第22話 アバウト・シュミット
2002年制作のアメリカ映画だ。
主演はジャック・ニコルソン。彼はこの映画でゴールデングローブ賞の主演男優賞を獲得している。アカデミー賞でもノミネートはされたが残念なことに受賞には至っていない。だが、この映画は良作だ!!
ジャックニコルソンと言えば「バットマン」では悪役ジョーカーでの怪演や「シャイニング」では狂気に取りつかれた男の役、それとなんと言っても「カッコーの巣の上で」の主演が超有名だ。
ちなみに「カッコーの巣の上で」でジャックニコルソンはアカデミー賞主演男優賞を獲得している。役どころは未成年への婦女暴行で捕まった中年男なのだが、強制労働を逃れるために精神病を装う。そして映画の最初の方で精神病院に入院前に院長と会話をするシーンがあるのだが、自分の精神状態を話すジャックニコルソンの演技は全てアドリブだったらしい。こんどもう一度観てみよう。
とにかくクセの強い役を演じる事が多いジャックニコルソンなのだが、この映画ーーアバウト・シュミットでの役柄は一味違い、先ず「あ~~、こういう役もこなせるんだ」って感想を持つ映画だ。
ちなみに題名の「アバウト・シュミット」なのだが、ジャックニコルソンが演じる初老の男の名前が「ウォーレン・シュミット」だから主役の名前を題名に取り入れてはいるのだが問題なのが「auotu」だ。
アバウトと言えば「大体」とか「大よそ」又は「あいつはアバウトなヤツだ」と言えば「大雑把なヤツ」というようの意味で使う言葉だと思っていたが、実は相当に意味の広い言葉だそうで「ある中心となるものの周辺を漠然とぼんやりと指す」言葉でもあるらしい。この映画の題名はおそらくそれだろう。「シュミットという男を中心に、その周辺の事柄」みたいな意味なんじゃないかな~
とにかくこの映画、お涙頂戴のヒューマン系感動ドラマではない。なんていうのか、どこにでも居そうな男の孤独で哀愁のある人生ーーまるで自分の思い通りに進まない人生を受け入れて淡々と生きていく様が、ほんのりと温かさを誘ういい映画だと思う。
ストーリーを簡単に説明すると、保険会社で働いていた平凡な初老の男がジャックニコルソン演じるウォーレン・シュミット。
そのシュミットが定年退職によって職場を去るところから物語が始まり、退職後は妻と二人でキャンピングカーを使ってアメリカ中を旅しようと計画していたのだが、そのキャンピングカーが届いた途端、妻が死んでしまう。おそらくは心筋梗塞。
ちなみにこの映画を視聴する人が「男か女」かで観方が大きく変わってくると思う。俺は言うまでもなく男です。更に言うと、実は俺の親父が数年前に亡くなりお袋が未亡人として元気にやっているのだが、逆だったらーー母が先に亡くなり親父が生きていたらと考えることがある。年を取ってから妻に先立たれた男は……さみしいだろうな~~つらいだろうな~~。いつか自分もそうなるかもしれないなんて絶対に考えたくもないもんな。
話を戻すが、葬式のバタバタも済んだ頃にシュミットは「自分にはやることがない」って事に改めて気づかされる。元いた職場に行っても厄介者のような扱いで、これといった趣味もない。だけど以前と同じように定時に目が覚める。
数少ない友人もいたのだが、妻の遺品を整理していたら妻がその友人と浮気をしていたのが判ってしまい……。これってどうなんだろう……シュミットはブチ切れちゃって友人との関係が終わるんだけど、俺はきっと仲直りするんだろうなって思う。でなければ社交的でもないシュミットの残りの人生は寂しすぎるし、不謹慎に聞こえるかもしれないけど亡き妻の事を語り合うにはうってつけの友人のような気がする。
それにしてもシュミットが言っていたのだが「俺の残りの人生はあと5年だ。俺は保険会社で長年勤めていたプロだから解る。妻に先立たれた男の平均寿命はそんなもんだ」という台詞。うん確かに5年って言ってたと思う。実際にそうなんだろうな~って漠然とだが妙に心に残った台詞だった。
シュミットは遠くに離れて住んでいる一人娘の結婚式にキャンピングカーで向かう。しかし本心は祝福する為ではなく、なんとか結婚を思いとどまらせようと考えているのだ。とにかく娘が選んだ男が気に入らないシュミット。確かに「ねずみ講のようなシステムのウォーターベット販売」をやってる男で、どうみても生活力に乏しくって見た目も妙に怪しいんだよね。だけど娘が選んだんだからどうしようもなくって、結婚式ではまともなスピーチをする。
娘と結婚する男、ランドールって名前なんだけど、ランドールの母親役がキャシー・ベイツ。俺の大好きな女優が出てきてビックリ。
話がまたまた逸れるがキャシー・ベイツと言えば1990年制作のアメリカ映画「ミザリー」で演じた狂気の女でアカデミー賞主演女優賞を獲得したオスカー女優なのだが、この映画のアニー役が強烈すぎて「うわ~~何だこの女……やべぇおばさんだろ」って印象を持ちづけた人もいるのだろうが、ハリウッドでは生きる伝説の女優って呼ばれるほどの大女優だ。中でも連続ドラマ「ハリーズロー裏通り法律事務所」では、カッコ良くって人間味があって怒ったら怖いおばさんで、そんでもってキュートな役を、それこそハマリ役だと思うほどに見事に演じている。
ちなみに映画でもドラマでも俺はリーガルものが大好きで、数多くの法廷ものを視聴したがハリーズローが一番だと思う。コミカルな内容ではあるがキャシーベイツ演じるハリーの最終弁論は「熱い!」。必ずしも法廷で勝ち続ける訳ではなくって負ける事もあるのだが、彼女の戦う姿勢はもう鳥肌ものなのだ。
話をアバウト・シュミットに戻すが、キャシーベイツが演じる母親もかなり変わってて、夫と離婚したのか死に別れだったのか忘れたけどシングルなの。そんな母と息子が住む家に泊まらせてもらったシュミットなんだけど、その泊まった家の中庭に意外と大きなジャグジー風呂があって、そこにシュミットが入浴していたらガウン姿で現れたキャシーベイツがハラリとガウンを脱ぎ捨てて堂々のスッポンッポン。
観ていた俺は思わず声が出そうになったほど驚いちまったぜ。
彼女は1948年生れだからこの映画制作時は54歳。うんうん、女優によってはまだまだ凄い身体してるって人もいるだろうけど、キャシーベイツは「映画ミザリー」でアニー役を演じてた時が42歳だが、その頃からやっぱり太ってて……まさか脱ぐとは思わなかった。うん、裸の後ろ姿と胸を「ど~よ」とばかりに映し出された時には、まさか下半身も出したちゃうの? って見たくないような、でも見たいような……観てるこっちがドキドキしちゃったのだが、さすがにそれはなかった。
この映画のエンディングについて触れるには、話を少し戻さなければならない。それはシュミットが偶然テレビで見かけた「アフリカの子供たちを支援する団体」に毎月22ドル寄付をすることによって養子縁組となる事を知って実行に移す。そして縁ができたンドゥグ君にいっぱい手紙を書くんだけど、その内容が周りの人間に対する恨みめいた内容だったり、自分の人生感を基にした説教じみた内容だったり……しかし幼いンドゥグ君は字が読めない。それを知ってもシュミットは手紙を書き続ける。
娘の結婚式が終わって自宅に帰ってきたシュミット。ンドゥグ君からの郵便物が届いていて、それを開けると絵が入っていた。その絵は太陽の下で子供と大人の二人が手を繋いでいる絵なんだけど、その絵をじっと見つめるシュミットの目から徐々に涙が溢れていって、映画は幕を閉じる。
このエンディング、シュミットがなぜ泣いたのかについて色んな意見があって、「こんな自分にも繋がっている人がいた」ってそれがメチャクチャに嬉しかったからだと解釈している人が多いんだけど、俺は別の解釈をしていたな~。
送られてきた絵って、本当に幼い子が描いた何気ない絵なんだけど、温かいんだよね、物凄く。遭ったこともないシュミットと自分が手を繋いでいる事を想像して書いた幼い絵なんだけどね。温かみがすごく伝わる絵なの。その温かみに触れて初めてンドゥグ君のことに思いを寄せたんじゃないかな。今まで随分と手紙を書き連ねていた自分なんだけど、本当の意味で優しさみたいなものが自分にあったとは言えないってことに改めて気づいたんだと思う。
もの凄くちっぽけな人生を、あのジャックニコルソンが見事に演じていて、この映画はいずれまた観たいと思う映画だ。




