騎士は貴婦人の恋奴隷
そこらへんにいた男どもをどやしつけ、デジレ自身もとにかく薪を投げる。
「あの奴隷はシャルルの妃のわたくしのものよ、奪還に手を貸すのなら褒美を出すわ! 突っ立ってないで早くお行きなさい!」
ようやくギャラリーたちが動き出し、ラグネを連れ去ろうとしていた男たちが不利を悟って彼女を放り出した。
逃げていく男たちに向かって、デジレは叫ぶ。
「お前たち、顔は覚えたわよ! 次に会ったらシャルルに言いつけて首をくくらせてやるわ!」
大声を出したせいでぜいぜいと肩で息をしているデジレに、ラグネは大泣きしながら飛びついた。
本当になんて国なの?
デジレの腹立ちは止まらなかった。
移動中とはいえ、よりによって宮廷で、白昼堂々女をかどわかそうなんて、どうかしている。王の威光とは何なのか。小悪党すら統率できないこの宮廷に、何の価値があるものか。
泣きじゃくっているラグネを引っ張って、なんとか彼女の牛車に戻す。
ラグネは自分の子が泣いているのを見つけると、ともかくも涙をこらえて、赤子をあやし始めた。
デジレはその様を眺めながら、思う。
この国だと、美しすぎるのも考え物ね、と。
デジレは前世の遺恨もあって、美人という美人が嫌いだったが、ラグネの引っ込み思案でおどおどした性格と相反するかのような、燦然と輝く美しさには、同情を覚えないでもない。女神ヘレネーのように美しい羊がいたら、ちょうどラグネのようになるだろうか。
(いくらなんでも、ここまでひどいとは……やはり何かが捻じ曲げられているとしか……)
マーリンがぶつぶつつぶやいているが、デジレは無視をした。
「……ねえ、ラグネ。あなた、もう少し地味にできないの? ただでさえ顔がよすぎて目立つんだから、服ぐらいは周囲に溶け込めるように工夫なさいよ。ヴェールをかぶって、顔を隠すとか。でないとわたくしも危なくって連れて歩けないわよ」
ラグネはみるみるうちに、泣きそうになった。
「そんな……私、お妃さまのところを追い出されたら、いくあてが……!」
「何を言っているのよ、追い出すわけないでしょ。あなたどうやって子どもを育てるのよ?」
赤子はどうやら健康優良児のようで、すくすく成長している。
しかしどうにもラグネ本人はぼんやりしているというか、付き合う分には優しくて気持ちいいのだが、乳飲み子を抱えたシングルマザーとしては非常に頼りないように思える。
デジレが放り出したら、本当にすぐに野垂れ死んでしまいそうだ。
「でもうちも無限にお金があるわけじゃないの。わたくしの侍女仕事に差し支えがあるのなら、何か別の金策の方法を考えてもらえないかしら? 裁縫が得意なら、何か作れるでしょう?」
ラグネはおずおずとうなずいた。
「……材料をいただけたら、お妃さまに、新しくお洋服をお作りすることもできます」
「そうね、ひとまずなんか作ってみてちょうだい。いえ、わたくしよりも、そうね。王妃様のほうが先かしら?」
宮廷内で一番いい服を着ているのは、王妃であるべき。これはどこの国でも変わらない、女の鉄則だ。
「赤子の乳やりが落ち着いたら、王妃様に相談してみるわ。それまでにせいぜい王妃様がお喜びになりそうな服を考えておいてちょうだいな」
ラグネの着ている服はかなりみごとな出来栄えだ。まあ、任せておいてもいいかしらね、とデジレは考えた。
デジレには考えることが山のようにあるのだ。奴隷娘にばかり構ってはいられない。
デジレは休む間もなくせっせと父王と連絡を取り合った。
メッセンジャーにはリナルドを使った。
フランクからロンバルディアへの道中には山賊も横行し、危険が伴う。厳しい仕事なのに、彼は文句も言わずにじっと役目を果たしてくれた。
初夏のある日、パリ近郊の城内でのこと。
父王からの返事を受け取ったデジレが、リナルドを待たせ、その場で返事を書いていると、ふと視線を感じた。
デジレが顔をあげると、リナルドがうっとりした顔でデジレを見ていた。
デジレはぎょっとしたなんてものではない。
「な、なに?」
「は」
リナルドはうっとりした顏から、いつものまじめくさった顔つきになった。
「お妃さまがとてもお綺麗なので、詩にすることはできないかと考えていたところです」
真顔でとんでもないことを言うので、デジレはさらにぎょっとした。き、きれい? 誰が? わたくしが?
デジレは、奴隷娘のラグネや、シャルルマーニュの美しい妹御や、女騎士ブラダマンテ、それから絶世の美姫とうたわれたアンジェリカの顔を順繰りに思い出した。
デジレはあの美姫たちに比べたら、圧倒的に地味である。褒められて喜ぶよりも、先にリナルドの審美眼の方を疑った。
「あ、あなた、目がおかしいんじゃないの?」
グイドたちから殴られすぎておかしくなってしまったのだろうか? マーリンも怪我は治せるだろうが、頭につける薬はないだろう。
「恐れながら、僕にはお手元の文字もくっきり見えております。今度は絹織物の輸入を手掛けるとのこと、お妃さまは勤勉な方でこのリナルド感服しております」
「見るんじゃないわよ!」
デジレが慌てて機密情報を隠そうとバタバタしていると、リナルドはまた慇懃に分かりましたと言い、背を向けた。
リナルドがなにかをぶつぶつ言っている。
「お妃さま……ロンバルディアの花……いまだ人の踏み入らぬ高嶺に咲く……降りつむ雪のごとき肌……」
「何その歌!? 詩なんか作らなくていいわよ!」
たいそうな歌のモデルがデジレだなんて知られたら、宮廷の人たちも失笑するだろう。今にも男たちの笑い声が聞こえてくるようだ。『雪のような肌の美姫とは、あのちんくしゃの娘のことかね?』
「拙速で恐縮です。もっと磨いてからご披露いたします」
「作るなって言ってるのよ!」
「しかし、貴婦人に捧げる詩を作るのもまた騎士の務めなれば」
「何が騎士よ!? あなた奴隷でしょう!」
「騎士とは皆恋の奴隷であるのです」
「うまいこと言ったつもりなの? 面白くないわよ!」
デジレが本格的に頭の病気を疑っていたら、マーリンが笑い始めた。
(おやおや。だいぶ本来のリナルドらしくなってきましたね)
この男、元からこうだったの? と、デジレは脱力を覚えた。前世のリナルドから受けた仕打ちが思い返される。彼には髪を引っ掴まれ、不名誉な言霊……娼婦だとか毒婦だとか……をさんざんかけられたあと、殴られた。
(元からこういう男ですよ。恋に酔って我を失い、王の命令も聞かずに好きな女の尻ばかり追いかける。フランク王国の危機よりも何よりも、大切なのは愛した女の方。貴婦人のためなら何でもする。それがシャルルマーニュ十二勇士における騎士です)
デジレは頭が痛くなってきた。それはろくでもない。この世界の男たちもろくでもないが、方向性が違う。力こそすべての蛮族たちとは別の方向にろくでなしだ。
(ちなみに、十二勇士も全員こうです)
全員!?