稼業の妻なのに醸し出す雰囲気は百姓。俺は当時の藤真利子って結構好きな女優の一人だったせいもあって、この役作りには腹がたった。「櫂」で岩伍の妻役であった十朱幸代は、ほんとに素敵でエロい女性なんだけど最後の最後まで夫の要求に折れなかった強い女であったのに、なぜ「寒椿」では岩伍の妻役の設定をここまで変えたのかね? そして変えるにしても藤真利子は無いだろ。映画版「寒椿」での岩伍の妻なんて物語にほとんど影響しない役どころなんだよね。どうでもいい無名の女優で良かったんじゃね?

 上記の通り「寒椿」はどうにも良い映画だとは思えないのだが、唯一光っていた女優がいた。かたせ梨乃だ。かたせ梨乃は「吉原炎上」で娼婦役を演じているが、「寒椿」で演じた楊暉楼の女将が断然ハマリ役だ。うん、うん、ヤクザの姐御や娼館の女将の役を演じれるのは、あの冷たい目付きと異様な貫禄を醸し出せる岩下志麻以外ないと思っていたが、かたせ梨乃もいいわ~~。


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