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螺旋山

作者: 斎垣 盛

螺旋山


どこぞとも知られていない山の麓にて二人の旅人がその天辺を望んでいた。

「さあ僕、あの山の天辺にある物が何か分かるかな」

「あの銀色に光っているヤツですね。しかし隊長、光があまりに耀かしいので形も何だか分かりません」

「そうだな、形は誰にも分からないさ。ただ、自分も他も信じて疑わない周知の噂によるとな、あれは僕らの世界で一番のお宝らしいんだ」

「それで僕らはあのお宝を目指して今ここにいるんですか」

「当たり前だ。他に理由はない。さ、登ってしまおう。誰よりも早く」

そう言うと隊長は鼻を大きくふんと鳴らして早速坂道に足をかけた。しかし間もなくして僕のそぞろに放った言葉が隊長の足をとめた。

「隊長、そもそもこの山は何と呼ぶんですか。こんなところ、見たことも聞いたこともないんです」

「なんだ立て看板を見なかったのか。ここは螺旋山と言うらしいんだ。そうだ僕、栄螺は知ってるかな」

僕はこの前海辺の旅館で食べたあの巻貝を思い出した。

「知ってます。ああやってぐるぐる縦に巻かれた形の貝の事ですよね。僕はあんまり好きじゃないんです」

僕が私事をこっそりと吐いたところ、隊長は微笑して言った。

「自分も実は苦手なんだ。まあとにかくそんな風だよ。この山の道は天辺に到達するまでただひたすらにぐるぐると続くらしいんだ。だから、栄螺が縦に巻いている様子と似ていると言うことだな。そうやって縦長に巻かれているのを螺旋とも言うからそれが由来なんだろうね」

「なるほど」

僕はその後もまだ何か言いたいことを心に残した気がしたが、話し終えるのを待ちわびたと言わんばかりに颯と歩み出す隊長を二度も引き止めることはしなかった。


「隊長、そんなに急ぐんですか」

出発して間もなく、隊長の足取りは慌ただしかった。ただ前だけを見てづかづかと歩くので僕はいつでも置いていかれそうであった。

隊長は振り返ることなく答える。

「そうだ。急ぐんだ。急がなくてはならない。もしあの宝を同じように狙っている人がいたとしたらどうする。先に山を登っている人がいたら。僕らは一刻も早く、誰よりも早く天辺にたどり着かなくてはならないんだ」

「はあ……」

隊長は全く足を緩める素振りを見せない。故に、もう既に疲れかけている僕が隊長に置いていかれることは時間の問題だと感じた。


隊長は本当にいつまでも速く歩き続けた。

随分と長く登って、ついて行くことがやっとの僕は天辺がいつ見えるか分からない不安も相まってつい隊長にこう言った。

「隊長、僕はもう疲れました。ここらで一服しましょう」

と。しかし隊長にとって僕の放った言葉は禁句らしかった。

「ありえない、だめだ。休んでいる暇などない。一度一服に頼ってしまったら理由を見つけてまたすぐに一服しようとするのは僕らの、もしくは人間の御得意芸だろう。そうやって嵩んだ時間が他の旅人に宝を譲るんだ」

隊長が僕の言葉を禁句と感じたように隊長の持論は僕にとって横暴であった。実際隊長は僕の異常なほどの疲労にさえ一つの目配せもしないつもりに見えた。足踏みに合わせてただ「早く、早く」と連呼するのであった。


さてついにどこまで歩いてきたなどどうでも良くなった。息は一時も整わず、足は肉が削げ落ちて骨のように細くなり、立つことに耐えうる域を超えてまで歩く僕の体はもうどうにかなってしまいそうであった。

さあここに来て隊長が今までとはうって変わり、口を開いてはぼそぼそと何やら呟きはじめた。

「あ、ああ、ああ怖くなってきた。僕らを脅かす何かがいる。無数の目が瞳孔を開いて草木の隙間から僕らを見ている。狙っている。狙われている。僕らを見ていないようなヤツでさえもけらけら笑いながら隠れてこちらを見ている。僕らの後ろに追っ手が見える。波の押し寄せるようにどうどうと手を掻いて僕らの足をとろうとしている。目的を同じくする獰猛な獣が。ああ、ああ」

この時隊長の呼吸も荒かった。しかし相変わらず歩く早さは変わらないどころか益々早くなるのだ。これは流石にたまらないと僕はこう言った。

「僕はもう疲れました。ここらで一服しましょう。」

「だめだ。休んでいる暇などない。彼奴らに足を喰われて引き摺り回されたくはない。今の苦労よりも後悔の方がよっぽど苦しいはずだ。その為ならば進む以外に道はない。あの宝を手に入れるためだけに歩くんだ」

やはり僕にとって隊長の持論は暴論でしか無かった。まるで僕への労りは皆無だったからだ。僕はついにこの言葉を発することに耐えられなくなって口にしてしまった。

「そんなにあの宝が大事ですか」

この質問を耳にした隊長は初めてそこで立ち止まった。そうして一言吐き捨てるとまた歩み始めてしまった。

「どうしてついてこられないんだ。心だけなら我武者羅にでも進めたのに」

この言葉を聞いた僕はまた嘔吐した。


それからなんど同じ景色を見て歩いただろう。天辺のまだ見えないうちに、すでに僕の疲労は一線を越えていた。こうなってしまうと、もうしばらく黙ってきた僕も、あの「一服したい」という願いを何としてでも押し通さなければならなくなってしまった。ここからが僕らの地獄の堂々巡りであった。ただ、ただ、

「隊長、疲れました。もう一服しましょう」

「だめだ」

「隊長、一服しましょう」

「だめだ」

「隊長、無理です」

「だめだ」

「なんとか」

「だめだ」

「隊長」

「だめだ」


「隊長!僕はもう死んでしまいます!」

「だめだ!」


その時であった。隊長の背後でぐしゃりと鈍い音がして、流石の隊長もこれには振り返った。その一瞬で、隊長は自分の体からさっと血の気が引いてゆくのを感じた。

「だめだ、だめだ、だめだ、だめだ……」

隊長は膝から崩れ落ち、震える指は僕の体に触れたとたんにがしりとその体を掴んだ。しかし隊長の思いを受け止める器は、もう小さな赤黒い塊となってぼろぼろと指の間を流れゆくのだった。やがて真っ白い骨も地面の砂埃と区別のつかぬほどに細かく砕け、僕の体はどこにも見当たらないのだった。

「僕が死んだ」

遥か高い山の旅で僕は僕自身を亡くした。未だ微かに勇み立っている僕の心だけが浮かんでいるのであったが、体という相棒を失った今、僕は隊長でも何でもなくなった。

「残された僕は、残された僕は」

残された意思だけでは何をしようとも意味が無いように思われたが、今更意味を求める気にもなれずとにかくまた前に進もうと考え立って今一度前に振り返ると、眼前には僕に一寸の先も確認させない程の濃い霧が行く手を阻むように立ち込めていた。


ここまでお読みいただきありがとうございました。

いざ目標を高く持つと、どこまで努力すべきかわからなくなるし、達成できなかったらって不安になるんですよね。

心と体は一つのチームだと思うので、どちらの健康にも気をつけて



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