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エイモン・ド・ドルドーニュ


 よくある躾よ、とデジレはマーリンに返事をする。


 おおかた、リナルドが何かをやらかして、父親の怒りを買ったのだろう。


 リナルドは頭から血を流して倒れていた。


 打撲の傷で顔が腫れあがり、黙っていれば女にモテそうな端整な顔立ちも、今は見る影もない。


 酷い怪我だ。戦いで傷ついた男たちを何人も天国に見送ってきたデジレは、『ああ、これは死ぬかもしれない』と思った。


 シャルルが泣きそうになっている理由も分かる。


 彼では、リナルドの父親を止められないのだ。


(なるほど。フランク人の家長は絶対。子どもを小突いて死なせようが、奴隷として売り飛ばそうが、まったくの自由……というわけですね)


 ああ、本当に最悪。


 デジレはムカつきながら、リナルドの父親の前に立った。


「なんの騒ぎですか」


 デジレが高圧的な態度で詰め寄ったので、周囲の男たちは一瞬手を止め、彼女に注目した。


「わたくしはロンバルディア王の娘、デジレ。わたくしの問いを無視することはロンバルディア王を無視することと同義と考えなさい」


 エイモンはドルドーニュ家の当主だ。ぺパン王の父方の縁戚に当たり、王妹アヤを妻に迎えている。いわば王族の末席だ。


(なるほど。ドルドーニュ家よりは、ロンバルディア王家の方が格上と言えるでしょうが……しかし、危険ではないですか? 彼らが激昂した場合、あなたには身を守る術がないのですよ)


 フランクの男はちょっとしたことですぐに激昂し、相手を殴り殺す。


 エイモン公がアヤを娶ることになったのも、ぺパン王が彼の甥ユーグ・ド・ブルボンを怒って殴り殺してしまったことへのお詫びなのだ。エイモン公は激怒して、何年にも渡って反乱を続けた。あまりにもしつこい抵抗に、しまいにぺパン王が折れ、和解のしるしとして領地と人命金と王妹を与えた。


 しかし、和解の贈り物を受け入れてもなおエイモンはこのときのことを根に持っており、アヤとの婚礼の夜にもこう言ったという。


「ユーグの復讐はまだ終わっていない。王とその一族は許さないと決めている。そなたに子どもができたら、皆殺しにしてやろう」


 しかもエイモンは、子どもを殺されたくない一心であれこれと気を配るアヤ夫人に、後日こう言った。


「腹立ちまぎれに言ったことなど気にするな」


 フランク人の男を、力の弱い子どもが挑発すること。それ自体が非常に危険なのである。


 しかしデジレは、すでに一度火刑にされている身なので、もはや怖いものなど何もなかった。自身がいつ死のうとも構わない。そういう捨て鉢な気分が彼女を突き動かしていた。


「これは、いったいなんの騒ぎですか?」

「……こいつが、俺の言いつけを破ったんですよ」


 デジレの問いに、エイモンはだいぶ考えてから、投げやりに答えた。


 おそらく、とりあえず殴ろうかどうしようかを考えたのだろう。


「どんな言いつけですか?」

「殺して捨ててこいと言った奴隷を納屋にかくまって、飯を食わせてたんです」


 いったいそれの何が悪いのか、とデジレは思ったが、この国では大罪なのだろう。


「腹にいるのは男の子だから、産ませたほうがいいとかわけ分かんねえことを抜かしやがるもんだから、目を覚まさせてやろうと思いまして。おおかた、奴隷娘に魅了のまじないでも使われたんでしょうよ」


 デジレは吐き気をおさえながら、彼の言うことを理解しようとした。


 しかし一瞬で思考を放棄する。


 蛮族の考えることなど、理解したくもない。


「昨日石打ちの刑にしようとしていた女奴隷のことなら、確かに腹の子は男です。わたくしが保証します」


 エイモンは憎々しげな視線をデジレに向けた。


「何を言っている。生まれる前にオスメスが分かるもんかい。そんなことができるとすればそいつは魔女だ。ははん、読めたぞ。王女様もまじないを使ってこの馬鹿息子をたぶらかしなさったな。魔女がふたりで共謀して腹の子を守ろうとしたわけだ。まったく女ってやつは」


 デジレはエイモンが何を言っているのかよく分からなかったが、考えるだけ無駄と判断して、聞き流すことにした。まじないだとか何だとかは、おそらくフランク人の中でだけ通用する迷信なのだろう。デジレには関係のないことだ。


「わたくしはまじないなんて使ってないわ。ロンバルディアには言い伝えがあるのよ。『母親がとても恐ろしい目にあうと、子どもは男になる』ってね」


 もちろんこれは口から出まかせで、デジレは未来を知っている。だから断言できたのだ。


「リナルドはわたくしを信じただけよ。もう十分懲りたでしょう。そろそろ許してやったらどうかしら? その子、もう死にかかってるわ」


 彼は肩をすくめた。


 それから彼は興が殺がれたとでもいうように、舌打ちして自分の息子たちを集めた。


「おい、帰るぞ」


 彼らは手にしていた剣を鞘におさめ、ぞろぞろと父親について歩き始めた。


 地に倒れたリナルドは動かない。


「待ちなさい、リナルドは?」

「ほっときゃそのうち自分の足で帰ってきますよ」


 グイドが無情に言い捨てる。


 デジレはなんと返したらいいのか分からなかった。


 リナルドには、前世でデジレの火刑に賛成したという恨みがある。それだけではない、アンジェリカにそそのかされてデジレの濡れ衣を真実だと思い込み、義憤にかられた彼は、何度となくデジレを殴った。髪をつかんで引き回した。あのときの痛みは決して忘れない。


 それでも、家族からよってたかって殴られて土の上に転がされているリナルドに、ざまあみろ、とは、どうしても思えなかった。


 なんなのよ、とデジレはいきり立つ。


 デジレが思い描いていた復讐は、こんなのじゃなかった。


 十二勇士たちには、デジレが受けたような、地位も名誉も地に落ちるような屈辱的な裁判を受けて、衆目のうちに火刑にされてほしいと思っていた。


 でも、こんなのは違う。


 まだ声変わりも済んでいないような少年が家族に捨てられて、哀れにのたれ死ぬところを見ても、リナルドに復讐をしてやったという爽快感はまったく起きない。


 だって彼は、まだあのリナルドになっていないではないか。


 シャルルマーニュのいとこで、顔はいいくせに頭が悪くて、アンジェリカにころりと騙されてデジレに見当違いの義憤をぶつけてくる、あの憎たらしいリナルドをぎゃふんと言わせてやったのでなければ、こんなのは復讐したうちに入らない。


「リナルド、リナルド、大丈夫?」


 シャルルが親友にすがりついて泣いている。


 成長してからは怖いものなしでいつも不敵に笑っていたあのシャルルマーニュも、少年に戻れば、こんなに無力だ。彼らは、この国の男は力こそすべてだということをよく知っている。デジレがエイモンやグイドから殴りかかられなくて済んだのは、父王の威光をかさにきたハッタリのおかげに他ならない。


 デジレはうんざりしながら、マーリンを内心で呼んだ。ねえ、マーリン。あなた、凄腕の魔術師だったわよね。


(いかにも私はローグル王国で一番の魔術師です)


 それなら、リナルドのけがぐらい治せるわよね? と、デジレは聞いた。


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