第10話 アートスクール・コンフィデンシャル
2006年制作のヨーロッパ映画かと思いきやアメリカ映画だった。
この映画は青春ブラック・コメディなのだがかなりシュール過ぎてあまり笑えない。
アート界の実態を描いていて、そこは確かに「なるほど、そうだよな~」と感じるところが非常に多い。
例えばこうだ。
絵画で有名なピカソやゴッホ。ヒカソのように生前に評価を受けて描き続けた画家もいるが、ゴッホにように死んでから評価された画家も多い。そのゴッホ、死後にどうして評価されたのかは、ゴッホの弟が「死んだ兄貴を有名にしよう」と奮闘するが、その奮闘も虚しく弟も死亡。それ故にゴッホはそのまま無名の画家になってしまうだろうと思われたのを救ったのが弟の嫁。「夫の兄を私が有名にするんだ!」と大奮闘。めちゃくちゃに宣伝活動をするんだよね。そうしてその甲斐あって徐々に知名度が上がっていったらしい。
ちなみにピカソは父親が美術工芸学校の講師だったこともあって10代前半で基本的な技術のほとんどを父親から学んでおり、ピカソが15歳の時に描いた「科学と慈愛」はマドリードの国展で入賞し、審査員から「これが本当に15歳の少年が描いたのか?」と大変に驚かれた。そんな作品なのだが美術講師の父親がコンクール入選を狙って描かせた「死」がテーマの作品がそれで、ピカソの才能も凄いが父親の教育熱心なのも相当なものだったという。
何を言いたいかというと、要はアートはコネとか切っ掛けが極めて重要な世界で、「才能がある者であば周りが自然と勝手に評価してくれる世界」では決してないのだ。それをシュールに描いているのがこの映画だ。
主人公の青年は頑張っても頑張ってもアートスクール内ですら全く評価されず、当然、世に出る機会・切っ掛けなんてものは全然掴めなくて、藻掻き苦しみ、そして評価された人の作品とか先輩の作品を参考にする内に自分の画風すら分からなくなっていく。そんな映画の後半では主人公の青年は連続殺人犯として逮捕・拘留される。しかしそれは全くの冤罪で弁護士などは「無罪の証拠は揃ってるんだ。どうしてそれを証言しない?」と盛んに主人公を説得するのだが、「連続殺人犯が描いた絵」というのがとんでもなく売れ始め評価もされ、拘留所でも絵を描き続る姿でエンディングとなるのだ。
よく日本でも芸人やアイドルが描いた絵がテレビなどで「こんな隠れた才能があったなんて…」というように紹介されるケースがあるが、確かに俺みたいな者にとっては「すげーーな、こんなの描けるんだ。やっぱ芸能人って多才だよな~」なんて感心しちゃうのだが、恐らくだが、無名で売れる切っ掛けすら掴めないでモンモンとしている自称画家達の中には、あの程度の絵を描ける者などゴロゴロいるのだろう。芸人やアイドルは「本業でテレビに出演できる」というコネがあるから多くの人に自分が描いた絵画を見せる事が出来、そして「芸人が描いた絵、アイドルが描いた絵」として買い手がついているのだろうと、この映画を観て感じたし、それがアート界の実情だろう。
蛇足だが、この映画はアート系の学校での出来事が描かれているために、教室にヌードモデルを招いてのデッサン場面があるのだが、そのヌードモデルが女性であった際には後ろ姿や首から上しか映さないのだが、男のヌードモデルが出てくるシーンではボカシなしでブラブラしちゃってるのを平気で映すんだよね。まぁ、性描写ではないから映画の倫理規定なるものにも引っかからなかったのだろうが、男の俺でさえ「うわ…」って感じだった。一緒に視聴していた嫁なんか「え……ぇぇええええ??!! なにこれ…丸出しって、ちょっと~何なのこれ」などと言いながらもガッツリ凝視してたわ。なんやかんや言いながらも見たいんだね。