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神の奇跡と魔術のあいだ


 そうやすやすと滅ぼされたりしないわ、とデジレは思った。


 デジレはずっとフランクの台所を見てきた。政治を見てきた。戦利品の配当や貴族たちの立ち回りを見てきた。


 用兵の癖も熟知している。シャルルやぺパン王の取る作戦だって完璧に先回りできる自信がある。


 不安があるとすればロンバルディア王に大規模な戦争を続行するだけの資金があるかどうかだが、それも聖遺物の盗掘品販売で解消された。


 故郷での防衛戦なら、まず負けない。


 問題は、お告げがあるからといってデジレを離縁したがらないシャルルだ。


 どう攻略したものか考えていたら、当の本人がデジレに飛びついてきた。


「デジレ、デジレは、俺のお妃さまなんだから、俺のところにいてくれるよね?」


 なぜ彼はすぐにデジレを羽交い絞めにするのだろう。


 前世では一度もこんなことしなかったくせに。


 そう思うとデジレはますます苛立った。あの頃のデジレだったら、喜んで受け入れただろうに。何人の側室が子を産んだ後でも、どんなに遅い改心であっても、すべて許して彼の腕に身を委ねただろうに。


 燃やされた女の執念は、そう簡単に消えやしない。


「それは分からないわ」


 デジレは冷たく突き放すように言った。


「わたくしはね、毎日のように、こんな国に来なければよかったって思っているの」


 シャルルの瞳が傷ついたように、かすかに見開かれた。


 デジレはその表情を見て後悔した。今の幼いシャルルは、デジレが憎んでいるシャルルマーニュと似ても似つかない。悲しませても、いらぬ気苦労が増えるだけで、ちっとも胸が晴れたりはしないのだ。


「デジレ……」


 何か言いたそうなシャルルを残して、デジレはさっさと自分の部屋に引きあげた。


***


 ラヴェンナ陥落の報せがフランク中に行き渡った。


 フランク王国としては、教皇に寄進すると定めたラヴェンナの地が征服されたとあっては、黙って見過ごすわけにはいかない。


 まだ戦争には早い季節だったが、例年よりも早く、会議が催されることになった。


 諸侯が各地から集い、王を中心にして卓を囲む。


「ロンバルディア王はなんと?」

「寄進の正当性に疑義を唱えている。ローマ皇帝が教皇にローマを贈った証拠とされる『コンスタンティヌスの寄進状』は偽造であると……」

「なんと……」


 シャルルもまた会議に参加していたが、上の空だった。


 ずっとデジレのことを考えていたのだ。


 最後に会ったときに言われたことが引っかかっていた。


 ――わたくしはね、毎日のように、こんな国に来なければよかったって思っているの。


 デジレの瞳に宿っていたのは、嫌悪感。それから敵意だ。


 今でははっきりと断言できる。


 デジレはシャルルのことを嫌っているのだ、と。


 どうしてだろう、とシャルルは必死に記憶を探ってみた。困ったことに、シャルルは何もした覚えはない。それどころか、むしろ仲良くなろうと努力してきたつもりだ。特に、彼女が高熱から奇跡の生還を遂げたあとは。


 シャルルはデジレの話す英雄叙事詩が好きだった。栄えた都コンスタンティノープルの噂話も好きだった。


 もっとこの子とお話がしたい。昨日よりも今日、少しでも長く一緒にいたい。


 デジレに対する興味は募るばかりだ。


 しかし、どうも彼女はシャルルに冷たい。


 ふとした瞬間に感じる視線には、憎しみがこもっているような気がしてならないのだ。


 彼女はこんな国に来なければよかったと言い、女をもてあそぶ男が嫌いだと言ってはシャルルを突き放す。


 どうしてなんだろう、とシャルルは再度思う。


 シャルルが、フランクに来たばかりで不安な彼女を放っておいたから、だろうか。内心でがっかりしているのが態度に出ていて、それで彼女を傷つけてしまったのだろうか。


 デジレのことはかわいいと思っているが、シャルルだって冷たくされれば腹も立ち、憎しみのこもった目で見られれば身も竦む。


 それなのに、どうしてかシャルルは、彼女のことが嫌いになれないでいる。


 もっと仲良くなりたいと願っている自分がいるのだ。


 でも、デジレはそんなこと望んでいないのではないか、と思うと、胸が苦しくてたまらない。


 シャルルはすっかり調子を失っていた。


 デジレのことになると、いつもこうだ。冷たくされると悲しいのに、それでも顔を見にいかずにはいられない。少しでもいいから笑いかけてほしいとさえ思う。


「ロンバルディア王の娘御は、聖ヨハネの遺灰をお持ちなのではありませんでしたか?」

「奇跡の聖灰ですな」

「あれで何人もの人が傷をいやしていると聞いております。手放すには惜しいと思います」


 会議はずっとデジレの処遇について話し合っている。


「しかし、ロンバルディアの主張はとても受け入れがたい。寄進状が偽造であるなどと、大それた嘘を……」


 奇跡の遺灰。偽造の文書。


 シャルルは会議の内容を聞き流しながら、あの人のよさそうな教皇が書類の偽造でフランク王国を騙しただなんて、とても信じられないと思っていた。


 もしもそれが本当なら、神さまから重い罰を与えられそうだ。


 怖くないのだろうかと、素朴な疑問がわいた。


 シャルルは正直に言って、とても恐ろしい。


 だから、倉庫から剣を持ちだすのも、本当はとても怖かった。やり遂げられたのはデジレが平然としていたからだ。彼女はきっと神様が怖くないのだろう。大胆な彼女は、エイモンもペテンにかけた。


 シャルルはそこでふと、デジレが持っている遺灰のことを思い出した。


 あの遺灰は彼女がロンバルディアから持ってきたものだという。


 しかし、シャルルには覚えがない。


 彼女の持参金と嫁入り道具は、フランクとロンバルディアの間で協議して決められたものだ。この金額が多すぎても少なすぎても争いの火種になる。ならば、あらかじめよく話し合っておくのが望ましい。


 聖ヨハネの遺灰などが持ち込まれるのなら、それは堂々と、嫁入り道具として名を連ねていたはずなのだ。しかし、シャルルは物覚えがいいから断言するが、結婚当初の取り決めに、聖ヨハネの遺灰については一言も記載されていなかった。


 確かにあの灰はすごい。さまざまな病人を癒してあげているのを、シャルルも見た。


 しかし、そんなにすごいものを秘蔵していながら、ロンバルディア王がやすやすと手放したというのも理解できない。デジレも、財産のリストから外して隠し持っていたくせに、急に見せびらかすようになったのは、どういう心境の変化なのだろう。


 隠し持っていたのか、あるいは――


 どこかで調達した偽物の灰だったりして、と冗談まじりに考えて、シャルルはハッとした。


 そうだ。なぜ今までその可能性に気づかなかったのだろう。


 力のある魔術師であれば、多少の奇跡は捏造してみせることができる。リナルドの親戚にも一人高名な、モージという名の魔術師がいるが、彼もときおり魔術を披露しては、父王から褒美をもらっている。


 そうだ。


 デジレなら、聖遺物の偽造ぐらいは可能なのではないか。


 彼女は東ローマの学者仕込みの聖書知識を持っているから、おそらくは偽造を疑われても、うまく嘘をついて、フランク人の聖職者たちすらもけむに巻くだろう。


 ちょうど、教皇が偽造した『コンスタンティヌスの寄進状』を、フランク王国の重鎮たちがことごとく見抜けなかったように。


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― 新着の感想 ―
[一言] 男の本質は狩人なので、逃げれば逃げるほど追っかけてくるんですよねー。 つまり、デジレが逃げれば逃げるほどシャルルは追っかけてくることに……。 前世のデジレなら嬉しかったでしょうけど、現世では…
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