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妃の品格

R-15


「何か文句でもあるのか? シャルルの妃」


 グイドがぶっきらぼうに問うたので、デジレはにわかにほっとした。彼も一応『王子の妃をいきなり殴り殺してはいけない』という、人間として最低限の常識を持っていたようだ。デジレは彼をけだもののような男だと思っていたが、一応は認識を改めておこう。彼はけだものではない。きちんと王家に飼われているけだものだ。


(デジレ姫。彼を説得しましょう)


 分かっているわ、とデジレは胸のうちで答え、すばやくあたりを見回した。


 この状況には、見覚えがある。


(策を授けましょう、デジレ姫)


 デジレの思考を遮って、マーリンが喋る。


(彼女はリナルドの家の奴隷エスクラーヴです。この時代の奴隷は文字通り、所有物ですから、気まぐれに嬲り殺すのも所有者の気分次第ですが、助ける方法があります)


 黙っていて、とデジレはマーリンに脳内で命じた。


 デジレは必死に記憶をたどる。グイドが働いた乱暴狼藉などいちいち数え上げるのもきりがないが、奴隷の娘を石打ちの刑にしたときのことは、かすかに覚えている。そのころのデジレはまだ嫁いできたばかりで、残虐きわまる仕打ちに怯えていたからだ。


「おなかの赤ちゃんの父親を知っているわ」


 グイドは眉をつりあげた。


 実は、それこそがもっとも重要なことだったのだ。


 手持ちの奴隷を勝手に身重にされた者には、相手をぶちのめす権利か、もう少し穏当に行くなら、賠償金を巻き上げる権利がある。


 そこで彼の一家は誰がそんなことをしたのかと問いただしたが、奴隷娘が父親の名前を絶対に明かさなかったので、リナルドの家は怒って彼女を殺してしまったのだ。


 デジレは広場を見渡し、神父のような、後ろを刈り上げた髪型の男を指さした。


「そっちの男よ。その男の家を探させなさい。日付ばかりが並んでいる不可解な紙が一枚、大事に仕舞い込んであるわ。それは彼が他人の妻や奴隷を寝取った記念日よ。あとで、どれが自分の子かを知ってほくそ笑むための記録らしいわ」


 なぜデジレがそれを知っているのかといえば、ずっと後になってから、その男が別の罪で裁かれたときに、拷問されてすっかり白状したからなのだった。


 グイドは、怒りにぎらつく目をその男に向けた。


 おそらくあの神父は、前世のときのように、さんざん小突き回されたあと、自分の財産の大半をはたいて、彼らに賠償する羽目に陥るだろう。


 デジレは慌てて彼を制する。


「彼女を掘り起こすのが先よ、さっさとなさい!」

「こいつは処刑すると、親父が決めた」


 デジレは負けじと言い返す。


「馬鹿ね、おなかの子は男の子よ! 帰って父親にそう伝えなさい!」


 前世で、奴隷娘が死んだあと。


 彼らは言ったのだ。


 ――腹に男の子がいた。もったいないなあ。


 彼らは奴隷娘の、ずたずたに裂けた腹から零れ落ちた胎児を見て、そう言ったのだ。


 無料で元気な男の奴隷が増やせるチャンスだったのに、もったいない。


 彼らにとっては、奴隷娘の命などその程度だ。


 デジレは震えながら、その晩、泣いた。


 おそろしい国に来てしまった。


 人を人とも思わない国に来てしまったのだ。


「兄さん。この子は俺が連れて帰って、父さんに説明するよ」


 リナルドがグイドにとりなしたので、奴隷娘は救われることになった。


「その子の養育費はその神父からせしめたらいいわ」

「言われなくてもそうする」


 グイドがいまいましげに吐き捨て、デジレをぎろりと睨む。


 少し怖かったが、怯んだら負けだと思って、デジレもにらみ返した。


 グイドはデジレから視線を逸らし、神父のほうに向きなおった。どうやら、この場ではデジレに因縁をつけるのをやめたらしい。ケダモノにしてはいい判断だ。


 奴隷娘を助け出し、リナルドが彼女を連れ帰るのを見届けてから、デジレはため息をついた。


(お見事でした、デジレ姫)


 マーリンの声に、デジレははっとした。


(私の助けなど必要ありませんでしたね)


 当たり前でしょう、とデジレは思う。


 前世で、戦いに明け暮れてほとんど城を留守にしていたシャルルマーニュに代わり、デジレが国を治めていたのだから。


 この程度、軽くあしらえないようでは、大帝の妃たりえない。


 恐ろしい男たちの国に怯えて泣いていた十歳のデジレはもういないのだ。


 ここにいるのは、火あぶりにされた恨みを胸に秘め、なりふり構わず行動する堕ちた女だ。


(やはり、あなたにお願いして正解でした。あなたなら、面白いことをやってくれそうです)


 デジレは困惑する。


 この魔術師は、ずっとデジレにとりついているつもりなのだろうか。


 気をつけなければ、また火あぶりだ。


(おや? この時代には、まだ魔女狩りなんて存在しなかったはず……ああ、もしかしてサリカ法典の十九章ですか。『魔術について、草木の汁で人を死に至らしめた者は火刑に引き渡されるべし』。失礼ですね、私は敬虔なイエスキリストのしもべだと、先ほど説明したではないですか。魔術で人殺しなんて、絶対にしませんよ)


 マーリンは少しも怒っていなさそうな口調で形だけ憤ってみせてから、思い出したように言った。


(そうそう、あなたは先ほどすぐに離縁すると息巻いていましたが、やめておいた方がよさそうですよ)


 デジレはもう少しで、「なぜ?」と口に出してしまうところだった。こんなところで独り言を言っていては、怪しまれてしまう。デジレはマーリンの声によく耳を傾けるため、また自分の部屋に戻ることにした。


 その途中で、誰かがデジレにぶつかってくる。


「無礼者――」

「見てたよ? 君、すごいね!」


 デジレに抱き着き、だしぬけに言ったのは、シャルルだった。彼は軽く武装していたので、デジレはあちこちをぶつけて痛い思いをした。


「あのグイドを黙らせちゃった! あいつ本当に乱暴で、俺だって殴られたことがあるぐらいなのに!」


 デジレは呆れるのを通り越して、ちょっとグイドを見直した。よりによって王子で親戚のシャルルを殴るとは、前世での『野人』の名に恥じない直情径行ぶりだ。


「君がやっつけてくれてスカッとしたよ!」


 デジレの顔を覗き込む彼は、今までに一度も見せたことのないような、興味津々の表情をしていた。


「でもね、デジレ、ああいうのはよくないよ? すごく危ないところだったんだからね。いつリナルドたちに襲われるか、俺も気が気じゃなかったよ」


 保護者ぶって、デジレに説教をするシャルル。

 デジレは癇に障った。


「そんなヘマいたしませんわ」


 デジレが言い捨てると、シャルルは目を丸くした。みるみるうちに、にまーっと、口の端が吊り上がる。


 デジレはたじろいだ。な、なに?


 いまだに抱き着かれているのも、デジレには不気味だった。肩から革ひもで吊り下げている大きな盾などが二の腕にぶつかりまくって、痛いったらない。


 早く離してほしいと思っても、一向にその気配はなかった。


「かっこいいねえ! 俺、君みたいな女の子初めて見た!」


 シャルルマーニュは親愛のしるしに、頬にキスをした。ベタベタされたデジレが嫌がってもがいているのにも構わず、一方的にまくしたてる。


「じゃあ、絶対リナルドたちに勝てると思って止めに入ったんだね? あんなにたくさんの大人の男がいたのに! 少しも怖くなかったんだ! すごいや!」


 それは少年が無邪気に抱く、強さやかっこよさへの希求心だということは、デジレにも分かった。


 それでもデジレは、悪意のない褒め言葉に、猛烈な不快感を覚えた。


 彼女は前世から生気に乏しく、あまりぱっとしない性格だった。しかし、王妃の仕事はそれではとうていやっていけない。必死に周囲を急き立てて政務をこなしていたが、本来の彼女はぼんやりと一日中泉に浮かんだ枯れ葉を眺めて暮らすような、物言わぬ置物めいたつまらない女なのである。


 デジレにとっては、必死に城内を駆けずり回り、あちこちに叱咤を飛ばす姿を、やれ男勝りだとか、かわいげがないなどといって周囲にからかわれることほど嫌なことはなかった。


 デジレだって、許されるのなら、愛玩される猫のように、一日中部屋で身づくろいでもして暮らしていたかったのだ。


 かっこよくなんてない。強くもない。


 でも、デジレにそうあれと強いたのは、他でもないこの男、シャルルマーニュだ。


 前世で彼がデジレを大切にしてくれていれば、あんな風にはならなかった。


 焼き殺したりしなければ、復讐を胸に抱いたりはしなかったのだ。


「ねえ、デジレ。もっと君とお話したいな。今夜、君の部屋に行ってもいい?」


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