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第11話 ある少年の告白

 2018年制作のアメリカ映画で俺の大好きなニコール・キッドマンが出演していたので視聴したのだが、この映画はとんでもないわ。

 原作は「アメリカでは現在も多数の州で実施が認められている【矯正プログラム】」を実際に受けた作者が書いた実話。その実話をもとに制作されたのがこの映画だ。


 主演はルーカス・ヘッジズ、そして彼の両親役にニコール・キッドマンとラッセル・クロウ。ちなみにラッセル・クロウと言えば2000年公開の映画「グラディエーター」でアカデミー主演男優賞を受賞したオスカー俳優だ。その映画ーーグラディエーターでは剣を使っての肉弾戦を見事に演じたアクションも熟す俳優だったはずがーー1964年生れだから2018年当時でも54歳だからまだ老齢の部類には入らないはず。しかし、いや~太っちゃって太っちゃって…かなりビックリ。なんていうのかクマのプーさん状態なもんで、ニコール目当てで視聴した俺などは「あれ~~、この俳優ってラッセル・クロウに似てるけど…」てな具合。


 話を戻すが、この映画ーー「ある少年の告白」を視聴した際に感じた事は、「アメリカってやっぱり変な国だよな」というのと「アメリカなのに未だにこんな事が許されてるの?」ってのが混じった複雑な印象を覚えた。ただ時間が経って冷静に考えてみれば、「アメリカ合衆国というよりは、アメリカ人ってこんな風で俺たち日本人からしてみたら、未開の原住民みたいな思考しか持ち合わせていない人って多いよな」という結論に落ち着いた。


 アメリカといえば資本主義国家で自由の国で、日本なんかよりも色々な分野で先進的で、女性の活躍だって物凄く進んでいて、LGBTーーレズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダーに対する差別をなくす活動だってアメリカやヨーロッパから日本に入ってきた人権問題…っていうような印象を漠然と持っている日本人は多い。

 しかし冒頭にも記載した「アメリカでは現在も多数の州で実施が認められている【矯正プログラム】」が凄まじい。まるで原住民のある部族で病気を治癒させるシャーマンのような男が牧師なのだ。そしてその牧師が治癒させようとしている病気がLGBT。これって映画を観れば誰でもそう思うのだろうが、「はい? 治しちゃうの…LGBTを??」。そして治癒させるがためのプログラムが【矯正プログラム】なのだ。「え…? それってどういうこと?」と思われる方も多いだろうから、もう少し詳細に書くが、牧師だから所属組織はキリスト教のプロイテスタント系の宗派なのだが、その宗派の教えでは「ゲイやレズ、さらにはバイセクシャルを含めた同性愛は病気であり、もっとはっきり言うと【神の教えに背く罪】だ。そしてそれは先天的なものではなく後天的なものだから治せるんだ!!」という大前提があって、矯正プログラムという名の一種の洗脳を堂々とやるんだよね。そう堂々と。


 神の教えーー聖書では人類の始まりはアダムとイブからだから、一対の男と女が愛し合って子を授かるってのが正しい姿。だがらセックスだって快感を得る事を目的にしてはダメで、あくまでも子を授かるための行為。それってプロテスタント系だけでなくカトリック教会だって同様で不倫は大罪だしオナニーだって勿論NG。だからこの映画の中でも矯正プログラムを実施する施設に入所している若い男女が10数人いるんだけど、その内の一人の女の子が、レズ行為でどのような愛撫をしかたかの詳細や何時オナニーをしたかについてみんなの前で発表させられるんだよね。自分の罪を自ら認めるって意味で。


 話は逸れるけれど欧米人ってセラピー好きだよね。あれってカトリック教会の懺悔室での告解が古くから当たり前になっていたキリスト教徒の影響だよね。それにしてもグループセラピーってどうなんだろう?? まぁ確かに酒を止められない人たちが互いに励まし合っていこうという集団ーーグループセラピーは理解できなくもないけど、罪を告白し合って善人になろうってのは、俺には理解できない。ちなみに20代の頃に俺の友人が遠い親戚だか何だかの付き合いで、よくわからない宗教ーーみんなで悩みを言い合って次の高いステージに行こうっていう集まりに行った時の話を聞かせてくれた。それはこんな具合だ。

「大笑いよ。自分が悩んでいることを順番に言っていくんだけどな、大抵は酒だのパチンコが辞められないって話なんだけどな、太った男の番になって、そいつったら大真面目な顔で、屁が出過ぎるとか言うのよ。俺、吹き出しそうになっちゃってよ、下向いてこらえるのに必死よ。心底くだらねぇ集まりだったわ。義理は果たしたしもう行かんわ」


 蛇足だが俺はガキの頃にカトリック幼稚園に通い、小学校に上がってからの1年間くらいは何を思ってか日曜日ごとにルーテル教会に通っていた。母親に聞くと俺は寝る前に「天にまします我らの神よ…」ってお祈りしてたそうだ。しかし今となっては何一つ覚えてないわ。ギャハハハハハ。それと何かで聞いたか読んだか定かではないのだが、カトリック系の女子高でも告解ってのがあるらしいけど、そのほとんどは「ウソをついてしまいました、同級生に意地悪をしてしましました、オナニーをしてしまいました」ってのが圧倒的に多いらしい。これってどうなんだろう? 言えば楽になるのかね。そもそも罪を犯してしまったって苦しんでいたのか疑問だ。もしかしたらあえて辱めを受けたいって人もいるような…


 話を再び映画に戻すが、この映画の背景というかアメリカ人って、とにかく宗教が大好きなんだと思う。よく日本人は、初詣やなにかの祈願には神社に行って、先祖の命日にはお寺さん呼んで、クリスマス祝って、しまいにはハロウィンでどんちゃん騒ぎやって、とにかくどんな神様であろうとウエルカムの宗教好きだと言う人もいるが、アメリカ人の宗教好きには敵わないと思う。

 ヨーロッパ諸国であればドイツのように教会税なるものを徴収しなければ教会財政が危うくなる国も少なくない。かたやアメリカでは教会税などないのだが1800以上の異なる宗教が存在しており、その内半数以上がユダヤ・キリスト教的伝統を持った宗教らしい。

 そしてある調査結果では、アメリカ人の内おおよそ1億人は宗教なんてどうだっていいと考える人たちで、別の1億人は科学を根拠とした人生観を持った人たちで、更に別の1億人が教会を心の拠り所にしている人たちだという相当にザックリとした調査結果なのだが、その1億人ーー教会を拠り所にしている1億人が休息日ごとに教会に拝礼に出向く熱心な信者であり、先進国の中では極めて珍しい国という背景があるのだ。


 おまけにアメリカにはちょっと変わったーー日本人には理解できないカースト制があって、そのカーストの上位の人たちーーこれはあくまでも俺個人の勝手な解釈だと前置きするがーープロテスタント系の信者たちが、やはり自分たちが信ずる教会を中心にコミュニティを形成していてーーこれって物凄く厄介だと思うんだけど、例えば隣近所に別の宗派の熱心な信者がいたとするじゃない。すると必ずしも敵対関係になる訳ではないだろうけど、大の仲良し関係にはならないだろうし、休息日ごとの拝礼だって同じ教会に行く者同士で連れだって行く事も多いから、結局は宗派ごとのコミュニティって案外多いだろうな~。ついでに言うと、そのコミュニティの団結力を高める要因に「カーストの上位」というのがあるような気がする。


 WASPという言葉がある。ホワイト・アングロサクソン・プロテスタントの頭文字を取った略語だが、アングロ・サクソン系のプロテスタントの白人という意味だ。

 もともとはイギリス民族の根幹をなす人々の呼称だったが、現代では多くの意味を持つ言葉になっていて興味深いのが、アメリカでは白人エリート支配層の保守派を指す言葉としても使われている点だ。

 しかし、アメリカは移民国家であるため、先祖がいつ移民してきたのかという時期によっても区別されているらしい。その境界線はゴールドラッシュ以前か以降かの違いで、ヒラリー・クリントの祖先はゴールドラッシュ以降のいわゆるアメリカンドリームを目指して渡ってきた新移民の為に「庶民」という枠に括られるそうだが、ブッシュ家は旧移民ーー真の上級階級ーーカーストの最上位だそうだ。

 ちなみにアメリカはキリスト教でもプロテスタントたちが開拓した国であり、カトリック教徒の大多数は経済的な理由でアメリカに渡ってきた新移民の子孫。それ故なのかわからないが、歴代のアメリカ合衆国の大統領でカトリック信者はケネディただ一人しかいない。


 プロテスタントの宗派はご存じのように一つではなく、ルター派や英国協会派や長老派などの主流派、更には、パプティスト派やペンテコステ派などの福音派ーーとにかくいっぱいあるのだが、共通しているのは「ローマ法王の権威を否定」、「聖書を唯一の信仰の拠りどころとする」点のようだ。

 特に福音派プロテスタントは聖書に書かれている内容は「歴史的な事実だ!」と信じている原理主義的な教えが多い。

 ラッセル・クロウが演じる父親が、このような原理主義的なプロテスタント系教会の牧師で、息子がゲイかもしれない事実を受け入れる事が出来ずに苦しみ、そして己の立場上その事実は「治癒可能な病気」であるとある意味現実逃避し、息子を矯正プログラムを実施する施設に入所させるのだ。


 映画の後半、施設での矯正プログラムに苦しんだ主人公が母親ーーニコール・キッドマンに電話で助けを求めるんだよね。母親はそれまで牧師である夫に従順で決して逆らったりは一切なかったんだけど、息子の涙ながらの助けて欲しいとの電話を受け、毅然と立ち上がり、施設で矯正プログラムを管理・監督している男と対決するシーンはカッコ良かった~。うん、ウルウルもんだった。


 映画のエンドロールに次のような言葉が現れる。

 アメリカでは現在でも36州が未成年の矯正治療を認可しているい……


 いやいやいや、アメリカっていう国は「何でもあり」っていう意味で自由の国だわ。

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