大足のベルト
(シャルルマーニュも例外ではありません。彼もまた恋に生きる騎士です)
うそよ! とデジレは心の中で絶叫した。前世と違いすぎる。
(見ようによっては、デジレ姫、あなたがリナルドを本来の十二勇士像に戻してくれたとも言えますね)
デジレはそら恐ろしい思いでちらりとリナルドを振り返った。
彼は恋する乙女のように、ぽっと頬を赤らめてみせた。
うそでしょ、とデジレはもう一度思った。
なに『うちのお妃さまかわいいな』みたいな顔してるのよ。ちょっとは隠しなさいよ。わたくしはシャルルの妻なのよ。奴隷の分際でじろじろ見るんじゃないわよ。
フランクでは、奴隷身分と自由民には厳然たる違いがある。奴隷は、持ち主の機嫌を損ねたらその場で殺される。そのくらいの権力差があると分かっていてなお、恋心を隠そうとしないリナルドは、ある意味大物なのかもしれない。
「リナルド!」
「はい、お妃さま」
「以前にも言いましたけれどね、わたくしは浮気性の男が一番嫌いなの!」
「心得ております、お妃さま」
「分かってないじゃない、なんでわたくしの詩なんか作ろうとしているの!?」
リナルドはしごくまじめな顔で言う。
「浮気ではないからです、お妃さま! 貴婦人に捧げる敬愛は、浮気などという俗な感情とはまったく違います! 僕は本気でお妃さまを愛しているのです!」
デジレは絶句した。
マーリンが腹を抱えて笑っている。
(これは面白い見ものだ。デジレ姫はずいぶんと初心なのですね。男から言い寄られるのは初めてですか? まるで夕焼けのように赤い顔をしていらっしゃる)
デジレは瞬間的にマーリンの遺灰を全部捨てたくなって、小箱に手をかけた。
(うわあ!? やめてください、やめて、すみませんでした! もうからかいません!)
デジレはリナルドのまとわりつくような視線に耐え切れなくなって、シャルルのところに遊びに行く許可を出して、さっさと追い払った。
***
リナルドのことは頭が痛いが、しかし、いいこともあった。
彼が持ち帰った品物が、デジレの満足のいくものだったからである。
デジレはその品を抱え、ベルトルートの部屋に行った。
「ベルトルート様、実家から素敵な織物を送っていただきましたの。ベルトルート様にもぜひ受け取っていただきとう存じます」
ベルトルートはシャルルの母親だ。ひっそりと木陰で咲く花のような女性で、戦やまつりごとではあまりぱっとしない。
しかし、ぺパン王をその美貌だけで射止めたというほどの美人で、今でも彼女に懸想する騎士はあとを絶たないという。
ぺパン王は背の低い男だったが、ベルトルートは違う。『大足のベルト』などという陰口を叩かれるほどの長身の美女だ。シャルルマーニュの長身もおそらくはベルトルート譲りなのだろう。
デジレは基本的に美人が嫌いなので、ベルトルートのことも決してよくは思っていないが、さすがにそれを表に出すほど馬鹿ではない。
「まあ、わたくしにこの絹を?」
「ベルトルート様の太陽のような金髪には、鮮やかな絹織物が似合いますわ」
ベルトルートは絹織物をじっと見つめている。
「触れてみてくださいませ。とても触り心地がいいのですわ」
手に入れたいはずだ、とデジレは考えた。ウールや亜麻の服は手触りがお世辞にもいいとはいえない。この服に一度袖を通せば、もう手放せないはずなのだ。
「わたくしの奴隷に、とても手先が器用なものがおりまして、うまく服を仕立てることができますの。ベルトルート様にもこの絹織物で一着仕立ててさしあげとう存じます」
「でもね、ぺパン様があまり贅沢をしたがらないのに、わたくしだけきらびやかな服を着るというのも……」
ぺパン王は贅沢を好まない。そのせいで、他の貴族も遠慮しているほどだ。
彼が絹を着れば、宮廷の貴族たちもこぞって絹を着るようになるだろう。
「陛下はお美しいベルトルート様のことをたいそうご自慢に思っていらっしゃるようですわ。でしたら、ベルトルート様が着飾ってお美しさに磨きをかけることも、きっと誇らしく感じるはず。妻を褒めそやされて機嫌が悪くなる男などおりませんもの」
デジレはつらつらとお世辞を述べながら、心の中で泣いていた。どうして自分には、美の女神が微笑まなかったのかとさえ思う。
しかし、前世での宮廷で、嫉妬を押し隠して行動することには慣れきっていたので、まったくそんなそぶりも見せなかった。ベルトルートの美しさに感じ入っているようなふりを徹底した。
「心配はいりませんわ、これはわたくしの父とぺパン王との友情から生まれた、ほんのちょっとした贈り物なんですのよ」
ベルトルートは気が進まない様子だったが、生来主張をしない人であることは、デジレにも分かっていた。
強く押せば、人の言いなりになってしまうような弱さが彼女にはあったのだ。
デジレは強引に服を仕立てさせる約束を取り付け、絹を選ばせた。
ベルトルートが選んだのは、茜色の絹だった。
宮廷ではよく見かける色だから、目立ちにくいと考えたのかもしれない。
しかし、ありがちな色をしていても絹は絹。
絹の持つ滑らかで美しい光沢は、ウールのごわごわした衣服ばかりの宮廷で、非常に目立つことになった。
ベルトルートが遠慮がちにデジレに声をかけてきたのは、服が完成してしばらくたったころだった。
「ねえ、デジレ。あなたにいただいた服、ほしがる方がとても多くて……まだ布は余っているかしら?」
「まあベルトルート様。申し訳ありません、もうわたくしの用向きにほとんど使ってしまいましたわ……」
デジレはいいことを思いついたというように、手を打ち合わせた。
「そうだわ、わたくしの国から呉服商(絹織物商)を招きましょう。色とりどりの反物を見れば、きっとみなさん心が浮き立ちましてよ」
フランクでは、まだ絹を生産することができない。手に入る衣服といえば、粗末なウールと毛皮だけ。
絹が欲しければ、東ローマから輸入してくる必要がある。
しかも、時期が悪いことに、今は地中海でサラセン人の海賊業が横行しており、ヴェネツィアからの船便は途絶えている。マルセイユなどの大きな港町でさえも、東ローマやペルシャの商品が手に入らなくなってだいぶ経つ。
絹を仕入れるには、陸路ではるばるロンバルディアを経由しなければならないのだ。
彼らが絹を着ようと思ったら、デジレが連れてくる商人を頼るしかないのである。
(絹の交易ですか。いいですね、やはり騎士道物語といえば、白銀の甲冑を着た騎士と、絹のドレスを着た貴婦人がいてこそです。この国の服はあまりにもみすぼらしい)
デジレは手厚い警護をつけて招いた呉服商たちに、商品を見せびらかすように言いつけた。
金襴銀欄の絹織物は、すすけた毛皮ばかりの宮廷で、宝石のように輝いた。
そのどれもが、毛皮の百倍もの値で取引されるのだから、あっという間にフランクの貴族たちは聖遺物の巡業で得た財貨を失った。
中には余りの剣や槍をこっそりと手放すものまで出る始末だ。
デジレは冬までに、大量の武具を獲得することができた。
剣、槍、盾、鉄兜、鎖帷子。
積み上げられた鉄製品の山を、牛車の行列がのろのろと運んでいく。
(そんなに武器ばかり集めて、どうするのですか?)
マーリンが不思議がっているので、デジレは教えてあげることにした。
簡単なこと。
ローマ教皇を倒すのよ。