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第23話 復讐するは我にあり

 1963年に起きた西口彰事件を題材にした佐々隆三の長編小説(1975年出版)ーー直木賞受賞。

 1979年に映画化、そして1984年と2007年にドラマ化されているが、ここで感想を述べようと思っているのは1979年の映画版「復讐するは我にあり」だ。


 この映画の感想について何から書こうか非常に悩ましいのだが、色々と考えた結果やはり主演の緒形拳についてから書こう。


 緒形拳、1937年生れだから生きていれば85歳なのだが、2008年71歳で亡くなった。

 ちなみに彼を看取ったのは家族と津川雅彦で、最後の言葉は「治ったら鰻食いに行こうな、白焼きをな」と冗談交じりに津川雅彦に語ったものだったらしい。それも肝臓が破裂していた状態でだ。凄い男だよね。俺もそうありたいな~。


 俺は緒形拳という俳優が昔からすごく好きで彼が出演した映画やドラマは相当多く視聴しているのだが、彼が出演している多くの作品で俺は「あれ……」ってな感覚になってしまう。もっと解りやすく言うと「この映画に出演している緒形拳って俺が好きな緒形拳とは違うような…」という感覚なのだ。どうしてそのような感覚に陥ってしまうのか大して深く考えた事もなかったのだが、今、「復讐するは我にあり」の感想を書こうとしてやっと思い当たった。

 この映画で殺人鬼を演じた緒形拳があまりにも凄すぎて、それが尾を引いていたのだと思う。

「鬼畜」の緒形拳や「薄化粧」の緒形拳、それに「必殺仕掛け人」の緒形拳も異様な雰囲気を醸し出してはいるのだが、「復讐するは我にあり」の緒形拳は……恐ろしい。


 併せて、「復讐するは我にあり」は実際にあった連続殺人事件を基にした小説を映画化したのは冒頭に書いた通りなのだが、この映画はその実際の殺人現場で撮影されているのだ。撮った今村昌平監督も演じた緒形拳も「この映画に掛ける執念」という言葉では言い表せないほど凄くて、とんでもない作品に仕上がっている。緒形拳の夫人:女優の高倉典江さんは「この映画の撮影中の彼は、いつもの彼ではなかった」と言っていたそうだ。

 緒形拳演じる榎津巌が専売公社の集金人を殺害するシーンがあるのだが、血がついてしまった手を洗うために「自分の小便で手を洗う」という生々しいシーンなのだが、それは緒形拳が出したアイデアで、更には緒形拳が尿意をもよおすまで撮影をストップさせたというエピソードがある。まさに「いつもの彼じゃない」と妻に言わしめたほど役にのめり込んでいたのだろう。神がかった演技だったという人もいれば、死刑となった男の魂が降りていたという人もいる。


 この映画の主な出演者は次の通りだ。


 緒形拳   42歳

 倍賞美津子 33歳 

 小川真由美 40歳

 三國連太郎 56歳

 ミヤコ蝶々 59歳

 清川虹子  67歳


 ちなみに上記の上から3人の当時の年齢と今現在:2022年で同じ年齢の俳優は次の通りだ。


 42歳  桐谷健太、玉木宏、玉山鉄二、佐藤隆太

 33歳  新垣結衣、吉高由里子、高部未華子、戸田恵梨香、黒木メイサ

 40歳  安達祐実、尾野真千子、神楽坂恵、池脇千鶴


 それぞれの俳優に対する好みもあろうが、ここに記載の男優・女優の中から男優1名と女優2名を選び「復讐するは我にあり」をリメイクした場合を想像すると……神楽坂恵だったらちょっと面白そうではあるが、昭和の俳優陣の凄さを改めて実感する。そういえば神楽坂恵って何となくだが昭和の臭いがする女優さんだな。


 余談だが、俳優の演技には憑依型と説明型があるそうだ。憑依型俳優はカメレオン俳優とも言われるが、その技法はメソッド演技と呼ばれていて、海外の俳優では広く使われているが日本では少ない。だから日本の俳優は海外の俳優に比べ演技が下手だと評価される一因らしい。よくネット上で「憑依型俳優って誰」ってサイトがあるが、あれの殆どは人気投票みたいなもので実際の憑依型俳優とは違っているケースが多い。

 そしてメソッド演技は危険だとも言われている。それは「トラウマを呼び起こし続ける事なる」点と「役を離れた本当の自分がわからなくなってしまう」点らしい。

 実際にメソッド演技で病んでしまった俳優で有名なのはバットマンの適役ジョーカーを演じたヒースレジャー。彼に対してはジョーカー役の先輩であったジャック・ニコルソンが次のようなアドバイスをしていたという。


「役の底を覗き込みすぎるな」


 しかし残念な事にヒースレジャーは薬物中毒で死亡。

 又、ちょっと古いのだが、ヴィヴィアンリーという女優がブランチという役を演じたのだが彼女は次のようなコメントを残し、ついには精神病を発症している。


「私はブランチを演じていた。それが今では彼女ブランチが私を牛耳っている」


 日本では岩下志麻が憑依型女優として有名だ。次のように語っている。


「狂気の役をやった時など抜けるのが難しくて、一ヵ月以上かかる時もあります。夫が映画監督ですからいいのでしょうが、もし一般の方と結婚していたら……なんなんだお前は? ってことになりとっくに追い出されてるでしょうね」


 そんな岩下志麻が2つ年上の小川真由美と共演した時のエピソードで、小川真由美が金魚を食べるシーンがあったらしいのだが、本当に金魚を食ってしまい、憑依型女優である岩下志麻でさえ「卒倒しそうになった」と述べている。ちなみに金魚を食った小川真由美は「意外と小骨が多いのね」とあっけらかんとしていたらしい。凄まじい女優だ。


 いや~ここまで書いていて、話がどんどん横道に逸れていって止まらなくなりそうだ。俺は緒形拳も好きなのだが、小川真由美ーーこれは八墓村の感想でも書いたが当時はとんでもないほどの色気がある大好きな女優で、更には岩下志麻についても語りたくて語りたくてっていうほどに大好きなのだ。近いうちに岩下志麻と緒形拳それと小川真由美が共演した「鬼畜」について書こう。ちなみに小川真由美と岩下志麻、この二人の後を引き継ぐことが出来る女優って……いるだろうか?


 話を復讐するは我にありの緒形拳に戻すが、この映画の撮影中の緒形拳は、今村昌平監督にそこまで求められたってのもあったんだろうが、とことん入っちゃったんだと思うな。それこそジャックニコルソンが言った「役の底」ってやつを覗いちまったんだと思う。

 前にも書いた「小便で血の付いた手を洗う」シーンも殺人を犯した直後の興奮冷めやらぬって感じじゃなくって、手が汚れたから当たり前に手を洗おうって感じ。

 小川真由美演じるハルを殺すシーンもハルとキスをしながら、そのハルを絞め殺し、そして殺されたハルが失禁したのに気が付いてそっと股間や太ももを拭いてあげる。もう殺人がとんでもない異常な行為で凄まじいエネルギーを要する事じゃなくって普通の、それこそ朝起きたから最初に小便して次に歯を磨いたみたいなもので、小便をする事にも歯を磨くことにも、「したかったから」ぐらいしか理由がないのと同じように「殺したかったから殺した」という男になり切っていた。

 これってうまい言葉が見つからないんだけど、「人ったらしの中年男」という顔と、「親切でどこにでもいそうな中年男」という顔と、「飯でも食べるように人を殺せる中年男」という顔……そういった「人間が持つ多様性」なんてものでは絶対に理解できない幾つもの顔を、緒形拳は違和感なくーーまるで素の自分ように演じていて、とにかく怖い。


 映画が始まってから終盤まで、緒形拳が演じる榎津巌という男がどうして人を殺すのか解らないまま、どんどん何人もの人を淡々と冷酷にーー殺した後にその場で飯を食ったりする男をカメラがずっと追いかけるんだよな。

 だけど榎津巌が警察に捕まって三國連太郎が演じる父親と面会した際に、ようやっと激しい感情を表す。このシーンを見て俺は正直ほっとした。連続殺人の動機が判った訳じゃないけど「人間らしい感情があった」と思って。



 次に「復讐するは我にあり」全体の話をするが、監督が今村昌平に決まるまですったもんだがあったようだ。というのもこの映画のメガホンを取りたいと名乗りを上げたのが今村昌平だけではなく、黒木和雄監督ーー原田芳雄をよく使う監督、深作欣二ーー菅原文太や千葉真一をよく使う監督、藤田敏八監督ーー梶芽衣子をよく使う監督らと競いトラブルにまで発展したらしい。


 そして題名の「復讐するは我にあり」なのだが、これは小説の題名をそのまま使用しているから、作家:佐々隆三のセンスが輝る題名だ。新約聖書のローマ人への手紙・第12章第19節の口語訳は次の通り。


 愛する者たちよ、自分で復讐をしないで、むしろ神の怒りに任せなさい。なぜなら「主がいわれる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。


 上記の一節を改めて説明するまでもないが、この小説の題名にある「我」というのは人間の誰かを指す言葉ではなく「神」だ。作者は実際にあったとんでもない事件を取材した結果、きっと「この蛮行を裁き、そして報復するのは神のみ」という印象を持ち、新約聖書の一節を題名にしたのだろう。

 ちなみにこの映画の英題は、VENGEANCE IS MINE で、直訳すると「復讐は私のもの」なのだが、VENGEANCE OF MINE としなかったのは、題名が持つ意味を正しく理解してたからだろう。


 映画の話に戻るが、主演の緒形拳、それと三國連太郎、倍賞美津子、小川真由美、ミヤコ蝶々、清川虹子、この6人の演技が凄すぎる。それこそ「凄まじい演技で共演者を飲み込もうとしたが、その共演者も更に上回る演技で跳ね返してきた」というような事を繰り返していった結果がこの映画の出来だと思う。


 榎津巌の妻:加津子役を演じる倍賞美津子、それと巌の父親を演じる三國連太郎。この二人は義理の親子関係。

 敬虔なクリスチャンである義父を心から尊敬している加津子なのだが、義父の事をだんだんと一人の男として見るようになり、敬愛というより愛している事を隠そうとしなくなる。そして風呂に入っている義父の背中を流そうと全裸で入浴するシーンは圧巻。撮影時の裏話的な話で事の真相は定かではないがが、三國連太郎の指が「悪戯」をしたとかしないとか。

 三國連太郎の撮影秘話は昔から沢山あって、「30代の時に老人役をやることになって、歯を10本抜いて撮影に挑んだ」とか「共演の萩原健一に対し、本気で殴るけど許してね、と事前に言ったとおりボコボコにした」なんてかわいい方で、ベットシーンの相手役だった岡田茉莉に「この人ほんきです!」って泣きながら突き飛ばされた。佐久間良子とのベットシーンでも問題が起こり、その言い訳が「監督が、本番スタート、って言ったからだ」と。そんな逸話を考えると全裸の倍賞美津子に悪戯をしたってのも本当のような気がするが、そんな事が湯の下で起きていようと倍賞千恵子が義父である三國連太郎に迫っていく様子は、とても演技には見えない強烈なものだ。目つきなんて本当にヤバイ。


 義父を演じた三國連太郎。上記の通り実際はスケベ~なオヤジなんだろうけど、難しい役どころを見事に演じ切っていてさすがだ。どれほど難しい役だったのかは次に記載の通りだ。

 ①殺人者である息子を愛してはいるが憎んでもいる。

 ②敬虔なクリスチャンであり、それ故に行動や思考を自ら縛っている。

 ③息子の嫁が自分に好意以上の恋愛感情を抱いているのを知っている。

 ④息子の嫁に対し肉欲を覚えている。

 ⑤上記④の感情を必死に抑えて耐え続けているが、ともすればタガが外れそうになる。

 ⑥妻:ミヤコ蝶々は上記③④⑤を全て見透かしていて、それを夫の三國連太郎に言う。それも息子の嫁がいる前で。


 この映画って、緒形拳演じる榎津巌の殺人と逃亡、それと新たな殺人がメインストーリーなんだろうけど、巌の父:三國連太郎の「息子が殺人を犯したゆえの苦悩」と「息子の嫁との許されない関係を断ち切れない苦悩」と「肉欲を覚える敬虔なクリスリャンの苦悩」みたいなものが倍賞美津子とミヤコ蝶々の二人によって見事に浮かび上がらされていて、もう一つのメインストーリーなんだよね。まるで別のお話を一つの映画に纏めたように感じるほど、インパクトが強い。


 それと殺人者の巌が大学教授に化けて長逗留する旅館の女将:ハルが小川真由美。みごとな脱ぎっぷりで、上記の倍賞美津子の風呂場での三國連太郎との濡れ場に対抗するような妖艶な演技が……もうこの女優の濡れ場は演技には見えないのは俺だけか?


 そしてハルの母親が清川虹子:ひさ乃。この婆さんも凄くて、人を殺してムショに入っていた過去があるのだが、娘:ハルに完全寄生している。ハルの旅館も実はスポンサーがいて、そのスポンサーとねんごろになっているが故にーー簡単にいうと妾だから女将を続けていられるのを知っており、さかんに「もっとかわいがってもらえ」と娘にアドバイスする、まるで女郎屋の女主人みたいな婆。

 そんな婆なのだが、巌が大学教授ではなくって指名手配されている殺人犯だと解ってからは、凄みのある演技を披露する。いや~~清川虹子って女優さん、顔と名前はなんとなく知ってはいたけど、凄いわ~。「猫を被って小さくなって暮らしてるんだけど実は娘に寄生するごく潰し婆」と「過去に人を殺している事を隠さない前科者の婆」を完璧に演じ分けてて、大して出てこない役どころなんだけど存在感は半端ない。


 それと巌の母役:ミヤコ蝶々。この女優さん、実生活では二人目の夫と二人で夫婦漫才をやってた時期もあり、その頃に「夫婦善哉」って番組の司会を夫婦でやっていたらしいのだが、夫の浮気癖が治らずに離婚したのだが、それでも夫婦善哉の司会を二人でやり続け、「実は離婚してますねん」って発表をその番組でやったらしい。だけど離婚後も元夫との付き合いは続き、元夫が糖尿病を悪化させて入院した際は、「ほかに看病する人がいない」という理由で死ぬまで面倒をみたそうだ。いや~~、実生活が映画になりそうな女優で、そんな生き様がこの映画での存在感に繋がってるんだろうな。

 ミヤコ蝶々演じるお母親は息子の巌には徹底した甘々で、いつか大成するって信じてるーー現実を見ることが出来ない親バカ。だけど、巌の嫁が自分の亭主に色恋の感情を持っているのに気づき、亭主も堪えてはいるようだが息子の嫁を女として見ているようだと分かり、「私も女たい、お父さんを加津子に盗られとうない」という強烈な言葉を吐く。

 そして嫁の加津子はそんな事を姑に言われている事を知っても、姑が死んで亭主の巖が死刑になった後には義父と二人で暮らせる事に喜びを見出していて、「お父さんが寝たきりになったら、私、お父さんのよだれ口できれいに舐めますけん」とこれまた強烈な言葉を吐く。


 いやーーーー、この二人の女の台詞ってもの凄く生々しくて、下手な女優だったら何べんやってもNGなんだろうけど、すごい女優だわ。そして、こんな強烈な言葉を投げつけられる三國連太郎の返しの演技が見事なんだよな~~。うんうん、たんなるスケベ爺じゃないわ。


 映画の終盤、警察の取り調べがひと段落ついた巌:緒形拳のもとに父親:三國連太郎が接見に行くシーンがある。その際、三國連太郎が「お前はカトリック教会から破門になった」って事を言うんだけど、それを聞いた緒形拳が「今更か?!」って大笑いするんだよね。その笑い方がなんていうのか「マジで吹き出してんじゃないの?」って思える演技で、観てるこっちまで笑っちまった。

 そしてその後の親子の対決シーンが圧巻。


 緒形「あんたは俺を許さんか知らんが、俺もあんたば許さん。どうせ殺すんじゃったらあんたを殺しゃあよかった」

 三國「お前に俺は殺せん。お前は親殺しのできる男じゃなか」

 緒形「それほどの男じゃなかってことか!」

 三國「恨みのない人間しか殺せん人間たい。お前は」

 緒形「ちくしょう! あんたを殺したい!」


 そんなやり取りの後、三國連太郎が緒形拳の顔に唾を吐きかけるシーンがあるんだけど、三國連太郎は「口に唾をいっぱい溜めてから思いっきり吐きかけた」と後に述べている強烈な対決シーンだ。



 緒形拳演じる榎津巌がサイコパスなのか? というのも巌は詐欺罪でも服役しているんだけど、サイコパスには詐欺という犯罪は出来ないって説がある。まぁ確かにサイコパスっていうのが未だに解明され切ってはいないってのもある。そして、この映画で描かれた榎津巌が弁護士や大学教授に成りすますんだけど、それが詐欺師って側面もあったからなのかというと、どうも違うような印象を受ける。なんとなくだけど「別人格」になる快感みたいなものが凄くあったんじゃないかな。っというのも、巌の詐欺行為に関する才能って物凄いんだけど目的がハッキリしない。いとも簡単に相手を騙すんだけど騙し取った金が高々10数万円程度で、そんなはした金を得る為に危険を冒してまで…ってのも良く解らないし、更には騙した後にどうして殺したのかっていうのがもっと解らない。だからといってにサイコパスだったとも言い切れないような……というのも殺人の理由が「殺したかったから殺した」じゃない気がする。逃亡もそうなんだけど、それこそ「小便をちびってしまいそうなほどのスリル」に身を置いていなければ生きていられないーーこれってやっぱりサイコなのかもしれないけどーー異常者だったんじゃないか、ってな印象を持ったな。


 俺はこの映画を何度か視聴していたが最近もう一度観てみた。そして上記に書いたような疑問というか、もっと知りたいという欲求が強くなり、映画の原作である小説を買おうと決めた!

 っで調べたのだが、なんと改訂版が2009年に出版されていた。それも「綿密な取材と斬新な切り口で直木賞を受賞したノンフィクション・ノベルの金字塔を三十数年ぶりに全面改訂した決定版」とのうたい文句だ。

 マジ? 改訂しちゃったの? それも全面改訂って……それって新たに取材を積み重ねての改訂なの? それとも「この部分を付け加えた方が面白い」って盛った?


 とりあえず俺は改訂版を買った。うんうん、これから読んでみるけど、一抹の不安をぬぐい切れない。

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