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悠長にその場で会議をしている暇はなかった。このまま征十郎を見殺しになどできはしない。周囲を導かねばならない生徒会会長が危険をおかしてまで行っていい場所なのか。けれども宗純はそんなことは関係なかった。どんな肩書きを捨ててもいい、友人として彼を助けに行こうとした。
「待って下さい! 行っては駄目です、あなたは学園を導かなければならないお方、それにこのまま行ったとしても桐山先輩を助けることはできません!」
数人の会員が不安定な状態の生徒会長を押さえつける。がむしゃらに立ち向かおうとする宗純を止めるにはそれだけで複数の人間が必要となった。
「離せ、会長命令だ!」
暴れる宗純。大事な仲間を失うくらいなら自分が死んだほうがましだった。
首に手刀が加えられるその時まで、彼は生徒の羽交い絞めという手枷を外そうと暴れ、もがき続けた。
「一体、ナんの騒ぎデスか?」
手刀を入れた当人、シルヴィアが周りの会員に訊ねる。
昏倒する会長を見て、唖然としていた会員たちだったが、すぐさま平静を取り戻す。一人が征十郎が男子トイレに入っていったことを話すと、
「ったく、しょうがねえなぁ」
そう言い終えるとほぼ同時に、もう一人の幹部、大橋が身体に見合わぬ驚くべき速度で走り出した。彼は征十郎の入った男子トイレに向かったのだ。
そして、まだ数分も経たぬ内に肩に武士を軽々と担ぎ上げ、戻ってきた。肩に乗る征十郎はグッタリと力なく腕を垂れていた。
「ダハァ〜ッ……死ぬかと思ったぜ」
息を荒げて、大橋がそう呟く。
どうやら、トイレの中ではずっと息を止めていたらしい。彼の苦しくもおどけた様子に何人かの会員が失笑を零した。
「あぁ? おうおう、お前らいい度胸じゃねーかぁ、なんならお前たちも、このヘッポコ侍の真似してみるかい? えぇ?」
口から泡を吹いて、悶絶する征十郎の顔をクイッと持ち上げて、会員のほうへ向ける。彼の言葉に笑った者が屈服するまでに大して時間はかからなかった。
「だがよ、ありゃぁ、マジでやべぇぜ」
大橋は額の汗を拭うと、周りに話し始めた。
「一体、男子トイレに……何があったんですか?」
恐る恐る、訊ねる会員の一人。
「ありゃ、魔窟だぜ。流されずにそのまま残っていやがった」
「なんということだ……なんて恐ろしい」
起き上がり、冷静さを取り戻した宗純は頭を抱える。数日の放置によって、熟成された香りを発しているであろう、それは既に彼の想像に値しなかった。
「途中までは征十郎も頑張ってたんだぜ? 腰の相棒を抜き放ち、こびりつきを剥がそうとしていたんだ」
だが、あと一歩というところで力尽き、大橋に運ばれた。もし、彼が来なければ、そのまま死んでいたかもしれない。
「礼を言わねばならぬのだろうな……」
宗純に僅か遅れて、気を失っていた征十郎も目を覚ます。
「お、征ちゃん。目が覚めたか」
「……私の……飛燕は?」
それには答えず、征十郎は息を荒げながら愛刀の所在を訊いた。
「悪りぃ、征ちゃんの相棒も助けてやりたかったんだがな……俺が行った時にゃあもう、錆びて使い物にならなくなっちまってた」
「そう……か、無念だ」
目を瞑ると、征十郎は一人黙祷を捧げる。気がついたとはいえ、もう彼の戦線復帰は不可能だろう。
「で、これからどうするよ? 原因は解っただろ。普通の人間が入れるような場所じゃねぇって」
「――クッ、だが、行かねばならぬのだ。そうしなければ、緑川学園に平和が訪れることはない」
「待ッテ、下さい」
「ん? シルヴィア、どうした?」
「……わたしは、会長に行ッテほしくナイ。理由は……言えマセん」
「……まさか、何か事件について、知っているのではないだろうな」
「ちっ、違いマス! 私は私は……」
冷たい言い方で不信の目を向ける宗純に、反論しようとするシルヴィア。しかし、声に出す前にその口をつぐんでしまう。
水槽の中、必死に酸素を取り込もうとしている金魚のようだった。
そんな様子の彼女を見て、大橋は自らの顎を撫でた。
「ははぁん、なるほどねぇ……フフン。まぁまぁまぁまぁ、会長、怒りなさんなって。誰にでも秘密にしたいことの一つや二つありまさぁ、ねぇ」
「……」
大橋のウィンクにも沈黙を守るシルヴィア。
「どういうことだ?」
「全く会長、あんたも隅に置けませんぜ、男なら解るでしょうや、えぇ?」
大橋は言いながら、胸の辺りを小突く。
宗純はその勢いに押されて後退りする。
「むむ……」
その言葉の意図するところを吟味し、考え込む。ただ考え込む。しかし、そもそも何を考え込めばいいというのか。それすら解らない。答えは浮かばない。
「……やはり、解らない。すまんが、教えてくれないか、どうして、何故私が男子トイレに行ってはいけないのか?」
宗純はシルヴィアに再度、問い詰めることにした。すると、シルヴィアは宗純の顔が間近になるにつれ、顔を紅くする。
「わ、わた……わた……」
「もう、言っちゃった方が楽かもしれませんぜ、姉さん」
大橋がシルヴィアの耳元で小さくささやく。自主を促すドラマの刑事のようだった。彼女の瞳孔は、いまや強い光を当てられた猫の目のように開きっぱなしだった。激しい鼓動を抑えるように胸を押さえる。目の前の会長は不審げに覗き込んでいる。
「わ、わた……」
じっと見られるその恥ずかしさに耐えねば、これ以上先を続けることは出来そうもない。




